「ARIA the NATURAL」第10話を見た。
こんばんは。だんちです。テレビ東京にて「ARIA The NATURAL」第10話を見ましたので感想を書きたいと思います。
今回は時間が無くってペン画スケッチが描けませんでした…。とほほ残念。
前回に続いての岡田麿里さんの脚本でしたが、素晴らしかったですね!良いお話でした。
人形使いのおっちゃんが、人形に手を振らせているシーンでは涙が滲みました…。
今回のお話を見ていく上での大きなポイントが二つあったように思います。
その一つは、タイトルバックの一連のシーン。
まず青空がまぶしく映し出されて、タイトルが出るところで空と同じ色のネオヴェネツィアの水面が映る。灯里が様々な人々と触れあいながら、空とそれが映る水とが印象的に映し出されます。
もう一つは、タイトル空けのカフェでのシーン。ウェイトレスの若奥さんが灯里に感謝の気持ちを伝えます。灯里が教えたおまじないで結婚指輪が見つかった、と言うわけですね。
実はこれ、伏線だったんですね。
なくしたものを、灯里のおかげで見つける。ということの。
今回、藍華やアリスが見失っていたものが、灯里を追いかけることによって見つかりました。
それは、子供の頃人形使いの路上パフォーマンスを心から素直に楽しんだ思い出。
なぜ、灯里のおかげで失っていたものが見つかるのか。
それが、タイトルバックの一連のシーンに示されているのだと思います。
空の青さを、そのまま映す水。
空の青さと水の青さに挟まれゴンドラを漕ぐ灯里。
それはまさに灯里の素直さを表しているのだと思います。
彼女の持っている素直さ、あるがままをあるがままに受け止める心の素直さが、周囲の人に失っていた何かを見つけさせるのでしょうね。
だから、藍華もアリスも、見失っていた思い出を見つけた時に、自然と恥ずかしい台詞を口にします。それは灯里の真似をしたのでもなんでもなく、元々彼女達の心にある素直な言葉だったように思います。
今回、藍華とアリスが、なぜ灯里に知り合いが多いのか、を探るお話でした。
それは、ヴァポレットというのんびりレトロな乗り物に乗るところで象徴的に描かれ、彼女は何も特別な何かをしているわけではないし、特別な存在でもないことが示されます。
そして、「灯里」というヴァポレットに乗っていくと、忘れていたもの、見失っていたものを見つける停留所にたどり着く。
つまり、藍華やアリスと一緒に、見ている僕らも、見失っていたものを見つけることになるわけですね。
自分の中の素直さとか。
思い出とか。
それは、人それぞれなんだろうけど。何かを見つける。
そんな仕掛けのお話だったわけですね。
僕の場合は何だろう?
やっぱり。
「うおっ!お話作りってすげぇ!」
「話を作る人ってすごい!」
と憧れる気持ちでしょうか。
見失っていたわけではないつもりだけど、やっぱり、タイトルバックの見せ方、冒頭のカフェでのエピソードの見せ方なんかを見ると、素直に感動して憧れてしまいます。「こういう仕掛けをやりてぇ!!」って。
それと、もう一つ。
印象的だったのは、人形使いのおっちゃんですね。
失っていたものを思い出す、ということで言うならば。かつて訪れた街で自分の芸を楽しんでくれた子供達の笑顔を、彼は思い出したのかもしれません。
その成長した姿を一度は見ていながら、灯里と会う前にすれ違った時には思い出せなかったけど、灯里と一緒に時間を過ごした後には、思い出した。
だから、藍華とアリスに、人形を通して再会と別れの挨拶をした。
僕にはそう見えました。
物語であったりパフォーマンスであったり、様々な形で僕らを楽しませてくれる人達がいるわけですが。僕らは彼らのことを覚えていたり、忘れていても思い出したりします。
だけど、それは彼ら「楽しみを与える」側の人達もそうなのかもしれないですね。
…ということは、あの人形使いは佐藤監督!?あんなに痩せてねぇだろ!というツッコミはさておいて。灯里とアイちゃんのメールのやりとりの中、夕暮れの街を歩く人形使いの後姿がとても印象的だったんですね。
楽しみを与える側と受け取る側。
その両者は、それぞれ素直に向き合えば、見失っていた楽しい一時を、一緒になって取り戻すことができる。
そんなことを訴えてくるラストカットだったのかもしれません。
丁寧に作られ、そして溢れてくるようなメッセージに、心地よい感動を与えられる、そんなお話でした。
次回は…ヴェネツィアンガラスのお話ですね!!
もう、今からわくわくどきどき…楽しみで仕方ありません!!
ではでは、またです!!
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント