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2006年12月30日 (土)

「蟲師」第24話、第25話、第26話をDVDで見た。

 こんばんは。だんちです。昨日、大掃除前ののんびりタイムと思ってアニメ視聴三昧で過ごしました。
 GYAOで「FLAG」の第4話~第6話、「幕末機関説いろはにほへと」第13話を見て。録画しておいた「くじびきアンバランス」の最終回を見て。買っておいてまだ見れていなかった「蟲師」の第25話、第26話を見て。
 で。その後は天皇杯準決勝を流しながらぐったりと寝込んで起きたら深夜。という。夢のような一日でございました。

 さて、そんなわけでたっぷりと心の栄養補給をしたわけですが。おそらく今年最後のアニメ感想を、「蟲師」で締めくくるのも良いかな、と思い、「蟲師」第24話~第26話の感想を書こうかと思います。
Ginko01
似てないけどギンコ…(描いてから気づいたけど、ギンコってかなり眉薄いんだね…がっちり描いてしまった)

 
 
 
 
 アニメーション作品「蟲師」は、大変な傑作です。
 原作通りに忠実に映像化することを志向し、そしてそれを成し得た作品であるわけですが、そのことによって傑作であるわけでなく、そうあることが傑作を作るための必要な要件であった、ということなのだと思います。
 まぁ、つまりは原作がそもそも傑作であったから、忠実に映像化することで傑作が生み出されるのは、必然であったわけですね。

 ただ、原作に忠実でないところは当然あるわけで。
 それが顕著なのがシリーズ構成による話の並べ方なのだと思います。

 DVDが全部揃ったことでやっと最後まで見れて、しかも時間的には買ってからしばらく置いてあったり、と最初から最後までの通した印象をまとめて述べることはできないのですが。
 でも、お話の並べ方に、長濱監督ならではのメッセージがあるように、やはり感じるんですね。
 「蟲」という存在と「人」という存在とがあり、人が蟲に立ち向かう局面もあれば、共存しようとする局面もあり…むしろ人が人を害する局面があったり。

 そこで浮き彫りになってくるのは、「人が人であるということは、どういうことなのか」というところなんだろうな、と思います。
 一つ所に身を置くことのできないギンコが、旅をしながら、人間らしい暮らしをできない境遇だからこそ、触れ合う人々に人間らしい生き方をするよう、強く訴えていく様子が、じわじわと描かれていると思うんですね。
 それは、ずっと見てくると、彼の正義感から出てきている、というようなことではなく、彼自身の失ったものの大きさと、そこで得たものから湧き出てくる必死の思いなんだろうな、と感じます。
 だからこそ、淡幽と気持ちを交し合うし、すずのところにはいられない、と旅立つし、第25話の蟲によって異常な視野を手に入れてしまった女を必死になって助けようとするのでしょう。
 それに、第24話で里に定住し、里の皆に慕われ、里を守ろうとする蟲師の野萩に対して諭していくことも、彼の境遇を思うと、本当は自分がそういうことをできればどんなに良いことか、という羨望の思いと感情移入があってのことなんだろうな、とも思います。だからこそつい「言いすぎたか…」なんてなことになったのでしょうね。

 第24話では、ギンコがそうありたい蟲師像が描かれたんだろうな、という風に思います。
 守るべき人がいて、守る技術を自分が持っていて。
 逆に野萩はずっと里にいるからか、ちょっと視野が狭くなってしまって。全部自分でなんとかしなければ、と背負い込んでしまい。ギンコなんかは蟲師としては垢抜けた存在に見えたのかもしれないですよね。
 立場が違う蟲師同士の、ちょっとした対立と、相容れない立場だからこその尊重し合う姿。
 そのハードボイルドで重厚な邂逅は、蟲師というものの重い立場と、ギンコの厳しい立場を浮き彫りにし、そこに「人はどうあるべきか」「考え続け、そして諦めない」ということの大切さをメッセージとして忍び込ませているものに感じます。

 第25話では、何もかもを見通してしまう女を相手に、どうしたって抗えない現実に対し、最後までギンコは抵抗して。でも、やはりどうにもならなくって。
 女が見た未来通りになってしまう。
 それでも、この話を爽やかに見終われるのは、二人の会話があってこそなんだろうな、と思います。
 確かに、どうにもならなかった。
 だけど、ギンコは蟲に目を乗っ取られた少女、周の話をじっと聞き。そして、その気持ちを理解します。それは、ギンコ自身も暗闇を彷徨っていた過去があったから。
 このお話にも、やはり「人がどうあるべきか」のメッセージが込められていることを感じます。
 確かに、蟲によって見てしまった未来は変えられないものだったかもしれない。
 でも、二人が会話を交わし、そこで気持ちを共有し合ったことは周にとっても体験としてリアルタイムのものであったはずです。

 ギンコがしたことは全て無駄に終わるけど、でも最後まで何とかしようと尽くすギンコの気持ち、自分の気持ちを理解し、共有してくれたギンコの存在は、その時その場で周に感じられた生々しいものだったのだと思います。
 そう感じられることは、「会話劇」としてこの話を成り立たせた二人の役者さん、ギンコ役の中野裕斗さん、周役の坂本真綾さんの名演があってこそでしょう。
 素晴らしい演技でした。
 周がギンコに心を開く表現は特に無いんですけど、でも見ていると自然と感じられるんですよね。周が心を開いている様子が。だから別れ際に「どこかで見かけたら声かけておくれ。びわの腕上げておくからさ」という台詞は、本当に本心から「また会いたい」と思っているんだろうな、と思えて、爽やかな、そしてちょっと切ない気持ちになります。

 人の話をしっかりと聞き、そして気持ちを重ねていくこと。

 これは、本当に人として大事なことだよな、と見ながらつくづく思っていました。
 今年、僕は人の話をちゃんと聞けるようになろう、と思うことがあって。なるべくそれを実行しようとしてきていたのですが。でも、基本的に自分の言いたいことをべらべらしゃべっちゃう方だから。なかなか思ったようにはできていなくって。そうこうしているうちに年が暮れて。このお話を見て。「ああ。やっぱりそうだよな。ちゃんと人の話を聞けないとな」と、改めて思わされました。
 それも、聞いた話を自分の都合のいいように解釈したり受け取ったりするんではなく、そのまましっかり聞いて。自分のそれまでの体験や感受性の全てでもって気持ちを分かろうとする。
 そういうことが、できたらいいなぁ、と思います。
 ギンコにそれができるのは、やはり彼のハードボイルドな人生があってこそなのでしょうけど。そのハードな人生に真正面から向き合っているから、ということこそが真に重要なのでしょうね。
 で、あるならば。僕にも、生き方次第では、少しはギンコのようなことができるのではないか。とも思えます。

 そのメッセージがあって、そして第26話。
 最終回。
 この回は、ギンコはほとんど出ていなくって。
 最後に、沢とイサザという友人同士を繋げていく役割として少しだけ登場します。
 それはつまり、ギンコがいなくとも、人は人として生きていく、ということなのでしょうね。
 不可思議な理があり、不可思議な蟲がいて。
 だけど、人はそこで生きていて。
 情を持って、人は人として生きていて。
 それぞれの場所で、それぞれの役割を全うしようと生きていて成長して。
 それは、どう立場が違おうと。暮らしている場所がどれだけ離れていようと、同じことで。
 そこに、情の繋がりがあれば。
 距離も時間も越えられて。
 人が人であるための「情」を失うことがなければ、人は大切な何かを守り続けていける。

 時間を越えた、真心からの友情を受け取った沢が言う「これでいい…」という言葉が、とても感動的に、そして爽やかに響いてくる最終回でした。

 そして、この作品が、長濱監督が訴えかけたいメッセージが集約されている最終回でもあるように思います。
 蟲があったり、自然現象があったり。いろいろあるんだけど。
 最後は人。そして人対人。
 光脈筋がずれていったり、ヌシがいなくなったり。状況が変わったり。変化するものはいろいろあるけれども。
 でも、人と人の繋がりや情の持つ暖かみは変わらない。

 そこに、ギンコの存在は小さなものであって。あまり関係がなく、傍観する立場なわけですね。
 それは、ギンコの生きている世界とはかけ離れたものだ、ということだとも見れるかもしれません。
 やはり彼の生きる世界は、ハードボイルドな世界で。人の世界と蟲の世界の狭間のようなところなのでしょう。

 人が人として生きる世界を傍観し、彼はまた旅立ちます。
 人して大切なものを心に持ちながら。

 この物語のメッセージをしっかりと心に受け取れば、ギンコは旅立っていくわけですね。
 その意味では、旅を続け何かを訴え続けるギンコは物語そのものを代理する立場で、ギンコと触れ合う人々は、物語を受け取る僕らを代理する立場なのかもしれませんね。
 物語の役割は、何かを伝えること。
 それを受け取る僕らは、そこから自分自身の現実を生きていく。
 だから、物語が終わって堪能した後には、僕らは「これでいい」とでも呟いて、自身の現実で人らしく生きていくことが大切なのかもしれませんね。

 「物語」という蟲はいつでも僕らのすぐ傍にいるけれども。
 それはきっと。
 現実を生きながら、共存していくべきものなのかもしれませんね。

 非常に面白い、そして素晴らしいシリーズでした。
 最後はさらりと通り過ぎ、また旅立って行ったギンコですが。

 気が向いたら、またふらりと立ち寄って欲しいものですね。
 でも、願わくば。
 淡幽と幸せになって欲しいなぁ。

 と、ここまでたっぷりと書きましたが。
 でも、まだまだ、この作品の持つ意義や訴えかけてくるメッセージについて、完全に消化しきっているとは思えないので、これからも何度も何度も、じっくり見直して、その都度物語から浮かび上がってくるものを楽しんでいきたいと思います。

 本当に、素晴らしい作品でした。

 原作者の漆原友紀先生。長濱博史監督。そして多くのスタッフの皆様。
 「蟲師」を生み出し、育み、そして届けてくれてありがとうございました。
 これからも、原作、様々な作品などで、皆様の仕事を沢山楽しませていただきたいと念願しております。

 最後に。
 この作品が、長く、そしてより多くの人を楽しませ、また、愛され続けることを心より念願しつつ、この感想を終わりたいと思います。 

 乱文乱筆、失礼いたしました。

 漢弾地

 参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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コメント

こんばんは。mementoです。
「蟲師」は僕にとってかなり特別な作品で、実際、放送当時は土曜深夜(というか日曜早朝というか)を中心に毎日の生活が動いていたくらいです…って、いいのか、いい大人がそんなんで?

「蟲師」がハードボイルドであるのは、ギンコの姿勢というか、考え方や生き方によるところが大きいですね。
「眼福眼禍」では彼は確定された未来に抗ってみせたり、「やまねむる」では無駄とわかっていてムジカを助けようとしたり(最後に「ないねえ…残念ながら」といっていたから、最初からムジカを助ける方法はないとわかっていたんでしょう)。
なんだか、キャプテン・ハーロックの、
「男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがある…」
ってあの台詞が思い浮かんできそうな。ギンコはリアリストではあってもペシミストにはなれない人間ですね。

で、最終的には人と人の物語なんだという意見にはまったく同意です。特に最終話の「草を踏む音」(いいタイトルだ…)は、山林開発って題材がちらっと出てくるので、環境保護の立場からの問題提起、みたいな見方もできると思うんですけど…まあそれも間違いではないんでしょうけど…僕はもっと単純かつ素朴に、人と人との“縁”の物語として見ました。
この「蟲師」というシリーズ全体が、ともすると「ジブリ系みたい」なんていわれ方をされかねないんですが、本来は普遍的な意味での関係性(それこそ人とか蟲とかの区別もないような)の物語ではないかと思っています。
だから、社会とか自然環境なんかに絡めた、プロテスト的な話だというような一部の捉え方(海外のサイトでちらっとそういう意見を見たんですが)に対しては、間違っちゃいないけど、それはちょっと野暮だよなあ、「蟲師」みたいな作品はもっと粋な見方をするべきじゃないかなあ、とか思ったり。
長濱監督が「草を踏む音」でアニメを締めたのも、
「これは別に政治的なメッセージとかある話じゃないんだよ。“縁”を描いた粋なお話なんだよ」
ってことだろうと、個人的には受けとっています。

しかし、いいかげんいい年になると、自分がいまだにアニメを見続けていることに、いいんだろうかって気になることもたまにあるんですが、「蟲師」はそんな僕に、
「やっぱりアニメ見続けていてよかった!」
と、心底思わせてくれる作品です。ぜひ監督には二期をお願いしたい…んですけど、原作のエピソードが溜まらないとなあ。いや、ま、もちろんいつまでも待ちますけどね。

ってことで2007年最初の長文コメントでした。これからもダラダラ書き込んでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
それでは。

投稿: memento | 2007年1月 6日 (土) 23:48

mementoさんこんばんは^^
やー。やっとこ「蟲師」全部見れましたよ。適当に流しておく、なんていう見方は絶対にできないししたくない作品だからこそ、自分の心身の状態を考えながら視聴タイミングを選びつつ見ました。

>「蟲師」は僕にとってかなり特別な作品で、実際、放送当時は土曜深夜(というか日曜早朝というか)を中心に毎日の生活が動いていたくらいです…って、いいのか、いい大人がそんなんで?

いいんですっ!!!!
大人だろうが子供だろうが、夢中になれるものがある、というのは貴重なことですよね。
「蟲師」はそれこそ、視聴体験として「事件」でしたよね。
この作品を中心に生活を組むくらいじゃないと、受け止め切れないものがあったように思います。
僕がこの作品の素晴らしさに本当に気付けたのは、DVDを見てからでした。僕も本放送時に「蟲師」を中心に生活を組んで心身のコンディションを整えるべきでした!!!!

>なんだか、キャプテン・ハーロックの、
>「男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがある…」
>ってあの台詞が思い浮かんできそうな。ギンコはリアリストではあってもペシミストにはなれない人間ですね。

嗚呼…本当にそうですよね。「やまねむる」は僕もものすごく大好きなエピソードです。あの男臭さがたまりません。
ハーロックのハードボイルドさかぁ。確かに通じるものがある気がします。ギンコも片目ですしね^^
男が男であろうとすること。人間が人間であろうとすること。
その「貫く」ということにこそ、ハードボイルドな生き方が滲んでくるのかもしれませんね。
自分の置かれている状況を受け止め旅を続けるギンコはとことん前向きで力強く、そしてリアリストですよね。本当にかっちょえぇ。近年稀に見るヒーローですね!!

>で、最終的には人と人の物語なんだという意見にはまったく同意で
す。

わーい^^
そう言っていただけて嬉しいです。

>だから、社会とか自然環境なんかに絡めた、プロテスト的な話だというような一部の捉え方

あー…なるほど。そういう見方もあるんですね。
僕は全くそういう見方をしていなかったので、意外な感じですが。確かにそういう「理解の仕方」もあるんでしょうね。

その見方を一つの見方として尊重もしてみつつ(勿論僕もこの見方に賛成はできません)、mementoさんの

>蟲師」みたいな作品はもっと粋な見方をするべきじゃないかなあ、とか思ったり。
>長濱監督が「草を踏む音」でアニメを締めたのも、
>「これは別に政治的なメッセージとかある話じゃないんだよ。“縁”を描いた粋なお話なんだよ」
>ってことだろうと、個人的には受けとっています。

という受け止め方を読ませていただいて(このmementoさんの見方に全面的に賛成です!!)、改めて思ったんですが。

作品というものは、人の心を映す鏡みたいなものなのかもしれませんよね。
自然環境問題について、心に何か思うところのある人にとっては「蟲師」を見て、そういう思いが浮かび上がってくるのかもしれません。
それは、他の作品を見てもそうなのかもしれないし。
僕なんかは、どんな作品を見ても「人と人の繋がり」や「人のあるべき姿」というところに作品の意義を見出そうとしてしまうし。

何かしらの作品を受け止める時に、その時その国、その状況の中で、その人自身の心にあるものが炙り出されてくる。それが、「視聴体験」というものだと言えるのかもしれないですね。

その意味では、mementoさんにとって「普遍的な意味での関係性」というもの「縁”という粋」というものが、今重要なものとして心にあるのかもしれませんね。
それは、僕なりに思うのは、人と人とが信じ合ったり通じ合ったりする、目に見えないところにあるドラマで。
だからこそ、一方的にはならないコメントのやりとりをこれだけしていただけるのかもしれませんね。
お互い、こうやって文字と文字とでやりとりしていても、文字になっていないところを読み合ったりしますもんね。それは、情とか心の部分で。

ああそうか。
そうなると、「蟲師」を見て「自然環境問題について提議している作品なんだ!」と思う人の国や地域の状況というものや、その人の周囲の人間関係なんかについても、思いを馳せることもできるのかもしれないですね。
勿論、同じ人でも視聴する状況や年齢が違うと、また違った感想が出てきたりするでしょうし。

作品を受け取ることで、そこから出てくるその人のパーソナリティというのは、やはり面白いものがありますね。

と。語ってしまいましたぜ^^
いやー。
「社会とか自然環境なんかに絡めた、プロテスト的な話」なんていう見方は本当に全く思ってもいなかったので、あまりに意外で逆に面白いなぁと思っていろいろ考えてしまいました。

>「蟲師」はそんな僕に、
>「やっぱりアニメ見続けていてよかった!」
と、心底思わせてくれる作品です。

そうですよ!何かを見ていく時に年齢なんて関係ねぇぜっ!!!!
それがアニメであれ何であれ、自分の心を炙り出してくれる作品に巡り会う体験は本当に貴重なものですよね。だからこそ、いくつになっても心に垣根を作らずにいたいものですね^^

第二期、いいですねぇ。あと、長濱監督で劇場版とかも見てみたい。
それに「蟲師」でなくとも、長濱監督の次回作に期待しまくってしまいますよね!!監督は映像特典を見る感じでは左利きのようですが。同じ左利きとして、是非とも素晴らしい作品をまた見せて欲しいと、変な角度からの期待もしてしまっております^^

>ってことで2007年最初の長文コメントでした。これからもダラダラ書き込んでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

負けねぇっ!!!!
ということで、僕の方もいっぱい書いてみました(笑)
これからも書き込み楽しみにしておりますね!!こちらこそよろしくお願いいたします^^

ではでは、またです!!

投稿: だんち | 2007年1月 9日 (火) 02:22

 だんちさん、こんばんは。

 たいへん遅くなりましたが、返信コメントを認めました。

 リンクを張っておきましたので、宜しくお願いします。

投稿: Akihiro Inda. | 2007年1月15日 (月) 00:03

Akihiro Inda.さん、おはようございます^^
返信コメントありがとうございます。読ませていただきました!
またコメント書きに行かせていただきますね!

視聴環境や音響環境…良くしていけたらいいなぁ…。
でも、音響環境は、狭い日本の視聴条件の中でどれだけ拡大していけるのか、難しいですよね。
振動も伴う「音」というものの扱いは、一般家庭では後回しになってしまうものかもしれませんね。

もっと映画館が安かったり、視聴環境のレンタル…遮音個人ブースのレンタルとかあるといいのかなぁ…。
個人的には、ちょっとずつ性能の高いヘッドフォンに切り替えていくくらいが関の山で。
なんとかしていきたいものです。

それでも、今ある環境の中でも、耳を凝らして音響にも注目していきたいと思っております。
ではでは、またです!^^

投稿: だんち | 2007年1月15日 (月) 04:47

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» 【感想】『蟲師』第26話「草を踏む音」 on BS-FUJI [『遍在 -omnipresence-』]
 こんばんは。 だんちさんには是非とも読んで欲しいと思い、TBを差し上げました。 宜しくお願いします。 [続きを読む]

受信: 2007年1月 4日 (木) 00:44

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