ぱにぽにだっしゅ!第25話感想。
遊んで遊んで、最後はいつもの日常に戻るという、そんな今回でしたね。
やはりこれは「ゴドー待ち」!
まぁ、それは僕の勝手な視点なわけですが。でも、もっと暴れ回るかと思いきや、「あ。ちゃんとまとめてきた」という感じがしました。
僕は「どこまでも行ってしまうかも」と思っていたので、「あぁ。ちゃんと視聴者に分かるように組み立てるんだ」と感じて、好感を持ちました。もっと不条理でもっと投げっぱなしで行くのかな、と思っていましたから、ちょっと意外だったかも。
今回、ベッキーが幻覚に惑わされていたみんなに語りかけた、「学校は嫌いか?」というのは、ベッキーが後で言っていた「現実の方が楽しい」ということと繋がってるもので、かなり分かりやすいメッセージでした。
それは言ってみれば、
「一人で幻覚や妄想の中で遊ぶことよりも、みんなで現実の中で遊んだ方が、ずっと楽しい」
というものなのかな、と思います。
前々回から僕は、「『ぱにぽにだっしゅ!』は『ゴドーを待ちながら』で描写されたことの先を見せてくれるもの」と捉えて、そういう視点で視聴しています。
もちろん、「遊びながら何かを待つ」という「ゴドー待ち」と「ぱにぽにだっしゅ!」は全然違うものなわけですが。それでも、「ぱにぽにだっしゅ!」の「遊び」は、「ゴドー待ち」に通じるものがあるように感じています。
それはまぁ、直感のようなものであるわけですが、いろいろこじつけることもできるかとは思います。でも、ちょっと面倒なのでそこははしょって。感じていることをざっくりと言葉にすると、
「『ゴドーを待ちながら』では遊んでも遊んでも目的は果たせないところに、『遊び』というものが虚しさの象徴として描写されているのかもしれない。でも、『ぱにぽにだっしゅ!』では、目的すらないままひたすら遊んで、遊び続けて、『何も待たない』。そこに意味があるように思える。現実の中で皆で遊ぶことを、困難を打破するための方法として示した今回は、その一端を見せてくれたのかもしれない…。」
あんまりざっくりしてないですね。
でも、とりあえずこんな感じのことを思いました。
遊ぶことには意味がある。
皆で遊ぶことにも意味がある。
そして、現実の中で遊ぶことに、意味がある。
いよいよ最終回を迎える中、実に分かりやすい、そして優しいメッセージを発信してきているな、と感じます。
僕はそこにこの作品の一貫性を感じます。
この作品は、優しいですよ。
僕はこの作品を「ARIA」と本質的には一緒で、人を癒すものだと評価したことがありますが、それはそういう優しさの部分を感じていたことから出てきていたのでしょうね。
その優しさは、エンドロールの投稿をいっぱい見せてくるところにも表れていたように思います。
最終回、予想もつかないようなムチャクチャをやってくれるかもしれません。
でも、本質にある優しさは、絶対に覆らないだろうな、と思います。
来週。
皆で、「ぱにぽにだっしゅ!」を見て、遊びましょう。
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