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2006年9月25日 (月)

決して他人事と思わず。

 こんばんは。だんちです。
 今日の午前、保育園児の列にワゴン車が突っ込むという事件が起きました。
 昨今話題が頻出している飲酒運転ではなく、音楽プレーヤーのカセットテープの入れ替えのための脇見運転ということのようですね。
 僕も車を運転しますが、こういう事件は他人事と思ってはいけないことだと、改めて思います。

 昨日、僕は用事があって車で遠出をしました。
 連休ということもあり、帰りの東名高速は渋滞。降りてからもあっちで渋滞こっちで渋滞という中で、長時間運転をしていました。
 早く渋滞を抜けたくって休憩を取らず運転を続け、気がつくと5時間ずっと運転していました。
 やはり、最後の方はかなり疲れて、アクセルの踏み方がラフになったり、ブレーキのタイミングが遅れたり、特に集中力が欠け気味になっている自分の精神状態を自覚させられました。
 無事に帰宅できましたが、休憩はもっと強制的に取らなければならないと再確認しました。

 運転をしていて、僕なりに重要だと思うのは、精神的な集中力を持続させることです。
 昨日は、運転中疲れてくるとパンをかじるようにしていたのですが、そうすると脳が少しはっきりしてきて集中力が回復するのを感じました。これは、おそらくブドウ糖が摂取されることで脳にエネルギーが補充されたからなのだろうと思います。
 車の運転による緊張感の持続は、普段の生活では考えられないくらいのスピードで脳が疲れるように感じます。それは僕の主観で、実際その辺り、人間の生理としてどうなのかは分かりませんけれども。
 ともかく、車の運転に使われるエネルギーというものは、精神的なものを多大に消費し、その補充は肉体的な休憩とブドウ糖の摂取などによってなされるのではないだろうか、と思います。

 自分は事故を起こさない。

 などということを、能天気に思い込めるような神経を僕は持ち合わせていません。
 車の安全な運転に必要な肉体の状態、精神の状態を知り、維持することは、運転者としてとても重要なことだと僕は思います。

 昨日も、渋滞の中僕の前を運転している乗用車の様子が少しおかしかったことがありました。
「なんだ?」
 と思っていると、運転席の様子が後ろから少し見えました。
 どうも、メールを打っているようでした。
 メールを打ちながら運転している本人は「自分の運転はちゃんとしている」というつもりなのでしょうけど、後ろから続く者としては「おいおい、ふらふらしてるよ。勘弁してくれよ」というものでした。
 助手席に同乗者もいたようだけど、のんきに見てんなよ、とも思いました。実は大変危険な状態なのだということをもっと感じるべきです。

 カセットテープやCD、DVDなどの入れ替え。携帯電話、メール、疲労。様々な形で集中力が奪われたり途切れたりします。
 それは、とても怖い。
 そして、もっと怖いのは、集中力の欠如が事故を引き起こす可能性を高めることを、運転者が自覚しないことです。
 それはつまり、自分の状態を見失いながら運転している、ということでしょう。

 自分が、どういう状態なのか。

 それを知り向き合うことは、実は難しいことなのかもしれない。
 でも、人が生きていくことそのものも、そういうものなのだとも思います。
 車の運転は、リアルな現実そのもので、自分そのものの状態が反映される、シビアなものなのではないでしょうか。
 人の命を奪ってから気づくのでは遅すぎる。

 こういう痛ましい事件を、決して他人事と思ってはいけない。
 そう、強く思います。

 亡くなった子供さんのご冥福を祈ると共に、重体の子供さんの回復、怪我をされた方々の回復をお祈りいたします。

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