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2006年3月 7日 (火)

漫画における「演技」論5

 風邪でぐだぐだしていて、調子が悪い。
 そういう時こそ、なんだか頭が冴えるかもしれない。
 そんなわけで、しばらく放置していた「漫画における『演技』論」の続きを書いてみたいと思います。

 以前挙げていた項目に関して消化していきつつ、思うところがあればその都度膨らませていきたいと思います。

「1:キャラクターデザイン=役者選び。キャスティング」が終わったので、「2:ネーム作業=演技プラン。リハーサル」「3:下描き、ペン入れ=本番」「4:漫画表現の活用=崩しによる演技」に関してですね。

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(前提)
 漫画を描く上での能力を「演出家的能力」と「役者的能力」の二つに大まかに分けて述べています。前者はネームを描いたり物語を作る上で必要な能力。後者は絵を描いて表現する上で必要な能力。
 この二つの能力は一人の人間の中に混在しているわけですが、大概においてどちらかの能力が長けていて、得手不得手があるものだと考えられます。
 それらは、その長けている能力によって「演出家タイプ」「役者タイプ」という言葉で文中に出てきます。

2:ネーム作業=演技プラン。リハーサル

 ネームは漫画を描く上での設計図となるものです。コマ割り、レイアウト、台詞などを決めていく準備作業でとても重要な作業です。
 この作業の段階でキャラクターの「演技」についてプランをしっかり立てることが重要だと思われます。
 それは演技そのものをさせるのではなく、プランを立てるということで、「意図を明確にする」ことだろうかと思います。
 ネームは、僕が思うにはなんですけども、別に完璧である必要はないと思っています。
 ただ「なんとなく」で組み上げるのはよろしくないのでしょうね。コマ割りが決まらず、レイアウトに迷い、台詞が出てこなくても「ここは格好よく!」とか「ここはとにかく可愛く!」とか、そういう意図がちゃんとあることが大事かなぁと。要は「演出意図」ってことですね。

 ネーム作業を「演出意図」を明確にしていく作業として捉えるならば、この作業に求められる能力は「演出家能力」ということになるかもしれません。
 そういうところから思うに、「ネームが苦手」という作家さんは演出家的な能力や性質が薄く、役者的能力や性質の方が長けている、ということが言えるのかもしれません。
 先に言ってしまうと、この後の「3:下描き、ペン入れ=本番」のところが「役者能力」の使い所ということになるかと思います。「演出意図」を生み出すことが苦手な人でも、「演出意図を汲み取って演じる」ことが得意な人はいて。やっぱりそこは使われる能力が違うんだよなぁと感じます。

 商業漫画のプロセスは、「ネームを編集部に提出」→「打ち合せ」→「作画作業」っていう流れだから、まず演出家としての能力が俎上に乗るのだと思います。
 だけど、作画作業が得意な、この「演技論」で言うところの「役者タイプ」の人にとってはこのプロセスは力を存分に発揮できるものとは言えないわけですね。
 最近は原作と作画が分かれている作品も多いわけですが、その方が当然絵的には活き活きしていく可能性が広がっていくのだと思います。
 一人の人間が演出をして演技もするのであれ、演出をする人間と演技をする人間とを分けるのであれ、作画する時に作品の意図を活き活きと描き顕わすことが大切なので、ネーム作業でそのプラン、作品の意図をしっかりと練り上げたいものですね。

 その意味では、ネーム打ち合わせの時に「意図」を見失わないことが大切かもしれないですね。
 何度も何度もネーム直しをさせられることがあるわけですが、直せば直すほど迷って悩んで、作品の面白い部分がどんどん損なわれていってしまうことがあります。それは「意図を見失っている状態」といえるのかもしれません。

 漫画は、物語をキャラクターに演じさせその演技を読者に見てもらって楽しんでもらう、そういう娯楽だと思います。「演技論」の観点から言うならば、キャラクターにしっかり演技をさせてこそ、より面白い漫画になる、と思いますので、「ネーム直し」なんていうものは時間の無駄以外の何物でもありません。
 ここで無駄な時間を使わないで、直すにしてもなるべく最低限の直しでOKを取るためにも、作品の意図やシーンの意図、演技プランの意図、演出の意図を明確に持って打ち合わせに臨むことが大切かもしれません。

 とはいえ、この「打ち合せで意図を伝える」ということも、「演出家」や「役者」として使われる能力とは別の能力や才能が求められるのだと思います。
 ここが苦手だという人もいるわけで、そういう場合には打ち合わせは「作品の意図を汲み取って、それを言葉にして伝えられる人」に任せる、というのも手ですよね。

 編集者サイドからしたらば「描いた人が持って来いよ」という思いはあるのかもしれませんが、良い作品を作るために「こうしなければいけない」ということは無いものだと僕は思います。逆にそこに囚われなければ、より良い作品を生み出していける方策がもっともっと見えてくるのではないか、とも思います。

 さて。この「演技論」では、漫画で使われる能力を「演出家的能力」、「役者的能力」の二つに大まかに振り分けて述べてきていたわけですが、ここで「意図を伝えて打ち合わせる能力」というのも出てきましたね。
 これは、「マネージャー能力」と言うことができるかもしれません。
 このマネージメントは何のためかというならば、良い作品を作るため、良い演技をさせるため、というわけですね。一人で全部の役割をこなす場合には「演出家」として作品の意図を生み出し、「マネージャー」としてその意図を打ち合わせ、そしていよいよ次に「役者」として演技をすることになるわけです。
 つまり、次が「本番」なわけですから、それ以前のところでいかに無駄を省きストレスをためないか、が重要になるかもしれませんね。
 そのためにも自分の中の役割分担を整理することが、鍵になるといえるのかもしれません。

 でも、タブーは無いと思うので、マネージャーを立てるやり方も有りだと思っておりますが。

 いよいよ次はやっとこ「演技」そのものの話ですね。でも何を書くかはまとまっていません。
 というか、今回も指の赴くままにタイプしまくって書いただけなので、ちゃんと読める話になっているのかどうかも分かりません。
 今回も実感したんだけど、葉巻吹かさないと何も書けないですわ。
 うーんうーん。と唸りつつ、葉巻をぱくっと咥えたら、もうそれだけで「ダカダカダカ!!」ってタイプが進んで自分でもびっくり。ものを考えているのは脳みそじゃなくって葉巻なのね。
 そんなわけで、次回も煙に巻かれつつ葉巻に考えてもらって演技論を書き進めたいと思います。

 次回の自分へのヒントメモ。
「漫画の演技は「顔」に集約される」
 って、もうこの1行で終わりでも良かったりして。

 ではではまたです。

(漫画における「演技」論6に続く)

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