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2006年8月24日 (木)

「ARIA The NATURAL」第21話を見た。

 こんにちは。だんちです。「ARIA The NATURAL」第21話を見ましたので感想を書きたいと思います。
 吉田玲子さん脚本で、今期第1話からのケット・シーと灯里のエピソードに決着をつけたお話でしたね。いや、意図があるだろうとは思っていましたが、こういうお話にしてくるとは思っていませんでした。非常に良かったです。

 僕は「トラム通り」の描写の仕方が、第一期の第12話に近いように思って、思い出して重ね合わせて見ていました。
 あの回では、灯里が過去のまだ水が乏しかったアクアに迷い込んでしまい、そこで水が流れてくる瞬間を目撃するというお話でした。
 あのお話は優しい雰囲気の中に、虚構の理想の世界に逃げ込むことを拒絶する骨太さを込めて視聴者に叩きつけてきたように、僕には感じられてすごく印象的でした。

 アクアが希望と失望と努力と結束とで作り上げた世界であることを示したあのお話。
 それを踏まえた上で今回のケット・シーと灯里との邂逅を見ると、なんとも言えない充実した感動を味わうことができるように思います。

 相変わらずの素晴らしい選曲に乗せて、ケット・シーと灯里が歩み寄って触れ合って、お互いを確かめ合うシーンが畳み掛けられる頃には、僕はもう涙をだーだーと流しまくっておりました。

 僕は、今期のシリーズ構成は「灯里が本物のアクア人になる過程を描くドキュメント的な構成」である、と途中から見るようになりました。
 それはまぁ、だいたい当たりなんだろうなぁとも思うのですが、それがウンディーネという仕事上のことや周囲の人間関係のことだけでなく、ああやってケット・シーとのエピソードまでも含めて見せてくるとまでは、まったく思っていませんでした。
 さすがに、前回くらいから「そういう見せ方をするのかな?」と少しは思うようになりましたけれども。
 しかし、ここまで構成の読めないシリーズはちょっと初めてです。
 あ、いや、「蟲師」もそうだったかも。

 こういった構成は「ドキュメント的」というところがヒントになることなのかもしれませんね。
 ラストを決めて、そこに向かっていく手法で構成するというよりは、一人の人間が成長していく過程を時間経過と共にカメラを背負って追い掛けるような作り方でもあるのかもしれません。
 あぁ。そうか、だから「NATURAL」なんでしょうね。なるほど。そういうことだったのか…。
 それを「計算しない」手法ということはできるのかもしれませんが、その「計算しない」ことを「計算して」構成しているところが、なんとも凄いことだと思います。

 「蟲師」では、原作のエピソードをああいう並べ方にすることで大きなストーリーを長濱監督目線で作り上げて、原作のエピソードを忠実に再現しながら「長濱監督オリジナルの蟲師」を作り上げるという素晴らしい仕事を見せてくれました。
 「ARIA」においては、原作のエピソードを足したり引いたりはしていますけれども、原作のエピソードを佐藤監督が基準を持って並べ替えることで、そこに大きなストーリーを作り出すという作り方をしている点で「蟲師」のアニメシリーズと共通した部分があるようにも思います。

 灯里は、夢を実現させるために、一人故郷を離れている少女なわけですが。そこの部分を真正面から見るならば、こういう構成になるのはとても自然なことなんでしょうね。
 彼女は、自分が理想とする場所にいて、その環境を積極的に受け入れていって、そこで成長していって。多くの出会いを得て、多くの人を受け入れていって。
 それによって、出会った人々にも受け入れられていって、環境そのものにも受け入れられていく。
 そのことを象徴的描いたのが、今回のお話なのでしょうね。
 しかも、「アクアの心」と表現されたケット・シーが環境を象徴する存在であるのなら、アクアの環境は第一期の第12話で見せてくれたように、多くの人達の願いと努力によって生み出されたものなわけだから、過去からの人々の積み重ねそのものなのだと思えます。
 そこには、第一期のオリジナルエピソードである、開拓時代に事故死した技術者の墓前にメッセージを届けに行ったお話のことも、当然含まれてくるのだとも思います。
 そのことも思い出したから、灯里がケット・シーのことを「アクアの心」と表現する時に、水が映ったことがとても感動的に感じられたのでしょうね。

 第一期からネオ・ヴェネツィアのことを「この街は奇跡でできている」と灯里は表現していたわけですが、同時にその「奇跡」は理想を実現しようとする人々の努力によって生み出されたことも描写され続けていました。
 その意味では「アクアの心」というものは、「奇跡を起こした人々の心」とも言えるのではないだろうか、と僕には思えます。
 アクアを作り出し、また守ってきた多くの人達の心が環境となり、それが後に過ごす人に受け入れられ、また守られていくことが、ケット・シーと灯里の触れ合いで描かれたのだとしたら、そこには大きなメッセージが込められているように感じられます。

 未来に対して何をするのか。

 そう考えると、灯里がずっとアイちゃんとメールのやりとりをしていることもすごく意味のあることに思えてきます。
 アイちゃんは、視聴者の代理的立場だと僕はずっと見ているのですが、それだけの存在ならば、灯里と同年代でもまたは年上でもいいんですよね。だけど、アイちゃんは灯里よりも年下で子供。それは「未来」を象徴する存在だとも見れるのかもしれません。
 未来のある子供とずっとメールのやりとりをしている灯里。
 灯里が本物のアクア人となり、夢を一歩一歩実現させている姿を感情移入して見るならば、その時点から今度は僕ら視聴者は灯里の方をこそ代理的立場として見ることになるのかもしれません。
 今までは、理想の環境からメールを送ってくる灯里を見る立場だったんだけど、この第二期を見ていくと、最後にはアイちゃん(つまり、今よりも未来)にメールを送る立場になっていくのかもしれません。

 過去からの人々の努力や希望、または失望も含めて全てを受け止めて、そこで未来に対して「奇跡」を残していくこと。

 そんなことが、メッセージとして込められているのであれば、やはり「ARIA」のアニメシリーズは「社会派アニメーション」だということがいえるのかもしれませんね。

 この物語が「未来」の物語であることからも、見ていると、自分が生きていって死んだ後の人々に、何を残していけるのかということは、やはり考えてしまいますね。

 このシリーズが、最後に何を伝えてくれるのか。
 見届けることが本当に楽しみです。

 ではでは、またです!

 参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」
    :「『音響監督佐藤順一』の手法に注目してみる」

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