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2006年4月 7日 (金)

「演技」論。「ネーム作業」の補足

 以前書いた「漫画における『演技』論5」のネーム作業の項目に関して、補足を書こうかなぁと思います。
 というのも、読み返してみると、全然ネームを描く技術について触れていないんですよね。

 「キャラクターに演技をさせる」という観点から考えた時に、ネームは「演技プランを立てる」もので、それは「演出意図を明確にするものだ」ということを述べたわけですが。そうやって「何のためにネームを描くのか」を意識することで、問題のほとんどが解決するのではないか、と思ったんですね。
 実際、ネームは何のために必要で、なぜ直さなければならないのか、など誰も教えてくれません。当然、その描き方や形式、必要な情報なども不明確で、「これがネームというものです」というはっきりしたものは無いといえるでしょう。
 やはりここにも、漫画制作における技術が「なんとなく」や「個人個人の経験と才能」で賄われてしまっている現実が現れていると言えるのかもしれません。
 なのでネームに関しても、その目的、作り方などを自分で模索してその技術を作り上げ、なおかつ多くの人と共有し練り上げていくということが必要かもしれません。これはこれで「演技論」とは別のもので「演出技法」ってなことになるわけでしょうね。

 とりあえず、「演技論5」でネーム作業の目的を一旦明確化したので、ここでは僕の個人的なネーム作業の技術についてご紹介してみたいと思います。

「だんち流ネームの描き方」
1・ネームの下描きをする。

 僕はまず「ラフネーム」というものを描きます。
 つまり、「ネームの下描き」ということですね。
 いらなくなったような紙の裏に、思いつくままに乱雑にネームを描いていきます。これは後に修正してネームとして完成させるので、自分に分かる程度のものでいいわけです。でも、自分で読んでも読めない程乱雑に描くと清書すらできないので、せめて読める字では書くべきかもしれません。

 これはプロットにある物語の流れに沿いつつも、各場面のキャラクターの動きを作っていく作業なので、思いついたアクションや台詞は後のことを気にせずどんどん描いていきます。
 なので、この段階でページ数は全然気にしません。膨らみ放題膨らませていきます。
 例えば20ページの漫画を描く時に、ラフネームの段階で30ページを超えることもありますし、場合によっては40ページを超えたりもします。
 超えた分は清書の時に調整するわけです。

 また、場面を進めていく上で「強引なコマ」も出てきます。台詞がものすっごく説明的だったり、展開の都合で強引な台詞を言わせたり、出来事があったり。
 でも、そういったものも気にせずどんどん描きます。
 基本的に漫画の台詞というものは、その長さに限界があります。「ふきだし」の中に台詞を収めなければいけないし、1ページの中で確保できる「ふきだし」の面積にも限りがあるからです。
 例えば主人公が友人を心配する場面で、そこの台詞で友人のことを説明しなければならない場合。
 「どうした?いつもテンションバリバリのお前が溜め息なんてついて?珍しいじゃないか。こっそり買ったAVがまたはずれだったか?」
 という台詞を思いついたとします。主人公の友人はエロビデオが大好きで元気なヤツなんだけど、今何かがあって元気がないらしい、ということを説明するわけですね。
 でもこれは漫画の台詞としては長い。それをここで「短くしなくちゃ」と思うと先に進めなくなってしまいます。なので修正は後回しにしてこのまま進めていくのがラフネームの作業ということになります。

 あと。このラフネームの段階で「自動書記」が起こることがあります。キャラクターが勝手に動き出す状況ですね。後先考えずに描ける状況だからこそ起こりうることかもしれません。
 ちょっとこのことに関しては技術的な説明はすごく難しいのであれこれ書けませんが…(でも説明できるようになったらすごいですよね)。
 「自動書記」が起こったら、この段階では何も考えずどこまでも描き続けていきます。

2・カット作業と清書をする。

 ラフネームで膨らんだ物語と世界を、整理してネームを清書します。
 僕の場合、とにかく「カットする」という作業が多くなります。
 ラフネームでオーバーした10ページ分くらいをコツコツ削っていくわけですが、コマを統合したり削ったりしてちょっとずつちょっとずつ削ります。ラフネームで1ページに5コマのページに7コマを詰めこんだり。
 また、気に入っている場面であったとしても物語の展開上あまり必要でないところを、泣く泣く場面ごと削除することもあります。この時、映画監督なんかが言う「自分が気に入ったシーンをカットできててこそ一人前だ」という格言なんかを呟きながら、悔しがりながらカットするわけです。

 こうやって規定のページ数に収まったネームは、詰め込み具合がなかなかのものにはなりつつも、話のテンポやリズムは一定に保たれ整理された読みやすいものになります。

 さらに台詞のカッティングもします。長い台詞を短くしたり、いっそ台詞そのものを無くしてみたり。
 先に例に挙げた台詞の場合だと、以下のようにしたりします。
 「お前が溜め息ぃ!?うっそ…あ。また外れAV買ったんだろ?」
 どうでしょう?友人のキャラクターと状況を説明する台詞ながら短く整理されたものになったと思います。

 とにかく、膨らんだものを見せられるものへと整理整頓していく作業が清書作業であり、カッティング作業ということになります。
 あと、自分用ということでなく、打ち合わせ用にする場合は、綺麗に描くこともします。
 線は定規で取るし、字も綺麗に書く。あと、ラフ絵で場面を説明するわけですが、ここで下描きに近いくらいの精度で描いたりもします。これは、場面意図が伝わらないことを避けるためです。
 ここで手間暇をきちんとかけると、直しの箇所や回数がぐんと減るので頑張りどころということになりますね。

3・演技プランの煮詰めをする。

 こうやって物語はできたので、あとはキャラクターの演技を微調整したりします。
 例えば、前述の台詞の場面で、最初主人公を無邪気に笑い飛ばしている絵で描いたとします。だけど、この主人公が本当にこの友人のことを心配している様子を出すとしたら、台詞は笑い飛ばしていても、表情はもっと心配そうな表情にしてみたりするわけですね。逆にもっと無理矢理はしゃいでいる感じにしてみたり。
 僕の漫画ではよく女の子が泣くんですが、その泣き方の演技によって場面の意図がより伝えられるものになったりします。
 例えば、女の子が主人公に心を開き、泣きながら真剣な表情で「ごめんね…」というシーンを最初に描いたとします。
 でもここを、満面の笑顔で涙をぽろぽろ流しながら「ありがとう!」という演技にしてみたらどうだろう。ということを考えます。そういう演技プランの煮詰めをすることで、より物語が生きたものへと練り上がっていくのだと思います。
 ネームが通らなかったりする時に、ごちゃごちゃ直すのではなく、この演技の練り直しをするだけで物語はかなり良くなったりすることがあります。それこそ、台詞一つ直すだけで物語がきちんと通るものになったりするので、ここの作業は重要だし、ネームを描く作業としてはとても面白い部分だったりもします。

 だいたいこんな感じで作業しますが、集中すれば1日でネームはできます。
 要点としては、「自分が描く」段階と「人に見せる」段階とを分けることで、作業も整理され意図のはっきりした演出ができるようになる、といったところかと思います。

 長々と書きましたが、単純なやり方だと思うので、漫画を描く人でネームが苦手な人にとって何かしら参考になれば嬉しいです。
 ネームを描く技術についても、より練り上げることができたらまた整理して書きたいと思います。

 以上。「だんち流ネームの描き方」でした。

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