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2006年9月 1日 (金)

「ARIA The NATURAL」第22話を見た。

 こんにちは。だんちです。「ARIA The NATURAL」第22話を見ましたので感想を書きたいと思います。
 脚本、演出平池芳正氏という平池さん祭りでしたね。楽しい30分でございました。

 本編の楽しさはそれはそれとして味わいつつ、今回もシリーズ構成上のメッセージ性についての印象を書こうかと思います。
 というのも、前半と後半のアイちゃんのメールが印象的だったからです。

 一つ目が、「未来」ということ。二つ目が「早くそこに行きたい」ということ。

 それを聞きつつ、ああやっぱり、前回思ったことは間違っていないのかも、なんて思いました。
 繰り返しになりますが、このシリーズは灯里の成長をドキュメント的に描くことで、理想の環境で本物の生活者になっていく、つまり「本物の自分自身になっていく」ドラマである、と見ることができるのだと思います。

 マンホーム(地球)からやってきた灯里は、アクア(開発された火星)という理想の世界では仕事をしつつもどこかお客さんで。「余所者」でした。
 彼女は「こっち(視聴者がいる地球含む)」から「向こう(理想の世界。虚構のアニメーション世界)」に踏み込んだ人物だと見ることができるのだと思います。
 「向こう」で灯里は様々な出会いを経験し、そこにある現実、多くの人の努力や死があって理想の世界が築き上げられたことを知ります。
 そのことを、毎回毎回マンホームにいるアイちゃんにメールするわけですが、それはアイちゃんを視聴者の代理的立場として見立て、視聴者である僕らに「理想は命がけの努力によって成し遂げられるんだ」ということを訴えてくるものであると感じます。
 それが、前期シリーズ。
 アニメーション作品として存在し、それを視聴することで現実逃避を受け入れつつ、しかし現実逃避はあくまで「精神の観光旅行でしかない」としっかりと突き放してくる、そんな作品であると僕は思って見ていました。

 そして今期では、灯里は余所者から向こうの現実を生きる向こうの住人となっていく成長を遂げていきました。
 理想を現実として生きるというその姿は、前期とは違い「向こう」と「こっち」には違いが無いということを教えてくれるものであるように思います。
 その姿を見ていくと、「向こう」と「こっち」が繋がってきて、現実を生きる僕たち視聴者と灯里とが同じ地平を生きる者になっていくことになります。
 「向こう」に行った人を「こっち」から画面を通して見ていたのが、画面を通して、一緒に生きることになる。
 ドキュメント的な構成を取ることで、灯里こそが視聴者の代理的立場へと変貌していく、というものになっていくわけです。

 となると。
 アイちゃんはどうなるのか。
 アイちゃんは今までは視聴者の代理的立場だったわけですが、灯里が代理的立場に立っていくことになると、当然そのアイちゃんの立場も変化していくことになります。
 それが、「未来」を象徴する立場なのだと思うのです。
 アイちゃんが子供であるということから、そういう意味が生まれてくるわけですね。

 今まで、視聴者はアイちゃんと一緒に灯里からのメールを受け取っていたわけですが、今度は灯里と共に僕らはアイちゃんにメールを出す立場になる。
 それはつまり、「未来」に対してメッセージを出す立場、ということ。

 灯里の成長をドキュメント的に描くことで、「現実」というものの理想的なあり方を見せることが可能になっているのだと思います。

 今期のシリーズは、ずっと「過去から繋がってくる現在」というものを表現していました。
 それが、ゴンドラとの別れによって、「未来への繋がり」へと結実し、その出来事を経て過去から積み重なってきた「アクアの心」であるケット・シーに抱き締められる。
 その上で、「未来」へとメッセージを発信する。

 そういうシリーズであると認識すると、視聴者である自分がこの現実をどう生きるべきか、の理想的なあり方をそこに見ることができるのだと思えるわけです。

 今ある現実を、そこだけ切り離して考えることは、やはり不自然で。
 過去からの積み重ねである現在を受け止め、そこで生き、未来へと繋げていく。
 そのことは、とても自然なことなのではないだろうか、と改めて思うのです。

 だから、アイちゃんが、「未来に」「そこに行く」と応えてくることが、とても意味があることに思えて、目が覚めるような感慨を味わうことができます。

 未来を生きる人に、「その現実を生きたい」と思わせる。
 そんな現在、現実を生きて、未来に繋げていく。
 それは、なんて意味のある充実した生き方であるだろうか。

 その見せ方、構成、メッセージに深く感動していたわけですが。次回予告を見ると、次回は老夫婦が出るようですね。
 それを見て、また「あ!」と思う感じです。
 過去から現在、そして未来、という「自然な」流れを意識的に描いてくる中で、いよいよ未来へと目を向けていくシリーズ終盤で、老人を登場させる。しかも、老夫婦。これはまた、とても意味のあることのように思えます。やはりそれも一つの未来の姿なのだと思うし。
 このシリーズを「社会派」として捉えるならば、老人福祉問題にも切り込むような何かを見せてくれるのかもしれません。
 いよいよシリーズ終盤。
 未来を象徴するアイちゃんの反応にも注目しつつ、刮目して楽しみたいと思います。

 それでは、またです!

 参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」
    :「『音響監督佐藤順一』の手法に注目してみる」

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