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2007年2月 5日 (月)

だから僕らは傷ついた。そして僕らは癒された。

 こんにちは。だんちです。
 最近、二次創作ばっかりやっておりますが、感想を書いていないだけで相変わらずアニメ視聴も続けております。
 そこで、アニメーションというエンターテインメントを受け取って楽しみつつ、なぜ、大人になった僕なんかがそういったコンテンツを必要とするのか、をちょっと漠然と考えてみました。
 自分の経験を軸にしつつ、印象で乱暴に世代論に展開させているのですが、その辺のことは「とりあえず書いてみよう」で書いているところがあるので、「ああ。いつものことだな」ってな感じでご容赦いただけると嬉しいです。

・「萌え」と「癒し」

 「萌え」がどうのっていうのは、具体的にはあんまりよく分からないのですが、そういう括りでもって作品を否定したり肯定したり、というのは意味の無いことだと僕は思っています。
 ただ、現象としての「萌えムーブメント」というものは、認識できるものなのかもしれないなぁ、とは感じます。

 男性ユーザーにとっては、まさに絵に描いた美少女が出てきて、さえない主人公なんかに都合良く想いを寄せてきてくれたり。しかもそんな女の子が山のようにいてみたり。
 女性ユーザーにとっても、絵に描いた美少年(あるいは美青年や美中年)がホモだったりホモだったりホモだったり。
 まぁ、夢世界ですよね。

 そういった夢世界をエンターテインメント商品として売る際に、当然需要と供給というものがあって、需要が無ければ供給だけがあっても成り立たないわけですね。つまり、需要がある。

 夢世界を必要とする、そういう需要を生み出す現実がある、ということですね。

 僕は「萌え」は、魔法の言葉でもなんでもなく、人の心にダイレクトに訴えかけるごく当たり前の、普遍性を持ったエンターテインメントの基本の一つだと感じます。
 非常に、人を傷つけないものに感じるんですね。言うなれば、「癒し」に近いものに思えます。

 時期的な取材なんかしてなくて印象でしかありませんが、世間的に「心の時代」だの「癒し」だのって言われ始めた頃と「萌え」というものが言われ始めた時期は重なっているようにも感じます。

 つまり、人の心が傷ついて力を弱めているからこそ、「萌え」とか「癒し」というものがエンターテインメントに求められているんではないか、と思うんですね。

 少し大きめの本屋に行って、サラリーマン向けの書籍コーナーを通りかかると、驚く程「成功のための」本が並んでいます。「こうすれば成功する!」「成功のための方法」というようなタイトルの本が、本棚にびっしり。
 僕はそういうコーナーをうっかり見てしまうと、目眩がします。吐き気がするくらい気持ち悪くなる。
 なんだ、これは。と思うんですね。
 そういう本がそれはもうヒステリックなくらい出版されているという状況はつまり、「成功」というものを手にしている人があまりにも少なく、「成功していない」という状況に多くの人が苛まれているということなんではなかろうか、と思って愕然とするし、また、そうやって「成功しろ!」「失敗は損だ!」と山のように並ぶ本のタイトル達に主張されることに、ある種のトラウマを喚起させられるところがあるのだと思います。

 今、30代の僕らの世代は、「成功=得」「失敗=損」そして「得=幸福」「損=不幸」という価値観を押し付けられ育ってきています。
 それは、あまりにも乱暴で根拠がなく、今思い出してもあの時代の空気は異常だったと思えます。
 振り返って改めて思い出してみると、多感な時期にそういった浮ついた乱暴な価値観が跋扈していて、その真っ只中、僕らは傷つけられてきたんだな、としみじみ思います。

 僕には、僕の世代のことしか分からないし、同じ世代でも当時の風潮の感じ方には個人差があることでしょうけど、とりあえず自分の体験を少し振り返ってみます。

・80年代の教育

 僕が小学生の頃、80年代に入っていました。
 高度経済成長の直後。日本人はエコノミックアニマルと言われ、働き稼ぎ、景気が良く、バブル景気の直前ですね。
 大人になって俯瞰した視点ではなく、当時の視点を記憶の中から呼び出してみます。
 あの頃は、学歴偏重主義がはびこり、「いい大学を出ていい会社に入れば幸せになれる」という無邪気な価値観がありました。
 なので、親は僕の教育に対して熱心で私立の中学に入れようとしたり塾に通わせたり、「成功への道標」を突き進もうとしていました。
 僕は、多少勉強はできたけど、絵を描いたり友達と野球をしたりすることが楽しくって、「いい大学→いい会社コース」にまったく魅力を感じていませんでした。
 ただ、僕のそういう主観とはまったく関係ない評価が周囲にあることをとても印象的に覚えています。

 僕が塾に通うようになると、友達は声に出して「あいつは裏切り者だ」と言いました。
 僕が私立を受験するかも、という話が学校のクラスの話題に上ると、真っ先に僕を虐めてきたのは担任の先生でした。
 教育に熱心だった友達の母君が僕を異常にライバル視してきて、子供に僕の悪口を吹き込み、親自ら僕を虐めてきました。

 「なんなんだ。これは?」

 僕には訳が分かりませんでした。今でも、ああいった反応はいったい何だったのか意味不明です。
 そんな中、一生懸命勉強する気にもなれず、両親の教育熱心さも比較的普通だったからか、僕は私立には行かず、公立の中学に上がりました。
 中学では一時期学年一位を取ったりして、「学年で一番成績のいい子」だった頃がありました。そうしたらば、またなんでだか「死ね」とか「お前と同じクラスなんて最悪だ」とか言われたり。
 まぁ、僕にも悪いところはあったのかもしれません。でも、今になってもじゃあどこが悪かったのか。クラスメイトから「死ね」と言われるような覚えはまったくないんですよね。
 やっぱり、当時、勉強ができたことで「あいつは自分だけ成功しようとしている」という、そういう「裏切り者」的な陰口を叩かれていたことを覚えています。

 ここから俯瞰した視点に移行してみます。
 それが、当時の時代の空気だったのでしょうね。

 「勉強ができる」→「成功する」→「あいつは得をする」→「だから俺達は損をする」

 という、そういう考え方がなんでだか、親にも子供にもあったように思います。根拠なんてどこにも無い、本当に幼稚で乱暴な価値観だったと思います。
 その価値観を主に強く持っていたのは、親や先生達、大人の方でしたね。だから、そういう教育をするようになる。

 また中学時代のことに戻るけど、こんなこともありました。
 中学生の時に国語のテストで、僕は90何点だかを取りました。返ってきた答案を見ていると、採点ミスがあったんですね。本当だったら1点少ないはずだった。
 僕は、自分の中の価値観として「正直は美徳」というものがあったので、先生に答案を見せ、「採点ミスがあります。ここは本当は×のはずです」と言い、点を引いてもらいました。
 すると先生は苦笑いをして「こういう時は言わなくっていいんだよ。損になるんだから」と言いました。

 僕は自分の「正直」が評価されず不満で、家に帰って母親に答案を見せ、自分の正直さを誇りました。すると母親も苦笑いをして、「こういうことは言わなくていいんだよ。損するんだから」と言いました。

 先生と親。
 両方からまったく同じことを言われたわけです。
 そうなると、納得はできずとも子供としては「そうなのか。損というのはいけないことなんだ。正直を犠牲にしてでも得を取ることが正しいんだ」と教育されていってしまいます。

 僕は、どこか納得いかない気持ちを持ちつつも「正直」ということを見失い、徐々に損得勘定を価値判断の最優先にするようになっていきました。
 正直な話。
 今でも僕はこの「教育」を憎んでいます。この教育は、僕のその後の人生にとても暗い影響を与えてしまっているからです。損得を優先させて上手くいったことなんて、何一つありません。あの教育は間違っていた。今の僕ははっきりそう認識しています。

 当時の大人達が、なぜああいった価値観を持ったのか。なぜああいった教育をしたのか。
 それは、僕には分かりません。
 調べればいろいろ見えてくるのかもしれませんね。
 でも、その「なぜ」のところはとりあえず置いて話を先に進めます。

・翻弄され続け美少女に辿り着く

 損得優先、成功が善で失敗は悪。
 そういう教育を受けてきた僕らの年代は、大学生の頃にバブル崩壊を経験します。銀行がつぶれる。国の借金はひたすらかさむ。
 損得っていうことでいうと、国そのものが損をし、成功と失敗ということでいうと、国そのものが失敗をしたわけです。
 当然、それまでの価値観を大きく変え、変動する時代の中で生きていく方向転換が日本人全体に求めらます。

 しかし、教育というものは染み付くものです。
 頭で「何か違うんじゃねぇか?」と思いながらも、やはり得することを求めてしまうし、客観的成功と主観的成功が違うものであることを意識から追い出し、「いわゆる成功」というものを求めてしまう。
 じゃあ、得をするのか。いわゆる成功を得られるのか。というと、受けてきていた教育からすると、社会状況が大きく変化しそういうものは得られない。

 そのため、自分の感覚、受けてきた教育、実際の世の中、実際の人間関係、そういったものに様々なギャップを感じるようになります。そして戸惑い迷い、翻弄され、混乱することになる。

 だから、僕らの世代は「勝ち組、負け組」という言葉に対して、非常にピンと来るものがあるんだと思うんですよね。翻弄されてきた自分達をものすごく当てはめやすい。ギャップをあまり感じない分かりやすい価値観なんですね。
 でも、同時にうんざりする。
 本屋での「こうしたら成功する」という本の群れにしても、ピンとは来るしギャップを感じない。
 でも、やっぱり吐き気がする。

 僕は自分の体験のことを書きましたが、乱暴な教育に傷ついてきたのは僕だけでなく、あの当時の教育を受けてきた多くの人間にあることなのだと感じます。
 僕に対して「裏切り者」だの「死ね」だのと言ってきていた子達は、既にその時から傷つき始めていたと見ることができるのかもしれません。

 損はしたくない。得をしたい。
 失敗したくない。成功したい。

 だけど、思うようにはならない。
 それは当たり前のこと。
 なんだけど。でも、受けてきた教育を覆すことは簡単なことではない。

 そこで。
 アニメですよ。
 美少女ですよ。
 萌えですよ。

 綺麗で可愛い女の子が動いて、可愛い声で話す。

 それは、自分の心から一時損得を追い出し、大人である自分を忘れさせ、童心に返らせてくれるものなのかもしれない。
 社会の変化に合わせて自分の頭や心の中身を変えていかなければならないその時に、自分をリセットしてくれるものなのかもしれない。
 大人の男であれば、美少女に過剰に感情移入することはない。
 だけど、アニメーションであることで子供時代を喚起させることはあるでしょう。
 つまり、今現在傷ついているのであれば、「傷つく前」に、そっと自分を戻してくれる、そんな効果があるのかもしれません。

 で、あるならば。そこから自分に対する新たな教育をしていくことも、可能になるのかもしれない。
 だとしたら。
 萌えアニメだったりや美少女アニメだったりは、僕らの世代を救うものになっていくのかもしれない。

・エンターテインメントに携わる者として

 僕は自分でも漫画を描くから、ユーザーに徹しているわけではありません。
 人の心に何かを訴えかけていく側にいるわけですね。
 じゃあ、何を訴えかけていくべきなのか。
 それは、エンターテインメントに携わる者として、追い求め続けなければならないものなのでしょうね。

 ちょっと前までの僕は、一部の商業漫画界のアニメ否定主義に毒されたまま自分を見失い、また損得勘定教育を払拭することができず、読者のことなど考えず、何を訴えるべきなのかなどに思いを馳せることなく、努力をしないで上手いこといかないか、と考えていました。
 でも、ここ2年ほどアニメをまた見るようになり、自分の考え方が大きく変わってきたことを感じています。
 もしかするとそれは、自分再教育の一つのモデルといえるのかもしれません。

 「30過ぎてアニメなんて見て」
 ということを、僕らの世代が自分で言うことはいいんです。自分達の価値観の中から、確かにそういう言葉は出るでしょう。
 でも、僕らとは違う世代の人間から言われるとしたら、僕はそれは受け入れられない。
 あの時代に思春期を過ごしてみろ。
 その上でお前はアニメを見ないでいられるのか?
 ってことなわけですね。

 勿論、同じようなことはそれぞれの世代にあることでしょう。
 だから僕は、エンターテインメントを続けていくのであれば、僕らの次の世代やその次の世代のことも知っていかないといけないだろうな、と感じます。
 それは、知識としてではなく、思いを馳せることを基本として感じていくことなのでしょうね。

 その上で、僕なんかでも人のために何かしらの役割を果たすことができたら、嬉しいですね。

 長い上にすっかりまとまりのない文章になってしまいましたが、そろそろ終わります。
 とにかく、「エンターテインメントには役割がある」という観点から出発してみると、いろんなものが見えてくるように思えて、面白いように感じます。
 今後のアニメ視聴が、僕にとって更なる学習機会を与えてくれることを期待して、この文章を終わります。

 ではでは、またです!

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コメント

こんばんは。だんちさんと同じく80年代の教育の空気にさらされて育ち、30過ぎてアニメを見てるmementoです。

>僕は自分の体験のことを書きましたが、乱暴な教育に傷ついてきたのは僕だけでなく、あの当時の教育を受けてきた多くの人間にあることなのだと感じます。

僕自身、ブログのほうでもちょこっと書いたんですけど、そういうのはありました。中学の頃までは、校風が緩やかだったのか(公立の中学だったんですが)、周りに頭のいいやつ悪いやつ、真面目なやつ変なやつ等いろいろといたおかげか、割合呑気に過ごせてたんですが、それが高校に入った途端、「勝ち負け」や「損得」みたいな競争原理を押しつけられ、びっくりすると同時にうんざりしてしまった経験があります。
その当時は反体制を気どってたから、僕はさっさとそういう学校に見切りをつけ、でも結局やったのは音楽や小説や映画の世界に逃避する、という、いささかネガティヴな行動でした。ネガティヴではあったんですけど、今振り返ると、あれはあれで必要だったのかなあ、とも思います。あの時代の教育の空気から自分自身を守るためには、僕にはああするしかなかったのかも、と。
大人になった今でも、自分にとって一番の価値観ってなんだ? と誰かに訊かれたら、それは高校以前の子供だった頃の価値観だ、と僕は答えるでしょう。逆にいうと高校からの“教育”なるものは、僕にはなにも教えてくれなかったわけです。価値観となるようなことはなにも。
とはいえ、やっぱり無意識のうちにあの時代の価値観に影響されないわけにはいかなくて、

>「30過ぎてアニメなんて見て」

という言葉は、僕の口からも、まるでアニメを見るという行為が後ろめたいことであるかのように、出てきてしまいます。事実その行為に、ある種の後ろめたさを感じないといったら嘘になりますし。
まあ、僕らの下の世代になれば、30過ぎてアニメを見るなんて当たり前だろ? と、堂々といえる連中も出てきてくれるでしょう。萌えとか美少女といったものだって、僕らの世代には、どうしたって恥ずかしい気持ちが先に立ってしまいますけど、若い連中なら、
「なにが悪い?」
と気負うことなく、サラリといえるのかもしれません。
そういった連中から、僕らがなにかを学ぶことだってできるかもしれませんし、だから、「アニメを見る」「アニメについて語る」という行為でもって、彼らとコミットしていくことが、やっぱり必要なんじゃないかなあと、僕は思ったりもしています。

あ、SEAL教えてくださってありがとうございます。彼のアルバムで好きなのは「SEAL」「Human Beings」それに最新の「SEAL Ⅳ」ってとこですか。素晴らしい声と存在感を持つアーティストですね。やっぱりどうも僕は、ブラックな音に惹かれてしまうようです。
これからも“いい年してアニメを見る同好の士”同士、あれこれ語ったり、妄想したりしていきたいですね。
それでは、失礼いたします。

投稿: memento | 2007年2月 6日 (火) 21:56

初めてコメントさせていただきます。よろしくお願いします。
自分自身20代前半(ギリ)で兄弟や知り合いに10代の子も多いので、その視点から見た感想を勝手に書かせていただこうと思います。

>僕らの次の世代やその次の世代のことも知っていかないといけない

>僕らの下の世代になれば、30過ぎてアニメを見るなんて当たり前だ
>ろ? と、堂々といえる連中も出てきてくれるでしょう。

実感としてですが、お二人のいう80年代的教育は今でもあまり変わっていないように思います。義務教育の頃から競争を煽られ、周りには負けた教の信者達やいつまでも成功を夢見ているドンキホーテのような人があふれています。ただ80年代との違いがあるとすれば、一つは「個性」を脅迫的に煽られている、もう一つは勝ち意識、負け意識が思春期の早くから芽生えているということでしょうか。

例えば「終わりなき日常を生きろ」(宮台真司氏)とか「キモいヤツは何やってもモテない」(本田透氏)など、上の世代でセンセーショナルと言われている言説も自分達の世代にとっては「そんなのあたりまえじゃん・・今さら何を・・」という風に受け取っている気がします。
努力主義、精神主義の80年代に比べ「家柄や遺伝子ですべて決まる。努力は無駄」という感覚が強く、それを救うために「個性」という嘘が使われているのかもしれません。

その嘘のためかどうかはわかりませんが自分が学生の頃は大きな社会的価値というのは「勝ち/負け」を除きほとんど崩壊していて、クラスは蛸壺化と弱肉強食があたりまえでした。今の高校生ではハルヒ=オタクという共通認識になっていて迫害を受けているとのことです。だから自分が30になる頃は社会的には「30にもなってアニメ・・」と言われると同時に同じアニメファン・トライブの中では「30でアニメは立派」と言われるのだろうと思います。

最後に僕が勝手に個人的に80年代の方々に願う事を・・
「80年代の方々はずっと変わらず80年代的でいてほしい」

本田透の命がけの「萌え」や30を過ぎても成功をめざし努力している方々、「傷つき、癒された」世代を見るとなんだか羨ましい気がします。すごく人間的に見える。80年代の教育も悪かったとは思いますが、だからといって今の若い世代のような苦しみも喜びも希薄な記号のようになるのもどうかと思います。成功主義や恋愛資本主義を解体するのが30代の言説で流行っているようですが、むしろいつまでも大切にしてほしいと願っています。

仕事前ということもあり急いで読み辛いところもあるかもしれません。
長くなってしまい申し訳ありません。それでは・・。

投稿: ミント | 2007年2月 9日 (金) 08:22

mementoさん、ミントさん、こんばんは。コメントをありがとうございます!
同年代の方、また違う年代の方からこうやってコメントをいただいて読ませていただくことは、とても貴重な体験だと感じます。
体験、感じたこと、思うこと、考えていること、そういったものを皆でつき合わせていくと、それらが「証言」となり、目に見えない時の流れや時代の空気、それが生まれてきた過去の成り立ちから、今後の未来の姿などが浮き上がってくるのかもしれないなぁと感じます。
お二人ともお忙しい中このエントリーを読んで下さって、更に書き込んで下さって本当にありがとうございます。
「えいっ」と思い切りと思いつきと勝手な印象とで書いたエントリーだったのですが、こうやってコメントをいただけたことで自分の中でとても意味を持つものになりました。「エンターテインメントには役割がある」という観点を持つ中でのその意味というのは、僕にとって、とても糧になるものに感じます。

語りつくせない点などいろいろあるでしょうから、コメントの長さなど気にせず、フリートークで語ったりもできるといいですね^^

個別のレスはまた後程書かせていただきます。
ひとまず失礼いたします!

投稿: だんち | 2007年2月 9日 (金) 18:09

こんばんは。mementoです。
あんまりこのコメント欄が議論の場になるのはよろしくないと思うのですが、自分のブログで書いたテーマでもあることですし、責任上だんちさんに代わって、先回りでミントさんにお答えするようなコメントをさせていただきます。非常に長くなりますが。
まあ、世代論自体がどこまで有効なのかってこともありますし、あくまで、こういう意見もあるよ、くらいに受けとっていただければ。

本田透や宮台真司の言説は、僕自身もどっちかったらセンセーショナルという感じではなくて、
「んなことをセンセーショナルに、まるで自分が発見したんだぞ、みたいに語るのは恥ずかしくないか?」
という気持ちが強いんですが、下の世代が当たり前じゃんと思うのとほぼ同様に、僕もまた、そんなのは自明だろうにという気持ちがあります。
…いや、ちょっと違うか。そんなのは自明であるとわかってて、その上でどうするかってのを、考えるなりするのが、本来のスタート地点なんだろうに、そのスタート手前でなにウダウダいってんだ、という気持ちというべきか。だから僕らの下の連中がペシミスティックに、そんなの当たり前だろ、と受け入れてしまうのとは、やはりニュアンスが異なっているのかもしれません。
80年代のバブルが、それに乗っかるにしろ、反発するにしろ、権威としてちゃんと機能していたがゆえの、その後の成功主義、恋愛資本主義、ないしはそれらへの反発、ということならば、どれも実は根っこは同じなのかもしれません。どれもだから、“80年代的”なんでしょう。今の若い子たちには権威がちゃんと機能してなくて、いわゆる“砂粒の個人”として浮遊するしかないのを見ると、俺たちはまだわかりやすく生きられたなあ、と思うこともしばしばです。
とはいえ、僕も趣味や仕事関係等で今の十代、二十代の連中と会ったりもするんですけど、彼らと話しているとそんなに絶望したもんでもないかな、という気になります。彼らの全部がそうではむろんないでしょうが、しなやかに自分自身を受け入れ、手堅くオタク人種やってる連中なんかを見て、気負いがなくていいなあ、と羨ましくなることもありますし。

僕が今、30過ぎてアニメ見てるのは、そういうのが迫害的な視線にさらされてきたから(宮崎某のやらかした幼女殺人事件当時のマスコミの反応とか…あの当時は今とは比べものにならないくらい、オタクは異端視されてました。「電車男」ブームなんて、あの頃なら考えられなかったでしょう)、それへの反発って部分もなくはないんですけど、今の連中はそういうプレッシャーは僕らほどには感じず、ごく自然に今の趣味の延長として、30過ぎてもアニメ見てるんじゃないかって思えます。あくまで僕の個人的印象としてですけどね。
あるいは彼らは同世代の中の異端なのかもしれません。しかし、もう“砂粒の個人”として、各人がバラバラに生きている世代なら、異端とか正統とか、さらには勝ち組だの負け組だの考えるのは、無意味なんじゃないかって気もします。
無意味なはずなのに、なぜかそういった、勝ち組負け組的ないい方を自らしてしまう辺りに、彼らの自信のなさ、あるいは今の教育や、マスコミ等が煽ってきた風潮の弊害を、確かに見ることができます。現実に社会に出て、そういった勝ち負けの価値観なるものが今も生きているのかを確認した上で、そういってるのならともかく、それをいってるのは、ミントさんのおっしゃるように思春期くらいの子供ですし。
ミントさんは、

>自分が学生の頃は大きな社会的価値というのは「勝ち/負け」を除きほとんど崩壊していて

とおっしゃっていますが、現実にはその「勝ち/負け」の価値が、真っ先に崩壊したんですよね。
それがまだ残っているかのように感じるのは、僕のブログのほうでも述べていますが、80年代の桃源郷の再来を、いまだに無自覚に望んでしまう人たちが、僕らや僕らの上の世代にいるからです。バブルは弾けた、という厳然たる事実を認めたがらない人たちが、ほかの価値が崩壊しているからなおさら、それにすがり、それを煽ろうとしているせいです。
今30代で成功目指している人というのも、バブル後の就職氷河期以前になんとかうまいこと企業に滑り込めた人たちで、その経験から、
「まだ勝てる、成功できる!」
といってるようなもんでしょう。彼らが成功を夢見て努力するのは大いに結構なんですが、望むような現実が待っているかどうかは、僕にはなんともいえません。
その下の、第二次ベビーブーマー世代の人たちは、自分たちの経験から、おそらく上の世代の嘘を見抜いているでしょう。最近景気は上向いて、新卒の採用抑制は緩和されているとのことですが、彼らの世代は相変わらず、ニートやフリーターとしてダブついてます。今後も救済の見込みはあまりないでしょう。彼らにすれば、勝ち組なんてどこにいるんだ? って話です。

たぶんミントさんは、ご自身の属しておられる世代であるからこそ、今の若い人たちの存在の希薄さに懸念を抱いておられるのでしょう。
同じように僕も、僕の属する世代に懸念を抱いています。そして、僕らの下の世代は、僕らより、もうちょっと地に足の着いた生き方を目指してほしい、と思ったりもしています。
ミントさんが80年代的な生き方を人間らしい、と思われるのは、ある意味非常によく理解できますが、それでもそれは間違った生き方だった、と僕は思います。
まあ、自分が自分の一番辛辣な批評家になるのは、誰でも同じということなのかもしれません。

いろいろと失礼なことを申し上げてしまったかもしれませんが、親父の小言と思ってご容赦願えれば幸いです。
それでは。

投稿: memento | 2007年2月 9日 (金) 23:06

mementoさん、改めてこんにちは^^
同年代の方に同意いただけて、また当時の空気について共感とmementoさんご自身の体験について書いていただけて、すごく嬉しいです。

僕が感じていたこと、思っていたことは僕だけが感じていたある種平面なものではなく、やはり当時の日本にあった立体的なものだったんだな、と改めて感じましたし、mementoさんの書き込みとブログで書いて下さった記事とで、その輪郭が少し浮き上がってきたように感じます。
そうそう。僕が書いた記事が刺激になってああやってブログで記事を書いて下さったのは、とても嬉しかったです!

僕、この記事のタイトル実はけっこう気に入っていて。
「お。なんだかいい感じのタイトルになったぞ」
って思ったんですけど、でも「僕ら」と書いていいものか、というのはちょっと悩みどころだったんですね。勝手に同年代の気持ちを代弁するかのような乱暴をしてよいものか、と。だから、正直な話「お願い!mementoさん反応して!!」という気持ち、ありました^^
そう思っていたところ、お忙しい中思っていた以上に温かく反応していただけて、本当に嬉しかったし、ありがたかったです!

>あの時代の教育の空気から自分自身を守るためには、僕にはああするしかなかったのかも、と。

そういう危機感ってありましたよね。「自分を守る」という発想を持たないと、ものすごく傷つけられる空気が、すごくあって。
平均点的にはみ出さないことを求められながらも、人よりは上手く抜きん出ることを求められて。

そうそう。「平均的に優秀」というのを、なんだか求められたりしていましたよね。抜きん出ると叩かれて、だけど平均より下だと蔑まれて。勝ち負けを求められながらも、「上手いこと勝たないといけない」というか。ちょっとこの辺りのこと、今上手く言葉にまとめられないのですが。もうちょっと記憶を掘り起こして思いを巡らせなければ。

ともかく、乱暴で矛盾したいい加減な教育だったからこそ、「平均から抜きん出る者」にしても「平均からこぼれる者」にしても(書いててすげぇ嫌になる書き方ですね…ホント)、自分を守るために、刃を持って先回りして他人を傷つけようとする、そうしないと自分を守れない、そんな感じがあったようにも思います。

だから、ネガティブと仰っておりますがmementoさんが他人を傷つけることなく、「音楽や小説や映画の世界に逃避する」ということをしたのは、実に健全に思えます。
今みたいにパーソナルなメディアが発達してもいなかったし、マスが大きな力を持っていましたよね。今なんかよりももっと「テレビや新聞で言われることは全部真実なんだ」という無邪気な時代だったと思うし。偏りに対して、敏感に感じ取って目を背けるというのは、思っていてもなかなかに難しいことだったのではないかと感じます。
僕なんかは、健全さを取り戻すのに随分時間がかかってしまいましたが…^^;

>大人になった今でも、自分にとって一番の価値観ってなんだ? と誰かに訊かれたら、それは高校以前の子供だった頃の価値観だ、と僕は答えるでしょう。

そう!そういうことなんですよね。
僕がアニメーションを「そっと傷つける前に戻してくれる装置」と評価するのも、そういうことがあるんだと思います。意識的にしろ、無意識的にしろ、子供の頃の価値観に戻ることを求めている部分があるように感じるんですね。

僕は再びアニメーションを見始めた時に「俺、今中学生の頃のようだ」と自覚したものでした。それが、体験として非常に大事なんだろうなと感じます。だから、アニメーションに限らないことでしょうけど、エンターテインメントは明らかに現実逃避の装置なんだけど、そこからもう一回現実に送り出してあげる、そういう気の遣い方が必要になるんだと感じますし、そういう作品を僕は好きだったりします。見る側も、「子供の頃の価値観」というものに立ち返ることを自覚できると、アニメーション視聴がより現実の中で効果を発揮するんではないかな、なんてなことも思ったりします。つまりは、抜け出せなくなるような見方ではなく、傍に一緒にいてもらう、そんな感じの見方ですね。

>そういった連中から、僕らがなにかを学ぶことだってできるかもしれませんし、だから、「アニメを見る」「アニメについて語る」という行為でもって、彼らとコミットしていくことが、やっぱり必要なんじゃないかなあと、僕は思ったりもしています。

ありがたいことに、早速ミントさんのように僕らより若い方からのリアクションもあり、勉強になりますよね^^
こうやって語り合ったりしていることを無駄にしないためにも、少しずつでも思っていること、受けてきた印象などを言葉にしていきたいし、若い方の言葉も沢山受け止めていきたいですよね。その媒介としてアニメーションというものが意味を持つのなら、これまた、非常に良い視聴体験になっていくなぁと感じます。

ところでSEAL、聴いて下さったんですね!気に入ってもらえて嬉しいです^^
寡作な人で、アルバムはライブ版やベストを除くと四枚しかないわけですが、そのうち三枚を気に入られたということは、「ほとんど」って感じですね^^
僕は全部大好きで。特に「Human Being」と「SEAL Ⅳ」はなんだか泣けてしまうくらい好きです。本当に仰る通りで、素晴らしい声してますよね。たまりません!!そしてその声を生かす音作りになっていて、透明感と存在感とが押し寄せる感じで、心に丸ごと入ってきてしまいます。

僕もmementoさんがブログでご紹介なさっている音楽などを探して聴いてみなければ!
あと、もし機会がありましたら「JOHN MAYER」なんかも良かったら聴いてみて下さい。彼もなかなか素晴らしい声をしております。

それでは、長いレスになってしまいましたが、この辺で。
まだまだ、あれこれ語り、そして妄想していきましょうね!!

ではでは、またです!

投稿: だんち | 2007年2月10日 (土) 16:17

ミントさん、改めてまして初めまして!コメントありがとうございます^^
自分達よりも若い方のお話も聞かせていただきたいと思っておりましたので、とても嬉しいです!
若い方を見ていて、いろいろと想像することはできるわけですが、でもそれはやはり想像でしかないもので。二十歳前後の方のリアリティを持った心情を聞かせていただけることは、とても貴重なことだと感じます。

お仕事前のお忙しいところを書き込んで下さったということですが、僕が書いた長い文章を読んで下さって、書きたい衝動を持って下さったんですね。ありがとうございます^^
「読み辛いところもあるかも」とのことですが、そんなことないですよ。要点やキーワードも分かりやすく、非常に興味深く読ませていただきました。「長くなって」ということですが、僕のところは長文コメント大歓迎なので、遠慮なさらずにどんどん長い文章を書いて下さい!

ミントさんやご兄弟の方、またお知り合いの方々が、リアルタイムで教室で感じてきたことを要点を絞って書き込んでいただいたわけですが、読ませていただいて、なるほどなぁと感じます。

なんとなくの印象でしかないのですが、僕らの頃が「マシーン」になることを求められていたのだとしたら、ミントさん達の頃になると、もっとこう…粗雑に扱われている感じなんかがあるのかもしれませんね。
「弱肉強食」であるとか「蛸壺化」であるとか、そういうキーワードや僕ら80年代の教育を受けてきた世代を「人間的に見える」と仰って下さっていることなどから、「野生化」しているというか、「教育らしい教育を受けていない状態」なんていう感じなのかもしれませんね。

ミントさんのパーソナリティもあることなんでしょうけれども、こうやって僕の長い文章を読んで下さって、そして書き込みの内容から察するにmementoさんの書かれた記事も読まれて、その上でこうして書き込んで下さったということ、そして「成功のための努力」ということを挙げて僕らの世代を羨ましいと仰っていることなどから、向上心や探究心などの強さを感じます。

それは、僕らの世代が「マシーンから人間に戻ること」や「マシーンにならずに人間であること」を求める必要があったのに対して、ミントさんやミントさんの世代の方々には「そもそもどうしたら人間になれるのか」という道筋に対する渇望がどこかあるのかもしれないな、というように感じます。

…大きく間違っている印象だったりしたらすいません^^;

その印象を持つキーワードになるのは、「個性」ということと「記号」ということかな、と思います。
「個性を脅迫的に煽られている」と仰られているこの場合の「個性」は、人間本来が持つそれぞれの性質としての本質的な個性ではなく、もっと「表面的なもの」なんだろうなと感じます。
そう感じて読み進めていくと最後の方で「苦しみも喜びも希薄な記号」という言葉が出てきて、「あ。なるほど。繋がった」と感じました。
脅迫的に求められている「個性」は、「記号化される」ことなのかもしれませんね。圧縮されてデータ化されるが如く扱われる。またはデータとしての個性を提示することで、「個体」として認識される。
…むむ。言葉にしてみると、あまりにも暴力的ですね。とはいえ、書いていただいたコメントから拾ったキーワードからの勝手な印象でしかないわけですが。

その印象のまま言葉を続けてみますと、仰って下さっている「80年代の方々はずっと変わらず80年代的でいてほしい」というのは、僕達が圧縮されていない暑苦しさを伴った「個性」を持っているように見えるのかもしれませんね。僕らはまさに当事者なので、その評価が指すところを客観的に感じることはなかなかに難しいのですが、興味深い評価だと感じます。その見え方に、ミントさん達の世代の抱えている問題などを感じることも可能なのかもしれません。

>「家柄や遺伝子ですべて決まる。努力は無駄」という感覚が強く

と仰られている反面、渇望するもの、向上心や探究心を感じたわけですが、僕のブログでこうやって書き込んでいただくことが、ミントさんの向上心にとって何かお役に立てれば、と読んでいて強く思わされました。
初めて書き込んでいただいたので、おそらくはまだまだ言葉を尽くせていないことと思います。
お忙しいかもしれませんが、よろしかったらこれからもどんどん感じていること、思っていることを言葉にして書き込んでいただければ、と思います。

一緒になって暑苦しく語り合えたらなぁと、思う次第です^^

こちらこそ随分長いお返事になってしまいましたが、是非今後ともよろしくお願いいたします!

投稿: だんち | 2007年2月11日 (日) 21:14

こんばんは。「若造が吠えおるわ」とチャカされる覚悟で書いたのですが、ちゃんと読んで頂き、しかもすごく丁寧なレスポンスまでして下さり、すごく嬉しいです。ありがとうございます。

>あんまりこのコメント欄が議論の場になるのはよろしくない

だんちさんも仰られてるように話題的にもフリートークのほうが適しているようですね。議題が「どちらの世代がダメか、自虐しあう」というのも変ですが(笑。

>各人がバラバラに生きている世代なら、異端とか正統とか、さらには
>勝ち組だの負け組だの考えるのは、無意味なんじゃないかって気もし
>ます。

反論ではなくうまく伝わってない部分があるようなので少々補足させていただきたいと思います。「勝ち組/負け組」は確かに格差社会の上と下なんですが、それ以外にも存在しているものもあります。90年代の評論にも「全体の価値が崩壊したのだからスケーターとオタクが横並びになった」という文を見つけましたが・・これはちょっと、ありえないんじゃないかと。齋藤環は「オタクには確固たる自信のなさ」があると言っていますがおそらくこっちのほうが合ってると思います。「砂粒の個人がファシズムに回収される」という話通り、ダメなヤツへのイジメやマイノリティへの迫害って流動化がどれだけ進んでも減ったりはしないんじゃないかと・・。格差社会においてハイパーメリトクラシー化(個人の人格や努力ではなく能力・遺伝的資質で評価する)と呼ばれる現象進んでいると言われることも納得できるところがあります。

今の10代20代オタクは非社会的になることで自分のダメさを相対化しようとしているんだと思います。負け組であることを遺伝子や社会のせいにして絶望感をなくすというか・・でもこれって上の層から見ると上手く飼いならされてる状態ですよね。僕が80年代的な人に憧れるのはダメであることから逃げないというか、自分の責任として考えてるし、将来により良き生を目指してるというか・・。

傷つき癒される時の萌えと、ネコ耳とか記号に反応してアドレナリンが分泌される萌えと比較すると、ああ、やっぱり80年代いいなぁ・・と思ってしまいます。

投稿: ミント | 2007年2月12日 (月) 03:01

>>だんちさん

>僕らの世代が「マシーンから人間に戻ること」や「マシーンにならず
>に人間であること」を求める必要があったのに対して、ミントさんや
>ミントさんの世代の方々には「そもそもどうしたら人間になれるの
>か」という道筋に対する渇望がどこかあるのかもしれないないな

仰る通りです。付け加えるなら自分達の世代は積極的にマシーンを志向している感じもあります。ハルヒ嫌いな若いオタクが自分の周りに結構います。たぶん思春期に負けを悟り積極的に萌えマシーン化しようとしてきた人たちが、本当は憧れていた普通の青春を萌えアニメの中で不意打ち敵に表現され、鬱になるとか裏切ったとか吠えているんだろうと思います。気持ちはわかるのですが(笑。30代の方々が耳をすませばとか見て切なくなる気持ちに似てるのかもしれません。

夢とか恋とか理想とか、積極的に相対化してしまい人間になり損ねた感じが個人的にも強くあります。まるで妖怪人間ですね。妖怪を積極的に志向する方々も多いですが、逆に人間を志向する人もいるわけで、そういう人から見ると80年代の方々は結構理想的に見えてしまうんですよね。

↑のコメントと合わせてまたまた長くなってしまいました。
お二人のコメント読んでああ80年代も80年代で大変だなぁと感じました。勉強になりました。また機会があれば勝手にコメントつけさせて頂こうと思います。ありがとうございました。

投稿: ミント | 2007年2月12日 (月) 03:25

ミントさん、こんばんは^^
またの書き込みありがとうございます!

>あんまりこのコメント欄が議論の場になるのはよろしくない

というmementoさんが仰って下さっていることはとてもありがたいことで、僕としては「証言の場」みたいになって各世代の情報が集まってくるといいなぁと思っておりました。その意味でも、mementoさん、ミントさんがコメントを下さっていることは本当に勉強になりますし、ありがたく思っております!^^

実際、各世代がそれぞれ感じていることは、心の中の事実、真実なわけですから、それを評価することって、できないことだよなぁと感じます。
だから、「どっちの世代がどう」っていうことは成り立たない話なんだろうと思うんですね。
ミントさんも

>ああ80年代も80年代で大変だなぁと感じました。

と仰って下さっておりますが、ミントさん達にとっての地獄が紛れも無く地獄であるように、僕らにとっても地獄は地獄なんですよね。
そして僕らは年を取ってそこから這い出そう、這い上がろうともがいていて、そこに「大人になってからのアニメーション視聴」というものが、効果を持っていると思って、今回の記事を書いたわけですね。
というのも、多分、30代というのは「自分がどのように出来上がってきたのか」という事実を突きつけられる時期でもあるからなんだろうな、ということも感じます。

間違った教育を受けている時に、「これは間違っている」と感じていても、年を取ってみると、その教育が自分の中に息づいてしまっている。
これは、なかなかに苦しいものですよ。
でも、これから先も生きていかなければならない。さりとて別に若くはない。
しかし、自分を改めて教育し直さなければ、人間として明らかに何かが間違っている。
そこで、一旦「子供の頃」に戻る必然があるんだと思うんですね。

だから、今僕らの世代が(と括るのも乱暴な話なんですが)求めているものって、「友情」とか「人情」とかっていう、そういう「損得を越えたもの」、「直感的に正しいと思えること」というものが大きいんじゃないかな、と思うんですね。
んー。振り返って思ってみても、「友達を大事にしなさい」というような教わり方は、してこなかった気がするなぁ…。
やはり、「得を取れ!他人を蹴落とせ!」と教育されるわけですから。それが「間違っている」ということを体験も含めて(ここがミソなんですよね…)感じてきたことで、改めて子供の頃のように、友達との情の繋がりとかを非常に大事にしたくなる。

つまり、「もう、あの失敗をしたくない。あんな間違いを犯したくない」という、やはり「傷」ですよね、そういうものがあって。そこから、癒されることを志向し、人との情の繋がりを一つ一つ手探りで大事にしていこうとする。
僕らの世代が今、アニメーション視聴などをしながら歩んでいる状況というのは、そういう感じなんではないかな、と感じます。
少なくとも、僕はそうですね。

で、なんだか長くなっておりますが。なんでそういうこと言っているのかというと。
そういう、「今まさに人との情の繋がりを、子供の頃のように大事にしようともがいている」というところが、ミントさんには「羨まし」かったり、「理想的」に見えたりするところなんじゃないかなぁと感じるんですね。

もし、その辺りのことを感じてくださっていて、

>僕が80年代的な人に憧れるのはダメであることから逃げないというか、自分の責任として考えてるし、将来により良き生を目指してるというか・・。

と言っていただけているのでしたら、僕らが志向している今の生き方は、そんなに間違ったものでもないんだろうな、と思えます^^

ミントさん達もおそらく30代も半ばくらいになってくれば、「それまでの育ち方の結果」というものを必ずつきつけられるんだと思うんですね。その時に、「妖怪にならずに人間たろうとする」者達の、真骨頂が発揮されるべき時になっていくのかもしれませんね。
「憧れる」とか「理想的」とか言っていただけていることを、よりよき人間たろうともがいている僕らへのエールだと受け取って、子供の頃のように努力したり「情」に対する素直さを持ち続けたり、頑張っていって、少しはいい感じの「背中」を見せられるように、頑張りたいものです^^

ところで、今回も興味深いキーワードが出てきたなぁと感じます。
「相対化」というものですが。なるほど、と思いました。
自分のこととして捉えないで、自分自身を他人事にしてしまうわけですね。
そして、それによって人間になりそこね、「妖怪」ができあがってしまう…なるほど。
ミントさんが仰って下さっていることと、mementoさんが書いて下さった

>今の若い子たちには権威がちゃんと機能してなくて、いわゆる“砂粒の個人”として浮遊するしかない

という部分が、僕の中で繋がった気がします。
僕の印象として、若い時ってどうしても保守的になるところがあって、それは今の若い方々も一緒だと思うんですね。
で、特に今の若い方々は「自分が何者であるか」という部分に迷って、相対的な立ち位置を強く求めている印象がありました。よく言われる「アリ、ナシ」なんていうのもそういうところから出てきているように感じます。
それが、そもそも自分がどう立っていいのか、もっと大きく言っちゃうと、「どう人間たるべきか」を教えられないために、自分を守るために相対化して「砂粒である個人」であるという「剥き出し」の状態であることを拒絶して「記号化されたスペックを持つ一個の存在」にしていくのかもしれませんね。

そうなっていく一つの原因に、mementoさんが言われている「80年代の桃源郷の再来を、いまだに無自覚に望んでしまう人たち」の存在が大きいんだろうな、とも思います。
自分の成功のことしか考えていなくって、空間としての全体感もなければ、時間としての全体感もない。だから、上の世代のくっだらねぇちっせぇ自分のためのことしか考えていねぇ不祥事のニュースとか見ると、「ああ。まただ」と思ってしまいます。
次の世代に、それは彼らの子供の世代ということで、つまりはミントさん達の世代に、何を教え、何を託していくのか、がすぽーんと抜けてしまっているように感じるんですね。

むむ…いい加減かなり長いですね…。
ちょっとまとめに入ります。

>ハルヒ嫌いな若いオタクが自分の周りに結構います。

ということも、かなり興味深いことだと思います。
原作者の谷川流さんも、80年代に思春期を過ごしてきた方ですし、「涼宮ハルヒの公式」のインタビューで監督やシリーズ演出のお二人も、80年代に思春期青春期を過ごしてきていて、その影響から「ハルヒが80年代的になっている」ということを認めています。
やっぱり、80年代の教育や社会の空気を吸ってきた人間は、今いろんなところで「なんとかしなければ」となっているのかもしれませんね。それは、「なんとか伝えなければ」というものでもあるでしょうし、mementoさんが「親父の小言」と言いつつ「間違っているものは間違っているんだ」と伝えようとすることも、そうなんだと思います。

僕らの上の世代が、この国を桃源郷と勘違いして食い散らかし、さらに焼け野原にしてしまうのだとしたら(そしてそんな予感はしますよね)、やっぱり「戦後」ってまだ続いているんだなぁとも思ったりします。
でも、僕らは、そうなった時に、クワの一つも持って畑を耕すような、そんな逞しさを持たなくっちゃいけないんだろうな、と感じます。

mementoさんやミントさんのコメントで刺激を受けて、だらだらと書きまくってしまいました^^;
こちらこそ、非常に勉強になっております。
長さなど気にせず、これからもどんどん書き込んで下さいね!^^

ではでは、またです!

投稿: だんち | 2007年2月16日 (金) 02:13

だんちさん、みなさん、こんばんは。お久しぶりです。

だんちさんを始めとする皆さんの世代論を拝見しました。
80年代における皆さんの想いが伝わって来るようで、
非常に興味深く読ませていただきました。
1980年代ですか・・・。
こんな事を書くと自分の歳がバレそうなんですが(苦笑)

私にとっての80年代は、ちょうど20代を過ごした時期でもあります。
あの頃は、平日は仕事に、休日は趣味にと、思う存分活動していた
そんな思い出があります。
当時の趣味は、10代の頃から続いていたバイクから車へと替わり
私が住んでいる東京の湾岸を仲間と競争(違法行為ですが)する事に
熱中していましたね。
そして今は競馬・・・(汗)

というわけで、私の少年時代は70年代になります。
皆さんが書かれた「競争」そして「勝つこと」を煽られる事に関しては
自分の頃もさほど変わりはなかったですね。
もはやこれは教育に限らず、戦後の日本社会に共通した価値観では
ないかと考えています。
ただ私の場合は、ちょっと違った受け止め方をしている感じがします。
つまり自分が受けてきた教育と実社会とのギャップに対して傷ついたり
翻弄されたという実感がまったくないんですね。
当然のことながら、皆さんと同じく私の場合も学校という場所では
勉強に留まらず、様々なことに関して競争することを教育されましたが
私は何の違和感や疑問を感じることなくそれを実行してきた・・・
そんな感じなんです。
うまく言葉で表現できないんですが、「勝つこと」「成功すること」が
自分自身を更に高めるような目標と受け止めています。
それは現在でも変わりはないです。
仕事においても、他のいろんな事においても、ライバルと競争して勝つ、
それが素晴らしいとは言いませんが、なにか「いいなぁ~」という感じ。
勝つことが即ち癒される・・・なんて事を書くと恐らく違和感を覚えると
思いますけど、これも私という人間の一部であるのが正直な気持ちです。

大変お恥ずかしいことなんですが、だんちさんが「吐き気がする」と
評された成功本を、私はこれまで何冊も購入して読んできました。
目的は勝つためのヒントを得るためです。
もちろん勝つことが人生の全てとは考えていません。
ただ、自分の人生を高めるための道具のひとつという位置付けですね。

>しかし、教育というものは染み付くものです。
これは私も同感です。これまで書いた私の現在の価値観も、すべての
根源は教育にあるわけですから。
果たしてそれが良いことなのか、悪いことなのか・・・。

長々と書いてしまいましたね。
でも久しぶりに訪問して、だんちさんを始め皆さんの想いを知る事が
できたのは、大変良かったと思います。
ありがとうございました。

投稿: フレア | 2007年2月18日 (日) 01:44

フレアさん、こんにちは^^
長い文章を読んで下さって、さらに違う世代としてのコメントもいただきまして、ありがとうございます!
コメントでのやりとりも読んで下さったのですね。コメントでも相当のテキスト量になっていると思うのですが、目を通して下さってありがとうございます。

少年時代に70年代を過ごされたということで、僕やmementoさんにとっては一世代上の先輩ということになりますね。
実際、その世代の方のご意見というのは、とても伺いたいことでもありましたので、とても勉強になります!

フレアさんが受けてきた教育を違和感なく受け止めてこられて、そして「これも私という人間の一部」と仰られていることも、とても納得させられます。
今までコメントをいただいてきて、お返事をさせていただいてきて、その中で受けてきた印象などから、「なるほど!」と思えるんですね。「そうか、そういうことだったんだ」と。
その意味では、逆に今回の僕の文章やコメントで書いたことなどを読んでいただいて、僕の今までの記事内容や皆さんのコメントに対する反応などについて、フレアさんの方でも「そうか、なるほど」と思っていただけたかもしれませんね。

同じ国、そしておそらくは同じ関東に暮らしながらも、年代の違いによっていろいろな違いがあるんだなということを、フレアさんのコメントを読ませていただいて改めて思います。
各年代によって小さなギャップがいくつかあって。でも、それを知って意識することで、様々な形でそういったギャップを埋めていけるのかもしれませんね。
そうしたヒントを、人生の先輩であるフレアさんからいただけたことが、とてもありがたいです!^^

>目的は勝つためのヒントを得るためです。
>もちろん勝つことが人生の全てとは考えていません。
>ただ、自分の人生を高めるための道具のひとつという位置付けですね。

≫しかし、教育というものは染み付くものです。
>これは私も同感です。これまで書いた私の現在の価値観も、すべての
根源は教育にあるわけですから。
>果たしてそれが良いことなのか、悪いことなのか・・・。

という、フレアさんの偽らざる気持ちを書いて下さって、本当にありがたいです。
僕らの年代が「あの教育は間違っていた」と明確に認識していて、僕らより下のミントさんなんかは「努力は無駄」と勝ち負け教育に対して完全に打ちのめされていて、僕らの年代を見て「人間的で羨ましい」と仰っていて。
だけど、フレアさんは「良いことなのか、悪いことなのか」と仰っている。
このギャップは非常に興味深いものに感じられます。

こうした事実から、過去のあり方が、またより具体的に感じられますし、未来に対しても、何か見えてくるものがあるように思えます。

>でも久しぶりに訪問して、だんちさんを始め皆さんの想いを知る事が
できたのは、大変良かったと思います。

という一文に、とてもホっとする気持ちになります。僕らの年代のこともそうですが、それよりも特に、今20代のミントさんの年代の言葉に、フレアさんの年代の方が触れるということは、とても意義のあることだと思います。
その意味でも、こうした記事を書いた意義があったなぁと改めて感じます。
こちらこそ、読んで下さって、書き込みをいただきまして、ありがとうございました!
そして、下の年代がこうして書いていることを見て、ご自分の思っていることを真正面から忌憚なく書いて下さった姿勢を、学ばせていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします^^

投稿: だんち | 2007年2月20日 (火) 14:19

だんちさん、こんばんは。
お返事を頂きありがとうございました。

だんちさん、そして皆さんがこれまでの人生の中で
時代や教育・周囲のと軋轢など、それらに対して
いろいろと感じ、考え、悩み、ときには傷ついたこと、
それは即ち「闘ってきたことの証」と考えています。
そして、そのことが現在のご自身を支える幹になっている
こんな感じもします。
世代の違いや価値観の違いはあるものの、ひとつだけ言える
のは
「自分自身を偽ることなく、自分に正直に生きたい」
これが私達の共通した生き様なのかもしれません。

>今後ともよろしくお願いいたします
こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。

投稿: フレア | 2007年2月23日 (金) 22:56

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