「ARIA The NATURAL」最終回を見た。
こんにちは。だんちです。「ARIA The NATURAL」最終回を見ましたので感想を書きたいと思います。
今回のこのシリーズ。
見てくる中で、僕は「灯里の成長ドキュメント」として構成されていると感じるようになりました。
アニメーションの画面として作られたそこには、一人の人間の「自然な」成長の姿があり、同時にその人間に関わる多くの人々の「自然な」姿があったように思います。
それは、アニメーションというある種派手なエンターテインメントとしては、既存の作品とは真逆の方法論で作られた、非常に大胆な冒険に満ちたシリーズであったようにも思えます。
しかし、エンターテインメントのジャンルの中に「ドキュメント」や「ノンフィクション」などがあるわけだから、フィクションでこういうエンターテインメントを作るということは、ありうることなのでしょうね。
それを可能にしたのは前期シリーズ「ARIA The ANIMATION」の功績、ということになるのでしょう。
前期シリーズは、高度に機械化されたというマンホーム(地球)と、人が多大なる努力と犠牲を払って作り上げた理想の星アクアとを意識的に比較し、理想と現実に対するメッセージをドラマチックに投げかけてくるところがありました。
同時に、今回の「~NATURAL」に繋がるような、「ありのままであること」を真正面から受け止めていくメッセージを発信するものでもありましたが、「テレビアニメーションらしさ(あるいはテレビドラマらしさ)」を踏み外さない手堅さもあったように思います。つまり、分かりやすく作られていた、ということですね。
でも。その手堅さの裏側にあるメッセージが、思った以上にきちんと視聴者に伝わったのでしょうね。
単なる「可愛い女の子達が出てくる癒しアニメ」なんかではない、社会派な、今現在、まさに人の心に必要なメッセージを含んだ作品であることが。
だからこそ、今期は「NATURAL」という、前期では、篭められつつも影になっていた部分をクローズアップして、より明確に伝えていこうということになったのではないでしょうか。
この「NATURAL」第1話は、正直僕は何を伝えたいのか分からず戸惑いました。でも、見ていくうちに、繰り返しになりますが「これはドキュメントなんだ!」ということに気がつきました。こんなアニメーションを、僕は見たことがありませんでした(勿論、視聴経験、範囲が狭いということもあるのでしょうけれども)。
この作品が、商業的にどれくらいの成功を収めることになるのか分かりませんけれども、今後のアニメーションというエンターテインメントに革新を与える作品として、相応の評価がなされることを期待せずにはおれません。
アニメーションというジャンルで、生きた人間の自然な成長を描くことができる。
そこで描かれるメッセージを、見る側は受け取ることができる。
作り手と受け取り手が、作品を通して互いに向き合っていく、物語として本来あるべき作品だったように、僕は思います。
そして、そういった作品が、今この時代だからこそ必要だと思うし、また未来においても必要になっていくのだと思います。
過去から繋がる現在を生き、未来に繋げていく。
そんな人としてあるべき姿を描くこの作品が伝えてくれるものは、本当にポジティブで。そして同時に厳しいものだと感じます。
アニメーションではあるけれども、描かれることが「NATURAL」であることで、「あなたの生き方はどうなの?」と問い続けられるものでもありました。
その問い掛けが極まったのが、今回の最終回だったわけですね。
「どんな大人になりたいか」
それはつまり、「どんな未来を望むのか」ということなのだと思います。
灯里が望んでいた未来は「人を幸せにする妖精になる」こと。
そして、灯里が魅入られる妖精のような人物アリシアは、自分が楽しみ、また人を楽しませる、そんな大人になりたい、と願っていたわけですね。
そして、そんな大人達と実際に触れ合い、幸せな気持ちになる。
つまり、そういう存在は、アリシアが子供の頃にもいたし、今もいるし、そしてこれからもいる。
それを、そのまま灯里が求めていた「人を幸せにする妖精」という存在に当てはめるならば、「大人」という存在そのものが、未来の人達を幸せにしていく、妖精である。ということになるのでしょうね。
その意味では、灯里が「妖精になりたかったんです」と言い、それに対してアリシアが「なれるんじゃない」と、近いうちに灯里がプリマに昇格することを匂わせるのも、意味を感じます。
ただ、水先案内人として技術的に一人前になることが「一人前」ということではなく、人間として、大人として、そして一人の社会人として、一人前であることが求められるのでしょう。それはつまり、公私に渡って、現在から未来に渡って、人を幸せにしようとすること。
「大人として、本来あるべき姿であること」
こそが、一人前として求められることなのでしょう。
それこそが、このシリーズがドキュメント的な構成によって、灯里の成長を描いてきたことの意味なのでしょうね。
やはり。
骨太な、社会派ですよ。
最後の最後まで、「あなたはどんな大人になりたいのか?」「どんな未来を望むのか?」「未来に対して、どんな存在であるのか?」ということを問われてくる、そんな作品であったと思います。
だからこそ。
この作品に真正面から向き合って、そこにあるメッセージを自分のこととして受け止めることは、とても力がいることだと思います。
その力は、別に読解力とか把握力とか、そういうことではなく。
もっと、自然な力ですね。
あるがままを、そこにあることをそのまま受け止める力。
現実認識力とでもいうものというか。
なんつかもう、まさに「NATURAL力」というようなものでしょうか。
演出としてもあったわけですが。
灯里がアリシアにどんな大人になりたかったのかを尋ねてしばらくは、画面はずっと二人の横顔を映していました。
それは、少し未来を見失っている灯里の状態を映しているものでもあったのでしょう。
ずっと横からの構図で見せていき、最後、二人は向き合って、真正面からアリシアは灯里を見るし、灯里は真正面からアリシアを見ることができる。
その「真正面」ということ。
見る側に、真正面からメッセージを投げかけてくるこの作品を、真正面から見ることができるのかどうか。
そこに、力が必要なわけですね。
ただ、仕事での成功を求めるのではなく、周囲を幸せにしていこうと願い振る舞い、未来に向かって人を育てていくことができる、そんな大人になることができるのか。
真正面からアリシアに「なれるんじゃない」と言われるような自分であるのか。
ラストのメッセージ。
「優しさ」ということでいうと、それは同時に厳しさを伴うものでもあると感じます。
本質的な優しさは、甘いものではないことでしょう。それは、このシリーズをずっと見てくるなかで感じることでもあります。
だからこそ、その「優しさ」が、確かに、より多くの人に届いて欲しいと願わずにはおれません。
物語は、人に確かな何かを与えることができるし、それを受け取ることは、自然なことなのでしょう。
アニメーション作品を視覚快楽としてのみ受け取るだけでは、それはあまりにも寂しい。
それは、人生も一緒で。ただ、生きて、その場その時を享楽に溺れたところで、そんなものがなんだっていうんだ。
未来を考えない大人なんて、冗談じゃない。
冗談じゃないよマジな話。
みんなで、妖精になろうじゃないか。
本当にさ。
この物語を見終わった今。
僕らには、僕らのドキュメントが待っています。
どんな大人になるのか。
どんな大人であるのか。
どんな未来を築いていくのか。
物語がヒントをくれたのだとしたら。
次は、僕らの番ですね。
必ず、一人一人の人生に素晴らしいドキュメントがあるはずだと、思います。
それを、ドキュメントとして、自分のこととして見ることができるのならば。
だからこそ、僕らの番。
是非とも、頑張りたいですね。
未来が、機械化されたマンホームになるのか、自然に満ちたアクアになるのか。
それは、これからの僕ら次第ということなのでしょう。
「あるべき姿」を追い求めて。
皆で、未来を築いていくドキュメントを過ごしていきたい。
そう願い、「ARIA The NATURAL」の感想を終わりたいと思います。
感想を書くのに時間が空いてしまったこともあってか、なんだかまとまりがなくえらく長いものになってしまいましたが、読んで下さってありがとうございました。
これからも続く原作も、引き続き楽しんでいきたいと思っています。
最後になりますが、原作者の天野先生、佐藤監督始めスタッフキャストの皆さま、楽しい作品をありがとうございました。
以上、乱文乱筆失礼いたしました。
(「ARIA TheNATURAL」感想、了)
P・S
もし、続編があるなら。
アイちゃん主人公のシリーズを見てみたいなぁ…。
ではでは、またです!
参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
:「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
:「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」
:「『音響監督佐藤順一』の手法に注目してみる」
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コメント
はじめまして<(_ _)>
ARIAの最終回感想すごかったです!!
なんだかだんちさんのARIAに対しての気持ちが
すっごく伝わってきましたw。
私もものすごくARIAが好きなのですが、
私の地域では入らなくて悲しいです↓↓
では、長文失礼しましたァw☆
投稿: 柚衣 | 2006年10月 4日 (水) 21:07
こんばんは!
大好きな作品でしたが、とうとう終わってしまいましたね。
もしかしたら、僕やだんちさんもARIAっていう雪玉を転がしていた人間なのかもしれませんね。
この作品には本当楽しませてもらったし、ほんとARIAを知って良かったというか出会えて良かったと思います。
僕自身はあまり記事を書くこととか考えずに頭空っぽにして作品を見ることが多いんですけど、
だんちさんの記事のおかげでより深く作品を理解することができたと思うのでとても感謝してます。
せっかくのご縁ですのでまた立ち寄らせていただきます、引き続き今後もどうぞよろしくー。
投稿: おちゃつ | 2006年10月 5日 (木) 00:18
>柚衣さん。こんばんは、初めまして。コメントありがとうございます!^^
「すごかった」と言っていただけて嬉しいです!
実は僕も書きながら「こりゃちょっと、気合いの入り具合がすごいぜ!」と自分で思ったりしていたので。
≫なんだかだんちさんのARIAに対しての気持ちが
すっごく伝わってきましたw。
と仰っていただけているように、本当に伝わったんだなぁと思えて、すごく嬉しいです^^
柚衣さんの地域では放送していないんですね。GYAO(無料ネットテレビ)などでも遅れて放送していますし、DVDレンタルなどで見れるといいですよね。
もちろん原作も、これからも楽しんでいきたいですね。
良かったらまた遊びに来て下さいね!^^
>おちゃつさん。こんばんは。いつもトラックバックやコメントを本当にありがとうございました!
作品を見るのと同時にこうやっておちゃつさんとトラックバックやコメントのやりとりをすることがいつも楽しみでした。
その意味では、本当に仰る通りで「ARIA」という雪玉を一緒になって転がすことができたのかもしれませんよね。
いやしかし。これ、すごい名言ですよ!読んで「うお!おちゃつさん、すげぇ!」って感動してしまいました。あるいは、「恥ずかしい台詞禁止!」とちょっと涙を溜めながら言うところかもしれませんが!
本当に、この作品に出会えて良かったと、僕も思います。
おちゃつさんはこれから原作を読まれるのでしょうか?
原作もまた大変素晴らしいので、是非楽しんでいただければ、と念願しております。
また、僕の記事が作品の理解に役立ったと仰っていただけて、本当に嬉しいです。頑張った書いてきた甲斐があります!
せっかくの良作に対してちょっと口数が多くてうるさい感想になってしまっているかなぁとも思っていたのですが…。優しく読んでいただけて、また毎回トラックバックを下さって、こちらこそ感謝しております。
こちらこそ、是非とも今後ともよろしくお願いいたします!^^
投稿: だんち | 2006年10月 5日 (木) 21:56