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2006年9月 8日 (金)

日本人の長所と短所が見えてくる。サッカー日本代表、イエメン戦。

 こんばんは。だんちです。
 昨日のイエメン戦の勝利とサウジのインド戦での勝利によって、日本代表のアジア杯本大会出場が決まりましたね。新生日本代表が地道かつ確実な前進を始めていることを感じます。
 前回のサウジ戦で思い立ち、今回から「日本が抱える問題とそれを解決するアプローチのモデル」というテーマも持ちつつ日本代表の試合を楽しむことにしていたのですが、なかなか面白い試合、遠征だったように思います。

 今回の試合、ピッチコンディションが悪かったり超強行日程だったりもして、悪条件が重なりまくっていたわけですが。そんな中でも知恵を絞って、選手の戦術理解や資質把握など、非常に合理的な目的を持って挙行された遠征であったように思えます。

 それを見ていて僕は「合理主義的だ」と感じたりもしたのですが。
 でも、「合理主義」という言葉は、いろいろ哲学的極論の意味もあるようなので、オシム的な合理主義は「道理主義」ともいったものかもしれませんね。
 限られた状況の中で、目的遂行のための必然を積み重ねていく。そこにあるのは「当たり前のことを当たり前にする」という道理に則った行動なわけですね。

 戦後日本…というか、高度経済成長以降の日本は偏った結果主義が中心になっていたように思います。そこで暮らし教育を受け成長してきた日本人は、道理を無視する傾向を身に着けてしまっているのではないでしょうか。それが昨今の様々な問題を生んでいるように思えます。結果のために、人を騙して騙して騙して騙す。それで何が良くなるのか?結局は国会に証人喚問されたり逮捕されたり裁判起こされたり。社会も良くならないし経済も良くならない。個人だって良くならない。結果主義教育は、結局のところ結果を生まないものであるように思えます。
 それは、「損得勘定」の結果主義、ということですね。

 サッカー日本代表でプレーする青年達を見ていると、その間違いというものが見てとれるように思えて、とても興味深いし、自分自身のことと重ね合わせて見ることができるように感じます。
 結果を出すための手段として、何が正しい方法なのか、正しい選択なのか、それが分からないんですよね。そういう教育を受けていないから。
 「それっぽく上手いことやって、結果が出せたら周囲は誉めてくれる」
 という、中身の乏しい競技生活の中から出てくる技術というものは、やはり乏しいのだと見ていて感じます。

 個人的な経験の話をすると、中学時代のことがしばらくずっと自分の人生に間違った影響を与えてきていたことが例として挙げられます。

 中学…1年生だったかなぁ。今からもう、えっと…22年前!?そんなに前か…。
 学校の試験で、国語だったんだけど、答案用紙が返却されて。それを見ていたんです。
 すると、採点間違いがあったんですね。
 本当は間違っている答えに○がついていた。本当の点数はマイナス1点のはず。
 「これは間違っている」
 と思った僕はすぐさま先生のところに行って「間違っています」と答案用紙を見せました。
 すると先生は苦笑しながら×をつけ、点数をマイナスしました。
 で、言うわけです。

 「こういう時は言ってこなくていいんだよ。点数が高い方が得なんだから」

 その時の僕の感想は「は?」というものでした。損得のために勉強をしている、という意識が無かったので「何を言っているんだ?」と思ったんですね。
 今度はそのことを家に帰って母に話したんです。子供ながらに、間違いを訂正させたという振る舞いは正しいことだったと思っていたから誉めて欲しかったんですね。
 でも、母もまた苦笑して言うんですよ。

 「損をするようなことはしなくていい」

 と。
 学校の先生と親。
 その両者から「損はするな。得をしろ」と教えられる。
 そうなると、どこか納得いかないものは感じつつも心の中には「そうか、それが正しいんだ」と刻み込まれてしまいます。
 勿論、その時のことは表面化した一つの事例であって、先生も親も、周囲の大人も、当然のようにそういった考えを持ちながら子供に接していたでしょうから、知らぬ間に僕も「損得で考える人間」になっていました。

 結局、それでは上手くいかないんだ、ということを知ったのは、最近です。
 僕が描いている「漫画」というものは、面白いものでなければ、どうにも誤魔化しが効かないものなんですね。「いいものを描かなければ道は開けない」という、シンプルに過ぎる職業だからこそ、損はしないで得だけしようなんていう姿勢で描いていても絶対に上手くいかないんだ、ということに気づけたのだと思います。まぁちょっと、遅すぎたようにも思いますが…。何はともあれ、しっかり練習して精進して、頑張りたいものでございます。

 自分のことはここまでにして、サッカー日本代表のことですが。
 サウジ戦を見ていて、「結果を出すために、どういう過程を踏むべきなのか」という道理が選手達に備わっていないことを感じました。
 オシムのサッカーを表現する「考えてプレーする」ということでいうと、「どう考えていいか分からない」ということなのでしょうね。オシムがサウジ戦後「子供病」という表現をしたのはとても良く分かります。つまり「教育の無さ」又は「間違った教育」の弊害がそこにあるのだと思います。
 では、それを変えていくためにはどうしたらよいのか。
 それはもう、改めて教育していく以外にないわけですね。
 その成果が、イエメン戦で見れたように思います。
 意識してサイドを崩す、見栄えだけで簡単にカットされる「得しようとするパス」をやめる、状況によってはパワープレーをする。
 ミスがあったり質の高さが感じられなかったりしても、確実にサウジ戦の反省は生きていたように思います。
 ここに、僕は日本人の長所の一つを見る気がします。

 「教育されたことは、できるようになる」

 という、真面目さと学習能力ですね。
 だから、こそ、間違った教育を受けると皆で間違って成長してしまうのでしょうけれども。
 ともあれ、反省したり教育を受けたりしたことはできるようになるということが見えてきたので、今後の日本代表は確実に前進していくように思えます。
 それは、おそらくスケジュールにも表れてくるのでしょうね。
 今回のスケジュールも悪しき結果主義のもたらしたものであるようにも思います。

 過密スケジュールのJリーグがあって、練習する間もなく遠征してアウェー二連戦。

 このスケジュールが意味するところは、「新しく監督になる人に、W杯で戦った選手を中心に連れて行ってもらって、とりあえず結果を出してもらおう」といったところではないでしょうか。
 四年後に向けた世代交代や、新監督の戦術を浸透させていくことなどは、ハナっから眼中になく、「このスケジュールで、とりあえず勝って」と丸投げ。
 ところが、イビツァ・オシム監督からしたら、目指すサッカーを実現させるためには時間が全然足りないという認識があるから、「とりあえず結果」というやり方をせず、先のことを(合理的に)考えて限られた時間の中で練習を重ねていったのではないでしょうか。
 到着したその夜にすぐ練習。なんていうのは、スケジュールを組んだ側に対して反省を促す明確な主張になったことでしょう。
 となると、日本人は反省するし、新監督のやり方に合わせていく柔軟さを持っているので、今後のスケジュールの組み方は徐々に変わっていくのではないか、と思えるわけです。
 教育さえ受ければ、ちゃんとできる。
 そういう長所が、今後の日本サッカーを良くすることは間違いないのだと感じます。

 しかしまた、今回の二試合で大いなる短所も見たように思います。
 それは、「本質的な結果主義」の欠如、ということです。これもまた「損得勘定結果主義」の悪影響なのかもしれません。
 「損得勘定」というものを「相対的」として捉えると、「本質的な結果主義」というものはつまり、「絶対的」ということです。
 絶対的な結果を出す、ということに関して日本は非常に弱い、という印象を受けました。
 それは「勝つ」ということですが、試合にただ勝つ、という意味だけでなく、「勝ちたい」「負けたくない」という強い意志を持った相手のその気持ちをへし折り叩き潰すことの意味も含みます。相手を這いつくばらせて自分達の「勝つ」という意志を強固に貫き通して、絶対的な勝利という結果を得る。日本代表はその意思が著しく弱い。
 でも、それは今に始まったことではなく、ずっとあった問題なのだと思います。
 親善試合では、対戦相手は大して勝ちたいという「意志」を持たずに戦ってくれる。だから、これといって相手の意思を叩き潰すことなく、ただ勝つ、という結果を得ることはできる。
 しかし、公式試合になってくると、どんなに弱い相手であっても、本気になって「強い意志」を持って戦ってくる。そういう相手の「意志」を前にした時、日本代表は必ず苦戦するように思います。「損得で結果を出そうとする」相対的な結果を追い求める教育が染み付いてしまった日本の青年は、相手の強固な意志に相対的に合わせてしまって、勝つためのプレーができなくなってしまうのかもしれない。
 これはやばい。このままでは勝てない。という追い込まれた状況になってやっと「勝とう」という意志が生まれて、なんとかかんとか結果を出せる。そういう現象が公式戦での苦戦の正体なのかもしれません。

 「相対的に戦ってしまう」という癖がある、として見ると、強い相手にはいい試合をして、弱い相手にはぐだぐだの試合をする、という日本代表の様子も納得がいきます(日本がアジアで勝ち始めたのはここ数年のことで、それは「アジアの強豪と戦う」という当時の相対的な意識とプロ化の技術向上によるものだったのかもしれませんね)。
 また、「決定力不足」というものも、「相対的に戦う」ことによって出てくる問題なのかもしれませんね。
 「点を取られたくない!」と思って相手は戦ってくるわけですから。その敵の意志をぶち破って点を取るということは、まさに「絶対的」な行為なわけですね。それが、日本代表はとにかく苦手。同時にそれは、現代日本人が持つ問題点でもあるのでしょうね。

 「これを絶対に成し遂げる」

 という、絶対的な意志を持って貫き通す。
 それは、損得がどうとかそういうことではなく、ただ「それを成す」という、もうそれだけ。
 自分が持つ、絶対の意志。
 そのためには、他人の意志を叩き潰す。
 それが戦う、ということなわけですね。

 この絶対的な意志の強さというものを養っていくためにはどうしたら良いのか。
 勝つために相手の意志を踏みにじるという、人間性を欠いた行為を、どのように身につけたらよいのか。
 やはり、反省と教育によって、成し遂げられることなのか。
 ルールを守りながら、相手を叩き潰す。
 「戦い」というものの本質と同時に人間性を失わない。
 そうしたスキルを身につけることが、どうやったらできるのか、今後の日本代表やJリーグを見ながら、考えていきたいものですね。
 「絶対的な意志を持って何かを成し遂げる」
 ということは、自分にとっても非常に重要なものであることを感じます。
 これからも、サッカーや多くのスポーツを見て、多くのことを学んでいきたいものです。

 長くなりましたがこの辺で終わります。後で読み直してみて、文章が変なところとかあったらその都度直していきますね。
 ではでは、またです!

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コメント

 だんちさん、お久しぶりです。サッカーについては詳しくないのですが、少し気になったことがあります。

>自分が持つ、絶対の意志。
 そのためには、他人の意志を叩き潰す。
 それが戦う、ということなわけですね。

 日本の選手が相対的に戦ってしまい、絶対的な勝利への意思が弱いというのはその通りなのだと思います。ところで、サポーターにも同じようなことがもしれません。贔屓目かもしれませんが、日本のサポーターは日本が敗戦したり審判の判定に疑問があっても、あまり騒がないように見えますから。

 日韓共催だった前々回のw杯において、自分には日本が勝ち進んでいったことと同じ位嬉しかったことがあります。ホスト国としての日本の取り組みや、全然関係ない二カ国の試合を会場で観戦してその国の人々と一緒に応援するサポーターについてとても好意的に受け取ってもらえたことです。

 でも、これは選手同様サポーターにも「絶対的な意志」が薄いからこそできたという側面があったんではないかという気もしてきまして。「絶対的な意志」をオシムが選手に身に付けさせていく過程で、それを見て応援するサポーターの一種の無邪気さも弱まっていくかもしれないと思うと、少し寂しく感じました。
 もちろん自分も日本代表には強くなって欲しいし、単純に日本人の祭り好き故に生まれた姿勢であれば心配することもないのですが。

投稿: ツキサ | 2006年9月10日 (日) 18:45

ツキサさん。こんばんは。お久しぶりです。コメントありがとうございます^^
日本のサッカーがこれからも歴史を積み重ねていく中で、変化をしていくということは、やはりあるのだと思います。

でも、これまでの中でも、97年の国立でちょっとした暴動めいた騒ぎがあったり、Jリーグでもサポーターの喧嘩があったり、チームバスを囲んだりということはやはりあります。
ただ、そういうことはあるにはあっても、日本人の持つ敗者に対しても敬意を払う公平な精神や礼儀正しい振る舞いは、確実に日本人サポーターの性質として根付きつつあるようにも感じます。
僕は近所ということもあって、たまにFC東京のホームゲームを観戦に行くのですが、試合終了後、サポーターがビニール袋を持ち出してスタジアムの清掃を自主的にするところを目撃しています。若いお父さんが小さな子供を促して一緒に掃除していたりする姿は、とても素晴らしいものでした。
僕はそこに「サッカーを好きな日本人サポーターとしてこう振る舞う」という絶対的な意志を感じます。

選手がピッチの上で「戦う」という絶対的な意志をほとばしらせるようになっていくならば、同時にサポーターも「応援する」という絶対的な意志を強固なものにしていくのではないか、というようにも僕は思います。
実際試合を観に行くと、勝敗に関わらず、戦う意志が弱い姿を見せられることに対してブーイングを飛ばす傾向を僕は感じています。
W杯で自国以外の国の試合を応援していた姿というものも、名前もよく知らない選手達であっても必死に戦う姿があって、それを応援するという振る舞いが出たことだとも思えます。

何はともあれ、日本のプロサッカーの歴史はまだ始まったばかりとも言える段階でしょうから。サポーターについてもいろいろな変化が起こっていくのでしょうね。実際にツキサさんのお住まいのご近所にもJ1なりJ2なりのチームがあるのでしたら、スタジアムに足を運んでサッカーとサポーターを見てくると、様々な発見があるかもしれませんよ。
今後、日本のサッカーがどう変化していくのか。いろいろあるのでしょうけど、素晴らしい変化であることを願って見ていきたいですね^^

投稿: だんち | 2006年9月12日 (火) 01:37

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