「成り立つ」ということの発見。
前回のイラストのデザインを微調整して描き直し。
髪飾りが後ろにあったのをサイドに持ってきたのと、武器は「ムチ」に設定。それと色を完全につけ直した。
これによって、このデザインが「成り立った」という感触を得た。
これは大きな経験になった。
というのも「成り立つ」「成り立たない」という境界線を感じることができたから。
二つの絵のデザインはほとんど変わっていない。
変更点自体は多くない。
だけど、前者は俺の中では「成り立っていないデザイン」であり「成り立っていない絵」だった。
なぜそうなってしまったのか。
それは「思い切り」が足りなかったからだ。
どこか「なんとなく」で塗ってしまったり描いてしまったりしたから、無難なものになってしまい、つまり「逃げ」が入ってしまい、それにより「成り立たないもの」になってしまっていた。
それは、これの前に描いた「光る鎌を持った少女」を描いた経験がまた大きかった。
あの鎌の女の子は、最初「どうだろう?これ…」と自信が無かった。当然描いてアップする気もほとんど無かった。
自信が無かったのは衣装のデザイン。
俺はこういうのをデザインするセンスが無い、と思っていたから、描いてアップしたところで「笑い者になるだけだよな」と思っていた。
なんだけど、とりあえず描いてみようと思って絵を考えた時に、「この子にでかい鎌を持たせてみよう」と思いついた。で、下描きしてみて「お。これは可愛いんじゃないか?」と思えた。あの衣装のデザインであっても、そういうポイントがあれば「いいんじゃないか?」という感触が得られたんだ。
で、今度は色を塗ってみて、ピンと来るものがあった。
最初あの子のワンピース型の衣装は「黒地にオレンジのファイヤーパターン」のつもりだった。
でも、それだとあまりに普通すぎる気がして、ライトブルーをまず塗って、真っ黄色のファイヤーパターンを入れてみた。
すると、おっかなびっくりデザインしたあのキャラクターがすごく「成り立った」気がした。そういう感触を得たんだよね。
で、「お。これはいけるのでは?」と思って、光る髪飾りをつけて、これもいい感じだと思った。
最後に光る鎌を塗ったんだけど、最初は鎌の光のピンクの粒子はおとなしいものだった。「これだと、成り立たないよな…」という感触がそこでまたあったので、ピンクの粒子をもっともっと大量に塗って、光っている部分ももっと躍動させてみた。
そこでまた「お。成り立った!」という感触を得ることができた。
この経験をしていたから、「よし。もう一人描いてみよう」と思って、自分用エロ小説に出てくるもう一人の女の子もデザインしてみたのが、前述の「成り立っていない絵」の女の子。
金髪で青い目で、赤いレザーで光る玉を浮かべている女の子。
これは、金髪に青い目を乗せた時点で「あれ?」という感触があった。
そこに赤いレザーを乗せたのが更に致命的だった。
この色使いは自分がほとんどしないものだったから、「自分的には大胆だろう」という思いがあってしたものだったんだけど、実際にやってみたらあまりにも普通で平凡すぎた。
つまり、「思い切りが無い絵」になってしまったわけだ。
そもそも、どんな武器を持たせるかの明確なビジョンもなく描いた絵だったから、ポーズも半端だし面白くない。とにかくどこを取っても思い切りの足りないつまらない絵になってしまっていた。
そんな絵をアップしたのは、自分に対する学習機会にしたかったから。
これはこのままでは成り立たない。だけど、それを成り立たせることができるはずだ。
そしてその過程をこうやってブログでアップして見せるのは、ちょっとは意義のあることかもしれない。と感じたから。
今回の絵を描く前に、「まず武器は何を持たせようか?」と考えた。
「光る鎌の少女」の場合、鎌を持たせることを思いついたことでポーズも決まり、絵が成り立っていくきっかけを得ていたので、今回も武器が肝だと思ったわけだ。
このキャラクターは、冷静で考えて行動できるタイプと考えた。
そういう子は「斬る」武器より「殴る」武器を持っていた方が怖さがあって面白いと思えた。
そこで鞭を持たせようと考えた。
片手ではなく、両手で持つのがいいだろう。その方が隙が無くってこの子らしい。
そこでポーズを考えた。
真正面を向いて、鞭をにこやかに振り回しているのがいい。
で、実際に描いてみる。
最初は脚を開いていたが、それはこの子には合っていない。だから脚を閉じた。
成り立つ気配を感じた。
「今度はいけそうだ」という感触だ。
髪飾りも、ヘアピン仕様ということで側頭部につけた。やはりせっかくのアクセントだから、正面から見えた方がいいと判断したからだ。
これも良いと思えた。
今度は色塗り。
少し優等生系の子だろうから、髪の毛は黒に近い方がいいと思って紺にしてみた。これも、金髪よりもずっとしっくり来る。
肌の色は変えず、今度はレザーだ。
これは、真っピンクにしようと思っていたので、どピンクを乗せてみた。この女の子の少女性を色で出してみたわけだ。これもしっくり来た。裏地を黄色にしたのは、スカートをブルーにしようと思っていたから暖色を使うべきだと判断したから。スカートの色は変えていないが、これは前回の絵の時からこれだけは「良い」と思っていたから。
光る鞭は思い切り良く描くべきだと意識して線を取り、光りの粒子を大きめ大きめに塗った。
最後は光る髪飾り。これはオレンジにして光る鞭と同系色でありつつ重ならないようした。
これで完成。
完成する過程を経ながら、「これは成り立つ」「今度は成り立つ」と、自信を持って作業ができた。
その成果は、今回の絵と前回の絵を見比べてもらえれば明らかだと思う。少なくとも、自分では大きな違いを感じている。
これは、俺にとって本当に大きな経験だった。
小さな変更しかしていないのに、そこには大きな違いが存在している、ということを、感触として経験できた。
そこで、作業しながら「成り立つ」という言葉を自分の中で発見したことが大きかった。
それが基準になる、ということを知ったわけだ。
「俺はデザインのセンスが無い」と思っていた。
だけど、じゃあそのセンスとは何か、というと「成り立つという感触を感じること」なのではないか、と今回のことを経験して思えた。
こういった「これは成り立つ」「これは成り立たない」という、その境界線を感じ取る経験をしなければ、センスというものは成長しないのではないか、とも思う。
この場合のセンスとは「実力」と同義かもしれない。感覚ということであっても、根拠のあるものだと思えるからだ。
「成り立つ」という言葉を発見した時に、デザインだけの問題ではなく、これは漫画や絵、小説や映画や音楽なんかにも言えることなんではないか、と感じた。
自分が発信する側であれ、受け取る側であれ、「成り立っている」かどうか、はエンターテインメントにとってはものすごく重要なのだと思う。
この「成り立つ」ということは「分かる」ということとは違う。
「分かる」「理解する」ということとは違って「感じる」という分野のものだからだ。
だから、この「成り立つ」ということは「整合性がある」とは違うものだ。不条理であっても成り立つものはある。「成り立つ」と「成り立たない」の境界線が分からないと、「整合性」や「理解できるもの」に迷い込んでしまうのかもしれない。
「理解できるもの」と「面白いもの」は違う。
「成り立つもの」と「面白いもの」は近い。
そう感じる。
というのは、「成り立つ」というのは主観から出てくるものだからだ。
その「成り立つ」という主観がそこに無い場合、受け取り手の主観、つまり発信者からするならば客観が拠所になる。だから「理解させよう」としてしまう。「分かってもらえれば成り立つものになるはずだ」という考えになる。
俺の今回の場合であれば、「デザインのセンスが無いんだから、人が良いと言うものを見て、取り入れて、無難に突っ込まれないようにしよう」となってしまうし、それをしない場合は「人に見せられるものじゃないよな」と思ってしまう。
だけど、「これは良いじゃないか」という感触が得られて「お。成り立った!」と思ったならば、それは主観が形になったということだ。
そうなった時、その感触は受け取り手の主観へと渡すことができるものになる。
つまり、受け取り手に「感じとってもらう」ことができるようになるわけだ。
受け取り手の主観にとって、それが成り立たないものであったとしても、発信者の「成り立った」という感触は消えない。だから、そこで初めて評価を聞けるようになるのだろうと思う。
この「成り立つ」という感触を得る感覚があれば、自信を失うことは無いのではないか、とも思った。いや、それは虫が良すぎるかな。自信を無くしたり迷ったりはこれからもあることかもしれない。そこは、まだ発見したばかりのことで不明ではあるけれども、とにかく大きなスキルになりうるものだと感じる。
ともかく、大きな財産を得たのだと思う。この財産を是非とも活かしていきたいものだ。
「成り立つ」というこの感触を得るためには、何をしなければならないのか。
それは「思い切ること」なのだと思う。人の目を気にせず、自らの主観を怖れない。自分の中にある違和感を見逃さない。
…ちょっと今すぐは言葉にし切れない。
でも、技術としてこれを伝えることができたらどんなに素晴らしいことか。
「成り立つ」「成り立たない」の境界線を自分の中に発見することは、多くの人の役に立つことだと思うから。
この技術を、もっと明確なものにしたい。
今後、もっと整理して文章化することを自らの課題として、今回はここまでにしたいと思う。
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