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2006年10月31日 (火)

「蟲師」第21話、第22話、第23話をDVDで見た。

 こんばんは。だんちです。葉巻を吹かしながら「それはおそらく蟲の仕業だ」などとつぶやいてギンコ気分満喫でございます。
 今さっき、届いていたDVDの一枚分をやっとこ見ることができて、「蟲師」の第21話、第22話、第23話を視聴しました。その感想を書こうと思います。

 それにしても。ギンコなんだかえらく格好いいよ!?なぜこんなに無駄に格好いいの!!いやもうすげー。ハードボイルドヒーローだね!

 今回のDVD一枚分、3話を一気に見て思ったのは、「地獄度高けぇな!」ということでした。
 それも「生き地獄」。
 地上波放送の時よりもぐっと深刻な話を持ってきているなぁと感じました。
 第22話の「沖つ宮」なんて、本来ならありえない形での永遠の命というものを描いているわけですが、その不自然かつ非人間的なありようは、本当に恐ろしいものだと思いゾっとしましたよ。
 第21話の「綿胞子」では、親子の関係に寄生する蟲の話で、蟲に子を食われ、そして子に成り代わった蟲を育てていく夫婦の無残なありようは「哀しい」という一言では表現しきれないものがありました。家まで焼かれちゃったしね。
 第23話の「錆の鳴く聲」では、誰もが望んでもいないのに苦しい思いをして。

 蟲という存在がどういうものであろうと、そこで起こったことに対して何かを感じ、何かを振る舞うのは人間で。
 その人間の心というものがまさに彼らの「地獄」を生み出しているのだな、と見ていて感じました。
 そういう、人間の心というものを、真正面から、しかも作り手の主観的な善悪に寄せることを全くせず、ドラマとしてきっちり描いている様子は、とても重厚で見応えがありました。
 いや、素晴らしかった!!

 そしてまた、その「地獄」から抜け出していくのもまた「人間の心」なんだ、という描写がなされていたと思うのですが、そこが本当に味わいがあるし感動的でした。

 人に害をなす蟲を「寿命がまだだから」と生きたまま連れていくギンコ。
 命を蘇らせることは同時に確実に喪失するものを伴うということを感じ、必死にその場の命を全うしようとした親子。
 地獄の苦しみを味わった町であっても、そこにある素晴らしい思い出を持って、町のために町を出て、そして声を潰してもずっと町に向かって声を出し続ける娘。

 蟲は蟲としてあるわけですが。
 人ならば。人としてあらねばならない。

 そんな対比がメッセージを伴って描かれているように感じられます。
 その「人であること」が、非常に余韻を与えてくれるし、感動させられます。
 特に「錆の鳴く聲」は泣きましたねぇ…。

 「人であるならば、どうするべきなのか」

 ということを、人としての暮らしをすることのできない宿命を負ったギンコの旅を通して投げかけてくるところが、本当にもう、ハードボイルドですよねぇ。たまりません。

 そうそう。
 シリーズを通して見た印象のことでいうと。
 地上波最終回の「筆の海」でギンコは淡幽と甘い、人らしい会話、約束を交わすわけですが。
 その直後の話でいきなり刺されてるんですよね。
 それがしかも、蟲に殺されそうになるのではなく、人に、というところがなんとも因果な話というか。やっぱりハードです。
 ギンコの進む旅は本当に一寸先は闇なんだ、ということを思い知らされますね。
 「沖つ宮」でも蟲に捕らわれて死にそうになるし。
 淡幽との話があってから二回も死にそうになっている。
 こういうシリーズ構成で見せられると、ただ単にギンコが死にそうになっているというだけでなく、「淡幽ともう会えなくなってしまう」ということを連想しないではおれません。
 ギンコの死はギンコの旅がただ終わるだけでなく、いつかギンコと一緒に行きたいと望んでいた淡幽の旅までもが終わってしまうことになるんですよね。
 もしそうなったら、と思うとこりゃもう、切なくて哀しくて。
 ギンコの死と隣り合わせの旅は、一人だけの旅ではなく、背負うもののある「生きて続けなければならない旅」なんだよなと思い、改めてそのハードボイルドさ加減に痺れまくってしまいます。

 そういう見方をすると。
 男と女が離れ離れになっていても、描ける恋愛ってあるんだな、としみじみ思ってしまいます。
 まぁ、死にかけたギンコが淡幽のことを思い浮かべるわけでもないので、シリーズ構成から見ているこっちが勝手に受けた印象でしかないわけですが。でも、「蟲師はラブストーリーだ」という長濱監督の言葉を思い返すと、あながち間違った見方でもないんだろうな、とは思うんですけれども。
 いやぁ、やっぱり「約束」ってなぁいいですね!ギンコと淡幽のあの「約束」があるからこそ、淡幽の「生きてるんだよ」という言葉があるからこそ、ギンコが刺されたり死にかけたりすることの意味に、ずっしりと重みが増して見えるのだと思います。

 ギンコがそうやって、約束を持ちながら旅をしているというのは、ギンコが「人間であろう」と足掻いている姿として見ることもできるのかもしれない、なんてことも思ったりもします。
 記憶を無くし、人としての生活はできず。
 でも、だからこそ、ただ蟲を殺すような生き方はすることはできないのかもしれませんよね。
 それをしてしまうと、いよいよ人ではなく、ただ蟲を殺すための心を持たない存在に成り果ててしまうような、そういうギリギリのところを生きている…なんてなことも言えるのかもしれません。
 だから、蟲と絡んだ人々の心を慮り、そういった人々を助けようとする、人間らしい振る舞いを、し続けるのかもしれない。

 そうなると。
 ますます、この作品の持つハードボイルドなメッセージが感じ取れるような気がします。

 「人は、人であり続けろ」

 というような。
 ちょっと。
 あまりに格好いいギンコに中てられたようです。
 いやいや。でも、それくらいのメッセージを持って構成されていると思うんですよね。そうでなければ、ただ漫画のまんまやる、なんてことに意味を見出すことなんてできねぇんじゃねっかなぁって思うから。

 少なくとも、僕は見ていて、そういう力強いメッセージを感じることができたと思っております。
 改めてすごい作品だよなぁと、心から思います。

 DVDはあと一枚。残り3話。
 また時間を作って、心して視聴しようと思います。

 見終わった時に、何を感じるのか。
 作品から何を受け取るのか。

 本当に、楽しみです!

 ではでは、またです!

 参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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