「涼宮ハルヒの憂鬱」最終回における「死の影」と第10話で思ったこと。
こんにちは。だんちです。「涼宮ハルヒの憂鬱」最終回の感想では書き切れなかったことを改めて書きたいと思います。
ただ、これは原作未読の人間が好き勝手に妄想を膨らませて書いていることなので、適当にさらっと読み流していただけると嬉しいです。
また、変な先入観を与えてしまうこともあるかもしれませんから、ご自分の印象を大切にされたい方は読まれない方がよいかもしれません。
さて。
この記事を書く前に、僕の感想の書き方について、簡単に書かせていただきます。
僕は、アニメ感想を書く時に、基本的に「初見の印象」だけで書いています。
勿論、書き始めてから「あれ?あの台詞なんだったっけ?」とか「あのシーンって、どんな感じだったっけ?」と思った時に、そこだけ見直すことは何度もあります。
だけど、感想を書く前に「通しで見る」のは大抵基本的に一回(勿論、後になって見直して書いた「第2話から第5話までを見直してみた」感想記事なんかもありますし、第3話でBGMをピックアップした時は何度も再生しましたけれども)。
本当は何度も見直した方がもっと精度の高い感想が書けるのかもしれませんが、物理的にそこまで時間が無いことと、何度も集中して見るとその作品に対して「疲れてしまう」ということから、いつも「初見の印象」をベースにしています。
そういったこともあり、改めて最終回と第10話のことを書こうとしていながら、実はそれらの回を見直していません。
また、全話放送が終了しましたが、「時系列視聴」に関してもまだしていません。テレビシリーズの放送を見た印象しか僕には無い、ということになります。
それはつまり「初見の新鮮な印象のまま」書くということで、あくまでも「考察」などではなく、「作品から受けた印象を語る感想」である、というそういうものだと思って読んでいただけるとありがたいです。
・呪いは誰がかけたのか?
まず、最終回の印象で「死」というものについて、突きつけられた部分があったように思ったことから書きたいと思います。
「キスをすれば目を覚ます」
というアクションについて、キョンは「白雪姫」「眠れる森の美女」というヒントを得て、実行しました。
そのモチーフを当てはめてハルヒを見た時に、彼女は「キスされなければ目を覚まさなかった」「眠った状態から起きなかった」つまり、
「死んでいた」
のだと、僕は捉えています。
だから見ていて、ものすごくゾっとしたんです。
物語の誇張表現の部分をとっぱらって見ていって、剥き身のハルヒを見るならば、彼女は「自殺しようとしていた」のだと、見えたんですね。
そこからかろうじて「生還」したのは「王子様」であるキョンのキスがあったから。
それは、「死んでしまいたい」という思いと同時に、「死にたくない」という思いもあったからだと思います。
彼女の中で、たった一人の希望である男の子が、もし、自分を求めてくれるのなら…。
ところで、「白雪姫」では、毒リンゴが姫を死に追いやろうとしました。「眠れる森の美女」では魔女の呪いです。
毒リンゴは、王妃が嫉妬にかられて姫に食べさせ、呪いはのけ者にされた魔女が怒りに狂ってかけました。
では。
ハルヒに「毒リンゴ」を食べさせ、「呪い」をかけたのは誰だったのでしょうか?
それが、大きな疑問としてありますし、実は今回のシリーズではきちんと明かされなかった部分なのではないだろうか、とも思います。
今回の事象を「自殺」として見た場合、「呪い」をかけたのはハルヒ自身ということになります。
でも、僕自身の経験と重ね合わせてしまうことなんですが。
僕は、中学生の頃、「他者」から言われたことがあります。
「死ね」
と。
ハルヒは変わり者として中学3年間を過ごしてきたわけですが、そこで彼女は「こんなつまらない奴ら消えてしまえ」と思ったこともあったかもしれませんが、同時に「何あいつ?死んじゃえ」と思われたり、または直接言われたりしたことがあったのではないか、と思ってしまいます。
つまり、自分に「呪い」をかけてしまうところは確かにあったかもしれないけど、同時に、「誰か」からも「呪い」をかけられる、ということがあったのかもしれないな、と感じるんです(この「呪い」あるいは「毒リンゴ」は当然のことながら象徴的な言葉として使っています。つまりはハルヒに対して「消えてしまえ」「死んでしまえ」と望むこと、発言すること、またはそうなるよう行動することなどを指して「呪い」「毒リンゴ」と捉えています)。
その存在は正直、僕には見えませんし。そんなものはもしかしてないのかもしれません。
でも、
朝倉涼子の存在が、もしかするとその「誰か」を象徴しているのかもしれないな、とも思うんですね。
彼女はキョンを殺そうとしました。
そのことは、この作品の中で明確に出てきた数少ない「具体的な死」というものだったので、とても印象的でした。
朝倉はキョンを殺そうとしたわけですが。
もしそれが成功していれば、ハルヒにかけられた「呪い」は誰にも解けないということになります。
つまり「呪い」が成就してしまう。
朝倉がしようとしたことは、キョンを殺すことでありながら、同時にハルヒを殺すことでもあったように思うのです。
果たして朝倉は何者なのか。
「呪い」をハルヒ自らがかけたのだとしたら、朝倉はハルヒにとって「自身」を象徴する存在なのか?
又は、「呪い」がハルヒ自身と同時に、「誰か」がかけたものでもあるのであれば、朝倉はその誰かを、つまりハルヒの死を望む「他者」を象徴する存在なのか?
朝倉の正体は、「呪い」の正体を知る大きな手がかりになることだと思いつつも、その答えを今回のシリーズで見ることはできませんでした。
その意味では、今回のシリーズは、「ハルヒが自分にかけた呪いを、キョンによって解くことができた」という物語になっているのかもしれません。そしてその後は、自分自身に呪いをかけてしまった現実逃避の願望を、キョンやSOS団のみんなと少しずつ消滅させていく、そういうお話だったのかもしれませんね。
だとしたら、もし第二期があるのであれば、ハルヒを呪う「他者」が、登場するのかもしれないなぁ、などと思ったりもします。
ともかく、最終回で感じた、また第10話でも感じた「死の影」が、伏線のまま残っているような気がしてなりません。
眠ったまま死の途上にあった少女、ハルヒ。
王子様のキスで目覚め、死を免れたハルヒ。
では。
その彼女に「呪い」をかけたのは、果たして誰なのか。
その正体を知る時が、いつか来るのだと思います。
その時が、今からとても楽しみです。
・朝倉涼子が言ったこと
第10話を見て、語るまいとしたことの一つが、この「死の影」についてでした。
朝倉はキョンに対して「あなたが死ねば、もう一度情報爆発が起きる」ということを言いました。僕はこれを聞いてぞっとしたわけです。
「え?ってことは、3年前にも、ハルヒにとってそういった誰かの『死』または『死に相当する何か』があったっていうこと?」
と思ったんですね。
それは直接的な「死」ということとは違うのかもしれませんが、それでも、ハルヒが「誰かを失う」ということがあったのだろうか、と思いました。
SOS団結成の時にキョンに言った「死刑だから」ということが、直接的な「死」を意味することではなく、「私の中から存在しなくなること」だとするならば、3年前、ハルヒの心の中から誰かがいなくなったのだろうか、というようにも思います。
実際、学校に出現した閉鎖空間の中で、ハルヒはキョンと二人きりだったわけですから、キョンと出会うまでは、彼女にとって全ての人が「死んでいた」という捉え方もできるのかもしれませんね。
直接誰かの「死」を経験していれば、無邪気に「死刑だから」なんて言い方はできないとも思うので、誰かの「死」があったわけではないんだろうな、とは思います。
それでも、キョンの「死」がハルヒの情報爆発を3年前と同じように誘発するものであるのならば。
やはり、それに近い何かを感じることが、ハルヒにとってあったのではないでしょうか。
そのことが明かされるかと思いきや、そこまでのことは明かされなかったので、「あれれ?」と僕は思いました。
でも、最終回を見るならば、やはり「死の影」がどうにもあるように思えます。
そういえば。
孤島症候群でも、「死」に関してはありましたね。
「あの時のハルヒ」は誰の「死」も望んでいない子であることが明らかになったわけですが。
しかし「死の影」については、まだまだ謎だらけですね。明かされていない部分も多いように思いますし。
そういった点も含めて「終わった気がしない」と思った、ということもあります。
何はともあれ。
「死の影」についての視点を持ってこの作品を見ることもまた、楽しみ方の一つということで、原作を読んだり第二期を見たりすることを楽しみにしようかと思います。
*ここからは、僕が勝手に思った長門有希と朝比奈みくるの正体について、勝手なことを書きます。
なので、余計な先入観を持ちたくない方は、読まない方が良いかもしれません。
・長門有希
第10話を見て思ったこととして、長門有希の正体について、ということもありました。
まぁ、勝手に思っているだけなんですけれども。
長門有希は、涼宮ハルヒだと思います。
つまり、情報統合思念体(で、いいんでしたっけ?)とやらが、人造人間を造り出す時に、何も無いところから勝手に造り出したのではなく、「誰かをモデル」にしたのだと思うんですね。
で。
長門有希を造り出す時にモデルにしたのが、3年前の涼宮ハルヒ。
3年前、誰にも心を開かず、「何か」以外の全ての世界に関心を持たない、3年前のハルヒの、その「容姿」「性格」「人間性」をコピーしたのが「長門有希」。
つまり、有希のあの誰ともろくにしゃべらない、何にも興味を示さない姿は、「アンドロイドの特徴」ではなく、「性格」ということですね。
朝倉涼子に嫉妬心や焦りなどの「人間性」があることも、誰かをモデルにしているからなのではないか、とも思います。
ハルヒはよくしゃべり、よく動き、感情の起伏を激しく見せます。
しかし、その姿は表面的なもので、その様子は第13話で「非常識な言動をすることを常識的に判断」している、彼女のインテリジェンスと、現実逃避をしてしまう弱い性格から来ているのだと思います。
本来の彼女はもっと投げやりで、もっと無気力で、もっと自分に対しても他者に対しても無関心(しかし、心の底では強烈な渇望を抱いている)。
その本来の性格が反映されているのが「長門有希」だと思うんですね。
しかし、有希はハルヒの監視役。そのため、ハルヒと自分とを明確に乖離させる必要があった。
それを象徴するものが「眼鏡」だったと思うのです。
その「眼鏡」を失った第10話の戦闘シーンですが。
あそこで有希はキョンを守ります。
あの姿を「3年前のハルヒがキョンを守った姿」として見ると、とても意味のあるシーンだったように思います。
朝倉が言った「あなたが死ねばもう一度情報爆発が起きる」ということで言うと、3年前のトラウマを、本来のハルヒが自分自身の手で乗り越えるための戦闘だったと見ることができると思うのです。
つまり、「もう孤独になりたくない」という心からのハルヒの叫びを感じるシーンだとも言えるかもしれません。
朝倉を、ハルヒを呪う「他者」として見るならば、その「他者から与えられたトラウマ」を乗り越えるための戦いという意味を持つのかもしれません。
あの戦闘の時、ハルヒはいないわけですが。
野外活動での失望やキョンとのギクシャクがありながらも、彼女は同じ時刻、どこかで独りで「でも、もう孤独になりたくない。キョンは、他の人達とはきっと違うはず」と、必死で信じようとしていたのかもしれませんね。
そして、苦戦はありつつも戦闘に勝利した有希は、キョンに素顔を晒します。
それは、よく見ると、実はハルヒとそっくりであることに気づきます。
キョンが「眼鏡が無い方がいい」と言ってしまったり、思わずトキメキを感じて目を逸らしてしまったのも、当然のことなのだと思います。
目の前には、まさに一目惚れした少女とそっくりな子(実はそのものな子)がいたわけですから。
眼鏡の再構成を忘れた有希は、その自分の迂闊に自分自身で驚きます。
でも、あの瞬間、彼女はずっと止めていた3年前の時を、無意識のうちに動かし始めたのかもしれません。
ハルヒが、3年前のトラウマに向き合い、再び誰かを信じようとするのと同時に。
長門有希の時間が動き出したあの瞬間は。
涼宮ハルヒの時間が動き出した瞬間だとも、見れるように思うのです。
涼宮ハルヒと長門有希が、実は同一人物である、と見た時。
ある種、虚構の人物像を演じているところのある涼宮ハルヒの本心は、最初からずっと長門有希の一切飾りを持たない様子で描写されていたと見ることができるのだと思います。
キョンを呼びつけて、「信じて」と言ってみたり。
みくるとキョンが仲良くしていると、じっと見てみたり。
孤独の寂しさからコンピ研部長失踪事件を脚色してみたり。
キョンの言うことには従ってみたり。
又、ちょっと苛立ちを見せてみたり。
キョンがストーブを取りに行っている時に、じっとただ静かにその帰りを待っていたり。
そう思うと、孤島症候群の時、ドアを開ける開けないでハルヒと有希が向き合っていたのは興味深いシーンに思えます。
「ドアを開けない」ことが、「現実から逃げたい」というハルヒの本心を象徴していたとして、ハルヒはあの時「キョンが殺人をしてしまった」という事実(と思っていたこと)を受け止めるべきか、受け止めざるべきか、猛烈な葛藤に襲われていたと見ることができるのかもしれません。
だけど、そのドアを開けることを望んで命じたのはキョン。
そこでまた、ハルヒは「キョンによって現実に向き合うことになった」ということになるのかもしれませんね。
また、時間が経てば経つほど、ハルヒと有希の「同調」が見られるようになっていったようにも思います。
一緒にバンドの手伝いをしたり。
コンピ研とゲームで対戦した時に、敗色濃厚になってもハルヒと一緒に二人だけが勝利を望んでいたり。
寒い中眠ってしまったキョンに、カーディガンをかけてあげたり。
それはつまり、ハルヒの他者に対しての警戒や不信感から虚構の人物像を演じるようなところが、徐々に改善され、「表面」と「本心」がどんどん接近していっているということかもしれません。
最終回で、閉鎖空間にキョンとハルヒが取り残された時。
彼らを救おうと「現実の世界」からコンタクトを取った有希。
彼女は戻ってきて欲しい。という願いを強烈にキョンにぶつけてきます。
それは、ハルヒが現実逃避の空間に入り込み、そこで充実した笑みを浮かべていながらも、本当は「現実の世界で、キョンと何かを成し遂げたい。現実の世界で、何とかしたい」という願いを、強く強く持っていたことの表れのように思えるのです。
長門有希の有希を「希望が有る」なんていうこととして見てみると、ハルヒは3年前に絶望しながらも、ずっとその心に希望を持ち続けていたのかもしれませんね。
それは、とても小さな小さな希望だったのかもしれないけれども。
いつか、ハルヒが本心から現実と向き合うことができるようになれば、有希の存在はハルヒに同化して消滅するものなのかもしれません。
でも、それは実は有希にとっても最も望ましい幸せなことになるのかもしれません。
つまりは。
それは、………
ということだから。
この物語は、二人の主人公がいるわけですが。
描かれ方としては、実は三人の主人公の物語であるのかもしれませんね。
この視点が、正しいか間違っているかは、正直今の僕には分かりようがありませんが、その正解は自分の目で確かめたいと思っております。原作未読者のたわごととして読み流していただいて、どうか生暖かく見守っていただけたら、と思います。
・朝比奈みくる
さて。
じゃあ、なんで有希とハルヒを同一人物として見たのかと言うと。
簡単な話で、ハルヒも有希も絵に描いてみたからです。
最初何回かハルヒを描いて。
「よし。今度は有希を描いてみよー」と思って描いてみた時に「あれ?」と思ったんですね。
「なんかハルヒと有希って顔の中身一緒じゃん」って。さらに描いてみると「ん~?髪型の基本的な作りも一緒なんだ?えぇ!?これって、どういうことだ?」と。
で、思ったわけです。
「これって…ハルヒと有希って、実は同じ人物っていうことなんじゃん」
って。
で、そこから考えを巡らせたのが「有希が造られた時にモデルになったのが3年前のハルヒである」という仮説だったわけです。
んー…。
となると。
これは最初に言っていた「感想を書く時は初見の印象で」ということとはまた違った話になってきますね。
すんません。
「絵を描いてみる」ということも、感想に影響していましたね。滅多にないことなんですが…。
ところで。
そういう「ニュアンスは変えてあっても、顔の中身や髪の毛の基本形が一緒」という視点で見た時に、「ハルヒと有希」以外にもそういう発見をしました。
それは、
「朝比奈みくるとキョン妹」
です。
実は二人はそっくりに見えます。
とはいえ、この二人はまだ実際に描いてはいないので、見ただけの印象でしかありませんが。
「そっくり」とはいっても…まさか二人が「実は同一人物」っていうことは無いとは思うのですが…。
もしそうだったら相当な爆弾ですよね。
二人ともキョンのこと「キョン君」って呼んでるしなぁ…。
とりあえずは、みくるはキョンの血縁、子孫なんだと思います。
タイムワープが出来るほどの未来と考えると、直接の子供というのも考えにくいから、何代か後の子孫なんではないでしょうか。
もしかするとみくるにもキョンそっくりのお兄さんがいたりするのかもしれないですよね。
さらに、ハルヒそっくりの怖いお母さんや親戚がいたりしてね。
とにかく、みくるはキョン妹とそっくりなことから、学年が上で巨乳であったりするのに、非常に「妹」を感じさせる年下っぽい人物像になっているように思います。
そのみくるとキョンが仲良くしている様子もあって、キョンを「シスコン」と見た、というのはあります。まぁでも、やっぱりキョンにとってみくるは妹的な存在でしょうから、恋愛対象にはならないでしょうね。もっとこう…性的な対象というか…ってそれもやばいか…。
みくるを「キョンの妹的立場」として見ると、みくるとキョンが仲良くしている様子は、男女が仲良くしている姿ではなく、もっと「家族」的なものだったと見ることができるのだろうな、と思います。
で、その様子を「よっぽど仲が良い」ように見て、嫉妬してしまったハルヒは、無意識でしょうけど、「家族愛」そのものに対して、猛烈な嫌悪と嫉妬を感じたのかもしれないな、とも思うんですね。
だから、みくるが引き金になって、あの最悪の閉鎖空間が生じ、ハルヒが自分の家族すらも消し去ってキョンだけをあの世界に連れたことは、ハルヒが実はものすごく家族愛に飢えていて、でもそれに向き合えず完全に逃げている姿に見えたんです。
もしかしたら…というか、おそらくはみくるは、ハルヒにとっても子孫でしょうから。
そのみくるとキョンの関係に嫉妬してしまい、現実逃避をすることは、本当に痛々しく感じられます。
でも、キョンは家族を愛することを知っている。
だから、ハルヒを愛することもできるのだと思います。
そして愛し合って、ちゃんと自分達で家族を作ることだって、きっとできる。
だから。
みくるは存在することが、できるのだと思うのです。
でも、もし。
ハルヒに害を為そうとする「他者」がやはりいるのであれば。
みくるの戦いも、まだ終わらないのでしょうね。
ハルヒが「何者か」によって、害されることがあれば。
その時は、みくる自身も消滅してしまうのかもしれませんから。
「死の影」ということで言うと、みくるがキョンと再会した時に言った「もう会えないかと思った」は、やはりとても重みのある言葉なんだろうな、と思います。
同時に。
みくるが、キョンとハルヒが愛を育んでいく日々を守っていけるのであれば、それはまさに「未来」を作っていく、本当に希望に満ちた日々ともなるのでしょうね。
・そろそろ終わります
いやもう。長くてすいません。
でもこれ。本当は最終回の感想で書こうと思っていたのですが…。分けて良かった…。
でも、本当に勝手なことばっかり書いてすいません。
勝手な印象を垂れ流してしまったことなので、どうか読み流したら忘れて下さい。
あと、古泉の正体について特に書いていないのですが、それは実は何も思いついていないからです。
ここまで書くとさすがにもう頭が回りません。
このエントリーをどうやって終わらせるべきなのかも、どうにも思い浮かばない有様です。
とにかく。ハルヒの同人誌を作ります。
エロいの。
って、そんな終わり方でいいのか!?
えっと、えっと…
ハルヒは実はマゾだと思う。
…思うよね?
ありゃぁ、ぜってぇそうだって!
でも、ちょっと自傷傾向もありそうかなぁ。
だからこそ、完全に絶対服従を命じるのがいいんだろうなぁと思うわ。
絶対に、逆らわせない。
それは、ものすごくエネルギーがいることだけど。でも、そこまで「完全に支配されること」を望みそうに思うんだよね。
つまり、それ程の強烈な愛情、ということなんだけど。
被虐の悦びを知ることで、あの子は何かから、許されるかのような、そんな安堵を覚えるんではないだろうか。
ってことは、問題はキョンだよね。
ヤツがシスコンのロリコンなのは間違いないとして。
果たして加虐性癖を持っているのかどうか。
でもさぁ。
なんかあれだよね。
なんつぅか。
世間的にはしっかりしていたり、普通に見えたり、どこか洗練されていたりする人って、すっげぇ偏った性癖とかって絶対持ってるよね(超偏見)。
あ!そういえばあの野郎。弱っているハルヒを見て「可愛い」とか抜かしてやがったじゃねぇか!
ってぇことは、ヤツにはサディストの素質アリってことじゃんか!
よっしゃぁ!
えっと。
エロい同人誌、作ります。
でも、それはそれとして。
彼らの幸せを心から願っています。
…全然説得力無ぇ…。
ではでは、またです~~。
「『涼宮ハルヒの憂鬱』第14話(第一期最終回)を見た。」(最終回感想)
「第14話の感想書き込み用エントリー」はこちら。
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コメント
死とか呪いとか、面白い観点ですねぇ
俺は原作も読んでますが
あまり深く考えたりはしないので
他の人の色々な意見や感想みるのは
かなり楽しんでたりします
大概の人はおもしろおかしくのレビューとかが多いので
ここみたいな考察な感じのものは少ないんですけどね
ただ俺にとっては死とか呪いとか
あまりピンとこなかったりします
ここの記事を読ませてもらって
確かに納得できるようなものも感じますが
実際はハルヒもキョンも
そんなに深く考えていないんじゃないかな
というのが俺の考えですね
まぁ俺の考えだと楽なだけってこともありますが
みくるについては結構あちこちで同じような意見を見ます
キョン妹に名前なかったり似たような部分多かったり
直接的に妹=みくるってのはなさそうですが
子孫っていうのはかなり納得できます
長門についてはあんまり長門関係の話自体をあまり見ない
ってのもあるんですが滅多にない意見ですね
ここの記事は読んでいる時はどうだろうなぁと
考えながら読ませてもらってますが
読み終わったときに妙に納得できたりします
確かにそういわれてみればという部分が多いからかな
ただ長門の話は今期でやらなかった
2期があるのならきっとメインになるだろうと思う
原作の消失の部分を見るとまた違った印象を受けると思います
ただここの考えの延長線で考えると
憂鬱まではハルヒと同調していたけれど
そこから少しずつ違う道をいくようになっいって
最終的には長門自身の道をいくようになったと思います
消失の話自体はアニメの実質的な最終話サムディより
後の話になるのでそれを今期では確かめることはできなかった
少しネタバレ臭くなりますが・・・
消失では長門が本来の自分を出しますが
それは明らかにハルヒとは違うものになっています
そういうわけでこんな感じで考えましたが
そろそろ頭の中がショートしそうなのでこの辺で終わります
ずいぶん長々と書いてしまいました
俺も2期にはかなり期待してますがさてどうなるやら・・
自blogにて無断リンクしてあるのも一応報告させてもらいます
まぁなんか不都合あったらいってください(ノ∀`)
投稿: nova0 | 2006年7月 7日 (金) 11:12
有希が裏ハルヒであるって言うのは、ある意味新しい考察ですね。
その上、原作既読でも、違和感がありません。
…まあそれだけなんですが。
あと、ここの最終回を見て、一つSSの着想を得ました。
完成次第(できるかなあ)何らかの形で報告しようと思います。
投稿: sophnuts | 2006年7月 7日 (金) 16:54
こんばんは。たこーすけです!
いや、もう、驚きました。
「死の影」までは、比較的冷静に読むことが出来ていたのですが、
長門さんとハルヒのところで思わず立ち上がっちゃいましたよ。
スタンディング・オベーションです!
いやぁ...びっくりした。
みくるちゃんと妹ちゃんは、ぼくも何となくは感じていました。
妹ちゃん、動いている時は、何となく似ているなぁ位だったのですが。
たまたま、最終話、キョンの部屋のポスターがちょっと気になったから、コマ送りで見てたんですよ。(ハサミを取りに来るシーンです)
そしたら、まあ、びっくりする程そっくりなんですよね。
あれは驚いた。
いや、でも、だんちさん、長門さんとハルヒの方もくるとは思いもよらなかったです。
あー。第10話戦闘シーンはハルヒの身体の中って書いたのは、ちょっとだけ、かすりそうだったのかなあ。
でも、全然違う意味で書いてたしなあ。うーん。
ただ、思い返すと、少し自分でも思い当たるところがあるんですよ。
OPに3人の目が映るシーンがありますよね。
あれ、ぼくはどっちが長門さんでどっちがハルヒだか、しばらくわからなかったんですよ。
うーん。そうか。着想する土台は得ていたのか。
みくるちゃんと妹ちゃんは同一人物ではないであろうというのは、ぼくもそう思います。
野球のセンスがあまりにも違うので。(笑)
妹ちゃんの方が、まだ野球になっていましたよね。
ただ、年を経るにしたがって変わっていくこともあるのかも。
小さい頃は虫とか平気で掴むくせに、大きくなると全然ダメとかあるじゃないですか。でも、そういうのとは違うか。
でも、子孫の方がありそうですよね。
なんか、そう思うとですね、何だかハルヒって「おばあちゃん」っぽいよなあとか思ってしまいます。
いや、EDのお鍋のカットとか。
元気な痛快おばあちゃん。
そうすると、キョンは「おじいちゃん」ですよね。
語り部としてのおじいちゃん。
やけに老成してる感じがする語り口なんか。
そうすると、あれですね、この物語は、孫に読み聞かせる「童話」みたいな感じなのかな。
「死の影」や「ポジティブ メッセージ」とかを過度に露にしないところなんか。
いや、とにかく驚きました!すごいです。楽しみました!ちょっと長いことも全然気にならないくらいに!(笑)
ひとまず、取り急ぎですが。
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月 7日 (金) 21:31
テレビ版の「ライブアライブ」を見て連想したのが、村上春樹の短編小説
「今は亡き王女のための」(講談社「回転木馬のデッドヒート」収録)に登場する女性です。
主人公の「僕」が見抜いたのですが、
「いちばん重要なことはまわりの大人たちの成熟し屈曲した様々な種類の感情の放射から子供を守る責任を誰がひきうけるかというところにある。誰もがその責任からしりごみしたり、子供に対してみんなが良い顔をしたがるとき、その子供は確実にスポイルされることになる」。
「成熟し急遽久下様々な種類の感情」というのは、別に性的なことではないと思います。
成績が良くて、他人を傷つけない生徒は矯正の対象にはならない、という判断です。
学校の教師…は多少彼女を止めますけど、決定的には行動を制限しません。
級友たちは…彼女の奇行を遠巻きに見ているだけです。仲良しグループに入るよう働きかけますが、拒否されると見ているだけ。
ハルヒの仲間になることは無いし、イジメ→過干渉もありません。(中学時代はわかりませんが、高校でくだらないちょっかいの描写はない)
それはおそらく、ハルヒが万能選手、なんでも人並み以上に出来てしまうことで、教師にしても級友たちにしても、
ハルヒをいち生徒というカテゴリに奉ることで、無関係を貫いているのだと思います。
そして作中では登場しないハルヒの家族なんですが、う〜ん、どうなんでしょう、
髪を染めもしない、成績も優秀、言葉遣いも下品ではない一方で
娘が通販でバニー服やらメイド服を買う、友達も家に呼ばない、奇行の噂は聞こえてくる、
止めない親って…今では普通でしょうか?
私には「うちの娘は不良じゃない、成績優秀なんだから、これはこれでいいか」と放任→親としての責任を果たしていないのかと思えます。
あと…村上春樹の小説には、この「王女」のほかにも「ノルウェイの森」でピアノを弾く女性のエピソードがあります。
出来てしまうから努力するということがわからない。出来ることの次の段階に進めないから、人の心に響く演奏は出来ない。
そこで文化祭のライブ演奏が、演奏から得られる充実感の初体験なのではなかったのか。
一般的に軽音部員の力の入れようって、新入生勧誘期間と文化祭期間では全く違うと思います。
四月の段階で演奏者としての実力は、発揮しなかったはずです。
投稿: てんてけ | 2006年7月 7日 (金) 22:17
「ハルヒ=長門」という説は斬新で面白いとは思いますし、
言われてみればうなずける部分もないことはないのですが、
その根拠を「顔が似ている」というところに求めるのは違うのではないでしょうか。
言うまでもないことですが、
そうした設定を決めるのは原作者の谷川流氏であり、
顔をデザインするのはイラストレーターのいとうのいぢ氏、及びアニメーターの方々です。
イラストをつける際、谷川氏が「ハルヒと長門は顔の構造を似せてほしい」
という注文を出した可能性もゼロではありませんが、
そのためには原作1巻が出版されるより前にその設定を決めておかなくてはならず
(途中で思いついたからといって顔を変えるわけにはいきませんからね)、
そもそもこの「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品がスニーカー小説賞の応募作であることも考えると
その可能性は極めて低いように思えます。
谷川氏自身も、「当初は続きを書く予定はなかった」と発言していたように記憶していますし、
これは単なる偶然なのではないでしょうか。
いえ、偶然というか、イラストを描かない自分としては
「似ている」という認識すらない、というのが本音ですが。
自分の目にはそれほど似ているようには見えません。
それと、これは本題と直接関係ありませんが、
「推論」を語るときに「断定」口調を混ぜるのはどうかと。
正直に言いますと少し読みづらいです。
せめて最初に
「これ以降はこの仮定が正しいことを前提として扱います」
と一言断りでも入れてもらえると助かるのですが。
投稿: Hyu | 2006年7月 8日 (土) 03:55
3年前起こった「何か」それは
「キョンに初めて出会った」ことによるものです。
楽しみを奪うのは私としても本意ではないので
その話の詳しい説明はしませんが、
いわばハルヒの力はキョンによってのみ動かされてきたんですね。
貴方の推論は興味深い点も多く、大変面白いと思っています。
今回の長門=ハルヒ説も
みくる=キョン妹説も興味深く読ませていただきました。
ですが、少々「妄想」ではなく「暴走」しているのではないでしょうか?
すでに答えが明確に出ているものに対して
「原作未読」というのは免罪符にも何にもならないと思いますよ。
投稿: もんず | 2006年7月 8日 (土) 07:53
>3年前起こった「何か」それは「キョンに初めて出会った」ことによるものです。
?僕はあの出来事は「情報爆発」以後だと思ってました。
そうでないと「情報爆発」以前に、既に「誰かさん」がそこにいたことになってしまいませんか。
投稿: Iuth | 2006年7月 8日 (土) 09:03
大変興味深く読ませていただきました。
非常にエキサイティングな文章でした。
一体どんな方が書いた文章なのかと興味を持ち、プロフィール
を拝見しましたが、やはり漫画家さんなんですね。
ご職業を知って納得してしまいました。
コメントを書かれた方の中には批判的な文章を書いている方も
いるようですが、個人がある特定のアニメ作品を見た中で
思いついた感想なのですから妄想も暴走も結構も大いに結構
だと思いますよ。
それよりも事前に、アニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」について
の感想、そこから発想した妄想だとご本人が言っているにも
拘らず、既に原作者が書いた先の展開を知っている人物が、
ネタバレを意識しているにもかかわらず、わざわざネタバレを
する事の方が余程問題です(あれでも十分にネタバレです)。
また、個人の感想、妄想に対して「免罪符」などと言う責任
追及をするような物騒な言葉を使って批判する事もいかがな
ものかと思います。
だんちさんの書かれた特定の作品に対する感想、妄想に何かの
責任が発生するとでも思っているのでしょうか?
作品の生み出されたバックグラウンドを持ち出しての批判も
アニメ作品のみに的を絞って書かれた本文章に対しての批判と
しては不適当でしょう。
本来ならばここではアニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」から
得られた情報のみで反対意見を書くべきででは無いで
しょうか?非常に的外れな印象を拭えません。
だんちさん、あなたの着想に大変感銘を受けました。
是非また足を運ばせていただこうと思いますので、また新たな
あなたの感想、妄想を読ませてください。
楽しみにしております。
投稿: こういち | 2006年7月 8日 (土) 09:24
何故か長門のキョンの言動に揺り動かされるのも納得いきますね
個人的に裏ハルヒ説は面白くそうであったら話がすごく面白い展開になりそうだなと思いました
投稿: 774 | 2006年7月 8日 (土) 09:53
初めてコメントいたします。
同人誌、すごく楽しみにさせていただきます。いまあるハルヒの同人誌には、作品に対する愛情や
考察が足りなさ過ぎるものが多くて、不満だったんです。
つーか、AV撮影する話はもういい加減にしてもらいたい…(汗)。
だんちさんが作るものでしたら、とても安心できますし。
ただ、私は地方ものですから、とらのあな等に委託していただくとありがたいです。
投稿: Mr.O | 2006年7月 8日 (土) 10:08
どうも初めまして、アニメ感想いつも楽しませていただいています。
今回の感想も大作でしたね。お疲れ様でした。
私自身は元々設定に拘りがちというか、つい物語の解釈に正解を求めてしまうタチなので、原作に捉われず大胆に物語を解釈するだんちさんの感想には、いつも唸らされることしきりです。
時に物語上で定められた設定を踏み越えることもあるかもしれませんが、場合によっては作者の意図していないところまで想像を膨らませ、自身の中で物語を再構築するという鑑賞法は、ある意味、もっともプリミティブな物語の楽しみ方なのではないかと思います。
これからも柔軟な姿勢で物語を発見して行っていただきたいと、勝手ながら期待させていただいております(笑
・長門=裏ハルヒ説
こちらの説にはなるほど、そういう見方もあるか! とまた唸らされました。
ハルヒが世界に混沌をもたらす全能者だとしたら、長門は秩序をもたらす全能者と言えますし、能力面で唯一ハルヒと互角に近い勝負ができるという意味でも、だんちさんの説は自分の中で非常に納得度の高いものでした。
・みくる=キョンの子孫説
こちらは前説とは逆に、自然にすっと納得できる説でした。
実年齢不詳という辺りが、また妹属性を引き立てていて……キョンの未来が心配です(性的な意味で)。
長門に対する考察もみくるに対する考察も、大変楽しませていただきましたが、実は自分が今一番気になっているのは、今回見事にスルーされている小泉だったりします。
長門やみくるについてあれこれ考えて、小泉は「まあ小泉だからいいか」でスルー。
いかにもキョンや視聴者の大半が取りそうな態度ですが、これってちょっと面白いですよね。
孤島症候群の時に判明したことですが、小泉は、SOS団の中で唯一キョン=視聴者を裏切ることのできる立ち位置にいるわけです。それでありながら、意外なほどに軽んじられている。
小泉自身、自分でハルヒの望むようにキャラを作っていると明かしていましたし、すべて計算ずくで「まあ小泉だし」という空気ポジションを獲得している彼。
人当たりが良く如才ないのない振る舞いで、他者に警戒を抱かれないというのがある意味小泉の最大の能力だと思うのですが、視聴者すらもまんまと術中にはめられている様な気がします。
……考え過ぎですかね。実際は野郎なんてどうでもいいよと製作者側にすら思われているだけだったりするかもしれませんが(笑
どれほど口先でキョンに友情を説いても、完全には信用されない(小泉なりに本気だとは思いますが)。
しかし、裏切りの匂いをさせつつも過度に警戒されることもない(またキョンのツンデレかとは思いますが)。
そんな小泉のポジションは、常に注目される長門やみくるとは相対的な評価で魅力が浮き上がってくる、非常に美味しいポジションだと思いました。
私自身、原作はまだTVで放送された話しか読んでいませんので、これからの小泉の活躍に期待したいところです……そんな機会があればの話ですが(笑
長々と、しかも主題と関係ない小泉の話で勝手に盛り上がってしまいすみません。
だんちさんの文を読むと、色々と想像を掻き立てられてしまって……乱筆乱文失礼しました。
投稿: M | 2006年7月 8日 (土) 13:41
だんち氏の「ハルヒ=長門」説は、ビジュアル(いとう画伯の美麗なイラスト)情報が与えられていない、あるいは欠けていても、かなり説得力があると思えます。仮にハルヒと長門さんの外形・容姿が異なるとされていても、長門さんの本質というか原型がハルヒ自身に由来すると考えれば、辻褄が合いますね。ハルヒ(長門=裏ハルヒ)はキョンに対してだけ好意的というか信頼しているところとか。「ハルヒ=長門」というのは、ハルヒ時空世界の創造者である作者谷川氏の裏中の裏設定ではないでしょうか。決してその存在を認めないと思いますね。
投稿: 朝日将軍 | 2006年7月 8日 (土) 13:45
>こういちさん
>作品の生み出されたバックグラウンドを持ち出しての批判も
>アニメ作品のみに的を絞って書かれた本文章に対しての批判としては不適当でしょう。
>本来ならばここではアニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」から得られた情報のみで反対意見を書くべきででは無いでしょうか?
>非常に的外れな印象を拭えません。
おそらく自分のことを指して言っているのだと思われるので、一応答えておきます。
自分としてはだんちさんが「原作がまだ続いている」ことを前提に話しているように見受けられるので、
その「アニメから得られた情報のみで反論すべき」という部分からして同意はしかねるのですが、
ひとまずそれは脇に置いておくとして。
これは悪意からではなく、純粋な疑問として訊かせてください。
では「バックグラウンド」を知っている人間から見て明らかな「間違い」がそこにあり
(今回の件では「明らかに」とまでは言えないのでこれは喩え話です)、
またその「バックグラウンド」を持ち出さなければ説明のしようがない事態があったとして、
その場合はどうするのがベストな選択なのですか?
黙って見ている以外の行為は一切許されないのですか?
こういちさんの仰るように、「妄想は自由」だと自分も思います。
ではその妄想に対し、「そこは違うよ」と指摘する自由はサイト閲覧者にはないのですか?
他の方も、また前回の自分も述べているように、
「ハルヒ=長門」説というのは非常に興味深いものだと思います。
しかし自分は、だんちさんの論理はまず「顔が似ている」ところから出発し、
あとから強引に辻褄を合わせたかのような印象を受けました。
よって、そのまますんなり受け入れることは自分にはできません。
ですがそのことでだんちさんを責めた覚えも、責任を追及した覚えもありません。
一概に同意できない説だったので、「同意できません」と言ったまでです。
その行為を「批判」と取られてしまったのが、自分にとっては心外であり、また残念でもあります。
「的外れ」という言葉を用いるのだとすれば、まさにその解釈こそが「的外れ」なのではないかと。
繰り返しますが、自分はだんちさんも、そしてこういちさんも、「批判」する気は一切ありません。
「反論」と「批判」は別物です。
投稿: Hyu | 2006年7月 8日 (土) 16:20
しばらく見ているだけのつもりだったんですが、ここが論争の場になるのは好ましくないと思うので、ちょっとだけ口を挟ませてもらいます。
僕も原作未読なので、バックグラウンドを持ち出されると、正直ちょっと困るんですが、だからといって別にHyuさんの主張が間違っているわけでもなく(そもそも正しい間違っているをいうようなものでもないですし)、また一つの解釈に対して反論を述べることが、非難されるべきことであるわけでも、当然ありません。
単純に、言い方の問題です。
Hyuさんは責任を追及する意図はなかった、とおっしゃってますが、「免罪符」といういい方は、責任追及と受け取られても仕方ありませんよ。
「顔が似てるからハルヒ=有希? それってどうなんでしょう?」
で、いいと思うんですが。
投稿: memento | 2006年7月 8日 (土) 18:09
Hyuさん、もう少し冷静になされてください。
こういちさんがおっしゃったことは、あなたのすぐ下の書き込みに対してです。
あなたに対してではありませんよ。その上その書き込みでの指摘自体が間違っています。
それに、ハルヒ=長門説についても原作既読者から明らかに間違っていると言い切れない事です。
バックグランドの話をするならば、今回のアニメは原作者の谷川氏自身がシリーズ構成を初めとして
脚本・毎週の打ち合わせ等アニメ制作に深く関わっていたことがインタビュー等で明らかにされています。
そうであるならアニメの情報からだけでも充分、議論の為の土台とする事が出来るのではないでしょうか。
投稿: kaizi | 2006年7月 8日 (土) 18:11
あ、じゃあ僕も間違ってたんだ。すみません、Hyuさん。
投稿: memento | 2006年7月 8日 (土) 18:35
すみません。もう少しだけ述べてから消えます。
上でいったように、僕自身はネタバレは困りますが、なにか意見をいう際にどうしても、そこに抵触してしまう場合は、やはりあるでしょう。
あくまで個人的意見ですが、原作既読者がその立場から意見を述べる自由や権利に対して、否をいうつもりはありませんし、ある程度は仕方がないと思っています。
それと同様に既読者の側も、それぞれのできる範囲で未読者へ配慮をしていただけると嬉しいです。
いずれにせよ、読んだ読まないという立場の違いがあるのでは、論争するにしても噛み合うわけがないんですから、皆さん、余裕を持って多少のことは大目に見るくらいの気持ちでいてほしいです。
では。
投稿: memento | 2006年7月 8日 (土) 18:46
皆様こんばんは。だんちです。
個別にお返事をさせていただこうと思っておりますが、ひとまずはご挨拶をさせていただきます。
長い文章を読んで下さって、またコメントを下さってありがとうございます。
皆様のコメントを楽しく読ませていただいております。
これからも皆様と楽しく語り合えたらいいなぁと思っておりますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
ただ、僕の文章が稚拙であることや、自分ではそのつもりは無くとも、原作に対する敬意がまだまだ欠けてしまっていることなどから、ご迷惑をお掛けしてしてしまっているように思います。
大変申し訳ありません。
大いに反省して、今後に役立てていきたいと思っております。
どうぞこれからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。
それでは今回はこれにて失礼いたします。
漢弾地
投稿: だんち | 2006年7月 8日 (土) 20:23
「長門=裏ハルヒ」の視点は確かに面白いですねー。
ストーリー上妥当かどうかはともかく"周囲に溶け込まない子"の
極端な2パターンなんですね、この2人。
投稿: とおりすがり | 2006年7月 9日 (日) 01:43
こんばんは。たこーすけです。
昨日書き込んでから、ちょっと不安になったので、OPの3人の目を見直してみたんです。コマ送りで。
そしたら、
(あんま...似てないかも...滝汗)
いや、ずっと前はぼくは区別がつかなかったんですよ?どっちがハルヒでどっちが長門さんか。
だって、最初にハルヒがくるって思うじゃないですか!(言い訳)
だから、ずっと、最初がハルヒだって思い込んでいたんですよ。
で、第10話を見て、初めて、ああOPのこのシーンは全部長門さんに絡んでいるんだな、と思い、それでようやく、最初が長門さんなんだとわかったんですよ。
さらに、ということはここの歌詞、「感じるまま 感じることだけをするよ」というのは、もしかして、ハルヒだけでなく長門さんのことも歌っているのかなとまで思ったのでした。
いや、でも、きっと他のカットは、結構似ているんじゃないですか?たぶん...(投げやり)
いや、でも、最終回の妹ちゃんのハサミのシーンは、自信ありますよ!
あの「てへっ」は「禁則事項です♪」って言ってても、違和感ないですよ!
違和感ない...よね?...だめ?
いい物語というのは、いくつもの解釈を許容するのだろうな、と思っています。作りがユルいからということではなくて。なんというか、普遍性を持ち、それがゆえに、各人それぞれの個人的な経験を通して解釈ができるというか。だんちさんが「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和…」で書いていることに類似していますが。
ぼくが、童話みたいと書いたのも、そこを意識したもので。「童話」という用語の使い方が適切かはわからないのですが。
だから、いろいろな解釈、いろいろな視点を知ること、持つことは、とても楽しく思います。
ぼくも「それはアリかもね」とか「それは、ねーよ(笑)」とか思ったりするのですが、それって、なんというか、結局自分自身を知ることでもあるんだなあ、と。
今回のだんちさんの「死の影」にせよ「長門さん=裏ハルヒ」にせよ、みなさまには言わずもがなだと思いますが、「正解」があるものではないですよね。原作者谷川さんが明かさない限り。あるいは、アニメに関しては京アニさんが明かさない限り。
でも、もしかしたら、ひょっとしたら、谷川さんや京アニさんの公式なコメント(物語ではなくコメント)でさえも「正解」にならなくなってしまうのかもしれません。それは言い過ぎかな。
でも、いい物語というのは、個々人に帰するのかなと思います。「謎解き」ではなくて「解釈」「視点」「見方」というか。
ただ、だんちさんが第10話の時に提起した「語れることと語れないこと」は、ぼくにとって「謎解き」だったと思います。これは明確に「正解」があることで、それを今回提示してくれたのだと思います。
第10話以降、ぼくはずっと、普通に作品を鑑賞するのとはまた別に、だんちさんが「語れないこと」としたものは何であろうかというのも考えてきました。
だから、上のぼくの昨日のコメントは、その「正解」に接しての興奮であると受け取っていただきたいと思います。
一つの物語に対する、いろいろな視点。
コメントを書かれているみなさまも、だんちさんの解釈を、その推論の進め方に違和感はあれども、興味深く面白いと思っていらっしゃるのを見て、なんだか嬉しくなってしまいました。
ぼくは原作未読者でして、無邪気に興奮して書きまくってしまったのですが、やはり、既読者の方はネタバレを回避するために気を遣って苦心してコメントを書いていらっしゃるのだと思います。そのお心遣いに感謝したく思います。ありがとうございます。
ぼくは一つ思っていたことがあるのです。
それは、時系列シャッフルについてです。
シャッフルの最大の目的は、憂鬱のラストを最終話に持ってくることであるのは、論を俟たないのでしょう。
それ以外にも、シャッフルの利点として、絶対に回収される伏線が生まれるということも挙げられると思います。
ぼくは、もう一つ期待していたことがあったのです。
それは、シャッフルすることによって、未読者はもちろんのこと、既読者の方にとってさえも衝撃的なラストになるのではないかということでした。
原作と同じエピソードが描かれているにも関わらず、シャッフルすることによって、新たな印象、新たなメッセージが浮かんでくるような。
だまし絵から隠れた絵が浮かんでくるように、今まで思いもよらなかったメッセージが投じられる。
それで、未読者は原作を読んだり、時系列順に見たりして、また違った印象、既読者の方が元々持っていた印象を知ることになる。
そうしたら、みんな幸福だな、と思っていました。
どうだったのでしょうね。やはり、そこまでは、いかなかったのでしょうか。ちょっと期待していたのですが。
でも、このアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品から感じられた「ポジティブ メッセージ」は、あるいは、それだったのかなとも思っています。
相変わらず、すっかり長くなってしまいました。申し訳ありません。
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月 9日 (日) 02:45
長門=ハルヒ説とてもおもしろいです。顔が似てるうんぬんについても、否定できない気もします。
ハルヒと長門さんってつり目っぽいんですよね。長門さんみたいながつり目っぽいって意外だなあと思ったので、とても印象的でした。
違うように見えるのも、ハルヒは目をぱっちり開いていて、長門さんはそうでないからで、もとの形は同じに見えます。
確かにこの手の可愛らしい絵柄(アニメの絵・いとうさんの絵ともに)の美少女キャラで、顔が似てるかどうかというのは微妙ですが。
他に気になっていたのは身長です。ハルヒは158cmで、長門さんは154cm。ちなみにみくるは身長152cm。
ハルヒやキョンの言動から見ると、みくるは小柄で巨乳なロリな萌えキャラという位置づけのようですが
その小柄でロリなみくると、長門さんはたった2cmしか違わないのか。
みくるをロリキャラとして確立させるなら、わざわざ長門さんを近い身長にすることないのでは…と、少々引っかかっていたのです。
そこで154cmというのが三年前のハルヒの身長と考えると非常に納得できます。
あと、長門さんは胸が小さいという設定もそうです。
単純に、スタイル抜群なハルヒ・巨乳なみくる・貧乳な長門さんと萌え要素をひと通り揃えただけなのかもしれませんが
そんな話の流れに関係ない理由なんだろうか?と思っていたので、中一のハルヒの体型と考えるとこれまた納得です。
まあただ、長門さんは外見は成長しないようなので、中一(誕生した三年前)の時点で、そのまま大人になっても
違和感のない体型にしただけって気もしますがね。中一で成人女性の平均体型だったら変ですしね。
最後に、これはあくまで主観ですが、他のSOS団のメンバーと比べて長門さんが一番目立っている。
長門さん主役と言えるようなエピソードが多いし、何よりみくるとは違い、キョンとの恋愛を匂わせているところです。
これはもちろん「能力が高いからどうしても話に必要になる」「長門さんが一番人気があるから」という理由もあるでしょう。
扱いが大きいのは長門ファンとしては嬉しいんですが、やはりこれも気になっていたことなので…。
目の形に関しても、体型に関しても、扱いについても、何か引っかかるものを感じていたので
もしこの考察の通りなら憑き物が落ちたようにすっきりするなあ〜と感動したため、長々と書いてしまいました。すみません。
でも髪型が似てるのには気付きませんでした。言われてみれば同じ作りですね。すごいな。
投稿: 通りすがりですが | 2006年7月 9日 (日) 07:14
毎回、たいへん面白く読ませていただいております。いや、本当に。
このシリーズには(原作でも)未だ解決されていない謎がたいへん多く、特に同じ素性を持っていながら何故長門有希が朝倉涼子とあれほど違うパーソナリティを持っているかについては、シリーズ全体の帰趨にかかわる重要なポイントであると、私も考えています。
で、正直、この解釈は盲点でした。考えもしませんでした。
私はアニメを見る前に原作を一気読みしてしまったので(正直やるんじゃなかったとも思いますが)その影響もあって違う解釈をしているのですが、だんちさんの解釈もかなり「有り」なんじゃないかと思います。まあ物理的な類似については正直、それはどうなのかな、とも思うわけですけど、
「その方が断然面白いじゃない!」
という有名な言葉もあることですし。
キョンの性衝動の話とかも大好きです。同意はちょっとできませんけど。
ところで、今後原作についてはどうなさるおつもりでしょうか?
だんちさんでしたら原作についてもおそらくいろいろと独創的かつグッとくる解釈をなさるのではないかという気もするのですが、巷間噂されるように「第二期」なるものが近い将来にあり得るのだとしたら原作には手を出さないに越したことはないでしょうし。難しいところではありますね。
それではまた、機会がありましたら。
投稿: 山崎しんのすけ | 2006年7月 9日 (日) 12:44
>kaiziさん
>Hyuさん、もう少し冷静になされてください。
>こういちさんがおっしゃったことは、あなたのすぐ下の書き込みに対してです。
んー……自分としては焦っているつもりも慌てているつもりもなく、至極冷静に何度も読み返した上で、
こういちさんのコメントの前半部分「免罪符」のくだりはもんずさんに、
後半の「バックグラウンド」のくだりは自分に言っているようにしか見えないのですが。
今もう一度見直してみても、もんずさんのコメントの中に
「作品の生み出されたバックグラウンド」に関して言及している部分は特に見当たらないと思います。
もっとも、本当のところはこういちさん本人に訊いてみない限りわからないのですが。
それと、これ以外のkaiziさんの指摘については、
申し訳ないのですが論点がずれているように思えます。
「アニメの情報だけで議論ができるか否か」と
「アニメの外にある情報を議論に用いるか否か」は
別問題だと思うのですが。
>mementoさん
すでに誤解は解けているようですが念のため。
「免罪符」発言をしたのは自分ではありません。
>「顔が似てるからハルヒ=有希? それってどうなんでしょう?」
>で、いいと思うんですが。
だんちさんの立場に立って考えた場合、ただ「それってどうなんでしょう?」で終わってしまうよりは
どんなことでもいいから何かしらの根拠を示していた方が助かるのではないでしょうか。
少なくとも自分はそう考え、実践したつもりです。
上記の「アニメの外にある情報を議論に用いるか否か」の答えが仮に「否」であったとしても、
全くの無根拠で反論だけするよりは幾分ましなのではないかと思います。
最後に、どうも自分の発言が元で空気を悪くしてしまったようで、
その点については謝罪させていただきます。
不快に思われた方、本当にすみませんでした。
自戒・自省の意味で、今後はよほどのことがない限りコメントを控えたいと思います。
「言うだけ言って消えるのは無責任だ」という向きもあるでしょうし、
何か自分に対して直接の疑問・質問などあれば必要に応じて応対はするつもりですが、
おそらくそんなことにはならないでしょう。
それでは、乱文失礼致しました。
投稿: Hyu | 2006年7月 9日 (日) 17:13
長門=3年前ハルヒのコピー説の考察が非常に精密で面白いですね
某掲示板でココの考察と同じと言われて見に来ました。
まあ髪型以外の顔のパーツがほぼ同じという点から展開したのは同じなんですが、私は情報統合思念体がハルヒを観察する際に比較対象としてコピーを作るということを考えてました。
原作のその後のストーリー展開に当てはめても有り得そうなので今後楽しみですね
投稿: とおりすがりん | 2006年7月 9日 (日) 17:19
こんにちは。
気がつくと、沢山のコメントをいただいていてとても嬉しいです。
なにやら論争めいた状況もあるようですが。
ちょっとタイミングの悪さがあったのかもしれませんね。
Hyuさんの書き込み内容は別に普通なのだと思いますが、すぐその下にもんずさんの書き込みがあったことで、スクロールしながら「一緒に読んでしまった」方もいらっしゃったのかもしれません。
私自身は反論や批判があったとしても別に気にはならないので、どんどんいろいろと語っていただけたらなぁと思っております。
ただ、Hyuさんが仰られているように、このブログには1年間、書き手の私と読み手の方、そしてコメントを下さる方々とで築き上げてきた「空気」があります。
いつも書き込んで下さっているmementoさんが「言い方の問題」と言われているのも、やはりその「空気」を普段から尊重して下さっているからだと感じます。
意見を持ってそれを述べて下さることは、とてもありがたいことで、楽しく読ませていただいています。
しかし、そこには積み重ねてきた「空気」があることを、是非皆様にはご理解いただきたいと思います。
その上で私が思うのは、「挨拶はして欲しい」ということがあります。
初めて書き込まれる方は、「初めまして」とまず書いて欲しいと思います。
また、普段から私の記事を読まれている方なのか、それともコメントを書こうと思った記事だけ読まれた方なのかも、教えていただきたいと思います。つまり、私の記事に対してどういう接し方をして下さっているのか、ということですね。
書いて下さる内容も重要ですが、何よりもまず挨拶が重要だと、私は思います。
それでは皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
漢弾地
投稿: だんち | 2006年7月 9日 (日) 18:21
Hyuさん。おはようございます。初めまして。コメントをありがとうございました。
記事に対する書き込みのお返事の前に、管理者として申し上げます。
>何か自分に対して直接の疑問・質問などあれば必要に応じて応対はするつもりです
とのことですが、メールアドレスの記入をお忘れのようです。
このコメント欄にて応対しようなどということでしたらそれは大変迷惑です。
メールアドレスを記入して改めて投稿されるか、または私に直接メールしていただければ、そのメールアドレスを記入させていただきます。
それではよろしくお願いします。
投稿: だんち | 2006年7月10日 (月) 05:43
>だんちさん
お手数をおかけしてしまったようですみません。
それと自分も「挨拶」を忘れていた人間のようです。今更ではありますが、初めまして。
自分はつい先日、別サイトに張られていたこの記事へのリンクで来た者です。
>とのことですが、メールアドレスの記入をお忘れのようです。
>このコメント欄にて応対しようなどということでしたらそれは大変迷惑です。
もしかすると自分はひどく根本的な部分を見落としていたかもしれないので、
ここで一つ確認させてください。
この「コメント欄」は、「閲覧者からだんちさんへのコメントを書く専用の場所」という扱いになっているのですか?
自分の知人の間では「管理人へのコメント用であると同時に、閲覧者同士が会話をする場所」
として利用する人間が大半なので、
ここもそういったものであると判断して発言していました。
これが自分の勘違いだったのなら、大変申し訳ありません。
そういうわけですので、先の
>何か自分に対して直接の疑問・質問などあれば必要に応じて応対はするつもりです
というのは、「このコメント欄で」という意味合いでした。
もちろん、「直接の疑問・質問」というのは「自分がここでした発言について」の話であり、
前述のようにそれは「コメント欄」の使用法として許容される範囲のものかと誤解をしていました。
また、コメント欄での発言の責任は、コメント欄で果たすべきだという考えがあったことも理由の一つです。
だんちさんがそれを「大変迷惑」な行為だと仰るのでしたら、無論前言は撤回させていただきます。
しかしながら、コメント欄での発言の責任をメールで果たすのは、自分としては本意ではありません。
誠に勝手な言い分で申し訳ないのですが、
それなら自分としては「コメント欄でもメールでも質問は受け付けない」という他ありません。
前回の発言の最後でも述べた通り、「質問があれば~」というのは飽くまで念のための保険であって、
「自分への質問」などはまず出て来ないものだと思っています。
現に前の発言から丸一日以上が経過した今、それらしい意見は見受けられません。
よって自分が回答を拒否したところで、この先なんの影響もないと判断し、
この話はここまでとさせていただきます。
だんちさんを始め多くの方々に迷惑をかけてしまったこと、重ね重ねお詫び申し上げます。
ただただ謝罪する以外のことはできませんが、本当に申し訳ありませんでした。
二度とここのコメント欄には現れないことを誓いますので、どうか御容赦ください。
投稿: Hyu | 2006年7月11日 (火) 01:12
Hyuさん。こんばんは。お返事をありがとうございます。
>「管理人へのコメント用であると同時に、閲覧者同士が会話をする場所」
はい。このコメント欄もその捉え方で結構です。
ただ、議論や討論ということになるのであれば、それは余計な喧嘩を誘発したり場を荒らすことになりかねないので、「余所でやってくれ」ということです。
Hyuさんご自身が仰られた「空気」ということでいうと、本文をよく読んでいただければ分かると思いますが、私はそもそもそういった「議論めいた状況」が起こることを本文中で何度も牽制しています。
それを読まれた皆様が、「落ち着きなさい」であるとか「ここは論争の場に相応しくない」ということを仰ってくださっているわけです。
また、そういう前提条件を把握されているからこそ、Hyuさんに対して直接の疑問や質問があったとしても、当然このコメント欄には誰も書き込まないわけです。
ただ、僕は議論とかそういうのは面倒で嫌いですが、Hyuさんとそういった議論を続けたい方もいらっしゃるかもしれません。それならばせっかくなのでメールアドレスを公開して、議論をされたい方々で、ここではないところで存分に語っていただきたいと思うわけです。
Hyuさんはもういらっしゃらないとのことですが、それはせっかくお会いできたのに残念です。
普通に会話をしていただけるのでしたら、是非これからも遊びに来ていただきたいと思います。
また、私に対して他にご質問などありましたら、メールをいただければ、と思います。
それでは失礼いたします。
投稿: だんち | 2006年7月11日 (火) 02:18
真っ昼間からこんにちは。たこーすけです。
もう今週からハルヒないのか、と自覚してしまうと、なんだか猛烈に寂しくなりますね。
帰ったらビデオ見ようっと。
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月11日 (火) 13:42
>初めて書き込まれる方は、「初めまして」とまず書いて欲しいと思います。
>書いて下さる内容も重要ですが、何よりもまず挨拶が重要だと、私は思います。
仰るとおりで返す言葉もありません。
たいへん失礼いたしました。
書き込みをしたときにはたいへん興奮をしておりまして、いささか頭のネジが外れてしまっていたようです。
なにとぞご容赦いただければと思います。
それでは。
投稿: 山崎しんのすけ | 2006年7月13日 (木) 21:44
こんばんは。たこーすけです。
以前、掲示板の方でフレアさんとIuthさんが、第12話についてこんなやり取りをなさっていました。
何故ハルヒはバンドのもう一人の代役に長門さんを選んだのか。みくるちゃんにも声をかけたのであろうか。視聴者である我々は、長門さんの超人的能力を既に知っているけれども、ハルヒにとっては未知数なのではないか。
ハルヒは、長門さんなら出来ることも、みくるちゃんにはちょっと無理であることも、無意識では全てを知っているのではないか。表層意識的には「カン」程度に思っているのだろうけれども。
と。
ぼくも、「そうね。なるほど。そうね」と思いました。
それで、だんちさんの「長門さん=裏ハルヒ」をもって思い返すと、また新鮮に思えてきました。
まあ、こじつけなので(笑)、適当に読み流してください。
自分がもう一人いたらいいなと思う時ってあるじゃないですか。
例えば、何かの締切ギリギリの時とか。
もー絶対に間に合わない!って超テンパっている時に、でも手伝ってくれる人もいるとして。
「これをこうして、それをああして!」「ここをこういう感じに直して!」「こういうの作って!」「これの裏付けとって!」
とか、言葉で伝えるのがすごくもどかしくて、そもそも言葉で伝える精神的余裕さえもなくなってしまっている時って、「ああ。自分がもう一人いれば!」って思うことありません?
ハルヒが長門さんを選んだのは、無意識的に、「もう一人の自分」を選んだのかなと。
では、みくるちゃんが第一選択肢になるのはどういう時かと考えると、「自分以外の人」が必要な時。
校門でのビラ配りの時のバニーにせよ、野球大会の時のチアガールにせよ、ハルヒはまず自分が着ているわけですよね。そして、さらにもう一人という時、「自分自身」が増えるより、「他人」が増えていった方が見栄えとしていいのではないでしょうか。
というわけで、みくるちゃんが選ばれると。
では、みくるちゃんコスプレはどう見るかというと、こっちは「みくるちゃんはキョンの(さらに拡張して、ハルヒの)血縁、子孫」の方で。
お母さんが娘に、あるいはおばあちゃんが孫に、いろいろ着せたりすることの誇張バージョンということでどうでしょうか。
いや、そう見ると、ハルヒの極悪っぷりがちょっとでも緩和されるかなと思いまして(笑)。
あー。でも、女の子って着せ替え人形に自分自身を投影しているのかな。そうすると、長門さんを選択しそうかも。
えーっと。まあ戯言として流してください。
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月14日 (金) 02:50
>山崎しんのすけさん。こんばんは。初めまして。改めてのご挨拶、わざわざありがとうございます^^
せっかく書き込んでいただいておきながら、なんだか細かいことを言ってしまってこちらこそ恐縮です。
僕のところは、普段はあまり多くの方がコメントを書き込まれることはないブログなので、挨拶のこともあまり気にしてはいなかったのですが、今回は気がつくと思った以上に大変多くの方からコメントを書き込んでいただきました。で、コントロールする間もなく論争めいた雰囲気になったりして。それを見ていて「ちゃんと挨拶して、丁寧に書き込んで欲しい」ということなどを最初に言っておけば、もっとちゃんと雰囲気をコントロールできたのかもしれない、ということを思いました。
こちらこそ、管理者として本当に未熟だったと反省しています。
でも、「興奮して頭のネジが外れてしまった」書き込みは、とても好きです^^
僕も相当ネジを外してしまっておりますし、よろしければこれからもお互いにネジを外しつつお話ができればなぁと思います。
書き込んでいただいた内容に対してのお返事はまた改めてさせていただきますが(遅くなってすいません…^^;)、よろしければこれからも書き込んで下さいね!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
>たこーすけさん。こんばんは。フォローの書き込みや新たな書き込みをありがとうございます!^^
シャッフルのことは、受け取る側に様々なメッセージを投げかけてくれるものだったように、僕も思います。
でも、そこにメッセージがあるならば。
きっと、僕ら原作未読者は、まだメッセージの全てを受け取っていないんでしょうね。
やっぱり読まないといけませんね!!^^
是非一緒にシャッフル読みしましょうぜ!(悪い誘い)
また、僕の説を前提にした上で発展させて下さってありがとうございます^^
掲示板のフレアさんとIuthさんの書き込みを僕も読んでいましたが、見ながら「俺はこう思ってるぜ!」というのをこっそり暖めていました^^
皆様へのお返事の後で改めて絡ませていただきたいと思っておりますが、
≫お母さんが娘に、あるいはおばあちゃんが孫に、いろいろ着せたりすることの誇張バージョンということでどうでしょうか。
っていうのは、すごくいいですね!ヤキモチ焼いたりするくせに、みくるちゃんを可愛く見せたくて仕方ない心理みたいなのがあるんだとしたら、すごく母性を感じさせるというか、ハルヒがみくるを大事にしていることの表れなのかもしれないですよね。
その上で、映画で古泉をくっつけようとしてたのなんて、古泉を男として認めて「うん。あんたならみくるちゃんをあげてもいいわ」なんていうことなのかもしれないですよね^^
…はっ!
ハルヒと母子プレイ!?
逆に考えるなら、みくるが幼児というプレイということかっ!!??
…すいません、今、脳の違うところにアクセスしてしまったようです…
これは…これで…いいかも!?
ではでは、またです~^^
投稿: だんち | 2006年7月14日 (金) 04:15
皆様こんばんは。だんちです。すっかり遅くなってしまいましたが、少しずつお返事をさせていただきますね^^
>nova0さん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
僕の書いている感想を楽しんでいただけて嬉しいです。
「死」や「呪い」というものについては、物語を作る人間の一人として思うことですね。
思春期の少年少女を描く時に、恋愛や生死は重要なテーマになってきます。だけど、そこで「青春ものだから」ということで安易に「ああ。もう絶望したわ。死にたいわ」と描くのは、プロの仕事ではないんですね。
そういう観点で見た時に、閉鎖空間であるとかSF要素の部分であるとかが、象徴的に非常に上手く使われていると思えて、「なるほど!そういう手法があるか!」という風に、感心して見ていました。
その辺り、原作を読んでみて改めてどう感じるか、今からとても楽しみにしています^^
みくるについては、似ていると見ている方が多いんですね。やっぱり似てますものね。直接「=妹」というのも、あったら面白いなぁとは思いますが、ハルヒがよく絡んでいるところを見ると、やっぱり子孫っぽいですよね。
有希に関しては、思いついた時に自分の中で全然意外じゃなくって、すごくしっくり来たんですね。
だから逆に「滅多にない意見」ということが意外だったりもします。
でもそれは、僕が原作を知らないことも大きいのでしょうね。
「消失」については、いろいろと噂を聞くので、とても興味があります。
どういう印象を受けるのか、是非読んでみたいと思います^^
≫そろそろ頭の中がショートしそうなのでこの辺で終わります
ずいぶん長々と書いてしまいました
ショートしそうになりながら書いて下さってありがとうございます。お蔭様で楽しくコメントを読ませていただきましたし、僕も楽しくお返事書かせていただきました^^
≫俺も2期にはかなり期待してますがさてどうなるやら・・
もしあれば、今期以上のものを期待されるでしょうから、やるならやるで、すごい覚悟が必要になるでしょうね。でも、期待したいですね!
≫自blogにて無断リンクしてあるのも一応報告させてもらいます
まぁなんか不都合あったらいってください(ノ∀`)
確認いたしました。ありがとうございます!^^
まったく不都合はございません。
僕のブログは特にリンク項目を設けていないので、リンクのお返しができずに申し訳ありません。エロっぽいテキストもあるので、リンク先のご迷惑になるのでは、と思ってずっとリンク項目を作らないでいたので…^^;
今後ともよろしくお願いいたします。是非また遊びに来て下さいね!!^^
>sophnutsさん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
「有希が裏ハルヒ」という見方が原作既読の方でも違和感が無いというのは嬉しいです。
≫…まあそれだけなんですが。
いえいえ。それだけでも言っていただけると書いた甲斐があります。ありがとうございます^^
≫あと、ここの最終回を見て、一つSSの着想を得ました。
完成次第(できるかなあ)何らかの形で報告しようと思います。
おお!!それは楽しみです!!小説ですか?是非読ませていただきたいです!!頑張って完成させて下さいね!!
ご報告いただけることを楽しみにしていますが、完成していなくても、是非また遊びに来て下さいね^^
>たこーすけさん。こんばんは。コメントありがとうございます^^
驚いていただけて嬉しいです!
≫スタンディング・オベーションです!
ありがとうございます!!感想を第1話からずっと書いてきて、ずっと読んで下さっていた方に、こうやって楽しんでいただけて、頑張った甲斐がありました!
≫たまたま、最終話、キョンの部屋のポスターがちょっと気になったから、コマ送りで見てたんですよ。(ハサミを取りに来るシーンです)
そしたら、まあ、びっくりする程そっくりなんですよね。
あれは驚いた。
確かに、あの場面は特にすごく似ていましたよね。髪も下ろしていたし、表情なんかも。思い返すと「孤島症候群」で一緒だったのがかなりヒントになる部分でしたよね。キョンが「朝比奈さんみたいになれないぞ」なんて言っていたりしてましたよね。そう言いながら、あと7年もするとそっくりになってきてびっくりするんでしょうね^^
その頃はキョンは23歳とかかぁ…23歳の兄と17歳の妹…。
なんか萌えますね!!
でもそういえば、確かにみくると妹ちゃんとだと野球のセンスがまったく違いますね!
「子孫」として見ると、すごく「ドラえもん」っぽいなぁとも思うんですよね。そういういろんな名作のモチーフも使っているんでしょうね^^
≫あー。第10話戦闘シーンはハルヒの身体の中って書いたのは、ちょっとだけ、かすりそうだったのかなあ。
でも、全然違う意味で書いてたしなあ。うーん。
そうそう。あの掲示板の書き込みはネタ的に触れないでここまでスルーしてしまっていましたが。どういう意味だったのか興味があります。良かったら改めて教えて下さいね^^
確かに書き込みを読んで、僕も「おっ…俺が思っていることと近いのかな?」と思いました。
僕は有希と朝倉は別人格だとは思っていますが、あの書き込みもとても読み応えがありました。
でも、朝倉も謎ですよねー。名前に「朝」とか「涼」とかがあるのが気になるところなのですが…。気になっても何も思いつきません^^;
そうそう。メールでも書きましたが、OPで有希とハルヒが二人だけ一緒になって体操しているシーンにコメントで触れたことも、実はかすっていましたよね^^
二人を「ある種の同一人物」としてみると、あのOPのカットはとても意味深ですよね!
OPの3人の目は僕も印象的でした。
ハルヒの方がより釣り目で眉がつりあがっているから違いはあるんですが。でも、ああやってアップで連続して見ると、ハルヒと有希の目の基本形が一緒なのが分かりますよね。あと、細かくは見てないんですけど、多分、目の中の配色も一緒なんじゃないかなぁ。
だから区別がつかなかったというのはすごく分かります。
≫なんか、そう思うとですね、何だかハルヒって「おばあちゃん」っぽいよなあとか思ってしまいます。
≫そうすると、キョンは「おじいちゃん」ですよね。
あー。確かにそうですよね。その意味では彼らが年を取っていくとどうなっていくのかが見えてくるようで面白いですよね^^
≫そうすると、あれですね、この物語は、孫に読み聞かせる「童話」みたいな感じなのかな。
そういう優しさを感じますよね。それに「おじいちゃんとおばあちゃんの馴れ初め話」を童話的に聞かせてあげるのなら、語り部のおじいちゃんが、おばあちゃんの魅力をとにかく語ろうとしないのも分かりますよね^^
照れやがって!あの野郎!!(笑)
≫いや、とにかく驚きました!すごいです。楽しみました!ちょっと長いことも全然気にならないくらいに!(笑)
ありがとうございます!!長かったでしょー^^;
しかも、第10話の感想の時からもったいつけていたわけですし。長い上にお待たせしてしまって。でも、楽しんでいただけて本当に良かったです!!時間みつけてコツコツ書いた甲斐がありました!!^^
これからもいろいろと語り合っていきましょうね!!
>てんてけさん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
村上春樹の小説を連想しての感想、読み応えがありました。
僕も村上春樹の文章はとても好きですが、思い返してみるとちゃんと読んだ小説は「羊をめぐる冒険」だけだったかもしれません。
てんてけさんが挙げられた小説にも興味が沸いたので、読んでみたいと思います。
≫「いちばん重要なことはまわりの大人たちの成熟し屈曲した様々な種類の感情の放射から子供を守る責任を誰がひきうけるかというところにある。誰もがその責任からしりごみしたり、子供に対してみんなが良い顔をしたがるとき、その子供は確実にスポイルされることになる」。
というところをハルヒと繋げて見るところはとても面白いですね。
そもそも原作が、そういう普遍性を持った観点で見ることのできる、優れた作品性を持っているということなのでしょうね。
僕はアニメしか見ていないわけですが、確かにハルヒに絡む大人の存在は極端に少ないですね。
逆に、ハルヒの方から大人に接する時には「常識的」に接していたりしますから、彼女の方で大人を拒絶するような部分もあると見ることもできるのかもしれませんね。
その意味では、「サムデイ イン ザ レイン」の電気屋のおじさんが印象的だったようにも思います。あの段階のハルヒは、大人とも問題なくコミュニケートできているような、そんな風にも見えました。
でも、そういった彼女の変化は、当然大人が与えたものでは、ないのでしょうね。
≫娘が通販でバニー服やらメイド服を買う、友達も家に呼ばない、奇行の噂は聞こえてくる、
止めない親って…今では普通でしょうか?
私には「うちの娘は不良じゃない、成績優秀なんだから、これはこれでいいか」と放任→親としての責任を果たしていないのかと思えます。
そうですね。友達を家にも呼ばないというのは、本来ならとても心配になることでしょうね。
だけど、そこで「子供を守る責任から尻込みしている」という問題点が出てくるのでしょうね。
ハルヒの状態を見ることで、周囲の大人の無責任さを感じ取るというのは、とても面白い視点でした。
あまり大人の存在を出してしまうと、作品のバランスが変わってしまうという配慮なんかもあるのでしょうけど、でもそのバランスを保ちつつ、キョンの家庭に家族愛が感じ取れる部分なんかは、やはり重要な描写なのかもしれないですよね。
≫出来てしまうから努力するということがわからない。出来ることの次の段階に進めないから、人の心に響く演奏は出来ない。
≫そこで文化祭のライブ演奏が、演奏から得られる充実感の初体験なのではなかったのか。
なるほど。そうですね。歌を上手に歌ったり、ギターをそれなりに弾いたりは4月の段階でもできていたとしても、それを「人に伝える」というのは、確かに文化祭が初めてでしょうね。準備が足りないというアクシデントだったからこそ、できたことなんでしょうね。
やはり、文化祭は彼女にとって、とても大きな出来事だったということですね。
原作と共に村上春樹氏の作品にも改めて興味が沸きました。ありがとうございました^^
また遊びに来て下さいね!
>Hyuさん。こんばんは。コメントありがとうございます。
≫その根拠を「顔が似ている」というところに求めるのは違うのではないでしょうか。
いえいえ。僕は重要な根拠だと思っています。
プロフェショナルがキャラクターをデザインする時には、基本的に「なんとなく」ですることはありません。
つまり「似ている」ということには必ず「意味がある」ということです。
ましてや「違うキャラクター」をデザインする時に、何の意味もなく「同じパーツ」を使うということはまずあり得ません。
当然原作者からの注文やリテイクもあって、そこにデザインとしての意図が籠められていったと思うのです。
なので、問題なのは「似ているかどうか」のところということになるのだと思います。
僕は似ていると見た印象を変えるつもりはありませんが、Hyuさんが「似ていない」と見た印象に対して僕の印象を押し付けるつもりもありません。
ただまぁ、それはそれとして。
Hyuさんが思う作品やキャラクターの印象についても書いて欲しかったなぁと思います。
もう書き込まれないということですが、気が向いたらまた書き込んで下さいね。
>もんずさん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます。
≫楽しみを奪うのは私としても本意ではないので
大変立派な「本意」ですね。
今後もその本意に従って行動していただきたいと思います。
≫ですが、少々「妄想」ではなく「暴走」しているのではないでしょうか?
今回の文章だけを読まれたのでしょうか?
もしそうならば、そう思われるかもしれませんね。
私は今回のシリーズの第1話から感想を書き続けて、今回の文章に到達しています。
そこには私自身の情緒や人間性があってのことです。
もし、今回の文章が「暴走」であるならば、そこには段階があったことをご理解下さい。
≫すでに答えが明確に出ているものに対して
「原作未読」というのは免罪符にも何にもならないと思いますよ。
それはあなたの主観です。私にとってはまだ答えが出ていない部分がとても多いものです。
アニメ視聴によってのみ受けた印象を語ることにどのような「罪」があるのか、まったくもって理解できませんが、それが「罪」であるのなら、「免罪符」などはいりません。どうぞお好きなようにご批判下さい。
>ALL
続きのお返事はまた後程書き込みますね!!
投稿: だんち | 2006年7月15日 (土) 03:10
だんちさん、こんにちは。
私をはじめ書き込みをしている皆さん一人一人に対して
丁寧にコメントを書いて下さる事、本当に頭が下がる思いです。
「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品に偶然出会って、そのクオリティの
高さに感動し、各話を見て感じたことをなんとか自分なりに表したいと
思うようになり、ネットであちこち彷徨いながら(^^)ついに
だんちさんのHPへ辿り着き、だんちさんや皆さんが熱く語っておられるのを
拝見して直感的に「自分が求めていた所」を発見したような思いがしました。
私は原作未読なので書き込む内容がかなり突飛なものにも関わらず、
丁寧なお返事を頂いたことは大変嬉しく思いましたし、なによりも励みに
なりました。
この3ヶ月間の私は日常(仕事をしている自分)と、夢(この作品について
いろいろ想いを巡らしている自分)が上手くバランスを保って存在している
とても心地よい日々でした。
残念ながら「涼宮ハルヒの憂鬱」の放送は終了してしまいましたけど
こちらのHPには出来る限りお邪魔させていただきます♪
ようやく季節も夏らしくなりましたね。急激に暑くなってきましたが
お体に気をつけて頑張って下さい!
PS:たこーすけさん、掲示板で私とIuthさんの書き込みを読んで下さり、
取り上げていただいて感激です(^^)
そして、だんちさんが暖めておられる事・・・う~ん、早く拝見したいです(^^)
投稿: フレア | 2006年7月15日 (土) 13:14
こんにちは。呼ばれたようなので(違。
なんか、取り上げられると面映いですね^^;;。
有希が「3年前のハルヒ」をモデルにしているのではないか…という推測は大胆でとても面白いです。これまで思い付きもしませんでしたが、言われてみるといろんな平仄が合うようにも思えます。なぜかキョンの言う事には逆らわないところとか。
そもそも情報統合思念体の目的は「ハルヒの“情報創造能力”を解析し、自律進化の道を拓く」でしたから、まずわかる範囲でレプリカを作ってみた、というのは実にありそうなことですし。
ただ、もしそうだとすると、有希は生まれた瞬間に「期待したような成果が出なかった」という業を背負わされた存在、ということになってしまい…ちょっと切なすぎますね。
原作既読派の多くがアニメ化を期待していた「笹の葉ラプソディ」という傑作掌編(「退屈」所収)がありまして(何を隠そう、EDの“緊急ミーティング”および件のサイトの企画の元ネタです)、これがまた実に切ない話なのですが…その切なさが3倍増しそうです。どうしてくれますか。
#しかし、発想のもとが「絵を描いてみた」とは、さすが漫画を生業とする方ですね。
#「3歳の長門さん」の頃からそんな想像を温めておいでだったのですねー。
切ないついでに、僕が「ハルヒは無意識では全てを承知している」と考える理由も、そうでもないとハルヒがあまりに可哀想、という多分に情緒的なものだったりします。「ミステリックサイン」などが好例ですが、ハルヒはいつも事態のかなり中心に居るにもかかわらず、ついぞその全貌に触れる事がありません。それどころか「決して知る事がない」ようにSOS団メンバーによってキープアウトされてすらいるわけです。
これって、かなり酷い仕打ちだと思いません?
「本当に欲しかったのは、自分を理解して一緒に歩いてくれる人なので、それが得られたハルヒはじゅうぶん幸せなんだ」と言えなくもないですが、信頼する仲間みんなに隠し事をされているというのはやはり痛々しい状況です。
で、ひねり出したのが「ハルヒはなんでも知っている」論という次第。ハルヒは、意識はともかく実のところ無意識ないし深層意識では全てお見通しで、そうである以上カマドウマなんぞ態々見るには及ばない。キョンと一緒の捜索活動を十分楽しんで余は満足、あとは健気なそちたちの顔を立ててやるゆえ、良きに計らえ^^;;とて、わらびもち食って帰ってしまった…というわけですね。
とりあえず僕はこう“理解”することで、原作を読み続けています。
もう一つの可能性として想像しているのが、無意識の防衛機制としてハルヒの意識はそういう超常現象に触れない、というものですが、これについては(お目障りでなければ)またの機会に。
ではでは。
投稿: Iuth | 2006年7月16日 (日) 18:42
こんばんは。僕もluthさんの
「ハルヒは無意識ではすべてを知っている」
というのに一票投じます。ハルヒは表層と深層とで意識が乖離してるんじゃないかと、そして深層意識の部分では全部の状況を把握しているんじゃないかと僕も思います。
というか、そこからさらに妄想を拡大させたんですが、実はハルヒって二人いるんじゃないでしょうか?
世界を俯瞰的に見下ろして、望むならそれをつくり変えることも可能な、そしてずべてを把握している(一樹がいう“神”としての)ハルヒと、一女子高校生として、まるっきり自分の存在も能力のことも知らないハルヒと。
両者は同一だけど異なった存在で、いわば「ハルヒ」世界をゲームとして捉えるなら、深層意識=神のハルヒはプレイヤー、表層意識=女子高生ハルヒはプレイヤーキャラ、有希を引き合いに出すなら、神ハルヒが情報統合思念体、女子高生ハルヒはヒューマノイドインターフェース、といった感じでしょうか。
…いや、だってこの作品自体、「超監督」のつくったものですし、その作品中の登場人物である「涼宮ハルヒ」が、超監督の想念の産物ではないと、誰が断言できるでしょうか? 今ここにいる僕ら自身が、誰かによって生み出された虚構の存在でないと断言できないように、その可能性はなきにしもあらずだと思います。
そういえばたこーすけさんが「シュレディンガーの猫」について語ってましたが、あれって哲学でいえば、デカルトの
「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」
ってあれですよね? いわゆる「コギト命題」というやつですが。
世界であれ自分であれ、その「存在」を成立させるのは自我や自意識といった“我”であると。
作品においてハルヒはすべての存在を成立させる“我”ですが、なら、ハルヒ自身の存在を成立させているのも彼女なのか? しかし、彼女に自我が芽生え、自分という存在を認識できるようになる前は、じゃあ彼女は存在していなかったのか? 存在していなかったのなら、どうやって自我が芽生えるなんてことが起こり得るのか?
そうした矛盾を考えると、僕はやはり、「ハルヒ二人説」を唱えたいです。認識の主体、”我”であるハルヒと、認識される客体…”思う”ことで存在する「ハルヒ」と。
そしてたぶん、神ハルヒは自分がつくった女子高生ハルヒが、常に事態の中心にいながら仲間たちによって蚊帳の外に置かれているのを、ニヤニヤ笑いながら見ているんじゃないかと思います。つまりは、すべては彼女が望んだまま、ということですね。
ま、これはあくまでluthさんおっしゃるところの”理解”の、mementoバージョンです。
作品について語ることはまだまだたくさんあると思うので、こうした”理解”を、それもなるべくたくさんの人のそれを見たいですね。
それでは。
投稿: memento | 2006年7月16日 (日) 23:22
皆様こんばんは。だんちです。お返事の続きでございます^^
>Iuthさん。こんばんは。フォローの書き込みをありがとうございました。原作既読ながら未読の僕らと同じ目線で語り合って下さって、また暖かく見守って下さって、とても感謝しております!
新しい書き込みもありがとうございます!読ませていただきました^^
そちらへのレスはまた後程させていただきますね!
>こういちさん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
エキサイティングと言っていただけて嬉しいです!
≫一体どんな方が書いた文章なのかと興味を持ち、プロフィールを拝見しましたが、やはり漫画家さんなんですね。
とのことですが、文章を読んでプロフィールを見て納得された、ということは、もしかして同業者様でしょうか?なんとなく、何か表現活動をされていらっしゃる方なのかなぁと思うのですが、差し支えなければ教えて下さい^^
≫コメントを書かれた方の中には批判的な文章を書いている方もいるようですが、個人がある特定のアニメ作品を見た中で
思いついた感想なのですから妄想も暴走も結構も大いに結構
だと思いますよ。
ありがとうございます^^
でも、原作ファンの方からすると、未読の僕が好き勝手言っているのはカチンとくるところがあるのかもしれませんよね。
やはり、原作があってアニメがある作品なわけですから、未読といえども、原作に対する敬意をもっと持って、態度としてその敬意をもっと明示できたら良かったのかなぁという反省もあります。
ネタバレに関しても、「それはやめてね」と明示するべきでしたね。
このエントリーとは別のところでは書いていたりするのですが、「最終回の記事とは別だし。コメントもそんなにないだろう」と思っていたのですが、甘かったです^^;
そこも反省点ですね。
「免罪符」は僕も「?」という感じなんですが、「バックグラウンド」に関しては、情報としていただける分には問題ないのかなぁと思います。
実際バックグラウンドの情報によって印象が変わるかというと、変わることも無いと思いますし。
今回情報として出てきた「スニーカー小説賞の応募作」「当初は続きを書く予定はなかった」ということにしても「だから裏設定が無いっていう話にはならないでしょ?」という印象です。
それはそれとして。僕の文章を気に入って下さって、熱くなって反論していただけたことはとても嬉しいです^^
「この調子でどんどん思ったことを書いていけ!」という励ましをいただいたんだなぁと受け止めております。
アニメ感想を書く理由について、以前書いたこともあるのですが、自分にとっての学習機会にしています。学習が終わることは無いでしょうから、これからもモチベーションを持って、書いていこうと思っています。
是非またいらっしゃって下さいね!^^
>774さん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
≫個人的に裏ハルヒ説は面白くそうであったら話がすごく面白い展開になりそうだなと思いました
長文を読んでいただけて、そう思っていただけて嬉しいです^^
「裏ハルヒ」はあるかもしれないし、無いかもしれないし。でも、あったらあったで、やっぱりそれはそれで面白そうですよね!「すごく面白い展開」、あって欲しいですよね!^^
>Mr.Oさん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
同人誌、楽しみにして下さってありがとうございます!
でも、しばらくはコピー誌(プリントアウト本)で出していく予定でいます。
なので、委託販売のことは全然考えていませんでした^^;
でも、ストーリーものになりそうなので、完結したらオフセットで発行することも考えてみます。
その際は委託販売も考えますので、改めて告知していきますね!
≫つーか、AV撮影する話はもういい加減にしてもらいたい…(汗)。
あははは^^;
そういうものが多いんですね。
でも、僕が作ると間違いなくSMものになります。えぐい描写も出てくると思うので…。安心していただいてよいのかどうか…。
とにかく頑張って描きますね!!
>Mさん。こんばんは。初めまして。いつも読んで下さって、またコメントを下さってありがとうございます^^
≫今回の感想も大作でしたね。お疲れ様でした。
労いの言葉、ありがとうございます。
毎回毎回長文で、読まれる方も大変だったと思います^^;
それにも拘らずお読みいただけて、本当に嬉しいです!
≫時に物語上で定められた設定を踏み越えることもあるかもしれませんが、場合によっては作者の意図していないところまで想像を膨らませ、自身の中で物語を再構築するという鑑賞法は、ある意味、もっともプリミティブな物語の楽しみ方なのではないかと思います。
これからも柔軟な姿勢で物語を発見して行っていただきたいと、勝手ながら期待させていただいております(笑
ありがとうございます^^
「再構築」ということでいうと、ただ消費するのではなく、自分のものにする、という作業がそれなのかもしれませんね。自分にとっての意味を見つけていくというか。それが、仰られる「発見」ということなのでしょうね。
こういう鑑賞法をプリミティブと評価していただけて、嬉しいです。
物語を作る者、つまり「物語り人(ものがたりびと)というものは、作った物が消費されて対価を得るために仕事をしてはいますけど、その初期衝動として「読む人に何かを残したい」というものが、必ずあるのだと僕は思います。
その初期衝動を感じ取りたいと思って、「自分の中に何かを残したい」と鑑賞するのは、まさにプリミティブなのでしょうね。
≫ハルヒが世界に混沌をもたらす全能者だとしたら、長門は秩序をもたらす全能者と言えますし、能力面で唯一ハルヒと互角に近い勝負ができるという意味でも、だんちさんの説は自分の中で非常に納得度の高いものでした。
なるほど!二人は混沌と秩序の象徴なんですね。
そうやって見ると、一人の人間の中にある二律背反する部分を強調する描写としてとても納得できます。
僕の方でもコメントを読ませていただいて改めて納得させていただきました!^^
≫・みくる=キョンの子孫説
こちらは前説とは逆に、自然にすっと納得できる説でした。
実年齢不詳という辺りが、また妹属性を引き立てていて……キョンの未来が心配です(性的な意味で)。
あはは(笑)ハルヒもあと数年すると「実は妹ちゃんが最大のライバルだったのか!」ということに気づくんでしょうね。
実際、お互いの性的な部分に踏み込むのも、相当な冒険になっていきますし。二人でそういった部分の問題も乗り越えていって欲しいですよね^^
ところで、古泉に関してですが、楽しく読ませていただきました!
確かに僕はすっかりスルーしてましたね。
≫孤島症候群の時に判明したことですが、小泉は、SOS団の中で唯一キョン=視聴者を裏切ることのできる立ち位置にいるわけです。
≫人当たりが良く如才ないのない振る舞いで、他者に警戒を抱かれないというのがある意味小泉の最大の能力だと思うのですが、視聴者すらもまんまと術中にはめられている様な気がします。
なるほど。そうですよね。
その「キョン=視聴者を裏切ることのできる立ち位置」っていうのは、なんとなく「作者」に一番近いような感じもありますよね。必要な時に出てきてべらべらと説明をしてみたり、視聴者のヒントになる行動をわざわざしてみたり。
彼の立ち位置は本当に面白いものですよね。
僕は、有希がもう一人のハルヒ、みくるが子孫と見た場合、古泉は、ハルヒやキョンにとって、「完全な他者」になるんだなぁと思っています。実はその存在はSOS団の中では唯一の存在なんではないだろうか、って。
それこそ「ラスボスは古泉」みたいになっても不思議はないなぁっていう感じでしょうか。
あと、今男の姿をしているけど、「実は女」とかもあっても面白いかなぁとか思ってます^^
なんだか仕草とかがいちいち女の子っぽいところがあるじゃないですか。
≫そんな小泉のポジションは、常に注目される長門やみくるとは相対的な評価で魅力が浮き上がってくる、非常に美味しいポジションだと思いました。
私自身、原作はまだTVで放送された話しか読んでいませんので、これからの小泉の活躍に期待したいところです……そんな機会があればの話ですが(笑
いやぁ。仰る通りでかなり美味しいポジションですよね^^
やっぱりラスボスは古泉なんですよ!(笑)
原作を読んでみると古泉についてもいろんなヒントがあるんでしょうね。活躍に期待したいですね!
≫だんちさんの文を読むと、色々と想像を掻き立てられてしまって……
そう言っていただけるととても嬉しいです!
是非これからもお互いに想像を掻き立てて、いろいろと語り合いましょう!
また是非書き込んで下さいね!!^^
>朝日将軍さん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます^^
ビジュアルが無くとも説得力があるということを仰っていただけると、あまり踏み外したことを言ったわけじゃないんだなぁと思ってホっとします。
確かに、外見や容姿が違っていても、通用する設定なのかもしれないですね。僕はアニメからだけの情報ですが、どうにも辻褄が合うように思えますし。
≫ハルヒ時空世界の創造者である作者谷川氏の裏中の裏設定ではないでしょうか。決してその存在を認めないと思いますね。
なるほど。裏中の裏設定であるかもしれませんね。
その可能性もありつつ、そうでないかもしれない。それは、作品を受け取る側からすると、とても想像を膨らませられて楽しいことですよね。
ところで、いとうのいぢさんのイラストは本当に綺麗ですよね!まさに「美麗」ですね!^^
>mementoさん。こんばんは。フォローの書き込みありがとうございます^^
≫ここが論争の場になるのは好ましくないと思うので
と言っていただけて本当に嬉しいです!
普段のこのブログの雰囲気を楽しんでいただけているんだということが改めて伝わってきて、とてもありがたい気持ちになります^^
≫単純に、言い方の問題です。
そうなんですよね。別にいろいろ言われても構わないのですが、言い方一つでカチンと来たり来なかったりするものですよね。
僕の記事の書き方の問題もあって、論争めいた言い方を招くところがあったのかもしれません。
管理のことも含めて、今後もいろいろと気をつけていきつつ運営していきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたしますね!!^^
>kaiziさん。こんばんは。初めまして。フォローの書き込みありがとうございます^^
ネタバレを避けるためにもアニメ視聴に限った情報を出すべきだ、という未読者を気遣った配慮をしていただけたのだと思います。そのお心遣いがとても嬉しいです^^
また、アニメ制作に関するバックグラウンドの話も楽しく読ませていただきました。
原作者の谷川氏がアニメ制作にそれだけ深く関わっていたんですね。クレジットで「シリーズ構成協力」に名前があるのは見ていましたが、インタビューなどの情報を全然チェックしていないので、初めて知りました。
僕はまだ原作を読んでいなくって、好き勝手なことばかり書いていますけれども、よろしければ今後もまた遊びに来て下さいね!
>ALL
続きのお返事はまた後程書きますね。
ひとまず失礼いたします!
投稿: だんち | 2006年7月17日 (月) 00:10
皆様おはようございます。お返事の続きでございます。
>とおりすがりさん。おはようございます。初めまして。コメントありがとうございます^^
ハルヒと有希が「"周囲に溶け込まない子"の極端な2パターン」というのは、なるほどその通りですね。
対極のキャラクターがキョンに惹かれるのは面白いですよね。
また通りすがってください。
今度は是非ハンドルネーム付きで書き込んで下さいね^^
>たこーすけさん。おはようございます。フォローの書き込みをありがとうございます^^
僕の今回の記事に至る段階を示して下さって、とても助かります。
≫さらに、ということはここの歌詞、「感じるまま 感じることだけをするよ」というのは、もしかして、ハルヒだけでなく長門さんのことも歌っているのかなとまで思ったのでした。
おぉ!なるほど。
確かにあの画面の流れは有希がクローズアップされていますもんね。そうやって見直してみると、またいろいろ発見があるかもしれませんね^^
≫あの「てへっ」は「禁則事項です♪」って言ってても、違和感ないですよ!
!!…はうっ!!
いい!!それはぜってぇすごくいいっすよ!!
そんなこと言われたらあの野郎絶対襲いますよね(笑)
でも、見ている僕らが似ているっていうことに気づくわけですから、キョンだってもしかしてみくるの正体について気づいているのかもしれないですよね。
…気づいていて画像を隠しているんだったら、なおのことヤバイ奴ですね…^^;
≫いい物語というのは、いくつもの解釈を許容するのだろうな、と思っています。
≫ぼくが、童話みたいと書いたのも、そこを意識したもので。「童話」という用語の使い方が適切かはわからないのですが。
確かに、童話のような普遍性がありますよね。男の子と女の子の出会いがあって、仲間がいて。キスがあって。
ハッピーエンドがある。
こちらに「語って聞かせよう」という、そういう志向性を感じます。
だから、それを受け取って、いろいろと考えて「こういう意味性を感じる」とか「こう感じ思える」という、ことが出てくるんでしょうね。
それが、正しいとか間違っているとかではなく、「聞かせてくれている」物語に対して「聞いたよ。聞いて、こう思ったよ」と言いたくなる、そういう感じがあって、こうやっていろいろ書いてしまうのかもしれませんね。
≫だから、いろいろな解釈、いろいろな視点を知ること、持つことは、とても楽しく思います。
ぼくも「それはアリかもね」とか「それは、ねーよ(笑)」とか思ったりするのですが、それって、なんというか、結局自分自身を知ることでもあるんだなあ、と。
そう言っていただけて、本当に嬉しいです^^
「自分自身」というものがあって、感じることがあって、そこから出てくる言葉がまた、まさに「自分自身」だったりするんですよね。
その自分自身をこうやってぶつけあっていったりするのが、とても楽しいことですよね。
≫どうだったのでしょうね。やはり、そこまでは、いかなかったのでしょうか。ちょっと期待していたのですが。
シャッフルから、原作未読既読に関わらず様々なメッセージを受け取ることは、きっとあったことだと思います。
それこそまさに視聴した人達がそれぞれの形で「自分自身」と向き合うようなことが、大なり小なりあったのではないでしょうか。
そこからどんなメッセージを受け取ったかは、受け取った人達がその後どう行動していくか、で分かっていくことなんでしょうね。
これからですね!
今後もいろいろ語り合っていきましょうね^^
>通りすがりですがさん。おはようございます。初めまして。コメントありがとうございます^^
≫ハルヒと長門さんってつり目っぽいんですよね。長門さんみたいながつり目っぽいって意外だなあと思ったので、とても印象的でした。
違うように見えるのも、ハルヒは目をぱっちり開いていて、長門さんはそうでないからで、もとの形は同じに見えます。
そうなんですよね。無口で読書ばっかりしている小柄で細身な少女であるならば、もっと違ったデザインをしそうで、けっこう意外なデザインになっているんですよね。
有希の目に表情をつけて眉毛を吊り上げたら、完全に一緒ですよね。
身長のことは知りませんでしたが、なるほど、三人のヒロインの身長差はそういう風になっているんですね。
体型のことも、有希ってかなり中学生っぽい感じですよね。
≫最後に、これはあくまで主観ですが、他のSOS団のメンバーと比べて長門さんが一番目立っている。
長門さん主役と言えるようなエピソードが多いし、何よりみくるとは違い、キョンとの恋愛を匂わせているところです。
その辺り、アニメで見ていても感じます。
画面での見せ方にしても、有希を意味ありげにクローズアップするカットがすごく多かったように思いますし。逆にハルヒとの絡みがすごく少なかったり。気になる描写が多かったように感じます。
≫もしこの考察の通りなら憑き物が落ちたようにすっきりするなあ〜と感動したため、長々と書いてしまいました。すみません。
ありがとうございます^^
僕も思いついた時にすごくすっきり納得できるものがあったので、そう言っていただけて、同じ気持ちを共有することができて嬉しいです!
≫でも髪型が似てるのには気付きませんでした。言われてみれば同じ作りですね。
そうなんですよ。実際に描いてみて驚いた点でした。でも僕は描くことで気づきましたが、見ただけで目の形が同じだと感じたのって、すごいですよね!
また是非通りすがってください。
今度は是非ハンドルネームをつけて、また書き込んで下さいね!^^
>山崎しんのすけさん。おはようございます。いつも読んでいただき、コメントも下さってありがとうございます^^
先日はご挨拶の書き込みをわざわざありがとうございました。
≫で、正直、この解釈は盲点でした。考えもしませんでした。
やったー!盲点を突いた!!素直に嬉しいです^^
≫私はアニメを見る前に原作を一気読みしてしまったので(正直やるんじゃなかったとも思いますが)その影響もあって違う解釈をしているのですが、だんちさんの解釈もかなり「有り」なんじゃないかと思います。
おー。となると、僕も原作を読んでみてその解釈を是非聞かせていただきたいです!^^
僕は小説読むのがとにかく遅いので、しばらく先になってしまうかもしれませんが…。ちょっとずつ読んでいきますね!
≫キョンの性衝動の話とかも大好きです。同意はちょっとできませんけど。
あははは(笑)なかなかマイノリティな意見になっておるようです。
まぁでも楽しんでいただけて嬉しいです^^
≫ところで、今後原作についてはどうなさるおつもりでしょうか?
読んでいくつもりでいます。シャッフルで。
まずは最新刊から、という感じで^^
≫巷間噂されるように「第二期」なるものが近い将来にあり得るのだとしたら原作には手を出さないに越したことはないでしょうし。難しいところではありますね。
いやぁ。原作を読んでも第二期があったらあったで、それはそれとして見れるだろうと思っています。
というのも、原作は原作者の作品として読みますが、アニメはアニメで監督の作品として見るからです。
だから、僕にとっては「別作品」という認識になります。
原作の意図を踏まえた上で監督の意図というものが出てくるわけですから、その二つの意図を読み取っていくことは、かなり刺激的なことですから、第二期と原作を読むことを楽しみにしたいと思います^^
そちらのサイトも楽しく見させていただいております。
今後ともよろしくお願いいたします!
>とおりすがりんさん。おはようございます。初めまして。コメントありがとうございます^^
≫某掲示板でココの考察と同じと言われて見に来ました。
おぉ!同じ視点を持たれていたのですね!嬉しいです^^
≫まあ髪型以外の顔のパーツがほぼ同じという点から展開したのは同じなんですが、私は情報統合思念体がハルヒを観察する際に比較対象としてコピーを作るということを考えてました。
なるほど。そういう意図については僕は全然考えていませんでしたが、納得できる話ですよね!
その意味では眼鏡をなくし、キョンとの関係が動き始めてからの有希は、比較対象として大きな意味を持つ存在になっていくのかもしれないですね。
僕は自分で描いてみてパーツが似ていることに気づきましたが、見ているだけで気づいたのですね。すごいです^^
≫原作のその後のストーリー展開に当てはめても有り得そうなので今後楽しみですね
僕は原作はこれから読みますが、有り得そうとのこと、読むのが楽しみです^^
また通りすがって下さいね。
今度は是非ハンドルネームを使ってまた書き込んで下さいね!
>ALL
「涼宮ハルヒの憂鬱」最終回の感想を皆で語るエントリーも用意してあります。
http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/2006/07/14_b672.html
↑こちらです。
思ったことや感じたことなど、フリートークでどんどん語るためのエントリーです。
よろしければこちらにも書き込みよろしくお願いいたします^^
ではでは、失礼いたします!
投稿: だんち | 2006年7月18日 (火) 06:13
>フレアさん。こんばんは。
「自分が求めていた所」とのことですが、そうやって僕のブログを楽しんでいただけて嬉しいです^^
そういう方々とで「皆で求め合える所」に発展していけるといいなぁと思います。
≫そして、だんちさんが暖めておられる事・・・う~ん、早く拝見したいです(^^)
この記事で書いていることですよ。書き込みの文脈でそう受け取れると思うんだけど…。誤解を招く書き方したかなぁ。
まだ読んでいなければ、長文ですが、是非お読み下さい^^
>Iuthさん。こんばんは^^
≫有希が「3年前のハルヒ」をモデルにしているのではないか…という推測は大胆でとても面白いです。これまで思い付きもしませんでしたが、言われてみるといろんな平仄が合うようにも思えます。なぜかキョンの言う事には逆らわないところとか。
原作も楽しんでいらっしゃる方にそう言っていただけて受け入れていただけると、とても嬉しいです!^^
自分の中でもかなり納得のいく説で、確信に近いものもあるのですが。それでもやっぱり自分でも、「大胆ではあるよな」とも思っていたので、一つの説として受け入れていただけると、やっぱり、ホっとします^^
≫そもそも情報統合思念体の目的は「ハルヒの“情報創造能力”を解析し、自律進化の道を拓く」でしたから、まずわかる範囲でレプリカを作ってみた、というのは実にありそうなことですし。
なるほど。そういえばそうでしたよね。アニメだと有希がざっくりと語ってしまう部分なので、正直その部分頭に入ってはいませんでしたが、「解析」するという目的があるのなら、レプリカはやっぱり作りそうですよね。
≫ただ、もしそうだとすると、有希は生まれた瞬間に「期待したような成果が出なかった」という業を背負わされた存在、ということになってしまい…ちょっと切なすぎますね。
あぁ…なるほど。
最初から「失敗作」なわけですね。でも、そう見ると作品のテーマとも重なってくるところがあるようにも思えます。
「期待したような成果」を得ることが、全てではない。というような。キョンを守ると宣言した時の彼女は本当に力強くて、生命力に溢れているように見えました。
≫これがまた実に切ない話なのですが…その切なさが3倍増しそうです。どうしてくれますか。
あははは(笑)どうしましょう^^
僕も早いところ読んでその切なさを共有せねば!
≫#「3歳の長門さん」の頃からそんな想像を温めておいでだったのですねー。
そうなんです。だからあれ以降の感想は有希はハルヒのコピーではないか、という前提で書きつつ、そこには触れないようにして、最後の最後で大ネタとして書こうと思って温めていました^^
何はともあれ、楽しんでいただけて嬉しいです^^
≫切ないついでに、僕が「ハルヒは無意識では全てを承知している」と考える理由も、そうでもないとハルヒがあまりに可哀想、という多分に情緒的なものだったりします。
なるほど。
確かに、彼女は事態に対してはどこか蚊帳の外に置かれてしまっていますもんね。
Iuthさんのコメントを読んでいて僕が思ったのは、彼女がその状況であるのは「報い」でもあるのかなぁというものです。
3年間、自分の周囲の人達を「くだらない」「退屈」「つまらない」人間達として見ていた彼女は、積極的に周囲を見下して自分の世界の外に置いていました。そこから、現実を少しずつ見れるようになっていくわけですが、それで簡単に彼女が「周囲の世界」から許される程、甘くはないのも現実だろうとも思うんですね。
そこからもがいていって、一つ一つ周囲と信頼関係を得ていって、やっと全てを知る資格を得るんではないだろうか、という風に思います。
≫もう一つの可能性として想像しているのが、無意識の防衛機制としてハルヒの意識はそういう超常現象に触れない、というものですが、これについては(お目障りでなければ)またの機会に。
おぉ!それは是非読みたいです!!ご存知のように、僕のところは長文大歓迎ですので^^
思う存分書いて下さい!楽しみにしていますね!!
>mementoさん。こんばんは^^
「ハルヒ二人説」と、掲示板での「星に願いを」を楽しく読ませていただきました。「星に願いを」を読んでいたら「ショーシャンクの空に」を思い出してしまいました。「囚人」という言葉が出てきたから、短絡的に思い出したのでしょうけれども^^;
こうやって「mementoさん節」をまた読むことができて、とても嬉しいです。mementoさんにもまだまだ語りたいことがおありでしょうから、これからも遠慮なくどんどん書き込んで下さいね!!^^
≫作品について語ることはまだまだたくさんあると思うので、こうした”理解”を、それもなるべくたくさんの人のそれを見たいですね。
そうですよね。自分自身の持っている人間性から出てくる感想、理解、印象…そういったものを、そのまま、どんどん表現していただきたいですよね。
僕の「理解」ということでいうと、Iuthさんへのお返事の中に書いたことがあります。
ハルヒはまだ許されていない。
というものですね。
同時に、彼女の方でも、まだ世界全てを受け止められてはいないんだろう、とも思います。
それは彼女がまだまだ成長の途上にあって、それこそがまた「世界」なんだろうな、と感じます。
彼女は「サムデイ イン ザ レイン」を過ぎてもなお、いつでも悲劇の真っ只中に放り込まれてしまう、そういう危うい状態なのではないだろうと、僕は思います。
きっとそれは、僕らもそうであるように。
なんてな感じで、僕もどんどん語っていきたくなります^^
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2006年7月23日 (日) 19:51
こんばんは。たこーすけです。
時系列視聴はまだしてないです。
なので、まだこの辺りをウロウロと(笑)。
>だんちさん
>>OPで有希とハルヒが二人だけ一緒になって体操しているシーンにコメントで触れたことも、実はかすっていましたよね^^
二人を「ある種の同一人物」としてみると、あのOPのカットはとても意味深ですよね!
いや、ほんとこれは悔しいです!!
ほんと、OPのあっちのシーンが長門さんのパートなんだと思うのだったらですよ、そっちのシーンは言うまでもなく、明らかにハルヒのパートなわけじゃないですか!
わかってますよ。そりゃ。
わかってましたよ。そんなことは。
あーー。わかってるんだったら、どうしてその中身を考えなかったのかなあ!もう!
キョンと二人っきりで楽しく自転車に乗るハルヒ
一人で元気よく、カメラ片手の超監督ハルヒ
一人でもの静かに、ピアノを奏でるハルヒ
だったら、長門さんと二人っきりの体操だって、意味がないわけないじゃないですか!ほんと。
もう、まるっきり同じ動作だし、髪のニュアンスから、顔の中から、「似てる」じゃなくて「同じ」にしか見えないですよ。
ほんと悔しい!ヤラレタ!!
>>そうそう。あの掲示板の書き込みはネタ的に触れないでここまでスルーしてしまっていましたが。どういう意味だったのか興味があります。
ちょっと落ち着きましてですね、えーっと、あの時、掲示板に何を思って書いていたかというとですね、
「第10話のハルヒ」は、女性の生理、月経として捉えたという感じです。
調子が悪く、不機嫌なハルヒは生理であったと。
朝倉涼子の情報制御空間はハルヒの子宮。
月のものを感じさせる、長門さん登場の背景の月と周期的な動きの天体。
そして、教室を染める夕日の赤と長門さんからの鮮血。
受精しなかった卵である朝倉涼子は、子宮内膜である長門さんから血を流し、消えていくと。
それで、生理の終わったハルヒの機嫌も治る。
という感じです。
で、ヒューマノイドインターフェイスである朝倉涼子には、生理がないから、ハルヒが調子が悪い理由がわからない。
ハルヒの「弱気になっている顔」は、ぼくには、「あーー、ちっくしょう。いいわねえ男は。ボケーっとした顔しやがって。なんなら一回変わってやろうか?」という半ば怒りの睨みに見えています。
「体をもてあます」もあるいは、生理中からくる発言なのかも。とか。
ところで、第10話の戦闘シーンは、ぼくはどのカットも好きなのですが、じつは一番好きなのは背景の「軌跡を描きながら周りめぐる天体」だったりします。
「反省会」は月曜日放課後のハルヒの一人反省会についてですが、火曜日に疲れていたのは、こちらでは上述の生理ではなく、「一人反省会で、同じことを何回も何回もグルグル考えてしまったから」と捉えた感じです。
で、ハルヒは何を考えてしまっていたのかというと、「今起きたって、何?まさかホテルにでも行ってたっていうの?」という疑心暗鬼的なことを。
いや、同じシチュエーションで、想いを寄せてる異性から「今起きた」なんて言われたら、絶対そう考えちゃいますって!そんなことないかな?(笑)
えっと。とにかく、「まさか?」という不安と、「そんなハズはない」という思いをグルグル繰り返しながら、歩き回ったので、とても疲れてしまったという感じです。それで最初と最後を同じ台詞にしました。
こっちの場合は、「まさか、あんた有希と寝たの?」という思いから、「体をもてあます」発言が出てくるかなという感じです。
「第10話と第11話」はエヴァンゲリオンとの関連付けなわけですが、それは、第10話の戦闘シーンにエヴァを見た人は少なくないだろうと思っていたことが、まずあります。
ぼくも、『これが...涙? 泣いてるのは...私?』と冗談でもなんでもなく思いましたから。
それに加え、放映順に見たとき、長門さんがキョンに心を開くというか、思いを寄せるというか、そんな展開にも見えましたので、第11話の「そう。我々には敗北以外の選択肢がなかった」の「我々」を長門さんと朝倉涼子に見立て、キョンをめぐって、ハルヒと争うという感じに捉えたものです。
で、そう見ると、第10話だけでなく、第11話も一緒にしてエヴァと絡められるかなあと思い、まとめてみました。
という感じです。
うわー。なんか言わずもがな的なところも書いちゃったかな……けど、まあ思い切って、このままで。(笑)
とにかくですね、「長門さん=裏ハルヒ」とは全く思ってなかったですよ!!ええ!
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月25日 (火) 03:38
こんばんは。
#「時系列順視聴」はできないので…。
まごまごしているうちにmementoさんが「星に願いを」を書かれてしまって、防衛機制うんたらで僕の書く余地はほとんどなくなってしまいましたが^^;;。要は、「無意識ハルヒ」が「少女ハルヒ」の心を守るために、そういう超常的な事から遠ざけているのではないか、という考えです。
「無意識ハルヒ」が、僕が想定するところの「作品世界の中の存在」なのか、mementoさんが言及されたような「作品世界から半分はみ出たメタ存在(ゲーム「涼宮ハルヒの憂鬱」のプレイヤー??)」なのか、も興味の尽きない議題ですが(って、居るのすら確定してないってば)、ひとまず措くとし…ようかと思ったけれどあまりに面白いのでこちらで行ってみます。
======
ゲームの目的は「ハルヒをプレーして、現実に不満でいっぱいのこの娘を幸せにすること」…よくわからないけど、なかなかエキセントリックな娘らしいわね。ま、ちょっとやってみるか。どうせヒマだし。
うーん、「自己紹介で一発かます」はいまいちね。「あらゆる部活に体験入部する」も不首尾みたい…うん、「曜日ごとに髪型を変えてみる」を選んだら、“キョン”とかいう男の子が食い付いて来た。あら?「ハルヒ」はこの子に興味を持ったらしいわ。珍しい…してみるとこのゲーム、この子との恋愛ものなのかしら?
あらあら、何か一緒にサークル活動始めるみたい。SOS団?何よそのネーミングセンス。まったくもう。
で、メンバーを選ぶ、か…。えーと、この眼鏡っ娘と学級委員の娘が宇宙人なのね。うん、じゃあとりあえずこの眼鏡っ娘を選んでおきましょう。こっちの娘はなんかキョンに親しげだし、やめといた方がいいわよね。
あとは…選んでくれ、と言わんばかりのロリ顔巨乳の娘がいるわね。って、未来人?ふーん、まぁ入れておきましょうか。セクシーなイベントがあるのかも知れないし…って、期待なんかしてないわよ!
あら、超能力者の転校生ですって。きっとこの子も入れとかないと、何かのフラグが立たないんだろうなぁ。Yes、っと。
======
…そんなこんなで、ハルヒがどうにも素直じゃなかったりいろいろ邪魔が入ったりキョンが鈍感だったりみくるにデレデレしたりでなかなか思うように行かず、自棄になってカタストロフイベントを起こしてみたら、なぜかそれでうまく行ってしまったのでした^^;;。
「こんな選択肢の先に正解があるなんてひどいシナリオねぇ。でもメデタシメデタシで良かったわ…ってまだ続くのー??」
# 失礼しましたーm(_ _)m。
投稿: Iuth | 2006年7月25日 (火) 21:54
たこーすけさん、おはようございます(^^)
放送された全14回の中で私が好きなのは第10話・12話です。
特に第10話はこの作品についていろいろ考えるきっかけを
作ってくれたことや感想文をこちらへ投稿させて頂いたのも
この回だったので、更に印象深いです。
この第10話に対してたこーすけさんが女性の生理、月経として
考えての書き込みには意表を付かれました。
それは私にはまったく想像すらできなかったことです。
他の回と異なるのは「血」が出てくることなんですよね。
もちろん孤島症候群にも出てきますが、この回では扱い方が
明らかに違うなぁという感じがします。
それとこの回は論理的な物事と、人間の本能的・生理的みたいな
物事も(例えばだんちさんの死の匂いなど)描かれているのも
興味深いですよね。
それから他の作品とのリンクの違いも面白いです。
たこーすけさんはエヴァンゲリオンだったんですね。
うっかり者のフレアはマトリックスに雰囲気が似てるな~と
思ってしまいました・・・(^^;
投稿: フレア | 2006年7月29日 (土) 10:39
>たこーすけさん。こんにちは^^
掲示板での書き込みについての解説をありがとうございます。
なるほど、生理でしたか!!
それは考えていませんでした。
その視点で見ると、ハルヒの不機嫌さと突然機嫌が直るところとが、はっきりと納得できますね。
あとは日数の辻褄が合うかどうか。日曜日から始まったとして…。いや、土曜日の夜くらいから始まったとする方がいいのかな。…と、変に具体的に考えるのも、なんだか生々しいですね^^;
で、戦闘シーンはその生理を暗喩するものであったということですね。
≫受精しなかった卵である朝倉涼子は、子宮内膜である長門さんから血を流し、消えていくと。
なるほど。彼女達もハルヒが生み出した存在であるわけだから、物語という形を取った「ハルヒ内部」で活動していると見れますものね。
じゃあ、その子宮にキョンを取り込むのは、かなりセックスを感じさせますね。
「受精しなかった卵」ということもそうですが、「生死」の根源にも繋がってくる描写だといえますよね。
≫「体をもてあます」もあるいは、生理中からくる発言なのかも。とか。
それはあるかもしれませんね。SOS団を始めて、野外活動をする辺りが生理前だったとすると、彼女のハイテンションっぷりと、その後のダウンの様子もすごく納得いきますね。
「生理だった」と見るのは、物語の持つ根本的なリアリティからいって、かなりありえることだと思えます。
改めて解説して下さってありがとうございました^^
≫えっと。とにかく、「まさか?」という不安と、「そんなハズはない」という思いをグルグル繰り返しながら、歩き回ったので、とても疲れてしまったという感じです。それで最初と最後を同じ台詞にしました。
なるほど。一人で歩き回りながら、ホテル街なんかにうっかり入り込んでしまって、「まさかここに来ていたのでは…」なんつって思い悩むわけですね。
そうなると、二回目の野外活動の時、二人だけだと気づいた時のハルヒの緊張感たるや!って感じですね^^
僕も昔、先輩にホテル街を連れ歩かれた時はすごく緊張したものでした…男の先輩で両刀だと言っていた人だったんだけど、他の後輩達を帰されてなぜか二人きりにさせられて…って関係ない話ですね。
≫第11話の「そう。我々には敗北以外の選択肢がなかった」の「我々」を長門さんと朝倉涼子に見立て、キョンをめぐって、ハルヒと争うという感じに捉えたものです。
なるほど。実際、朝倉はキョンを奪おうとしていたように見えます。僕はハルヒと有希を同一と見ることで、奪おうとする者と守ろうとする者、という見方をした、ということですね。
≫とにかくですね、「長門さん=裏ハルヒ」とは全く思ってなかったですよ!!ええ!
僕も「生理」は全く思いついていませんでした。二人で気づいたことを混ぜていくと、ちょっとした化学反応が起こるかもしれませんね。そうやって感想を重ね合わせていくのも、楽しいですね^^
>Iuthさん。こんにちは^^
そういえば、Iuthさんはアニメは第8話から視聴されているんですよね。えっと…放送順では…混乱するなぁ…^^;
あ!「孤島症候群」の後編からですね。
ちょうど半分が見れないわけですね。
それは勿体無い…。なんなら家に見に来ますか?ビデオ録画でたまに画像が乱れて、しかも古いテレビですけれども。
って、すごく遠方だったりして(ダビングできる環境だったら良かったのですが…そうしたら送りつけたのに!)。
そんな感じで、全話視聴オフ会みたいなのをやったとして、集まってただひたすら見て、ほとんど会話しないで終わったりしてね(笑)
≫要は、「無意識ハルヒ」が「少女ハルヒ」の心を守るために、そういう超常的な事から遠ざけているのではないか、という考えです。
確かに、古泉も「ハルヒは常識的な一般人」であると指摘していましたね。
大胆な行動を取る反面、すごく臆病なところを持っていたり、弱い自分を守ろうとする部分を持っていてもおかしくないですよね。
「神人」を倒す能力を古泉達多くの人間に与えているところなんかも、防衛機能ともいえますよね。
≫ひとまず措くとし…ようかと思ったけれどあまりに面白いのでこちらで行ってみます。
あははは(笑)
楽しく読ませていただきました!
≫…そんなこんなで、ハルヒがどうにも素直じゃなかったりいろいろ邪魔が入ったりキョンが鈍感だったりみくるにデレデレしたりでなかなか思うように行かず、自棄になってカタストロフイベントを起こしてみたら、なぜかそれでうまく行ってしまったのでした^^;;。
それ防衛してないじゃん!(笑)
時にはリスクを冒して攻めなくてはいけないわけですね!
≫「こんな選択肢の先に正解があるなんてひどいシナリオねぇ。でもメデタシメデタシで良かったわ…ってまだ続くのー??」
このハルヒも面白い!!(笑)すばらしい!!
でも、実際面白いなぁと思います。「正解」とか「シナリオ
」とか「まだ続く」とか。物語の持つリアリティと重なる部分だと思えます。
キャラクターを生きて人生を歩んでいる「人間」として見ると、その時々の言動を選択していって、過ぎてみた時に、それがシナリオになっているし、正解や不正解だったりするし。そして「メデタシメデタシ」では終わらないし。
そう見ると、ハルヒも「攻守」をせめぎ合わせながら生きているんだなぁという感じがします。
その「続き」の先にあるのは、「キャラクターハルヒ」と「プレイヤーハルヒ」が一致していく過程なのかもしれないですね。
僕としては、その過程で存分に心に生々しく沢山の傷を負って、それでも立ち向かっていって欲しいなぁなんて思ってしまいます。
なにせ、根がサディストなのもので( ̄ー ̄)
そんなサディスティックな見方も、是非!(笑)
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2006年7月29日 (土) 10:48
こんばんは。たこーすけです。
おおー。結構解説的なのも書いてみるものですね。なんか、とても嬉しいです!
そう!フレアさん、あの動きはマトリックスっぽいですよね。わかります!
書いてみて改めて思ったことは、結局のところ、ぼくは自分の経験、体験からの女性観を延々と書き込み続けているんだなあということでした。
だから、やはり、感想やコメントを通して「自分自身」を書き込んでいるんだなと思います。
やっぱりぼくは、ハルヒはどんなにエキセントリックに見えても、それはこの作品の誇張表現であって、じつはとても普遍的な、ぼくたちが現実に目にしている「女の子」そのものなんだと思っているんでしょうね。それは、みくるちゃんと長門さんも含めて、ですね。
「あー。女の子って、多かれ少なかれ、こういうところあるよなー」という感じで。
でも、そう思うのは、だんちさんの考察から受けた衝撃がそれだけ大きかったということなんですよね。
だんちさん、かなり最初の頃からそういう視点でしたものね。というか第一話から。
だんちさんやてりぃさんのところに辿り着いて、最初に読んだときの衝撃は、そりゃあ大きかったですよ!
それで、ぼくは、「誇張表現」はハルヒ達の描写にとどまらず、この作品自体が誇張表現、隠喩なのだとみて、「童話」と書いたということになります。
だんちさんが仰って下さったように、「おじいちゃんとおばあちゃんの馴れ初め話」を童話的に語っている、と。
ですので、
Iuthさんとmementoさんの「無意識ハルヒ」と「表層意識ハルヒ」。
無意識ハルヒは作品世界の中の存在。
無意識ハルヒは作品世界を客観視している神、プレイヤー。
ぼくのだと、
作品世界を客観視しているのは、語り部おじいちゃん、キョン。
となります。
思い切って言っちゃいますと、SOS団は家族です。
おじいちゃんおばあちゃんではなくなりますが、
お父さんキョン、お母さんハルヒ。
3人は子供です。
長女有希は、とても頼りになります。お父さんも信頼を寄せていて、お母さんもいざという時にはこの子を頼りにします。寡黙に描写されているのは、一番上の子と両親というのは、結構そういう感じの関係であることがなくはないような。
末っ子みくるは、とても可愛いのです。やはり、末っ子は可愛いものですよね。お父さんもお母さんもこの子が可愛くて仕方ないのです。
一樹は、賢しく小生意気な長男、あるいは物語の解説役に作り出したお父さんの分身です。んー。長男にしておきましょう。
3人はそれぞれ、学校なり会社なり、外の「組織」に属してもいます。
でも、やっぱり、子供たちはみんなお母さんのことを「見守っている」のです。
家庭の「団長」はお母さんですよね?
お父さんはお母さんに命令されて、雑用をブツブツいいながらやります。(笑)
面倒ごと、ママに内緒で片付けます。でも、お母さんはなんとなく勘付いています。母親は偉大です。
この家族の、お父さんお母さんの馴れ初め話を、子供たちを宇宙人、未来人、超能力者として登場させながら、年の離れた末っ子みくるにお父さんキョンが童話的に語り聞かせているのが、この「涼宮ハルヒの憂鬱」です。
そんな感じです。妄想です。(笑)
さて、明日から時系列視聴をして、どのように変わるか、自分自身が楽しみです。(笑)
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月30日 (日) 04:03
再び、たこーすけです。
>だんちさん
>>あとは日数の辻褄が合うかどうか。日曜日から始まったとして…。いや、土曜日の夜くらいから始まったとする方がいいのかな。…と、変に具体的に考えるのも、なんだか生々しいですね^^;
ぼくも、その辺どう考えるのが現実的かなと思っていたのですが、やはり土曜ですかね、よくわかんないや。というか、やっぱ生々しいですね。(笑)
ただ、たしか、月曜の時点でハルヒはダウナーな雰囲気をかもし出していたんですよね?その辺も生理を後押ししますね。
>>じゃあ、その子宮にキョンを取り込むのは、かなりセックスを感じさせますね。
そのとおりです。ぼくもそう感じました。「体をもてあます」発言もありますし。
ただ、朝倉さん長門さんと違って、そこはハルヒの願望的なものと見ました。キョン取り込みは、想像のセックスですね。
>>「受精しなかった卵」ということもそうですが、「生死」の根源にも繋がってくる描写だといえますよね。
そうなんです。だから、だんちさんがここに「死の影」を見て、ぼくは「生命の活動」を見たというのは、とても興味深いことだと思います。
>>そうなると、二回目の野外活動の時、二人だけだと気づいた時のハルヒの緊張感たるや!って感じですね^^
こ、これは!イイですね!そこでツンデレ発動ですよ!
べ、べつに意識なんてしてないんだからね!
>>僕も昔、先輩にホテル街を連れ歩かれた時はすごく緊張したものでした…男の先輩で両刀だと言っていた人だったんだけど、他の後輩達を帰されてなぜか二人きりにさせられて…って関係ない話ですね。
関係ない(笑)、のに続きが気になってしまうのは何故だろう?(笑)
>>実際、朝倉はキョンを奪おうとしていたように見えます。僕はハルヒと有希を同一と見ることで、奪おうとする者と守ろうとする者、という見方をした、ということですね。
ここも、だんちさんとぼくで、ペアの作り方が違うのがとても面白いです。
ぼくは、この時点では長門さんはキョンを奪うことに反対で、でも朝倉さんの心の一部を分け与えられたことにより、キョンへの思いが芽生えると。で、長門さん朝倉さんを同一として、ハルヒと争うと見たということですね。
いや、ほんと、書いてみるもんですね。
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年7月30日 (日) 05:09
こんばんは。
だんちさん>
お申し出、めがっさありがとうございます。温かいお気遣い、ほんとにいたみいります。
ただ、ぢつは初めてDVDをシリーズ注文しまして、これから半年くらいかけてのんびり“時系列視聴”する予定だったりします(もう食らわば皿までというかなんというか)。ので、どうぞご心配なく。だいぶ遅れはとりますが、全話観ますよ。
いま手許に先行第11話:)と1、2話がありまして、この週末にさっそく第一歩を踏み出したところです。あ、こちらの話はそれ用のエントリーに、また改めてさせて頂きますね。
僕にとっては、アニメの魅力に浸るとともに、原作の魅力を再発見する機会になると思います。楽しみです。
無意識とか>
わずかなりともお楽しみ頂けたのであれば幸いです。何か思い付きで書き込むと、だんちさんはじめ皆さんが補ったり膨らませたりしてくれるので書き甲斐がありますね。子宮だとか経血だとか:)、なかなか生々しい話にもなっていますけれど。
(しかし、「プレイヤー」と考えてみると、メタハルヒがキョンの自由意志に干渉しないとか、何故かいっしょのペアの籤を引けないとか、その辺りも妙に説明できてしまうんですよね。つまるとこ、選択肢にないことは自由にならんわけですから…実も蓋もありませんがー)
「涼宮一家」も面白いですね。何より、ひとり上級生のみくるちゃんがなぜか末っ子ポジションのところが^^;;。さすがは妹属性ですねぇ。
メタハルヒとハルヒがいずれ一つになっていくのかも、という推測にはドキリとしました。もちろん、まだその存在すら想像の範囲を出ないメタハルヒのこと、想像に想像を重ねた話なのですけれど…ひょっとしてその兆しなのか?と考えると、ちょっとした疑問に答えが出せるエピソードが小説にあるんですよね。それが何であるかは今は申しませんが。
瓢箪から駒で、重要なヒントを貰えたのかもしれません。それについてここで話し合える日を楽しみに、しばらく温めておこうと思います^^;;。
最近はだんだん見境がなくなってきて、洋泉社ムック「オトナアニメ」創刊号だの「SOS団ラジオ支部 番外編CD」Vol.1だのと買いあさっています。間もなく?出るらしい「涼宮ハルヒの公式」も間違いなく買うでしょう…。
ではでは。
投稿: Iuth | 2006年7月30日 (日) 21:28
こんばんは。たこーすけです。
>Iuthさん
>>「涼宮一家」も面白いですね。何より、ひとり上級生のみくるちゃんがなぜか末っ子ポジションのところが^^;;。さすがは妹属性ですねぇ。
いやはや。ありがとうございます!!
もう、いつもにも増して妄想全開で、「整合性は……目をつぶる!」って感じで思い切っちゃいましたもので(笑)。
みくるちゃんについては、ちょっと悩んだのですが、思い切って末っ子にしちゃいました。
ただ、長門さんの距離感も、結構末っ子っぽい感じもしています。
ぼくは作品世界を、その具体性が霧に霞んでしまうくらい遠くに位置付けて、語り部キョンによる創作部分を含む「お伽話」として捉える、という結構投げやりな態度(笑)をとってしまったので、Iuthさんやmementoさんのお書きになるものがとても刺激的に感じます!
まだ感心するばかりで、「そうすると、こうなりますね?」みたいな切り返しを出来ない自分が、すごくもどかしいです!うーん。悔しいな。
ちなみにぼくはですね、Iuthさんの
>>そうである以上カマドウマなんぞ態々見るには及ばない。キョンと一緒の捜索活動を十分楽しんで余は満足、あとは健気なそちたちの顔を立ててやるゆえ、良きに計らえ^^;;とて、わらびもち食って帰ってしまった…
のハルヒが大好きで大好きで。
いやあ、この感じ。たまりません。
それでは。
投稿: たこーすけ | 2006年8月 1日 (火) 03:46
大変興味深い内容でした。私も原作は読んでいない身なので、こういった価値観に触れてみるのは楽しいです。
ただ、ひとつ気になった点がありました。朝倉は「もう一度情報爆発が観測できる」と言ったとされていますが、あのシーンでは「情報爆発が観測できる、またとないチャンスだ」と言っていたように記憶しています。
だとすれば、推測も微妙にズレていくのではないでしょうか?
投稿: lain | 2006年8月 3日 (木) 10:28
>たこーすけさん。こんばんは^^
≫だから、やはり、感想やコメントを通して「自分自身」を書き込んでいるんだなと思います。
たこーすけさんが、自分の感受性を剥き出しにして作品を見て、そこで「自分自身」というものに向き合う形になって、その自分自身を書き込んでいただける、というのは、読んでいてとても刺激を受けます^^
それが、僕の感想の影響もあってのことだというのは、とても嬉しいです。
頑張って書いてきて良かったです^^
≫だんちさん、かなり最初の頃からそういう視点でしたものね。というか第一話から。
改めて自分で読み直してみると、確かにそうでした。
思い返してみると、この「一生懸命作ってもメタメタな出来の自主制作映画」である第1話があったからこそ、そういう「生きた少年少女達の青春物語」という視点がはっきり持てたように思います。
≫だんちさんやてりぃさんのところに辿り着いて、最初に読んだときの衝撃は、そりゃあ大きかったですよ!
ありがとうございます^^
そうかぁ…衝撃なんて与えていたんだ…。てりぃさんと一緒に感想を書いて盛り上がるのが楽しくって、何も考えずわーっと書いていましたが。一緒になって楽しんでもらえて、本当に嬉しいです^^
これからも、いろいろ一緒になって楽しめるといいですよね!
たこーすけさんの「SOS団は家族」というのは、分かる気がします。
すごく、居心地がいい場所になっていますよね。
ハルヒが部室にいろんなものを持ち込んで「ここで暮らす気か?」なんてキョンにモノローグで突っ込まれていたけど、閉鎖空間でキョンと二人きりになった時だって、実際あそこで暮らすつもりだったのでしょうね。
しかしあれですね、長男が古泉っていうことは、奴にはどっかで反抗期が来るかもしれないですよね。
有希も年頃の自意識が芽生えて、ちょっと道を踏み外しそうになったり、とか。
そういう時に大事なのは、お父さんお母さんであるキョンやハルヒが、彼らに面と向き合うことなのかもしれないですよね。
そして、やっぱり家族がみんなちゃんと愛し合うためには、なんといっても、お父さんお母さんが心から愛し合うことが重要ですよね。
あの二人の関係が、SOS団という家族を強く結びつけるのかもしれませんね。
…って、僕のこの解釈だと、童話じゃなくって「家族ドラマ」ですね。「積み木崩し」!?
そうそう。童話っていうことでいうと、桃太郎っぽいところもありますよね。ハルヒが桃太郎で、犬がキョン。猿が古泉でキジが有希。
そうなると…きび団子がみくる?(笑)
時系列視聴の感想も、楽しみにしていますね^^
≫こ、これは!イイですね!そこでツンデレ発動ですよ!
べ、べつに意識なんてしてないんだからね!
いいでしょ!ついついちょっと期待してしまったり、でもやっぱり怖かったり。もし本当に手を引っ張られたりしたら、拒絶するべきか、それとも、気の迷いの振りをしてついていくか…なんてなことを、ぐるぐる考えてしまったり、ね^^
≫関係ない(笑)、のに続きが気になってしまうのは何故だろう?(笑)
乗ってくださってありがとうございます(笑)
このままじゃヤバイ!と思った僕は、「今、描かなければならない原稿があるので…」と力説して慌てて帰宅しました。「おう。また連絡する」と言われつつ、その後連絡が無かったので…。仲良くしていた先輩だったんだけど、傷つけてしまったかなぁと思ったり。
みなさんはこんな経験ありますか?
って、そんな話題振ってどーする>自分。
>Iuthさん。こんばんは^^
DVDをシリーズまとめて注文されたんですね。
了解です。時系列視聴の感想を語り合う機会は半年後というkとで。楽しみにお待ちしておりますね^^
≫僕にとっては、アニメの魅力に浸るとともに、原作の魅力を再発見する機会になると思います。楽しみです。
あぁ。それは素晴らしいですね。それぞれを楽しんで、かつ魅力を補完し合うように受け取っていくというのは、とてもいい楽しみ方ですね。
僕も原作を読み始めていますが、アニメを見ていたことで、作品の魅力をたっぷりと堪能できているように思います。
≫わずかなりともお楽しみ頂けたのであれば幸いです。何か思い付きで書き込むと、だんちさんはじめ皆さんが補ったり膨らませたりしてくれるので書き甲斐がありますね。
では、これからもどんどん書き込んで下さい^^
思い付き、と仰られていますけども、思ったことをこちらに向けて発信して書いていただくことは、やはり読んでいて楽しいです。
≫メタハルヒとハルヒがいずれ一つになっていくのかも、という推測にはドキリとしました。
≫瓢箪から駒で、重要なヒントを貰えたのかもしれません。それについてここで話し合える日を楽しみに、しばらく温めておこうと思います^^;;。
おお!どういった部分か楽しみです^^
僕は今のところ原作は「憤慨」と「暴走」を読みました。
で、今日「陰謀」と「動揺」を買ってきましたので、現在発売されているシリーズの後半4冊分を入手したことになります。
我ながら、天邪鬼な読み方ではありますが、とても楽しんでおります。
いずれ、ネタバレありで書き込めるように記事を起こしますね。
それにしても「メタハルヒ」って、字面だけ見ると「メタルハルヒ」ってうっかり読んでしまいます^^
なんだか、固そう(笑)
≫最近はだんだん見境がなくなってきて、洋泉社ムック「オトナアニメ」創刊号だの「SOS団ラジオ支部 番外編CD」Vol.1だのと買いあさっています。間もなく?出るらしい「涼宮ハルヒの公式」も間違いなく買うでしょう…。
見境が無いのは良いことですよ^^
夢中になって心から楽しめるものがある、というのは絶対に心の宝ですよね。
お互い、これからもたっぷりと楽しんでいきましょうね!
>lainさん。こんばんは。初めまして。
長い文章を読んで下さって、コメントを書き込んでいただきまして、ありがとうございます^^
台詞の引用等に関しては、書く時に作品の該当部分を見直したりしていないためかなり不正確だと思います。そういった部分はどうかご容赦下さい。
ただ、細かいニュアンスが違っていたとしても、「情報爆発」という3年前に起こったことが、キョンの死によってまた起こるという内容は変わることはないと思うので、印象がズレることはありません。
その上で、その見方に執着するつもりもないので、いつでもズレることはあると思っています。
投稿: だんち | 2006年8月 3日 (木) 19:51
こんばんは。mementoです。
>「星に願いを」を読んでいたら「ショーシャンクの空に」を思い出してしまいました。
「ショーシャンクの空に」は僕も、大、大、大好きな映画です。S・キング作品の映画化はなぜか非ホラー物の方がいいのが多いですが、これもその一つですね。
ランブリッジの詩にちなんでいえば、アンディが星を見た囚人、レッドが(当初は)泥を見た囚人となるでしょうか。「星に願いを」では希望ということを書いたんですが、この映画で、レッド役のモーガン・フリーマンがあの渋い声で、“I hope”といって締めるラストでは、いつも鳥肌が立ちます。
ところで「ハルヒ」が終わってから僕はそのまま、後番組の「N・H・Kにようこそ!」を見てるんですが、これを「ハルヒ」の後によく持ってくるよなあ、と感心しています。だんちさんはご覧になっているでしょうか?
製作側になんらかの意図があったのか、それともただの偶然なのか知りませんが、“虚構に引きこもる(引きこもろうとする)主人公を、アニメーションという虚構を用いて描く”という点で、根底のテーマがこの二作品はいっしょなんですよ。引きこもりニートの主人公、佐藤と、彼をなぜか救おうとする少女、岬とが、僕には男女の役割を逆にしたハルヒとキョンに見えてしまって仕方ありません。
luthさんへのコメントの中でだんちさんが書かれていたように、ハルヒは現実の世界や周囲の人間たちを「つまらない」「くだらない」と見下し、それらに関わるのを避けていました。それも彼女の臆病な自己防衛意識の表れみたいに僕には思えます。否定される前に先回りして相手を否定するのは、多少頭がよく、心が弱く、プライドの高い人間にはお馴染みの行動ですし、これって引きこもりにありがちな行動でもあるんですよね。最終話では実際、ハルヒは壮大な自分世界の中に、すんでのところで引きこもりかけましたし。
「ハルヒ」に関しては、現実と虚構というテーマが確実にあると思うんですが、こういったことを描く作品は今後、アニメによらず増えていきそうな気がします。引きこもり問題が浮上した頃から、フィクションをつくる人間にとって、以前より差し迫ったテーマになってきているんじゃないでしょうか。
オタク人口が増大してその認知度も上がり、一般人/オタクという境界線が昔よりも曖昧になってきている今日では、うっかりすると誰もが虚構という牢屋の中に、自分を閉じ込めかねない危険性がありそうです。それはだんちさんがおっしゃった、
>「サムデイ イン ザ レイン」を過ぎてもなお、いつでも悲劇の真っ只中に放り込まれてしまう、そういう危うい状態
ということなんだろうと思います。
ネットの普及なんかはある意味、現実のフィクション化に一役買っているところがありますしね。メディアの発達は、実際の生活よりも情報として供給される虚構の世界の方を、リアルに感じさせてしまうところがあります。ハルヒが
「宇宙人や未来人や超能力者が実際にいたらいいのに」
と思うのと、まったく同じように僕らは、「ハルヒ」で描かれるような学園生活が実際にあったらいいのに、と思うわけで。それを否定する気はまるでありませんけど、引きこもり問題は対岸の火事、と切り捨てることも僕にはできなさそうです。
というか、根っこの部分ではハルヒや引きこもりの佐藤と、僕はかなり似通っているんじゃないかと思いますし。
しかし、いいかげんアニメに関してだけ語ってないで、そろそろ僕も原作に手を出さないとなあ…。
投稿: memento | 2006年8月 4日 (金) 23:42
mementoさん。こんにちは^^
「ショーシャンクの空に」、やはり好きでしたか!なんとなく、そんな気はしていました!
僕はあの映画、一回しか見ていないのですが、mementoさんの熱い語りを見ていたらまた見たくなりました。
お話にも感動したのですが、画面の構成力もとても素晴らしかった印象が記憶にあります。
≫「星に願いを」では希望ということを書いたんですが、この映画で、レッド役のモーガン・フリーマンがあの渋い声で、“I hope”といって締めるラストでは、いつも鳥肌が立ちます。
やはり、どこか連想するというか、そういうところってありますよね。それぞれの物語が持つ普遍性なのかもしれません。
テーマの部分を重ねてみると、ハルヒは閉鎖空間を出てからが、問題なのかもしれませんね。
希望を持って生きていく「人間性」を獲得できるのか。
≫ところで「ハルヒ」が終わってから僕はそのまま、後番組の「N・H・Kにようこそ!」を見てるんですが、これを「ハルヒ」の後によく持ってくるよなあ、と感心しています。だんちさんはご覧になっているでしょうか?
あ。見てないです。すいません^^;
もし、意図があるのなら、テレビ局のプロデューサーなんかの意図なんでしょうね。
それに、今物語を作る者にとって、「虚構を用いて虚構から脱出させる」ということは、重要なテーマになっていることを実感します。
「Zガンダム」で富野監督が20年経ってラストを変えたこともそうですし、僕が好きでずっと感想を書いている「ARIA」でも、虚構に溺れることを拒絶しているし。今好きで見ている「ゼロの使い魔」でも主人公が違う世界に行ってしまうんだけど、これも「現実から虚構」に飛び込んでしまった描写と受け取れます。そこからどう描写していくのかは、なかなか難しいバランス感覚が要求されるものだと思って注目しています。下手な描き方をすると「虚構バンザイ!」になってしまいますからね。今、クリエイターはそういうものは作っちゃいけない、って心のどっかしらで絶対に警報を聞いているはずです。
その意味では、「N・H・Kにようこそ!」もそういう作品なのでしょうね。多くの人にとって、楽しめるものでありつつも、意味のある作品になっていって欲しいですね。
ハルヒが引きこもりかけていたっていうの、とても分かります。
≫臆病な自己防衛意識の表れ
ということでいうと、彼女がああやって周囲を見下すだけでなく、テンション高く大騒ぎしているところも、情緒不安定に見えます。「明るい」っていうのとは違って、どこか痛々しく見えるんですよね。
「常識的に非常識なことを判断できる」彼女のインテリジェンスからしたら、表面的に「躁状態」を作り出して演じることだってできるでしょうから。
あー。こうやって「躁」って言葉を書いてみると、彼女は「躁鬱」があるのかもしれないですよね。そういう視点では見てなかった。躁鬱のことも詳しくないけど、ちょっと調べてみようかな。
≫「ハルヒ」に関しては、現実と虚構というテーマが確実にあると思うんですが、こういったことを描く作品は今後、アニメによらず増えていきそうな気がします。引きこもり問題が浮上した頃から、フィクションをつくる人間にとって、以前より差し迫ったテーマになってきているんじゃないでしょうか。
大事なテーマですね。
最近、物語の上での「戦い」というものの描写の仕方に変化が見えるように感じています。
しばらく前は、「子供の敵は大人」という描写に意義が見出されていたように思うんです。それは、あるいは「自由対システム」という象徴だったようにも思います。
でも、今、大人も子供も一緒になって、戦わなければいけない相手がいるような、そういう感じがあるんですよね。
それが「現実対虚構」という構図になっているように思います。
「虚構」が象徴する心の闇と戦うような。そういう観点で「ウィッチブレイド」を見ている、というのもあります。
≫オタク人口が増大してその認知度も上がり、一般人/オタクという境界線が昔よりも曖昧になってきている今日では、うっかりすると誰もが虚構という牢屋の中に、自分を閉じ込めかねない危険性がありそうです。
僕が思うのは、「一般人/オタク」の立て分けそのものが、まず「虚構」なのではないか、というものです。
一昔前はオタクであるか無いか、というのが人間性の一つの基準であるかのように語られていました。それは昔あった「ネクラ/ネアカ」の無意味な構図や学歴偏重などと同じで、作り上げられた虚構だと感じます。
よく、「価値観が変わった」なんて言われることがありますが、それは、普遍的価値観は変わらず、「虚構」が崩れていっている、ということなのかもしれません。
「虚構という牢屋」は、もうずっと、僕らのすぐ隣を歩いているのかもしれません。
それはやはり、仰られるように誰にとっても「対岸の火事ではない」ことなのでしょうね。
物語を作る者達は、虚構だからこそ、虚構の火を消すことだってできるのだと思います。
僕も、頑張っていい作品を作らないといけませんね^^
≫しかし、いいかげんアニメに関してだけ語ってないで、そろそろ僕も原作に手を出さないとなあ…。
是非是非!僕はまだ後半四冊しか読んでいませんが、面白いですよ!今日、前半買いに行っちゃおうかな…。
原作も読んだら、さらにまたあれこれ語りたいですね^^
投稿: だんち | 2006年8月 6日 (日) 16:48
はじめまして。検索サイトでハルヒの考察を探して、ここに辿り着いた者ですが、一つ(?)意見がありますので書かせて頂きます。
長門=ハルヒ説については、原作を読んでいると直接的には否定したくなりますが、それでもなお魅力ある見解と思います。直接イコールで結ばれるのは無理があるとしても、情報思念体がヒューマノイドインターフェースを作成する上で、中1時点のハルヒに全く影響を受けなかった、と考える必要もまたありませんので。
もう一つこの見解に魅力を感じる理由は、音楽CD「キャラクターソングス」シリーズに収録されている「ハレ晴レユカイ」の長門バージョンの歌い方が、ハルヒバージョンに良く似ている、という点です。声優さんの歌い方が元々似ているのか、収録順序などの関係で意図せず似てしまったのか、意図的に似せたのか、あるいは自分の気のせいか、判断はつきかねますが…
意図的に似せたのだとして、その理由が私には判りませんでしたが、長門=ハルヒ、という説はこの理由を説明するのに十分です。
いずれにせよ、原作も未完ですので、こういった想像で遊べるのは今のうち、と思っています。あるいは、こういった議論が逆に(今後の)原作に影響を与えてしまう可能性も無きにしもあらず、ですが、それもそれで面白いと思います。
雑文、失礼しました…
投稿: Dharma | 2006年8月 7日 (月) 00:47
Dharmaさん。こんばんは。初めまして。
長い文章を読んで下さって、コメントも書き込んでいただきまして、ありがとうございます^^
ハルヒの考察を求めていらして下さったとのことですが、僕の文章は(この時点では)原作を読まないでアニメだけで好き勝手に語っているものですので、ご満足いただけたかどうかは分かりませんが、少しでも楽しんでいただけたのでしたら嬉しいです^^
「長門=ハルヒ説」を魅力ある見解と言っていただけたことも嬉しいです。
そのまま正解ということもないだろうなぁとは僕も思いますし、「直接イコールで結」ぶことは、かなり大胆だとも思います。
でもそこは、せっかくなので「思い切り」を持って書いてみたところでもあります。
絵のことや反応や様々な描写を見ていると、何らかの関係があるように思えますし、そういう意図を感じます。いろいろと想像をくすぐられますよね^^
≫もう一つこの見解に魅力を感じる理由は、音楽CD「キャラクターソングス」シリーズに収録されている「ハレ晴レユカイ」の長門バージョンの歌い方が、ハルヒバージョンに良く似ている、という点です。
おお!そうなんですか!僕はそれを聴いていないので、どう似ているのかは分かりませんが、面白いですね。
声優さんのCDではなく、「キャラクターソング」というものであるという性質を考えると、ディレクターの指示があったと見ることもできるのかもしれませんね。
≫意図的に似せたのだとして、その理由が私には判りませんでしたが、長門=ハルヒ、という説はこの理由を説明するのに十分です。
なるほど。僕が絵のパーツが似ていると感じた疑問を、歌声のことで感じられたわけですね。
そう思われるということは、実際に聴いてみると仰られるように「意図が感じられる」ところがあるのでしょうね。
≫いずれにせよ、原作も未完ですので、こういった想像で遊べるのは今のうち、と思っています。
そうですね^^
そこはもう、こうやって乗っていただいていろいろと想像して語り合ったりして存分に楽しみたいですよね。
想像したことが違っていたとしても「なんだ、違ってたよ!」ってなってみたり、それもまた楽しいわけですしね。
よろしければまたいらっしゃって下さいね!^^
投稿: だんち | 2006年8月 8日 (火) 01:08
長門=ハルヒ説に感心しました。
キョン妹=ミクルも考えると、あとは古泉=キョンと考えれば、キョンとハルヒ以外のSOS団メンバーすなわち「普通の人間以外」の存在はコピー人間となります。
この場合、三人(と機関と宇宙人と未来人)はSOS団の結成後にハルヒの望みによって3年分+それ以前の偽記憶と共に創られた存在となります。
この作品のタイムマシンによる過去の検証は、記憶込みの捏造があるため、検証として機能しません。もんず氏による原作のネタバレ部分さえもハルヒが自らの願望にキョンを取り込むためのアリバイ工作的な擬似イベントであり、捏造された擬似過去の可能性があります。
この場合の願望とはキョンと上手くいってるうえ(自分の趣味にあった、かつキョンの趣味でもあり、つまり2人が上手くいくための必用条件かもしれない)宇宙人や未来人や超能力者の実在する今の世界をキョンに納得させて、存続し続けるという現状維持の願望です。キョンに何かおかしい、未来人など本当はいなくて、ハルヒが三年前かSOS団結成後にミクルを洗脳したのでは、ミクル可愛そう、などと思われては困るわけです。ましてやコピー人間などとバレては、キョンにマジ引きされかねません。
コピーを誤魔化すために、偽の本当の記憶(自分は未来人でなく、現代人だ)をミクル達に与えて、ついでに偽のミクル母や父も作って、本来の世界に戻ったとキョンに錯覚させることはあるかもしれまん。
ハルヒ自身にとっても、恋人が出来てヌルい日常にしあわせを感じるようになれば、不思議ちゃんは卒業したいと思うことはありえます。
投稿: kk75 | 2006年10月 1日 (日) 05:54
kk75さん。こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます。
記事を楽しんでいただけたようで嬉しいです。
>キョン妹=ミクルも考えると、あとは古泉=キョンと考えれば、キョンとハルヒ以外のSOS団メンバーすなわち「普通の人間以外」の存在はコピー人間となります。
おぉ。それはまた大胆な。
面白い大胆な仮説を楽しく読ませていただきました。
原作の方はまだまだいろいろ仕掛けを持っているようですし、どう展開していくのか、想像を膨らませるのは楽しいですね^^
「記憶操作」は今後の仕掛けにとって、特に重要な要素になるかもしれませんね。
>ハルヒ自身にとっても、恋人が出来てヌルい日常にしあわせを感じるようになれば、不思議ちゃんは卒業したいと思うことはありえます。
そういうことでいうと、SF的な仕掛けやサスペンス的な仕掛けや萌え要素を使いつつ、「幸せとは何か」という普遍的なテーマに真正面から切り込んでいる作品だと言えますよね。
仕掛けのことと同じくらい、そこでどういう答えを見せてくれるのか、今後の展開が楽しみですね!
投稿: だんち | 2006年10月 4日 (水) 00:59
唐突にすみません。
どこにコメントしていいか、わからなくて、ここに。
私は神奈川出身で桐光学園出身でサッカー観戦好きの・・・ちょっと前まで女子だったものです(笑)
突如、このアニメを見始め、このサイトを先ほど発見しました。
#だから原作は読んでません。
そんでもって、私は一人っ子です。
その私が思うに、ハルヒは間違いなく一人っ子だと思うんです。
女の子を野球観戦に連れて行くお父さん。
一人の女の子の中に男の子も求めているお父さん。
一人っ子の女の子は大抵の男には負けられません。
だって、自分は男以上に男でなければいけないからです。
甘えるなんてありえません。
もちろん、女の子ができることも全部できないといけません。
万能で当たり前です。
だって、お父さんがそう思ってるから。
たぶん、ハルヒがファザコンだというのは当たってると思います。
何しろ、一人っ子です。
……というように、ハルヒが一人っ子だと断言するだけの要素がもう一つあります。
ハルヒの(おそらく初恋の)キョンは多分に父性的だし、キョンはその父に勝つだけの属性を持っているからです。
それは、「従兄弟の(親戚の、でもいいですけど)お兄ちゃん」という属性です。
「この子は兄弟がいないから、面倒見てあげてねー」と親戚一同に言われる「従兄弟のお兄ちゃん」は、珍しく一人っ子の女の子が大手を振って甘えていい男性です。わがままも言い放題です。わがままを聞いてくれなくても構いません。そもそも、人にわがままなんて滅多に言わないんですから、わがまま話を聞いてくれるだけでもいいんです。
しかも、彼は、本当のお兄ちゃんと違って、わがまま言っても諭すだけでケンカを売ってきたりしません。
何しろ、親戚一同に「面倒見ろ」と、わざわざ言われているので、ただただ面倒を見てくれる存在です。
必然、一人っ子の女の子の理想の男性像は「従兄弟のお兄ちゃん」になります。
「お父さん」に勝つ可能性を持った存在です。
何しろ、「お父さん」は「お母さん」とうまくやってもらわないといけないので、お母さんから取っちゃうわけにはいかないのですから、「従兄弟のお兄ちゃん」の地位はここに確立されます。
……などと言うことが、『「一人っ子長女」のための本』という本に書いてありました。(笑)
もちろん、ハルヒについて書いてあるわけじゃないですよ。
でも、この本を読まれれば、そこにハルヒが居ます。
万能で、世界の中心であることが当たり前で、「自己」や「孤独」ということをを強く意識していて、いざとなれば一人で生き抜く覚悟があるから自立心旺盛だけど、自分の存在が世間からみたら本当にちっぽけな一人であることを自覚しているが故に人一倍寂しがりで、だからこそ、キョンと自分の理想の家庭を築くのを至上の目標にしているハルヒが。
つーか、この少子化の時代、キョンの持っている属性は相当有利だぞ!!
ってことで、私もキョンが大好きです!!
つまり、それが言いたかったのです!! あははー。
投稿: ふろん子 | 2007年2月20日 (火) 00:46
ふろん子さん。こんにちは、初めまして。
コメントありがとうございます!コメントの場所はどこでもいいですよ^^
僕が書いた「涼宮ハルヒの憂鬱」の感想や、二次創作漫画などを読んで下さったんですね。その上コメントもいただけてとても嬉しいです^^
ハルヒのファザコン仮説に着目して下さって、そこから「キョンの持つ従兄弟のお兄ちゃん属性」に発展させ、ハルヒの気持ちを明快に解き明かす書き込み、楽しく読ませていただきました。
『「一人っ子長女」のための本』は、知らなかったのですが、調べてみたら大学の教授さんが書いた本のようですね。とても面白そうです。これは是非読んでみたい!
でも、その本に書いてあることをただ抜き出したわけではなく、ふろん子さんご自身が一人っ子であることから、その実感を元に書いて下さっているので、それで「なるほど!」と頷けるのでしょうね。
そして、だからこそ、
>私もキョンが大好きです!!
という主張に無茶苦茶リアリティが感じられるのでしょう^^
ところで。
僕も神奈川の人間で、秦野高校出身でサッカー観戦好きの者でございます。
昨年の高校サッカー選手権神奈川県予選では、秦野高校も桐光学園と決勝を戦うまでになりましたが、まだまだ力及びませんでした。
軍門に下ったということで、1月2日は等々力競技場へ行き、桐光学園を応援したりしておりました。
ちなみに、桐光学園は今住んでいるところから割と近所だったりもします^^
それはともかく。
>・・・ちょっと前まで女子だったものです(笑)
この一文に様々な可能性を感じいろんな想像をしてしまっています。
今はいったい何者!?
それはそれとして。
確かに、ハルヒは一人っ子でしょうね。
なるほど、しかし。
こうやって仰っていただかなければ、「一人っ子の女の子」という観点からの人物像は考えることがなかったかもしれません。
「一人っ子の女の子」ということになると、確かにお父さんの娘に対する接し方は過剰なものがあるんでしょうし。娘の方からも「男性とはすなわち父親」という無意識の刷り込みもあって、そのコンプレックスはとても強いものになるのでしょうね。
その上でハルヒのキョンに対する態度が「一人っ子の女の子が大手を振って甘えていい男性」に対する甘えっ子全開な様子なんだと思うと…こりゃ、無茶苦茶可愛いですなっ!!!!!
でも、そうなると。
やはり。
ハルヒの最大のライバルは「妹ちゃん」という僕の説の正しさが立証されることになってしまいますね!!
でも、「いとこなら結婚できる」というのは大きなアドバンテージにもなるし、ポジションとして非常になんというか、仰られる通り「相当有利だぞ!!」というものがありますね^^
>人一倍寂しがりで、だからこそ、キョンと自分の理想の家庭を築くのを至上の目標にしているハルヒ
それが行き過ぎると、本編で学校にキョンだけを連れて閉鎖空間に閉じこもるようなことになるわけですね^^;
でも、それが彼女の現実の世界で実現するようになるならば、それは物語としては実に地味なことかもしれないけど、非常にドラマを感じるものですよね。
この作品のそういう現実感を感じさせてくれるところが、僕はとても好きです^^
原作はまだ読まれていらっしゃらないとのことですが、是非読んで欲しいなぁと思ってしまいます。キョン、いっぱい出てますし(笑)
是非またコメントくださいね!^^
投稿: だんち | 2007年2月21日 (水) 12:54
こちらこそ、いきなりの書き込みに早速レスして頂き、ありがとうございます!
えーっと、blogのカテゴリにハルヒとサッカーを見つけたので、その辺は拝見させていただきました。
なので、秦野の話も拝見しました。今年の県予選はいろいろとすごかったですねー。
本大会もそれなりにすごかったですけど。(笑)
書き込みをした後、キョン情報をかき集めていたら(先に原作読め、と突っ込まれるのを承知で)、やっぱり、彼は親戚盛りだくさんで、夏に長期間帰省する人なんですね。
思わずガッツポーズしてしまいました。
妹ちゃんが最大のライバル、っていうのは、正直、私の実体験からはよくわからないのですが。
(基本手加減無しで面倒を見ている妹よりは、手加減しまくりで面倒を見ている長門さんの方がライバルなような。。ちょっと妹ちゃんが幼い風なので、その手加減次第かなぁ?)
ついでに、ハルヒについてですが、「ハルヒ」で検索かけたら、別のキャラが出てきました。男装の女性キャラが。
そこでも、やっぱり、と思ったんですが、「ハルヒ」って、主題歌通り『晴る日』もしれませんが、なんとなく男性でも女性でもいい名前で、
そういう性別関係ない名前を、男の子も欲しかったなー、と思っていたお父さんが付けたんじゃないかなぁ、と、また妄想してしまいました。
さらに進めて、『3年前の情報爆発』とやらですが、つまり中一くらいってことですよね?
この時、ハルヒに何が起きたのか、とても気になるところですが、私の妄想的には、ある日、ハルヒが『子供』から『女子』になってしまったか(男女両方をやる気でいたのに、自分が女でしかないことを自覚せざるを得ない出来事)、お父さんに何かあった(離婚とか。死んだとかは無いかも。死んだ人を「オヤジ」とは言わない気がします)、とかかなぁ、と。
……なんて、あんまり書いてもわからないですよね。
是非、『「一人っ子長女」のための本』を読んでみてください。
有名な先生の本なので、大きな古書店にはあるんじゃないかと思います。100円で。(笑)
ていうか、これくらいのことは、ルートはどうあれ、みんな既に考えてることなんでしょうけどもー。
で、自分にしては珍しくここまで妄想してしまったので、ついでに『ハルヒ=長門説』(本読んでるところだけですが)と『キョン=古泉説』(最後の最後の騎士様セリフだけですが)も微妙に混ぜて、こんなシーンを想像してみました。(笑)
うーん。シロウトの私にこういうことをさせるとは、すごい作品です。(笑)
勢いで書いたので、余計に駄文でスミマセン。<(_ _)>
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「キョンくん、この子、ハルヒって言うの。一人っ子で他に兄弟がいないから、よろしくしてやってね?」
そう言って、ニコニコと俺に保父さん役を依頼した叔母は、俺の目の前に、体格にそぐわないぶ厚い本を抱えた少女を突き出した。
従姉妹と言っても初見だ。正確に言えば、赤ん坊の頃に会ったらしいが、向こうもこちらも記憶に無い。
叔母の一家はあまりこっちの親戚の集まりに顔を出すことがないからな。
「私としては夏はこっちに帰って来たいんだけど、やっぱりあちらの方に行かないといけないしねぇ。」と、俺に顔がよく似ていると評判の叔母は、やはり俺に似ていると評判のため息を一つついた。
嫁姑問題はいつの時代も変わらない。
そのため息も変わらないはずなのに、どうしてこのため息まで俺に似てるなんて言われなきゃならないんだ。俺はまだ嫁姑問題に直面する年じゃない。
思わず俺までため息を付きそうになると、その話題の従姉妹殿が俺の眼下のかなり下の方から、大きな眼で値踏みするように俺を見つめているのに気づいた。
年は俺より5つ下だという。身長は140cmくらいか。年の割には小さい方だろう。頭には黄色いリボンの付いたカチューシャ。
「……それ、かわいいな。」
と、カチューシャを指差してみると、値踏みするような視線が、一気にキッと鋭くなった。
「本を読むのに髪が邪魔だからよ。何か文句でもあるの!?」
おいおい、俺は一応褒めたんだぞ。ちゃんと聞いてたか?
そのカチューシャで目の周りだけじゃく、耳の回りの髪も上げておけー。
結局、俺と従姉妹殿との久方ぶりの対面はそれで終了し、従姉妹殿は居間で本を読み始めた。
しかし、他の従兄弟連中とは随分印象が違う。奴らはここに来たら一瞬たりとも大人しくなんかしてやしない。
鬼ごっこだのなんだのと遊び放題で、黙って本を読むなんて、考えられないね。
きっと父親の方に似たんだな。
そんな俺の感想は他の親戚連中も同じだったようで、めったに会わない姪っ子に対し、物珍しさも手伝ってか、やたらと話しかけていた。
「ハルヒちゃん、その本、なんて本なの?」
「SFです。伯母さま。」
「SF? なんか難しい本が好きなんだなぁ。」
「そんなことないです。伯父さま。」
目上の人間にはそれなりの言葉遣いができるらしい。
俺に対する態度とはエライ違いだ。……って、おい。
「それにしても、大人しくていい子ねぇ。うちの子たちに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらい。そろそろ学校から帰ってくる頃だろうけど、そりゃあもう、大騒ぎなんだから。」
この地方の学校はまだ夏休みに入っていない。北国の短い夏をもう少し楽しませてやってもいいんじゃないかと思うのだが、冬場に学校に通うことを考えると、この方がいいのかもしれんがな。
……なんて思っていたのもつかの間、奴らは一陣の風のように帰宅し、その後は暴風雨と化して家の中を暴れまわっていた。
やっぱり、北国の夏休みは短くていい。俺の地域の教員委員会はともかくとして、この北国の教育委員会は俺の都合も少しは考慮に入れてくれているようだ。
「おい、お前ら、家の中だぞ。少しは大人しくできないのか!?」
「やだよーっ。キョンが鬼だからそんなこと言うんだろ。べーっ。」
おいおい、俺とお前たちはいくつ年が違ってると思うんだ。
『お兄さま』とまでは言わないがな。あだ名でしかも呼び捨てというのはいかがなものかと思う。
あと、いつ俺が鬼をやることに決定したんだ? じゃんけんもしてなければ、天の神様にも伺ってないぞ?
「やれやれ。」いつものパターンか、と肩をすくめて視線を落とすと、あれから微動だにしなかったのか、と思うほどに同じ姿勢で、年の割には風変わりな従姉妹殿が本を読んでいるのが目に入る。
「……お前、鬼ごっこに入らないのか?」
つい、そう聞いた俺が間違っていた。
「イヤよ! なんで私がそんな幼稚っぽいこと。」
と、本から目も離さずに全否定。
従姉妹殿は顔は美少女といってもいいほどだったが、性格の方ははえらく可愛げが無いようだ。
「……まあいい。遊びたくなったら、二階に来いよ。お前、まだ二階見てないだろ?」
すると従姉妹殿はやっと本から目線を少しだけ上げてこう言った。
「もう、見たわよ。……ところで、二階への階段が何段あるか知ってる?」
「知らん。」
そんなこと知ってどうする。有事の際に避難経路として使うからか? それにしたって段数は関係ないだろう。
「14段よ。そんなことも知らないで、よく『見たこと無いだろ?』なんて言うわね。」
「……そうか。お前、シャーロックホームズが好きなのか。」
俺がそう言うと、従姉妹殿は……ハルヒは、年相応のきょとんとした顔になった。
「何でわかったの?」
口調も少しトゲが消えて、年相応の愛らしさが含まれているように感じる。……今までに比べれば、だ。
「まあ、俺も読んだからな。家に全冊置いてあるし。」
「……ふーん。」
トゲが消えた途端にハルヒの周囲には話しかける隙が生まれていた。
そうなると、人間、なんとなくその隙間が気になってしまうもので、そこを突こうという気になってしまった。
……わかってる。これも俺の間違いだったんだよな。
「で、あんた、やっぱり、ホームズ派なわけ?」
そんな生意気な口をきくハルヒに、年相応の威厳を見せてやろうとまで思っちまったんだ。
「んー、俺はワトスン博士の付き合いがいいところも好きだけどな。
つーか、ハルヒ。
お前も本ばっか齧ってないで、外で何か探してみりゃいいじゃねーか。
ホームズだって安楽椅子にボーっと座って事件を解決しているだけじゃなかったんだぜ。
すべからく、事件は現場で起きてるんだぞ。」
と、年長らしく人生について諭してやったんだが、この親切心というか単なるおせっかいというか気の迷いというか
何かそんな類の一言が、俺の今後の夏休み人生のほとんど……そのついでに夏休み以外の時間帯までのことを決められてしまうなんて状態になってしまうとは、思わなかったんだよ。ワトスン君。
そして、俺のその親切心(以下略)を聞いていたハルヒは、しばらく何事かを考えたような素振りをしてから、
いきなり立ち上がり、その大きな目をさらに百万ワットくらいに輝かせて、俺のTシャツの裾を乱暴に引っつかんで、こう高らかに宣言したのだった。
「そうよ! せっかくこんな田舎に来たんだもの!!
開拓者精神よ!! クラーク先生もホームズ先生もそう仰るに違いないわ!!
きっと、誰も発見していないような何かがあるに決まってるわ!!」
俺はといえば、そのいきなりの百万ワットにやられて声も出ない。
こんな場面に出くわしたら、かのジェームズ・ワットもオドロキだろうさ。
あと、ついでに突っ込んどくと、ホームズは「少年よ大志を抱け」とは決して言わないだろうよ。
そんな俺の心からの突っ込みは、声に出しても出さなくても、目の前の目を爛々と輝かせている少女に届くようには、到底思えないが。
「えーっと。キョン、だっけ。今から、このあたりの面白そうなところを案内しなさい!!
あんたも知らないんだったらそれでもいいわ。とりあえず、私に付いてきなさい!!
あ、少しお菓子と、ペットボトルに水と、虫刺され防止スプレーを持ってね。私、すぐ蚊に刺されるの。」
おいおーい。そんな急に人生の方向を変えなくてもいいだろう。
それと、人の都合は完全無視かー?
あと、『キョン』はやめろ。……もうそう言っても聞かないだろうがなー。
やれやれ。
「何よ。何か文句でもあるの? このまま鬼をやらされるよりはいいでしょ。」
一応、今までの周囲の会話は耳に入ってたんだな。
……それでも内容を無視していることには変わりないわけだがな。
「はいはい。どこまでもお付き合いしますよ。お帽子もお持ちしましょうか? お姫様。」
この場合、『女王様』の方が正しい用法だろうか、などと思いつつ、下を向くと、
先ほどの百万ワットが全部頬っぺたに集まったかのように、真っ赤になっているハルヒがいた。
「…………………………バカ!!」
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こんなイメージ。伝わりますかねー。
重ね重ね、人様のblogで長々とスミマセン。<(_ _)>
あ、「ちょっと前まで女子」には、さほど深い意味はありません。一応。(笑)
投稿: ふろん子 | 2007年2月22日 (木) 01:32
ふろん子さん、こんばんは^^
楽しく書き込んでいただけて嬉しいです。なんと二次創作妄想小説まで!!
面白かったですよ!!楽しく読ませていただきました^^
キョン情報かき集めましたか。
うん。
原作読んで下さい。
と、ツッコミを^^
そうですね。キョンが休みの時に親戚で集まる、という描写について今まであまり考えたことはありませんでしたが。
それはつまり、彼の親の家族関係がまずもって良好、ということがあるのでしょうね。
彼自身、妹とも仲が良いし。
「家族愛」ということでいうと、それは積み重ねをもって築き上げられるものなのかもしれませんね。
だからこそ、ハルヒに「家族愛」が決定的に欠けて見えることはキョンとの対比で印象的に感じられるように思います。
その印象があるからこそ、
>お父さんに何かあった(離婚とか。死んだとかは無いかも。死んだ人を「オヤジ」とは言わない気がします)、とかかなぁ
という想像って、やっぱりしますよね。
でも、さすが女性。
>ある日、ハルヒが『子供』から『女子』になってしまったか(男女両方をやる気でいたのに、自分が女でしかないことを自覚せざるを得ない出来事)
というのは、僕は全然考えたことがありませんでした。
なるほど。僕は男なので当然そういった変化を経験したことはないので、想像がつかないのですが、相当、女の子の内面に大きな影響を与える出来事なのでしょうね。
ものを書く(描く)人間としては、そういったことにもっと興味を持って調べる必要があるなぁと改めて思います。勉強になります!
そのことでいうと、男の場合、初めて性的興奮を伴って出すことを経験するのが、だいたい10歳くらいなんですよ。
で、そういう性的に目覚めた時期というのは男にとっては刻み込まれるもので、無意識にその時と同じ年代の女の子に対して興奮を覚えてしまう、ということもあるようです。なので、そういう部分も含めて僕はキョンをシスコンのロリコンと見ているということがあります。
その辺り、ハルヒはファザコン仮説でショート漫画を描いた時のコメントのお返事で書いたり…あれ?これは別だったかな。
ふろん子さんが発見した「男装のハルヒ」は、「桜蘭高校ホスト部」の藤岡ハルヒ嬢ですね。
あの作品も非常に面白い作品ですよ。機会があればご覧になって下さい^^
>うーん。シロウトの私にこういうことをさせるとは、すごい作品です。(笑)
シロウト?嘘おっしゃい!!
これで原作未読?と、かなり驚かされました。そもそも読みやすいし、描写も的確だし。文章を書き慣れていらっしゃる?
とても面白かったですし、興味深い作品だなぁと感じます。
というのも、一人っ子の女性として、ハルヒに対する感情移入を前提とした上でのキョン視点、ということなわけじゃないですか。
だからこそ、この「ハルヒ」が「キョン(またはキョン的立場)」にどういった期待をしているのかが、すごく滲み出ているものになっているように思います。
従兄弟達に甘えられているキョンを実はしっかり見ていたり、一旦甘えが出ると一気にそれが噴出してきたり。
なるほど。
ふろん子さんが「精神的に実体験」したものが込められているのでしょうね。
このイメージ、非常に良く伝わってきます。
このイメージを、ハルヒのキョンに対する「実感」として捉えることができるわけですね。
恋の入り口なんだけど、まだ恋じゃないような。だけど、確実に勢いをもってそっちに行きそうな。いやこりゃ甘酸っぱいですね!!
イメージとしても非常に分かりやすいものですが、そもそも読んで楽しいものですので、コメント欄にだけ置いてあるのももったいないので、ちょっとこの「妄想」ピックアップして記事にしちゃいますね。
挿絵つきで。
>重ね重ね、人様のblogで長々とスミマセン。<(_ _)>
いえいえ。作品を一緒に楽しむことができてとても嬉しいです^^
というか。ご自分のブログをお持ちで?
差し支えなければ、良かったら教えて下さいね^^
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2007年2月25日 (日) 02:19
すんません。
別口で長文書いちゃったので、ここでは一言。
私には、キョン的従兄弟が居ませんでした……。orz
投稿: ふろん子 | 2007年2月27日 (火) 02:03
巡回サイトに追加します!
投稿: | 2007年3月20日 (火) 23:40
2007年3月20日 (火) 23:40にコメントを下さった方。巡回して下さるとのこと、ありがとうございます^^
より充実して楽しんでいただけるよう、頑張っていきますね!
投稿: だんち | 2007年3月22日 (木) 21:14