「ロケットガール」第2話を見た。
こんにちは、だんちです。昨晩、WOWOWにて「ロケットガール」の第2話を見ましたので、感想を書きたいと思います。
原作は未読。中瀬理香さんのシリーズ構成作品として視聴しています。
今回、脚本は中瀬理香さんではなかったですね。全話脚本やらないのかぁ…。残念。
僕はこの作品を視聴する上で、「アニメーション作品として楽しむ」というのと同時に「中瀬シナリオの面白さの真髄の一端を掴む」というテーマを持っています。
でも、今回は中瀬シナリオではない。
ということで、今回は構成から感じ取れる部分について、書いてみたいと思います。
今回、ゆかりがロケットに乗る目的を明確にするお話でしたね。
行方不明のお父さんに会い、そしてそのお父さんを日本に連れ帰るために宇宙に行く約束をする。
正直、驚きました。
ゆかりがお父さんに会うのはもっとクライマックスになってくるのかな、と思っていましたので。
「え、もう会っちゃうんだ!」
って。
でも、同時に「そうだよな。そうするよな」とも思いました。
というのも、この作品の持つドラマとして「親と子供のあり方」または「大人と子供のあり方」というようなものが描写されていくんだろな、と思っていたからです。
よく、富野監督なんかは象徴的に主人公を「親無し」に設定していることが多いですが、そういうものは視聴者に感情移入を伴ってドラマを感じ取っていかせるための誇張表現なわけですね。
その誇張表現によって、現代日本の一般家庭にある「親子の結びつきの断絶」とでもいうもの、しかも特に親からの積極的消極的育児サボタージュ、つまりは「産んでおいて自分のことだけ考える幼稚な個人主義(結果としてそうなってしまうことも含めて)」がもたらす子供の苦しみ、というものを炙り出して表現することができるのだと思います。
ものを書く人間で、少年や少女の成長を描くのならば、そういうテーマは持つものだよな、ということを感じます。
少年や少女(この作品の場合は少女)を描く、ということは「未来」に対しての関心を持つことだし、「未来」に対して思いを馳せて何かを訴えていく、ということになっていきます。
それは、遠い未来のことではなく、描くべき少年少女達が大人になる、そういった近い未来のことですね。
そこに思いを馳せるということは、つまり少年少女達がどう育つのか、誰がどう育てるのか、というテーマにぶつかることになる。
少年少女の物語を作るためには、「周囲の大人」をどう表現するのか、が重要な鍵になってくるわけです。
その「大人」という存在を、描かない手もあるわけですが、この作品では最初からヒロインの目的がまさにダイレクトに「父親」というところに向いているわけですから、「親と子」「大人と子供」というところを真正面から描くことになる。
それは、人間のあり方、人間の持つドラマとして普遍性のあるもので、だからこそ誤魔化しの効かない、表現していくことが非常に難しいテーマでもあるように感じます。
シリーズ構成、シナリオ、という観点で見た時に、この作品の肝は、ロケット描写ではなく、親子描写、大人と子供の関係性という「人間描写」というところになってくるのだと思います。
だから、このタイミングでゆかりが父親と会ったことは「なるほど」と納得できます。
ゆかりにとっての父親に対する期待、思いが、実際に会ったことで打ち砕かれるわけですね。
月を見上げて「あの人が見たソロモンの月…」とつぶやいている時の彼女の中の父親と、「あんたに会いたいわけじゃなかった!」と叫ぶ彼女の目の前の父親との間には、あまりにも大きな落差があったのでしょう。
そして、そうなると。
ゆかりがロケットに乗って宇宙に行く、ということは「父親」という彼女にとっての重要なテーマに、いよいよ具体的に向き合っていくことになるのだと思います。
それが、落差を埋めていく作業になるのか、父親という存在を乗り越えて成長していく過程になるのか。
理想の父親像と現実。
理想の父母像、家庭像と現実。
本来は持ちたかった家庭の温かさ、親の温もりと、それをずっと得られないでいた現実。
ゆかりがこのタイミングで父親に会ってしまったからには、その問題に直面しないわけにはいかないでしょう。
特に、義妹のマツリはゆかりが得られなかったものを全て持っているわけですから、マツリとの関係、その描き方がどうなっていくのか、注目ですね。
コメディ色のオブラートで包んではいるけど、実際かなり硬派でハードな構成だと感じられます。
少女の普遍性を伴ったリアルな内面の成長。親というもの、大人というものの在り方。
そういったものが今後どのように表現されていくのか、とても楽しみです。
森田寛氏も、現時点で全く本心を語っておらず謎だらけなわけですが。
彼が何を考えているのか。何を思うのか。
そして、ゆかりを自分達の目的のために「使う」ことしか現時点で考えていない大人達。
それも、商売の世界なんかでよく言われる「困った時は女子供をターゲットにすればいい」というような、ある意味での「大人らしさ」を象徴して描写されているように感じます。
彼らが、ゆかりやマツリ達と接していく中で、大人として何を感じていくのか。
有人ロケット打ち上げ、というギミックを使いながら、普遍的かつ人間として重要なメッセージを投げかけてくるように思えるこの作品。
物語を構成して描写する者としては、なかなかに難儀なテーマを選択しているように感じますが(すげぇぶっちゃけた表現を使うと「手を抜けるキャラクターがいない」)、きっとやりがいもあるでしょうね。
この物語を表現することを、どこまで全うしていけるのか。
物語を作る者のハシクレとして、大いに興味を持って視聴を続けてみたいと思います。
そうそう。
安川のキャラ配置はとても面白いですね。
彼は、SSAの目的遂行のために常識を捨てるやり方に普通に疑問を持っているし、ゆかりのことを真っ当に心配している。
そして、おそらくはまぁ、下心もあるのでしょう。
つまり、彼の立ち位置は「大人男性視聴者」の代理的立場になるわけですね。
安川の物語上での出し入れは、けっこう重要になりますね。この辺り、キャラクターの使い方として非常に勉強になるポイントですね。
それはそれとして。なんだか、若い頃の森田寛に見た目ちょぴっと似ている気もするし。彼が今後どう絡んでくるのかも、楽しみです。
それにしても。
ゆかり可愛いなぁ…。
今度描いてみようっと。
来週のゆかりも楽しみです。
以上で「ロケットガール第2話」の感想を終わります。
またです!
参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
:「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
:「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」
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