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2006年8月26日 (土)

「オシムの言葉~フィールドの向こうに人生が見える~」の感想文を書こうと思ってみた。

 こんばんは。だんちです。暑い中Jリーグも熱戦が繰り広げられておりますね。BSでやっていた新潟対大分も熱かったですね!両チームとも良く走ってよく戦っていました。いい試合でした。
 明日は水沼マリノスがどんな戦いを見せてくれるのか楽しみですね。

 さて、学生さんはそろそろ夏休みが終わる頃ですね。宿題は皆さんもうやっておりますでしょうか。読書感想文全国コンクールとやらの課題図書になっている「オシムの言葉」なんかの読書感想を宿題として提出する人も多いことでしょう。
 「よし!俺もいっちょなんか書くか!」とか思ったのですが、高校生でもないのでちゃんとした感想文を書くのではなく、思ったことを思うにまかせて書き止めていってみようかと思います。
 これから感想文を書く高校生の方がうっかり参考にしちゃえるようなものにでもなりゃいいのですが。さて、どうなりますか。

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 この本において重要な登場人物は、まず何と言ってもイビツァ・オシム氏なわけですが。もう一人重要な人物がいます。それは、何のことはない、著者である木村元彦氏です。イビツァ・オシムの半生のルポルタージュだということで、オシム氏のことだけに目を奪われては見えてこないものもあるように思います。

 僕は木村氏の著書である「誇り」「悪者見参」を読んでいたので、彼が自分の視点で思い入れと自身の情緒を込めまくって熱く語るジャーナリストであることを知っていました。だから、「オシムの言葉」を読んだ時に、「あ。この本はかなり気を遣って書いたんだな」と感じ取ることができました。
 その気の遣い方は、木村氏の書き方の一つの特徴であると思える「はっきりした自分の視点」というものを、なるべく感じさせないように、自分が感じたストーリーを読者に押し付けないように、というものであるように感じます。
 つまり、イビツァ・オシムという人物をなるべく木村元彦という人間のフィルターを通さないで感じ取らせるように書いている、ということを感じたわけです。
 だから、少し淡々と、事実を並べるような部分があったり、その事実と事実の間に、「削除された文章」があるように感じられたりもしました。そのため、ちょっと読みにくいところもあるんですね。でもそれは、他の著書を読んだ印象からすると、木村氏の文章技術力のためにそうなったということではなく、「意図によって」そうなったのだ、と思えます。その意図こそが「イビツァ・オシムという人物そのものを『意図を持たないで』伝えたい」ということなのだと感じます。

 では、その「意図を持たない」という意図はなぜ生まれたのか。

 そこを読み解くことは、この本を楽しむことの一つの醍醐味でもあるかな、と思います。
 この本は、イビツァ・オシムと木村元彦という二人の人物が出会ったからこそ生まれたものです。
 それは、37ページの最後の方から38ページにかけての、二人の会話、特にオシムの発言にはっきりと表れているように思います。

 「新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。」

 と言われたジャーナリストが、どんな思いでこの本を書いたのか。
 そこに思いを馳せると、木村氏が自分の視点や情緒が読者の印象を方向付けないように、ジャーナリストとしての持てる技術とプロ意識とを総動員して懸命に著述したのであろうということが感じられます。
 ジャーナリストとしての、存在意義や矜持。
 そういったものを込めて書き上げられた本なのだとして見るならば、「フィールドの向こうに人生が見える」ように、「文章の向こう」にも木村氏の人生が見えてくるのかもしれません。
 
 
 この本を読んで印象的だったことの一つに、佐藤勇人選手のエピソードがあります。
 才能や能力があっても指導者に理解されず、モチベーションを落としサッカーを辞めかけていた佐藤勇人選手。しかし、イビツァ・オシム監督と出会って変わっていくわけです。このエピソードは課題図書として高校生に読ませるだけでなく、是非とも学校の先生方も「課題図書」として読むべきものですね。
 今や日本代表選手にまでなったサッカー選手であっても、指導者に理解されなければ海や街に出掛けて遊んでその才能を殺してしまい、そのまま終わっていたかもしれない。
 佐藤選手は素晴らしい指導者に出会ったからいいけれども、理解されないまま埋もれていってしまった選手はやはり山ほどいるのだろうと感じさせられるエピソードでもあります。
 このことは、サッカーに限った話ではなく、どんなことにもあるのだと思います。

 自分を分かってもらうことで、やる気になり努力をし、やるべきことをやれるようになる。
 逆に、分かってもらえないことでやる気を無くし、やるべきことをやらないようになる。

 佐藤勇人選手のエピソードは、指導的立場にある人間にとってはよくよく肝に銘じるべきものでしょう。
 では、なぜイビツァ・オシム監督が佐藤勇人選手をサッカー選手として復活させることができたのか。それは、変な先入観を持たず、目の前の人物をそのまま見る、ということによって成し得たことなのだと思います。
 指導者として、全ての選手を色眼鏡無しで、ありのまま見る。
 つまり、
 「意図を持たないで見る」
 ということなのだと思います。
 先の「意図を持てば世の中を危険な方向に導ける」ということを当てはめるならば、「意図を持てば才能をダメにすることもある」という感じでしょうか。
 この場合の「意図」とは、「自分にとって都合のいい方向性」ということですね。
 自分が思った通りのことをする選手であれば、それは都合がいい。だから選手を都合のいいように動かそうとする。そうでない選手は使わない。

 そういったやり方、指導方法は人をダメにする。人をダメにすれば組織がダメになる。
 それをサッカーだけに限らず教育全般に広げて見てつきつめていけば、社会だってダメになるということが言えるでしょう。

 イビツァ・オシムはそうしない。
 全ての選手を平等に、ありのままそのまま見る。
 だからひたすら厳しい練習をさせるし甘やかすようなことはしない。
 そのことは、実は指導者として「ものすごくまともで当たり前のこと」をしている姿なのだと思えます。

 その、ものすごくまともで当たり前のことをできる人物だからこそ、発せられる言葉にもまた大きな魅力が備わるのだろうと思います。
 でも、注意してよく読んでみると、イビツァ・オシムの言葉には二種類あるように感じます。
 メディアに向かった時の言葉と選手に向かった時の言葉と。
 ものすごくまともで当たり前のことは、言葉にした時、あまりにも強烈になることがある。それをメディアに向ける時には表現の仕方を工夫し、選手に向ける時にはそのままぶつける。
 そしてそのことも、考えてみれば、やっぱり「すごくまともで当たり前のこと」なのだな、と思えます。

 すごくまともな人だからこそ、人を育てられるし、結果を出せる。
 イビツァ・オシムという人物は、そういう指導者なのではないだろうか、と僕は思います。

 都合のいい身勝手な方向性を持った意図で自他を見ず、あるがままをそのまま当たり前のこととして受け取る。そして、まともで当たり前のことをする。
 そのことは、言葉にすれば簡単だけど、実際に行うことは当然難しいものでしょう。イビツァ・オシムも最初ジェフでは選手達から練習内容に対する反発を受けたようですし。
 「私の人生そのものがリスクを冒すスタイルだった」と語るイビツァ・オシム監督。それはつまり「まともで当たり前のことには、リスクがあるものだ」という一つの真実を表すことであるようにも思います。

 だから、僕はこの本を読んで思うのです。

 イビツァ・オシムはただリスクを冒して生きてきたわけではなく、ものすごくまともで当たり前の思考と行動をするからこそ、同時にリスクを背負って生きてきたのではないだろうか。と。

 そのことは、自分のこれからの人生にとっても大きな教訓と勇気を得るものです。
 このことを学ぶことができたのは、最初に述べたように著者の木村元彦氏が「(余計な)意図を持たないように」書いてくれたからだと思います。
 多くの人が、この本から何かを学べることを心より念願して、この記事を終わります。

 ってな感じで。またです!

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