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2006年8月 5日 (土)

サッカー日本代表監督人事に関する私見。

 こんにちは。だんちです。サッカー日本代表、オシム監督が選出したメンバーが発表されましたね。会見の様子もテキストで読んだりしましたが、さっそくメディアとやりあっておりますね。記者さん達はそんなにオシム監督にジーコ批判をさせたいのかねぇ。

 代表監督の評価やその人事に関して評価する時、過去からの経緯を見ておくことがその助けになるのだと思います。そういったことを、ここ最近ずっとぼんやりと思っていました。
 ちょっと個人的にその辺りのストーリーを追ってまとめてみました。
 過去の出来事を、勝手に個人の印象で肉付けするというものですから、「一ファンの戯言」ということでご了承下さい。

 現在の代表監督人事やその評価の仕方には、過去からのあり方が大きく影響を与えているのだろうということは、何年か代表の様子をファンとして見ている中で感じます。

 僕が知っているのはオフト時代からですが、その前の横山時代の影響もあるのでしょう。
 6年間でチームを作り上げる計画だった横山ジャパンが、結果を出せない中で協会は方向転換。
 初の外国人にして初のプロ監督、ハンス・オフトを登用。
 これが、プロ化する日本サッカーの代表での大きなターニングポイントにもなったのでしょうね。

 結果を出せない横山監督を断念してオフトにした。
 するとオフトは結果を出した。最後はW杯には行けなかったけれども、あと一歩というところまでついに進めたのは大きな進展だったわけですね。

 ここでポイントになるのは「外国人監督」と「結果」ということでしょう。

 オフト以降、「結果を出せる外国人監督で」という考え方が監督人事の基本になって、ファルカンを招聘。
 ファルカン時代は、一気に選手を若返らせて、なかなか将来性のある面白いチームになっていたと思います。僕はあのチームすごく好きでした。
 だけど、オフトと違い日本でのコーチ経験のない外国人であるファルカンは、協会や選手とのコミュニケーションに問題があったようで、大きなストレスを発生させてしまったようです。
 そこで、ファルカンはお役御免。
 外国人監督は扱いにくい、ストレスが大きすぎる。という、情緒的な部分も多分に含まれた理由が主なものだったような印象もありますが、契約終了の理由は「結果を出せなかったから」というものになります。しかし、目の前の結果を求めれば、ファルカンもそういうチーム作りをしたんではないでしょうかね。
 内容や将来性は度外視。目の前の「外国人ストレス」がそれだけ大きなものだったのでしょう。

 今度は、ストレスの無い日本人をセレクト。
 オフト以前と違って、日本人のプロ監督が既にいて、結果も出しているんだから、登用したっていいんじゃないか?という判断なのか、加茂監督が登板。
 世代交代をじっくり進める加茂監督の手法は、ストレス無くベストの選手達を選出していくもので、絶妙だったように思います。この頃、国内の親善試合が増えていき、当時の日本代表は日本国内では無敵とも言うべき結果を重ねていったように記憶しています。でも、それは真剣勝負での結果とは違うもの。内容には多くの問題を抱えていました。
 そこで、加藤久率いる当時の強化委員会は加茂監督の代表チームの内容を検討、このままではW杯予選を勝ち抜けないと判断。当時日本で最も結果を出していた外国人監督の一人、ネルシーニョを代表監督にする人事を協会に発案。
 協会側も強化委員会の考えに従い、加茂の契約終了と同時にネルシーニョに交代、という運びになるはずでした。
 ところが、協会側はネルシーニョをギリギリで捨て、加茂と再契約。
 この事件で加藤久を始めとする強化委員会のスタッフが辞任。代表をバックアップする体制が一気に弱体化。その影響を大きく受けたのが当時の西野五輪代表だったりもしたわけですね。
 ネルシーニョも激怒。「協会には腐ったミカンがいる」なんて痛烈に非難しておりました。

 この事件は、後の人事にとってもとても大きな影響を与えているように思います。

 「外国人ストレス」を積極的に受けるのは嫌だから、とりあえず目の前の結果を出している監督ならば、わざわざ換える必要が無い。
 そういう判断があったように思います。勿論、協会側にも言い分はちゃんとあるんでしょうけど。流れを見てみると、そう受け取れるように思えます。

 ここでポイントになるのは、「結果が出ていればいいじゃないか」という消極的な判断による人事をしてしまった、ということ。
 強化委員会の発案通りの人事で上手くいったかどうかは当然分からないことだけど、少なくとも「内容で監督を換える」という前例を作ることができるチャンスだったように思います。それは、将来にとって大きな前例になったのかもしれません。
 ところが、「(将来の結果を得るための)内容」は捨て、「(その時の)結果」を重視。
 以降、これが前例となってしまうわけですね。
 代表監督人事において、内容で判断することができなくなってしまった。
 なぜなら、日本は「前例社会」だから。
 プロ化したばかりの日本プロサッカー。
 でも、時間を重ねていくことで、一つ一つ前例ができてくるわけですね。

 「外国人監督は結果を出せる(オフトが作った前例)」
 「外国人監督は日本人にストレスを与える(ファルカンが作った前例)。日本人監督の方がストレスは無い(それまでの前例)」
 「欲しいのは結果。ならば内容云々で換える必要は無い(加茂続投でできた前例)」

 そして、更に「前例」がこの後も積み重なっていくわけですね。

 加茂監督はW杯予選で結果を出せず解任。
 岡田監督で予選突破。

 「結果を出したから」

 なのでしょう、岡田監督続投。
 この人事には、外国人監督を招いて初のW杯に余計なストレスを受けながら参加するのが嫌だった、というのも理由にあるように思えてしまいます。
 W杯は三戦全敗。
 岡田監督はその後の続投要請を固辞。
 W杯では結果を出せなかったけど、協会サイドとしては、おそらく「予選突破」の結果を大きく評価しての続投要請だったのでしょうね。あと、「日本人だから」というのも大きかったのでしょう。

 しかし、ここで人事は一旦白紙に。
 日韓W杯では予選は無い。となると、W杯での結果を求めるという段階になってくる。
 日本人監督では、結果は出せない、という前例がある。
 そうなると、今度はやはり外国人監督にやってもらうしかない。
 そこで、「外国人監督は結果を出せる」という前例に従ってトルシエ登場。
 トルシエはWユースや五輪で結果を出していき、W杯でもベスト16に進出。「外国人監督は結果を出せる」という前例をさらに強化することとなりました。
 同時に「外国人監督は日本人にストレスを与える」という前例までもがっちり強化。
 でも、ファルカン時代の失敗のこともあるから、このトルシエの時は協会サイドも頑張って耐えたのでしょうね。「結果が欲しければ、外国人ストレスは仕方ない」って。
 だけど、終わってみれば、やはりそれは日本人にとってはキツイものだったのでしょう。

 そこで、今度はこういう基準になったのではないでしょうか。

 「外国人で、日本人にストレスを与えない監督」

 前例の積み重ねが生み出した監督像ですね。
 その基準に従って就任したのがジーコ。
 ジーコはアジアカップ優勝、W杯予選突破などの結果を出します。また、選手や協会にストレスを与えることもない。
 なんとも、平穏な監督だったことでしょう。
 しかし、その内容はW杯で求められる結果を出せるようなものではないことは、明白だったように思います。
 ドイツW杯で日本代表が結果を出せなかった時、驚いた人は少ないのではないでしょうか。
 「まぁ。あの内容なら当然だろう」という評価は多くの人にあったと思いますし、僕も「やっぱりな」と思いました。
 ジーコ監督時代、「このままではW杯では勝てないから監督を換えよ」という意見は多かったと思います。でも、僕は誰が何を言っても、それは無いだろうな、と思っていました。
 それは、「前例が内容で監督を換えることを否定している」という認識があったからです。
 ジーコが連敗を重ねたりしなければ、まず無い、ということですね。

 加茂時代に、「内容で監督を換える」という前例を作っておけば、あるいはその後の歴史も違ったものになったのかもしれませんが。
 また、ファルカン時代に「将来を見据えた強化」というものに対しても評価しなかった前例もあるわけですし。
 「監督は目の前の結果」という前例もあるし。
 要求したりされたりの「ストレスは嫌だ」ということもあったのでしょうし。

 そういう、前例の積み重ねがあることを前提にしないと、ジーコ時代の四年間を評価することは短絡的なものになってしまうのではないかな、と僕は思います。
 そのこともあって、ジーコ批判発言はしないようにしてきた部分もあります。
 ジーコを評価する前提にはトルシエが生み出したストレスの大きさを考慮しなければならないと思うし、トルシエの前提には加茂&岡田があるし。その前提にはファルカンやオフトがあるし。そのまた前提には横山があるし。

 「外国人監督でノーストレス」

 という、美味しいところ取りを目指して必然的に失敗したジーコ時代。
 でも、選手も協会も、トルシエが生み出したストレスからはかなり解放されてリフレッシュもしたことでしょう。
 それだけ、自国開催のW杯で結果を出すことが大変な大仕事だったと思えば、その後の四年間で弛緩していたのも、まぁ仕方ないことと見てもいいのかもしれません。人間はマシーンじゃないんだから。
 でも、リフレッシュしつつも屈辱を味わって、今度はまた「ストレスを受けたって結果を出そう」という意識に切り替わってきた部分もあるのではないでしょうか。
 でも、日本人や日本社会のことを分かっている人で、最低限のストレスにしたいという思いも当然あることでしょう。
 成功や失敗から生み出される様々な前例が積み重なって、やっとバランスの取れた監督像が浮かび上がってきた、ということなのかもしれません。

 そこで、オシム監督就任。

 千葉から強奪する形になったのは、余っている監督を据える、というこれまでの形とは違ってチームに所属している監督を招聘するというやり方を心得ていなかったからなのでしょう。そういえば、加茂が監督になる時もいろいろ揉めたことがあったような記憶もあるのですが…。なんだったっけ。日産の監督時代、代表監督にするのなんのって話があったんだけど、二転三転して結局無しになっちゃって、っていうことだったかな。ちょっと思い出せません。
 今後もJリーグの監督から代表監督へ、という形はあるでしょうから、そういった経験を反省材料にして、より良い前例作りをしていってもらいたいですよね。

 オシム監督がどういうチームを作っていくのかは、当然興味があることですが、協会の方でも、目の前の結果だけでなく内容を評価する前例を是非作って欲しいですね。
 オシム監督によって、それまでの前例が改善されていくのかどうか。今までの流れの上から見つつ、これからの流れも視野に入れつつ、興味を持って見ていきたいと思います。

 オシム監督は早速重複した日程での親善試合のスケジュールに苦言を呈しているようですが、強化とスポンサーの思惑とファンの満足が、上手く融合する四年間が築き上げられていって欲しいと念願しています。

 それでは、乱文乱筆失礼いたしました。

 またです!

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コメント

こんばんは。たこーすけです。

遅くなってしまいましたが、コメントを書き込ませてください。

この切り口は面白いです!すごくわかりやすいですね。
なるほど、と頷くことしきりでした。

なんだか、いろいろと思い出してしまいました。
オフト監督の時は……ああ、都並が骨折をしてさえなければ……
ファルカン監督の時は、小倉とかが抜擢されたのでしたっけ。彼も怪我さえなければ…アトランタもまた違っていたでしょうね。
加茂監督の時に真っ先に思い出すのは、国立での韓国戦です。サッカーを見ながら泣いてしまったことは、あまり記憶にないのですが、山口素のループシュートには、もう、ぼろぼろと涙が流れて止まりませんでした。あれは本当に美しかった。
岡田監督になって、予選最後のイラン戦は、突破して嬉しかったというよりは、ひらすら岡野に対してフラストレーションが溜まったというか(笑)。

しかし、加藤久さんは稀有な人材でしたよね。日本サッカーの特異点な感じがします。彼を活かしきれなかったのは、とても残念なことだと思います。

小野の大怪我はトルシエ監督のオリンピック予選の時でしたっけ。
なんだか、小野はいつもここぞという時に何かあって、歯がゆいです。
日韓W杯の時は盲腸だったし。この春だって怪我をしてましたよね。
翼くんを生んだ国で、唯一、翼くんになれる選手な気がしていたのですが……

歴代の代表監督を見ていると、その時々の協会会長も思い出したり。
長沼さん、岡野さん、川淵さん。
考えると、みなさん、クラマーさんに薫陶を受けた世代なんですよね。
なんというか、なあんだ、まだその世代か、というか。
だから、もう何世代か回った時。選手としてW杯を経験した人が会長になっているような頃。
もう少し、この国のサッカーを取り巻く環境は落ち着いているんじゃないかなと思います。
ぼくらが孫に「カズっていうのはな…ヒデっていうのはな…」とか語るような頃。

クラマーさんが日本サッカーの父であるように、オシム監督もまた、この国のサッカー、及びそれを取り巻く環境を、大きく発展させてくれる気がします。ほんと、ワクワクしますね。

それでは。

投稿: たこーすけ | 2006年8月29日 (火) 03:08

たこーすけさん。こんにちは^^
取材をしたわけでもないしジャーナリストでもないわけですが、何年間かサッカーを見ている中で感じていたことをまとめてみたかったんです。少しは何か見えてくるんじゃないかなぁって。それを楽しんでもらえて嬉しいです^^

いろいろ、思い出しますよね。
当時JFLだったジュビロから吉田光範と一緒に中山が活躍して。ああいうゴンみたいな活きの良さを持った選手にまた出てきて欲しいなぁと思ってしまいます。
都並の骨折は残念でしたよね。「狂気のサイドバック」なんかを読みふけっては都並が出たらどうだったんだろうか、とか思いを馳せてしまっていたものでした。
ファルカン時代は小倉もそうだし、前園や岩本なんかも選ばれていましたね。印象に残っているところでは右サイドの森山とか長身FWの佐藤とか。一芸に秀でるタイプの選出も目立っていたように思います。彼の選出眼は面白いものでした。もう数年見てみたかったなぁ。

>加茂監督の時に真っ先に思い出すのは、国立での韓国戦です。サッカーを見ながら泣いてしまったことは、あまり記憶にないのですが、山口素のループシュートには、もう、ぼろぼろと涙が流れて止まりませんでした。あれは本当に美しかった。

あれは興奮しましたね!!ナイスゴールでした。仰る通り本当に美しかった。
残念ながら負けてしまいましたが、スポーツであれだけの興奮を味わえることを知ったのは、まさにあの試合だったようにも思います。
韓国の選手では、コ・ジョンウンとかホン・ミョンボとか好きだったなぁ。ノ・ジョンユンが広島を去る時の日本語の挨拶とか人柄が出ていて素晴らしかった記憶があります。

加藤久さん率いる強化委員会はちょっと日本では早すぎたのかもしれませんね。彼はプロ選手経験者なわけだけど、フロントはアマチュアで。学閥やら出身チーム閥やらも、あったでしょうし。「読売出身」というところも、ちょっと不運に働いた部分もあるのかもしれませんね。まぁ、憶測ですが。
今後もまた、なんらかの形で活躍して欲しいですよね。

>歴代の代表監督を見ていると、その時々の協会会長も思い出したり。
長沼さん、岡野さん、川淵さん。
考えると、みなさん、クラマーさんに薫陶を受けた世代なんですよね。
なんというか、なあんだ、まだその世代か、というか。

そうなんですよね。プロ化して、情報化社会ってなこともあって世界のプロサッカーと並べて見る側は見てしまうわけですが。日本のサッカーはまだまだアマチュアからプロになりかけている、思春期みたいなもんですよね。

>だから、もう何世代か回った時。選手としてW杯を経験した人が会長になっているような頃。
もう少し、この国のサッカーを取り巻く環境は落ち着いているんじゃないかなと思います。

本当にそう思います。少しずついろんなことが変わっていくんでしょうね。選手の意識も、メディアもファンの意識も。
漫画の世界でも変わっていって欲しいなぁ。
オフザボールの動きやコーチングもしっかり描写されるようなサッカー漫画、読みたいですね。俺が描くか!

何はともあれ、オシム監督には「いいサッカー」がどういうものか、を僕らに教えていただきたいと念願せずにはおれません。中東遠征も楽しみですね!

投稿: だんち | 2006年8月31日 (木) 13:07

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