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2006年6月 4日 (日)

物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート

 こんばんは。だんちです。
 普段、自分が物語り作りをする上での学習機会とするために、アニメ視聴をして感想を書いているわけですが。感想を書いたり、そこにコメントいただいてまたお返事をさせていただいたりする中で、最近思ってきていることをここで一旦まとめておきたいと思います。
 いつものように、文章を練りこまず思いつくままにタイプしていくので、どうなっていくかは分かりませんが、できることなら上手いことまとめたいところです。

 それにしても、最初タイトルを「物語作りの基礎。普遍性ベーシックと誇張表現のバランスにより生まれるスムーズな感情移入」とか書いてて。「うわっ!カタカナ英語混在日本語だ!!」とか自分で突っ込んでちょっと変えました。いっそその路線を突き詰めるのもアリかしら。
 まぁそんなことはともかく。書いてみますね。

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・感情移入ポイントは物語の土台にある

 私達は感情移入をすることで、絵空事である物語を自分のこととして楽しむことができる。
 それは、物語に現実性(リアリティ)が内在しているから。その現実性は「感情移入ポイント」とでも呼ぶべきか。
 そのポイントがあれば、どれだけ非現実的な表現がされていても、感情移入は成り立つ。

 逆説的に言うならば、物語の非現実性を剥ぎ取っていくと、残るのは現実的な土台ということになるのではないだろうか。
 例えば「Fate/stay night」は魔術師や魔法、英雄が出てくる。しかし、そういったものを引き剥がして物語を見てみると、「過去の過ちを悔やむ女と、過去の出来事に囚われた男とが、共に困難に立ち向かうことで未来を得ようとする物語」が浮かび上がってくる。
 当ブログでずっと取り上げてきている「涼宮ハルヒの憂鬱」も(アニメ視聴に限った印象によるのだが)、宇宙人、未来人、超能力者や閉鎖空間などの超常的な要素を取り除いていくと、「失望や絶望から必死に抜け出し、恋や青春を得ようとする思春期の少年少女の物語」が見えてくる。
 現在興味を持って視聴している「ウィッチブレイド」も、巨乳の変身ミュータントが登場し、異形の怪物を倒したりするが、意識して「母と娘」「そのご近所付き合い」が描写されているように思える。
 ドタバタギャグアニメである「姫様ご用心」も、突然姫様になってしまったヒロインのトラブルの様子が面白可笑しく表現されているが、その実、ヒロインはずっと困惑している様子が描かれている。隣国の王子と結婚させられそうになった回では、ほぼ台詞は無くずっと泣いていたということがあったが、面白可笑しい部分を取り除くと「泣き続けるヒロイン」がそこにあることになる。

 (感情移入するポイントやその度合いは、視聴する人間によって個人差があることではあるが、これら筆者の視聴体験を元とした具体例を前提として話を進めることを容赦していただきたい。)

 非現実的表現は、物語を面白く見せるための誇張表現である。
 すごい美少女や派手な魔法の戦闘シーンが画面に映し出されれば、それは当然人の目を惹き付けるし興奮や心地よさを与える。表現サービスとして必要な要素だ。
 ただし、それらの表現は心地よさや興奮を与えても、感情移入をこちらに与えてくるものではない。感情移入を与えてくる要素は、それらの誇張表現以前の、物語の土台のところにこそあるといえるだろう。

 つまり、物語作りの基礎として「誇張表現以前の物語の土台をまず作り上げる」という方法論が、見えてくることになる。

・物語の土台作り

 では、この土台はいかにして作るべきか。
 物語は、登場人物達がドラマを織り成していくものであるから、キャラクターとその基本的な動きを作っていくことになる。
 見る者に感情移入を与える土台を築くのであるから、この段階での物語は派手さは無くても構わず、むしろ現実感を追求するべきだろう。
 キャラクターの性格。行動の動機。反応。
 それらを現実に即した形で作っていく。
 この土台作りの基盤になるのは、現実をどれだけ見るか、という視点の持ち方になってくる。そしてそれは勿論、まず何よりも「自分自身の現実」というものが出発点となる。
 その意味では、物語を作る時に、様々な資料を収集し勉強することも必要だが、それ以前に「自分自身をよく見る」ということが求められるのかもしれない。
 物語の土台に普遍性を与えるために、まず自分自身の人生を生贄にする。とでも表現すると、物語を作る人間には通りがいいだろうか。

 自分自身の人生を俯瞰し、そこにあった一つ一つの出来事を直視する。
 すると、そこに絡んできている(自分の人生の中の)登場人物達一人一人もまた、明確な現実感を伴って見えてくるかもしれない。
 その、「自分自身の現実感」を基盤にキャラクターや物語を組み上げる。
 自分自身の現実感が物語の基盤になるのであれば、自分自身が感じていることがそこに自然と込められていくことになる。
 つまり、メッセージ性が生まれる。
 これは別に複雑でなくて構わない。その人の人生から出てくるものであれば、それがどんなものであれ説得力を持つはずだ。
 「楽しく生きようぜ」であったり「苦しくても歯を食いしばれ」であったり「何も起こらず何もしないのが幸せだよ」であったり「やっぱり女にモテたいよな」であったり「自分を好きになってくれる人が、最高のヒロインだよな」であったり。様々なメッセージが、その人の人生を物語の生贄とすることで生まれてくるのだと思う。
 そして、それぞれの人がそれぞれの人生を送り、それぞれの心でその人生を感じていることにおいて、実は「誰もが同じ体験をしている」ために、その個人的人生から生じた個人的メッセージは普遍性を持つことになる。
 もっと簡単に言うと、「誰だって生まれて、生活して、人を愛して、死んでいく。個人差はあっても、人生の送り方は大まかに見れば皆一緒」ということ。
 そこに、個人の人生に感情移入する仕組みがあるのだろうと思われるし、感情移入を与える物語の土台を作る方法論を見ることができるのだと思う。

・誇張表現は絶対不可欠

 では、人に感情移入を与える物語の土台を、現実感を持った視点で作り上げたとして。それは既に感情移入できるものなわけだから、そのまま物語として提示してもよいのではないか、という疑問も生まれる。
 つまり、個人の人生をそのまま晒すことが、人を感動させる最も端的で究極の手法なのではないか、という視点だ。
 それは、そういう見方もあるのだと思うし、そういう手法もあるだろう。
 しかし、人が物語を見る目的は「感情移入」にあるのではない、ということが重要だ。
 物語を作る人間には、時として「生々しい傷を見せて感情移入させることこそ表現なんだ」と思い込むことがある。それはバランスを欠いていて傲慢に過ぎるように思える。
 「感情移入」は物語を気持ち良く受け取るための基本要素であって、それは出発点だと言える。感情移入は無くてはならない。しかし、それは目的ではない。
 物語を受け取る目的は「心理的に深い気持ち良さを得る」ことだ。
 つまり、「感動する」ということ。
 感動することの出発点は間違いなく感情移入だ。目の前で繰り広げられる物語の光景を単なる他人の絵空事として傍観するのであれば、感動を得ることは難しいだろう。
 だからこそ、物語は感情移入できる現実感を持っていなければならない。
 しかし、その現実感が強調され、または剥き出しにして示された場合、人はその生々しさに触れて心を傷つけられてしまうことがある。
 「これを見たら自分は傷つく」と思った時、見る側は心を閉ざして「感情移入しないように」して、自分の心を守ろうとするのが道理だ。
 現実感は、感情移入のために不可欠な要素ではあるが、それがあまりにも生々し過ぎる時、その機能は果たされず、目的である感動を与えることもできなくなってしまう。

 そこで必要になるのが「誇張表現」ということになる。
 魔法があってもいい。人型ロボットがバンバンミサイルを撃ってもいい。美少女がメイドでも血の繋がらない妹でもいい。死神がいようと銀河鉄道が走っていようと未来から猫型の友達が来ようと、何があったっていい。
 人に気持ち良さや興奮を与えるこれらの要素は、とことん自由であっていいし、どんなに非現実的であってもいい。
 それはつまり、「口に苦い良薬を包むオブラート」ということになる。

 このオブラートがあることで、現実感を持った物語に非現実感が伴い、それにより物語と受け取り手との間に、受け取り手が直接心にダメージを負わない、適度な距離が生まれる。目の前に繰り広げられる物語が「自分のこと」であるように感情移入しつつも「でもあれは自分のことではない」と傍観することもできる。感情移入して入り込んでも抜け出せる、そんな距離感だ。
 また、甘く美味しいオブラートで包むことで、心地よさや興奮が生まれ、物語に対して心を開くことができる。それにより、物語に内在する現実感を受け止めようとすることができるようになる。それがとても苦いものであったとしても。
 逆に、非現実感ばかりの物語でそこに現実感が無い場合。それは、食材無しで調味料だけを与えられるようなもので、何の感動も受けることがないだろう。

 非現実感によって受ける心地よさや興奮、そして現実感から受ける感情移入。
 これらが調和することによって、物語は感動を与えられるのではないだろうか。

 そしてまた、このことは物語作りにおいては、実に基礎的な技術であると思える。
 であるならば、このことに今まで気付いていなかったのは痛恨の極みである。
 しかし、アニメーション作品を毎日毎日楽しく視聴する中でこのことに気付けたのは、僥倖とも言えるかもしれない。そう思い自分を慰めることとする。

 今回学習したことが、自分の作品に存分に活かされ、多くの人を楽しませられることを期待している。また、こうして書いたことが、物語作りに悩む人達にとって、少しは何かのヒントやきっかけになるようなことがあれば、これ以上の喜びはない。

 今後も、アニメーション視聴を続けていくことで、多くの学習をしていけることを願って、この文章を終わる。

 2006年6月4日 漢弾地

 参照「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」

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 ふぅ…書いた…。ネーム作業の合間とかにちょこちょこ書いていたら、なんだかえらく長くなっちゃった…。
 気付いたこと自体はとてもシンプルなことなのになぁ…。思ったことを文章にしていくっていうのは、やはり難しい作業ですね。
 ちょっと今は読み直すのは後にして…。誤字脱字、意味の通らない箇所は、見つけ次第修正していきます。
 とりあえず今回のこれは「5月28日から6月2日までのアニメ視聴一言感想」の代わり、というつもりでいます。物理的に感想を書く時間がないけれども、沢山の作品に感謝しております!
 そして、様々な記事にコメントを下さって僕に多くの学習機会を与えてくれる皆様にも沢山の感謝を!!

 また、何か思うことがあったら文章化していきますね。次回は…もっと簡潔に…できたらいいなぁ…。
 それではまたです!!

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コメント

はじめまして、ハルヒの感想を毎回楽しみに読ませていただいてます。
今回の記事で色々思うところがあったのでちょっとコメントを残したいなぁ、と。

オブラートというのは非常に良い表現だと思いました。
それが上手く働けば、見た人はなんとなく「見せられた感」を感じることなく自分なりにこの感動を、メッセージを見つけたんだと素直に受け入れる事が出来るのかな、と。
ちょっとだんちさんの言いたい事とは違うかもしれませんが、なんとなくそう思いました。
あんまり面白かったもので初めてトラックバックというものを使ってしまったけれど、良かったのだろうかと悩んでいるのは内緒。

これからも楽しみに読ませていただきます、頑張ってください。

投稿: ぽん太 | 2006年6月 4日 (日) 19:49

ぽん太さん。初めまして!分かりにくい長文を読んでいただいて、また、コメント&TBを下さってありがとうございます!^^
実際に物を書いていらっしゃる方にとって、なんらかのヒントになったのだとしたら、本当に嬉しいです。
ぽん太さんが受け取って下さったことは、全然間違いじゃないですよ。
受け手の人に「素直に」受け入れてもらうためのオブラートということですね。
その「素直さ」を引き出すために近すぎず、遠すぎない作品と受け手の人の心との距離が必要なんだと思います。
ぽん太さんがTBして下さって記事とこのコメントとを合わせて読むと、自分が書いたことが分かりやすくなる気がします。
「素直に受け入れる事が出来る」という言葉は「あ!そうだ!それだ!」と思いました。ありがとうございます!^^

>あんまり面白かったもので初めてトラックバックというものを使ってしまったけれど、良かったのだろうかと悩んでいるのは内緒。

おぉ!初めてのTBだったのですね。恐悦至極に存じます^^
よろしければ、これからもTBやコメントなどでお付き合いいただければ、と思います。
今後ともよろしくお願いいたしますね!

投稿: だんち | 2006年6月 4日 (日) 23:43

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