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2006年2月 4日 (土)

今更ですが「ぱにぽにだっしゅ!」最終回の感想

 年末、冬コミの準備と年明けはその疲労にぐったりしていたり〆切があったりでちょっと感想を書く気力が無かったのですが。
 ぼちぼち、「ぱにぽにだっしゅ!」最終回の感想を思うに任せて書いてみたいと思います。

 ただ、これだけ時間が経つと「熱く!」というわけにもいかないでしょうね。
 感じたことの要点をまとめつつ、シリーズ全体を視聴しながら感じていたこともだだだっと。

 「遊び」という点に注目して「ぱにぽにだっしゅ!」を見ていました。
 それは戦後の演劇の代表作である「ゴドーを待ちながら」に出てくる「遊び」と比較して、時代性を感じさせる作品である、という評価を持ってのことでした。

 最終回の「遊び」は、それまでの「遊び」とは異質なものであるように思いました。
 真冬の時期に脈絡なく真夏になり、視聴者へのサービス満点の美少女達の水着姿を惜しげも無く披露しまくり。画面の隅々で遊びまくり。
 それは、いつもの「遊び」と同じようにも見えるのですが、いつもの「視聴者を巻き込んでみんなで遊び倒す30分」という感じではなかったように思います。

 どちらかというと、キャラクターが勝手気ままに画面の向こうでのんびり遊んでいる様子に見えました。
 それは、視聴者を突き放すような印象にも感じられました。
 だから、見ているこっちは彼女達が気持ち良く遊んでいる様子を指を咥えて眺めるしかないわけです。
 そして最後にはベッキーが「こりゃまた失礼いたしました!」と往年のギャグをかますとセットがガラガラと崩れるわけですね。
 それは「遊びが終わった」ことを示していたように思います。
 勿論、アニメなんだから虚構なんだけど。
 それを「これは虚構だよ」と明確に示すことで視聴者を虚構から帰そうとする作業であるように思えました。
 「遊ぶ」ことの面白さ、楽しさをさんざん示した上で、「はい。遊びは終わり」として終わらせる。
 それは当然寂しいことなんだけど、「ごめん。さよならだ」とベッキーははっきりと別れを告げます。

 それが「遊ぶ」ということなんだろうな、と思うんです。

 「終わり」があって「別れ」がある。
 それが「遊ぶ」ということ。
 「終わらせて」「別れなければならない」からこそ、「遊び」はとても必要なものになるし、楽しい。
 その遊びはセットを組み立てて虚構を作り上げて、真剣に不条理に取り組むようなものなわけだけど、現実があるから虚構が成り立つ。
 現実があるから遊びが遊びとして意味を持つのだと思う。

 「ゴドーを待ちながら」では、二人の男は絶望から「首を吊ろう」なんてことを言うわけですが、「ぱにぽにだっしゅ!」ではベッキーがのこのこやってきて「お呼びでない!?」とやるわけです。無理矢理こじつけると、ベッキーがゴドーってことっすかね。
 「ぱにぽにだっしゅ!」では誰も絶望しないし、見ているこっちも絶望なんてしない。
 「ぱにぽにだっしゅ!」は楽しいから。
 その遊びが楽しければ、絶望なんてしない。

 でも、その遊びは終わってしまった。
 じゃあ、どうするのか?
 「ゴドー~」でも、絶望した男達は結局遊び続けるわけですが、「ぱにぽにだっしゅ!」を見ていた僕らも、次の遊びをするわけです。
 ゴドーを待つわけでもなく、絶望するわけでもなく、現実を生きるために、遊び続けるんです。

 「ぱにぽにだっしゅ!」は、現実を生きるための虚構を僕らに見せてくれたシリーズだと、僕は思います。
 意味合いとしては、それこそ、戦後、力道山の空手チョップが人々に活力を与えたようなことと同じ種類ものがあると思います。
 そして、それがエンターテインメントのあるべき姿なんだとも思います。

 ベッキー役の斉藤千和さんが「ぱにぽにだっしゅ!」のことを「今やりたいことを今やれた作品」というようなことをどこかでコメントしていたように記憶しています。
 その「今やりたいことを今やる」ということは斉藤さんに限らず、スタッフや関係者の気持ちを代弁していることなのだと感じます。このことはすごいことだと思うんですよ。現実を見据えて生きているからこそ「今、何をやりたいのか」を考えられるし、それを見せることができる。

 エンターテインメントは嗜好品で、言ってみればそれが無くったって人間は生きていけるわけです。
 理屈の上では。
 だから「ぱにぽにだっしゅ!」は別に存在しなくったって、僕達の生活は何も変わらない。
 だけど。
 「ぱにぽにだっしゅ!」を楽しく見ていた2005年のことを振り返ると、僕にとって「ぱにぽにだっしゅ!」が無いなんてことは考えられないわけですよ。
 つまり、僕にとっても「その時見たいもの」だったわけです。

 ゴドーなんて待たねぇ。
 絶望もしねぇ。

 その時、したい遊びをする。
 現実を生きているから。
 そして、それが「ぱにぽにだっしゅ!」でした。

 「時代性」ということを言うと。乱暴に言葉として表現すると、今は「傷ついていても顔を上げて前を向く時」とかっていう感じなのかもしれません。
 そういう時。
 不条理なまでの笑いを叩きつけられて、理屈抜きで腹の底から笑う。
 そういうことが必要なのかもしれません。
 もしくは、「癒し」ですね。
 まぁ、そういったことに限ったことじゃないので言葉にしすぎると、その辺りはどんどんニュアンスがずれていくようにも思うわけですが。

 ともかく、「ぱにぽにだっしゅ!」は楽しかった。
 楽しかったし、楽しかった以上の何かを与えてもらったように思います。
 それは「明確な虚構」「遊びとしての遊び」で、それを与えられたことによって、現実をより知ることができたように思います。
 僕の中に、はっきりとした自覚を伴ったものではなくとも、傷ついて顔を下げてしまっている部分があったとしたならば。
 「ぱにぽにだっしゅ!」を見ることで、顔を上げ前を向けるところがあったように思います。

 楽しく、有意義な「遊び」でした。
 一緒に遊んでくれて「ぱにぽにだっしゅ!」ありがとう!!

 《「ぱにぽにだっしゅ!」感想了》

 …たぶん。
 なんだか、思ってたことを上手く表現できていないような気もするし。
 書き足したいことがあったら、また書くかもです。

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