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2006年10月15日 (日)

「くじびきアンバランス」第2話を見た。

 おはようございます。だんちです。TVKにて「くじびきアンバランス」第2話を見ましたので、感想を書きたいと思います。

 「げんしけん」のスピンオフであるこの作品。
 「げんしけん」、とても好きで愛読しておりますが、この「くじびきアンバランス」を楽しむに当たっては、「水島努監督作品」であることが、僕にとっては大きいものでした。
 「XXXHOLiC」のテレビシリーズも楽しみましたし(でも残り2話分をまだ見れていない)、「撲殺天使ドクロちゃん」がとにかく面白くて好きだったし。少ししか見ていないけど「ハレのちグゥ」もすごく楽しかった。
 水島監督は、印象として「テンションが高く下品な笑いを畳み掛けてくるエンターティナー」な監督さんだな、と思ってはいるのですが。でも、感動させたり、キャラクターを掘り下げて一歩深いところを表現することもできる、作家性も持ち合わせた演出家でもあるように感じていました。

 そして「XXXHOLiC」が終わり、今度は「くじびきアンバランス」。
 「XXXHOLiC」は、まだ見終われていないため、水島監督が何をどう表現しきったのかは、まだ分かってはいないのですが、シリーズをまとめる監督として、また演出家として、非常に力のあるところを見せてくれたように思っています。
 では、「くじびきアンバランス」では何を見せてくれるのかな。
 なんて思いながら楽しみにしておりました。

 でも。まだまだ僕は水島監督を見くびっておりました。
 公式HPのインタビューで意気込みを聞かれた水島監督が「気をつけて、丁寧に作っていきたい。気合入れていいものが出来るわけでもない。…きちんと冷静に、アツく作っていこうと思う。」と発言しているのを見て、「うお!この監督はすげぇ!」と、認識を改めさせられ、これまで以上に惹きつけられました。
 ハリー・ポッターの小説の感想で書いた「知性と情熱」ということでいうと、まさにそのことを知り、技術として持っている監督なんだ、とこの発言で感じられたんですね。
 なるほど。だから、この人の作るものは面白いし、見続けることができるんだ。と改めて思いました。
 知性の高い人だからこそ、下品でテンションの高いギャグができるんでしょうし、楽しく面白いものが作れるのでしょうね。やっぱり、面白いものを作れる人はすげぇ。

 そんなわけで。
 「この監督はやはり只者ではない」
 と思って見始めた「くじびきアンバランス」。
 第1話、第2話と見て、本当に非常に丁寧に作られていることを感じます。
 その丁寧さが、監督言うところの「学園青春モノ」たろうとしているところなのでしょうね。
 「範疇でいったら萌えになっちゃうのかもしれませんが。それよりはもうちょっと生活を描きたい」
 とも発言しておりますが、その「生活を描きたい」というところが、なんというかミソなんだろうな、と思います。
 女の子がいっぱい出てくるハーレムもの的な作品構造で、学園の設定は突飛でメカも飛び出す不条理な世界観を持っているのに、そこで「生活を描く」というわけですから。
 それは、「学園青春モノとして作らないと、作品として成り立たない」という意識があるからなんでしょうね。
 それが、水島監督の知性から来るものなのか、あるいは直感から来るものなのか…。んー。経験則も含めた両方からなのかもしれませんね。

 でもなんとなく。
 一人の創作者として、テレビアニメで「今、学園青春モノ」というのは、なんだかすごく分かる気がする。
 恋愛のように、一人の人に深く向き合っていくドラマよりも、そこにいる皆で何かを作り上げたり、共有したりする、そういうドラマ。つまりは、爽やかな人間ドラマというものが、今、テレビから流れてくる、というのは、すごく必要な…必然な気がする。

 その必然もあって、このシリーズでは水島監督特有の「早口長台詞」が無いんでしょうね。蓮子はそれっぽいけど、でもあんなもんじゃないもんね。いつもは。

 「丁寧に」というだけあって、全12話かけて青春ドラマを作り上げていくもののように思えます。2話まで見ただけでは、今後どうなっていくのかはまだ分かりませんが、見せようとしていることの一端は、感じられてきましたね。
 「次期生徒会として合格でなければ退学」という枠組みを与えられ、その中でギリギリのところで「無理矢理」ではなく「一緒に」という選択をする千尋。
 又、生徒会長のくじを引いた千尋を、「信じる」律子。
 学園という「枠組み」があって、逆らわないのであれば、従わなければならない。
 でも、その状況、枠組みの中で、主体性を失わない。「何をして」「何を得る」のかは、自分次第。

 「ネギま!?」第2話の感想でも枠組みとそこでの抵抗や自立した意志について表現しているのではないか、と書きましたが、「くじびきアンバランス」もそういうものになるのかもしれませんね。
 現実の僕達も、社会の枠組みの中で生きているわけですが。何かから目を逸らして枠組みに愚痴をタレることは、まぁ簡単なことなのかもしれません。
 でも、そこで、何をするのか。何をしようと自立して意思を持つのか。
 僕は仕事で漫画を描いていますが、ただ出版社に求められる作品を描いて原稿料をもらうだけ、というように、枠組みの中でこれといった意思を持たずに生きることは、できるだろう、と感じています。
 でも、同時にその生き方に意味を感じてはいません。
 その「漫画を描いて原稿料をもらう」という枠組みの中で、「何を読んでもらうのか。読んでくれる人に、何を与えていけるのか」という意志を持つべきだ、と感じています。
 そしてそのことは、あらゆる仕事をしている人にとっても言えることなのでしょうね。

 「くじびきアンバランス」で「次期生徒会として合格しなければ退学」という枠組みを与えられた千尋達。
 でも彼らは、その枠組みから逃げず、自立した意思を持って立ち向かうのでしょうね。

 その彼らの青春が与えてくれる爽やかなドラマは、現実の僕らにとっても、爽やかでポジティブな刺激としてのメッセージを投げかけてくる、そんなものになっていくのかもしれませんね。

 水島監督が、「学園青春モノ」を作る必然が、毎週どのように感じられるのか。そしてまた監督の持つ知性からくるバランス感覚がどのように発揮されるのか。とても楽しみです。
 あと。
 「げんしけん」メンバーによる次回予告も楽しいっすね。
 荻上は水橋かおりさんだったんですねぇ…。ぴったりだ!

 爽やかで気持ちのいい、そして笑えてパンツも見れる。そんな30分が来週も楽しみです。

 ではでは、またです!

 参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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