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2006年4月 4日 (火)

「ARIA THE NATURAL」第1話を見た。

 「ARIA THE NATURAL」始まりましたね!前回の「ARIA THE ANIMATION」が素晴らしい作品だったので、今回もじっくり楽しませてもらおうと待ち構えておりました。
 そんなわけで感想です。

 新シリーズ第1話ということで、アイちゃん登場。
 次の登場はまた最終回ということなんでしょうね。

 アニメオリジナルのキャラクター、アイちゃんは「視聴者の代理的立場」である、と僕は見ています。
 これは、アクアという世界や灯里というキャラクターがちょっと特殊なものであって、見る側がそこにストレートに感情移入するのは難しいのではないか、「よその出来事を見せられているだけ」になってしまうのではないか、という懸念からの配慮だと思います。
 そうなるのは、テレビ媒体と漫画媒体の大きな違いということなのでしょうね。
 テレビには電源を入れれば流れてくるというところで情報の公共性が前提にあって、漫画は閉じられたページを開いて読むというところに個人性があるのだと思います。そういった媒体の特徴の違いから、アクアという世界、灯里という人物をどう表現していくかの違いが生まれるのでしょう。

 そこで生み出されたのが「アイちゃん」というキャラクターだと思います。
 アイちゃんは前期シリーズで、地球の子で最初はアクアを嫌っていたけども、灯里に会って友達になり、アクアを好きになった。という子として描写されました。
 これは、アイちゃんが僕ら地球に住んでいる視聴者の代理として描かれているのだと、見ていて感じました。
 アイちゃんがアクアを見てアクアを好きになっていく過程を僕らは見て、僕らもアクアを好きになっていく。友達になった灯里が毎週アイちゃんにメールをすることで、僕らも毎週灯里からのメールを受け取る。そういう仕組みが「視聴者の代理的立場」ということになるのだと思います。

 で。
 今回も、まずアイちゃん登場ということなので、これはもうアイちゃんの目線でこの第1話を見て楽しむのが良いということなのでしょう。
 あんなちっちゃな女の子に自分はなれないけれども、気持ちの部分ですよね。純心に、無邪気に、計算しない気持ちで受け止める。そういう意味でのアイちゃん目線ですね。
 そうするとまぁ、もうサービス満点ですよね。
 アリアカンパニーで灯里やアリシアと一緒にご飯を食べたり、手伝いをしたり。アリア社長に「ぷいにゅー」と挨拶してみたり、前回の最終回に続いて灯里の友人全員と会ったり。
 見ているファンからすれば「あそこ(アクア)に行ってやりたい!」と思うことをアイちゃんがしているわけですね。そうしたら、そこはもう「あれは俺だから」の気持ちで見て堪能するしかないわけですよこりゃ。

 そして、そのアイちゃんが今回アクアで灯里と共に出会ったのが、ケット・シーだったわけですね。
 前期では語られなかったアクアの奥にある世界に、灯里と視聴者の代理的立場であるアイちゃんが出会い、そのことによって、「ARIA THE NATURAL」がどういうシリーズになっていくか、が示されたのだと思います。

 ここからは、長文を避けるために感じたことの要点をまとめて書きとめます。

 ケット・シーと猫の世界は改造された星であるアクアの中でも人の手の及ばない領域。
 それは、アクアにおける手のつけられていない部分であり、超常的なものとして表現しつつ「自然なもの(natural)」を象徴している。
 灯里とアイちゃんはアクアの「自然」的なものに出会い、触れ合う。
 しかし、「ここからは入ってはいけない」線引きを示される。灯里はそこを踏み込むことを望むが、アリア社長に止められ我に返る。そしてカサノヴァの正体とケット・シーの世界を知る。
 それは、互いが共存しつつ踏み込み合わないバランスの取れた世界を認識すること。
 そのため、カサノヴァの正体を問われた灯里とアイちゃんは「妖精さんでした」と答えることで、彼らの世界に踏み込まない謙虚さを示す。
 つまり、灯里とアイちゃんが出会ったものとは、「それまで認識していなかったけれども、自然とそこにあるもの」ということになる。

 それが今期のシリーズのテーマである「出逢い」ということと、タイトルの「THE NATURAL」ということの意味を示しているのでは。
 これからおそらく灯里が多くの「自然なもの」に「出会って」いく様子が描かれるのではないか。
 環境であったり、超常的なものであったり。
 人間が容易に手をつけることを許されないような、事実としての「自然なもの」に出会い、何かを得たり、感じたりする、そういう物語になるのではないか。

 未来において高度に機械化されたという地球は、我々が住んでいるこの状況を象徴しているものとするならば、作り上げられた理想の環境であるアクアは我々が目指すべき将来を象徴していると言える。
 そのことを示したのが前期シリーズ。「癒し」というものを標榜する作品でありながら、その正体は「社会派アニメーション」であったのではないか。
 そして今期は、「理想の環境」として描かれたアクアの「自然なもの」、共存すべき領域について描かれる。
 その物語を現在の地球から見る我々に、作品はいったいどういったメッセージを伝えてくるのだろうか。

 まだそれは分からない。
 それは、物語を最後まで見ていくことで見えてくるものだろう。
 今期はいよいよ「社会派」としての本質を顕わしてくるのではないだろうか。

 …「要点」と言いながら、これでも長いですね。とほほー。
 ともかく、今回の第1話はとても興味深いものでした。「前期とは違うぜ!」と示してくる骨太なものだったように感じます。
 どういうシリーズ構成になっていくのか、とても楽しみですね。
 あと、レイアウト!
 やっぱりすげぇよ「ARIA」のレイアウト、絵の作り方、視点の持ち方は。
 原作の天野先生のレイアウト力も凄まじいですよね。
 画面構成だけでヨダレものの作品を見ていると、とにかく心地良くって気持ち良くってたまりません。
 毎週日曜の夜が楽しみです。
 スクールランブルも楽しいしね。「Fate~」は火曜日にMXテレビで見ることにしますだよ。

 さて。
 実は「感じたことの要点」の続きがあるんですが、それは自分へのメモみたいなものなので、ちょこっと最後に。
 蛇足っちゅーことで。

 要点続き。

 今回ケット・シーに出会った灯里とアイちゃんが呆然と佇んでいた描写に、今期のメッセージのヒントがあるのではなかろうか。
 「理解できない現象」に出会った灯里とアイちゃんは呆然と事実を受け入れられなかった。
 しかし、ジャスミンの花が事実が事実であることを示していることを感じ取り、受け入れる。
 「理解」ではなく「感じる」こと。
 そこにもまた「自然に」というものがあるのかもしれない。
 そのことで言うと、アクアが「理想の世界」であるならば、そこで「感じる」ことをしていくということは、「理想の世界に辿り着いたとして、そこでどう生きるべきか」を示していると言えるのかもしれない。
 もっと言うと、事実を事実として「感じ取る」ことができなければ、「理想の世界」に行っても無意味なのかもしれない。
 で、あるならば。
 今期もまた、優しい雰囲気と画面を使いながら、実は厳しさを伴う本質的な優しさをもったメッセージを伝えてくれるのかもしれない。
 そこは今後行われるであろう灯里とアイちゃんのメールのやりとりの中で示される部分なのかもしれない。特に、アイちゃんの返信に要注目か。

 要点続き終わり。

 …次回からもっと簡潔な感想を目指します。
 いや、でも。すごく興味があるんですよ。この作品のメッセージ性に。
 「感じ取ることができれば、今いる場所がアクア(理想の場所)になるよ」みたいな、そういう安易なことを言ってくる作品じゃねぇんだろうなぁって思うから。じゃあ、いったいどういうことを?と思って、思いながら書いているとずるずると長くなってしまって。
 まぁ、それこそがたがた言わずに「感じ取れ!」ってことでしょうね。
 あちゃー…。

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