« 「ななついろ★ドロップス」のゲーマーズ町田店での展示。 | トップページ | 誕生日記念にハルヒさん達にお尻を出してもらった。 »

2007年3月24日 (土)

創作のススメ。

 こんばんは、だんちです。
 mementoさんのブログ記事「オナニー作品を待望することについて」を読ませていただいて、コメントのやりとりをさせていただいたりして、ちょっと思ったことがあるので、書こうと思います。

 僕は、自分で漫画を描いていることもあって、アニメーション作品や漫画、小説などの作品を受け取る時に、一人の受け取り手として、という視点と創作者として、という視点とが混在します。それは、多少特殊な受け取り方になるんだろうな、と思ったりしていました。

 でも、それを「特殊」と決め付けることもないかな、とちょっと思ったんですね。

 抜書きをしてしまうと意図が曲がって伝わってしまう恐れもあるので全文読んでいただければ、と思うのですが、記事中mementoさんは、

 「創作とは基本、すべてオナニーですが、それが人に見せられるオナニーかってところで、“作品”になるか否かの違いが生じてくるのでしょう。そしてその辺りの判断は、当たり前ですけど見てる側にかかってきますから、見る側の判断力にも、それ相応の確かさとか成熟とかが求められて然るべきです。
 つまり創作とは、つくり手のみで完成されるものではなく、視聴者とか読者とか観客とかいった、受け手の評価も加わって、やっと作品としての完成を見るものなんですが…」

 と書かれてまして。
 なるほど、そうだよなぁと思いながら読んでいまして。

 で、本文は続いて、

 「今のアニメファンは、いっちゃ悪いけど総じてこの意味での、創作への参加意識が希薄なんだよな…。」

 となるのですが。
 その参加意識の希薄さの原因の一つに「見る側の判断力の、それ相応の確かさとか成熟」に対する漠然とした不安や自信の無さ、というものがあるのかもしれないな、とふと思ったんですね。

 僕は自分で物語を作っていて、創作の現場にいるから、いろいろな作品に触れた時に「うわ、この絵描くの大変だったろうなぁ…」とか「よくこの台詞出てきたな!!」とか、そういう評価が出てきます。
 そういう評価を口にしたり言葉にしたりする時には、当然自分の視点、判断に対する自信というものがベースになります。
 で、その自信の持ち方が「特殊」だよな、と思っていたのですが、逆に、この自信の持ち方を一つのモデルケースとして考えてみたらどうだろう?と思うんですね。

 つまり、もっと多くの人が絵を描いたり物語を作ったりを、実際にしてみたらいいんじゃなかろうか、と思うんです。
 別にプロになろうとか、多くの人に評価される傑作を作ろうとか、そういうことじゃなく、ちょっと絵を描いてみる、ちょっと物語を作ってみる、ということを実際に経験してみれば、様々な作品を見る時の視点が少し変わってくるんじゃないでしょうか。
 そこには、当然1回2回ちょこっとやってみた、という程度で止まるのではなく、それなりに上達しようとするプロセスは必要だとは思いますが。
 同人誌やネットワーク、デジタル技術の発達で絵を描いたり物語を作ったりする人は増えているのだと思いますが、なんとなくレベルで感じることとして、どこか「創作は敷居の高い行為」という認識がまだまだ一般的な気もします。
 「絵心がない」とか「話を作るセンスがない」とか、そういう恐れを抱く人は多いでしょうけど、もうちょっと気軽に「脳をちょっと柔らかくする遊び」くらいのつもりで、やってみるといいんじゃないかなぁと思うんですね。
 別に、人に見せなくってもいいから。

 実際に、自分で線を引く。
 実際に、自分で登場人物に言葉をしゃべらせる。

 そういったことを経験することで、作品に対する見方も発展していくんじゃないかな、と思います。

 それは、野球の観方なんかと一緒ですよ。
 最近の子達はそうでもないかもしれませんけど、僕ら男連中は、子供の頃にグローブとバットとボールを持って、草野球に興じてきました。だから、ルールも知っているしプレーの意味も分かったりします。テレビや競技場で実際に野球を見ても、自分が経験しているから分かるし楽しめる。

 サッカーでも、実際に自分でボールを蹴ってみると観方が絶対に変わると思うし。
 僕も、姉とフットサルをやるようになって「今まで、『クロスの精度がさー』とか言ってたけど、ごめんなさいって感じだよね」なんて言って、プロ選手をより尊敬するようになったりしたものです。
 30過ぎてからギターを始めて、それによって音楽の聴き方が変わって、一曲一曲をすごく楽しんで聴けるようになったし。

 絵を描いたり物語を作ったりすることを実際に経験することでも、同じようなことが起こり得ると思うんですね。
 もっと、「創作」という行為が多くの人にとって、体験として身近なものになれば、様々な評価がもっと実のあるものになっていくんじゃないかな、と思うんです。

 ということを書いていたら、トライセラトップスの和田唱君がよく「聴く子に実際ギターを持ってもらいたいし、バンドを組んでもらいたい」ということを言っているのを思い出しました。
 なるほど、そうだよなぁって、改めて思います。やっぱりトライセラは志高けぇなぁ。
 創作する側が「絵を描いてみなよ」「物語作ってみなよ」ということを、もっとアピールしていくことって、大事なのかもしれませんね。

 アニメーション作品を見たり、漫画を読んだりすることが好きな方、またそうでない方も、実際に自分が絵を描いたり物語を作ったりすることで、多くの作品を見る見方が変わることを体験してみてはいかがでしょうか。
 それは、もしかしたら、作品を見ることだけでなく、もっと多くの様々なことの見方をも発展させることになるかもしれません。
 是非、お試しあれ!!

 
 
 
 
 
 最後にもう一点。
 
 「『判断力の、それ相応の確かさとか成熟』に対する漠然とした不安や自信の無さ」、というものが「創作への参加意識の希薄さ」を生むのかもしれない、ということについてなんですが。
 「自信を掴む」ということは、本当に難しいことだよなぁと感じます。
 自信の無さは他者への攻撃を生んだりするし。視野も狭くするし。ネガティブな悪循環を生んだりしますよね。それによって、そこから抜け出すことをより困難にしてしまう…。
 逆に、実際に創作を体験していない人でも、何らかの自信を持っている人は作品の見方に一本筋が通っていたりするように思います。
 感想文を提出させて採点したり、コンクールだのといって優劣をつけたりだのっていう教育って、今もやっぱりあったりするんですかね?
 感じたことに上から評価するようなことが、多くの人の自信喪失を生んだりもしているんじゃないかなぁ…。

 絵を描いて上達していったり、物語を作っていって文章力を向上させたり、そういうことが、多くの人の自信回復のプロセスになっていって欲しいと切に願います。

 と、いったところで、この記事を終わります。
 ではでは、またです!

|

« 「ななついろ★ドロップス」のゲーマーズ町田店での展示。 | トップページ | 誕生日記念にハルヒさん達にお尻を出してもらった。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/68871/14366043

この記事へのトラックバック一覧です: 創作のススメ。:

» オナニー作品を待望することについて [Speak Like a Child]
 いやー、今朝は心臓に悪かったな。今朝7時頃、いつものように前日のアクセス数を確認するために管理者ページを開いたら、3月15日の解析結果が0ってなってましたよ。0って…昨日上げた記事にTBなんかもいただいてますから、いくらなんでもなにかの間違いだろうとは思いましたけど、わかっててもショックが大きいっすね、こういうのは。 ... [続きを読む]

受信: 2007年3月24日 (土) 07:07

« 「ななついろ★ドロップス」のゲーマーズ町田店での展示。 | トップページ | 誕生日記念にハルヒさん達にお尻を出してもらった。 »