「らき☆すた」第2話を見た。
こんばんは、だんちです。TVKにて「らき☆すた」第2話を見ましたので感想を書きたいと思います。
第1話の感想で、「この作品は映像言語ではなく漫画言語で描こうとしているように思える」ということを書いたわけですが。実は僕は第1話視聴の時点では、この作品が漫画原作であるということを知りませんでした。
感想の最後に「連載四コマ漫画を待つように、来週の放送も楽しみにしたい」とも書きましたが、当然原作が四コマ漫画であることも知らなかったわけです。
この作品のことは、たこーすけさんからいただいたメールで「山本寛氏が監督で『らき☆すた』という作品が始まる」ということを教えていただいて初めて知り、放送時間はチェックしたものの、日々の忙しさに追われて主なスタッフ名以外の事前情報を入手することはなく、「山本監督がどんな映像を作るんだろうか?」という興味で視聴したのが第1話でした。
そんな状態で視聴しても「これは漫画だな。四コマ漫画みてぇだ」と思えるわけですから、作品の持つテイストが徹底されていることが感じられます。
それはそれとして、非常に楽しいオープニングですが。我が家でも大人気で、配偶者と一緒に本編同様繰り返して何度も見て聴いて楽しんでおります。
たこーすけさんご指摘のチョッパーベースが本当にたまらねぇ。ベーシスト誰ですか!?
と、音と映像に痺れつつ何度も見ていて、なんとなく思ったことがあったので、まずはちょっとそのことについて書いてみます。
踊りまくりのオープニングなわけですが、その踊っている背景が日常的な光景だったりするところで、「ハレ」と「ケ」の混在を感じます。非日常と日常の混在、同居、ということですね。
それは、主人公であるこなたがしているように、日常の中でアニメや漫画、ゲームという非日常を楽しむことに繋がるように思います。
つまりは、この作品を見ている人そのものに当てはまることなんだろうな、と感じます。
なんてなことを思っていると、登場人物の女の子達がボンボンを持ってチアガールとして踊る姿が映ります。
で、ボンボンを空高く投げる。
そのボンボンが、夜の街に降り注ぐわけですね。
じゃあ、この夜の街はどこか、といったら、おそらくは深夜にこの番組を見ている僕ら視聴者の街、ということなんだろうな、と思うんですね。
ということは、彼女達が応援しているのは、視聴者である僕達である、と思えます。
次の日の朝には日常としての仕事であったり学業であったりが待っている視聴者に、非日常としてのアニメーションを届けて見てもらって、眠りにつかせる。
深夜アニメを視聴して日常と非日常をその頭の中で行ったり来たりする者を、積極的に応援し一時の現実逃避を受け入れて、次の日の現実、日常へと送り出す。
そういう立ち位置を持った作品として提示しているのかな、と思ったりします。
そして、オープニングのラストカットは脱いで置かれている制服。
「もってけ!セーラーふく」という曲だから、これ持って行けってことか?という図にも見えるわけですが。でも「中身」がいない、という画がとても印象的です。
チアとして応援してくれる彼女達が投げたボンボンがこちらに届くのであれば、制服の中身である女の子達が、視聴者のところに来てくれて一緒にいてくれる、という、そういう作品としての姿勢を示すラストカットであるように感じます。
分かりやすく言うと、「アニメーション風俗」という感じになるでしょうか。可愛い女の子達を30分だけ(心の中で)はべらせてお話をする、というような。
そう見てみると、本編が女の子達の日常会話で終始することも非常に納得がいきます。それに、こなたの動作とかさり気にやらしかったりしますしね。女の子達の手の動きとかなんかみょーにエッチだし。
で、最後はカラオケで歌って「バイバイ」する、と。
深夜に可愛いアニメーションの女の子を見る、という行為。
そこに、どこか正当化することが難しいような不健全さがつきまとうのであるならば、逆に「そうさ風俗さ!」と積極的にその行為が持つ働きを認識して視聴者の心を揉みほぐす。
それは、逆説的にとても「健全」な深夜番組らしさといえるように感じます。
そんなことを、オープニングを繰り返し見ているうちに思ってみて、神奈川では月曜深夜の「らき☆すた」第2話。
GW最終日から中間試験辺りを時期的にまとめた日常エピソード。
やはり、女の子達の可愛らしい会話がずっと続いていくわけですが。その内容のリアリティが、視聴しているこちらとズレていない面白さを感じます。
ドラマCDとアニメとのキャストの違いのこととか、「普通の本って何だ?」「活字離れっていうけど、最近は活字に接する機会が増えている」こととか、リアルタイムでこちらが思っているようなことを会話として提示してくる。
コンビニ店員の挨拶のおざなりさ、とかもそうだし。
そうなると、「そうそう。俺もそう思っててさ」とか、声に出して向こうに話しかけてしまいそうになります。
女の子達の会話をずっと見る、ということが女の子をはべらせてくっちゃべるようなことと同じ機能を持つのであれば、分からない話や興味のない話をされても仕方ないんですよね。
視聴者というお客さんに楽しい日常会話を提供する、という役割を女の子達が担うということになると、その会話の話題の選び方には注意が必要ですし、展開の仕方にもテクニックが必要になるでしょう。相当気を遣って話題を組み立てているんだろうなと思います。
その辺り、淡々と展開しているようでいて実はずっと会話が途切れないため、聴いている話の分量はけっこうな量がありますし、「楽しくいっぱい話しかけてくれている」感じがしていい気分でございます。
でも、「風俗」っていうことでいうと、お話ばっかりじゃなくって、ちょっと身体も見たいよね。とか思っていると、姉妹が制服のスカートから伸びる健康的なおみ足を見せてくれたりするんですね。
おぉ!わかってらっしゃる!とか思って目を凝らしてしまいました。
基本バストアップが多い中、「ちょっとだけ」という感じでたまに見える脚!この寸止め感がたまんないっすね。
更に、こなたが「コスプレ喫茶」でバイトを始めた、という、まさに「風俗的」なネタで締める。
いやもう、可愛くてたまんねぇ。
とか悶えていると、「らっきー☆ちゃんねる」が始まって、白石みのるが本編に出たってことで小神あきらにいじられる。それは、本編が「タレントによって演じられている」という印象を最後に明確に伝えてくるものに感じます。
つまり、「らき☆すた」のキャラクター達は本編の中で視聴者を楽しませる可愛い女の子を演じている、お客さんのためにサービスしているんですよ、という構図を伝えて、「はい、お店はここまでですよ」と閉店時間が来たことを告げてくれるものにも思えるんですね。
で、最後にちょっとお店を出てカラオケで締めて彼女達と別れて、日常に戻ってまた来店しようと日々の生活に励む。
あるいは、カラオケの様子は映らないため、お店が終わってカラオケで遊んでいる彼女達の様子を外からちらっと見て「さっきは楽しませてくれてありがとうね」とでもつぶやいて去って行く、そういう構図なのかもしれませんね。
演じて楽しませる立ち位置と、そこに好んで通って楽しむ立ち位置。
風俗店とその客。
そういう、ある種の下世話さを真正面から受け入れて作られているように、僕には感じられます。
エンターテインメントなんていうのは、基本下世話なもんだって、思います。
後に芸術作品として名高くなった彫刻だって、製作者はちょーガチのホモで、男の裸体を彫刻で作り上げることにはぁはぁと萌えながら作っていたっていうじゃないですか。
太陽が沈んでいる時間に下世話なエンターテインメントがあるからこそ、太陽が昇っている時間の健康的な社会活動があるんだって思いますよ。
その意味で、僕はこの作品にものすごく健康的な不健全さを感じて楽しんでいます。
「来店」するかどうかはお客さん次第。
深夜アニメという「風俗店」がいっぱいある中でどのお店を選ぶのかは視聴者次第なんだと思います。「もっと下半身を見せますよ」というお店もあるし、「もっと舞台でショーを見せますよ!」というお店もある。
深夜アニメの乱立は、夜の繁華街みたいなもんですよね。
僕は他のお店にも通ったりしますけど、「らき☆すた」という風俗店にも通いつめて、「常連客」になろうかな、なんて思うわけです。
可愛い女の子がいっぱいいて、沢山お話してくれるわけですからね。
ということはあれか。
こうやって深夜アニメの感想を書いたり読んだりしているっていうのは、風俗店レポートをして「どこのお店のどの子がいい」みたいな話をしているってことか。
いやはや。
なんとも不健全で。
なんとも健康的なことでしょうか。
この深夜風俗店通い。
やめられそうにないっすね!
来週も楽しみです!
と、いうところで感想は終わりですが。
長々とずっと書いてなんですが、この「深夜アニメは風俗店」ということについて、エロ漫画を描いている人間としてちょっと思うことも書きますね。
可愛い女の子であったり、エロであったり、そういったものを商売として描いて提示していく時に、何も考えずにするっていうのは、できないことです。
その辺りのことは、人によって感覚の違いもあるでしょうけど。
でも、例えば僕の場合だと、以前「携帯出会い系サイトの宣伝漫画」を仕事で描いたことがあります。
女性向けの雑誌だったので、お小遣いをあげることで若い男の子と都合よくエッチできて楽しいですよ、ということを描かなくっちゃいけなかったんです。
それを、言われた通り「はいはい」と描くことなんて、正直とてもできませんでした。
その出会い系を利用する人がちゃんと自分自身のやることを分かって利用するのならいいのですが、万一僕が描いた漫画をそのまま鵜呑みにしてしまって「なんて美味しいんだろう」なんて思ってしまうようなことがあったとしたら。それは描く人間としてはとても耐えられないんですよ。
だから、僕はわざとその出会い系を利用する主人公の主婦に「これは一回きりの分かった上での遊び」という認識を持たせてそう行動させました。「これは美味しいですよ!」という描き方ではなく「こういう利用の仕方ならいいんじゃないかな」という提示の仕方をしたんですね。
まぁ、そのせいなのか、単に気に入られなかっただけなのか、その仕事は2回で終わりましたけれども。
でも、そういう雑誌で仕事をしているため、その手の広告漫画をちょくちょく目にする機会が多いわけですが、「こういう描き方しちゃいかんのじゃないか?」と、思うことが、やはりあったりします…。
他にもレイプものだったりSMものだったりを描く時に(最近レイプものに携わる機会はなくなりましたが)、安易な描き方はしたらいかんよな、という描く側としての倫理観はどうしたって持ってしまいます。
だって、読む人に必ず影響を与えるわけですから。
ジャンルは違うけども、深夜アニメで可愛い女の子を見せる人達も似たような悩みや倫理観のせめぎ合いに苦しむことがあるんだろうな、と思います。
「ほーら、可愛い女の子だよ。萌えろよ。金つぎ込んで日常生活をダメにしちまえ」
なんていう作り方は、基本的にできるはずがない、と僕は思うんです。
出資する方々にはそいういう認識は無いかもしれませんが、直接視聴者や読者に触れるものを作る人間には、できないんですよ。
そういうことをしていると、最終的に病んでいって、描けなくなるし、作れなくなる。仕事として割り切ってやっていきながら、仕事そのものができなくなっていく。そういうことが…うん…あるんですね。
だから、僕には「らき☆すた」の作り方、「ここは風俗店ですよ。あなたの日常は別にあるんですよ」という提示の仕方に、ものすごく考え抜かれたものを感じてとても共感してしまいます。
視聴者のことをとても考えて作られているんですね。
下世話とか風俗とか書いてますけど、実はものすごく品がいい。
僕ら漫画を描く人間にとっても、大いに学ぶべき姿勢だと感じます。
「らき☆すた」が、一時の楽しい時間を過ごす善き風俗店として、多くの視聴者を楽しませることを念願しています。
同時に、僕も「善き風俗」としての漫画を描けるように努力を続けていきたいものだと改めて思います。
えらく長くなってしまいましたが、これにて「らき☆すた」第2話の感想を終わります。
ではでは、またです!
*ココログのTBはツンデレなのか、TBが受け付けられないことがあります。「TBを送ったのに反映されない」ということがありましたら、コメントかメールなどでURLをお申し出下さい。記事の最後にリンクを貼らせていただきます。よろしくお願いいたします。
参照:「らき☆すた」第1話を見た。
:「映像言語」と「漫画言語」の具体的な違いの例。
: 「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
:「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
:「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」
TB先:らき☆すた 第2話 「努力と結果」(たこーすけの、ちょろっと感想)
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コメント
はじめまして。
こういうアニメの見方もあるのかぁ、と思い、コメントした次第です。本当はこういう見方をするのが基本なのかもしれませんが、自分にはもの凄く斬新に思えました。
しかし……そう考えると、作品における「立ち位置」というものは凄く重要な要素になりますね。自分なんて、「京アニが4コマのアニメ化に挑んだ」くらいの認識でしかなかったので、「善きアニメーション風俗」という捉え方ができる、というのは非常に驚きました。
今思うと、そこら中にヒントはちりばめられていたんですよね。来週は、作品についての考えをまとめてから、答え合わせをするような感覚でこのブログを覗かさせていただきたいと思います。では。
投稿: すまいらー | 2007年4月17日 (火) 04:03
すまいらーさん、こんにちは、初めまして!^^
長い文章を読んで下さって、コメントも書き込んでいただきまして、ありがとうございます^^
いやぁ…僕のアニメの見方は、特殊な部類なんだろうと自分でも思ったりしています。視聴して勉強しよう、という見方を持っていますので、作り手の意図をトレースしようとしすぎるところがあるんですね。
なので、やはり「斬新」という印象で正しいのだと思います^^
ただ、自分がどういう思惑、どういうスタンスで作品を見るのか、というところをある程度はっきり持って見る、ということは、仰っていただいた「基本」というところに通じるものがあるのかもしれません。
その自分の「立ち位置」が定まると、作品の「立ち位置」をそれぞれの視聴立場から感じ取ることができるのかもしれませんね。
>「善きアニメーション風俗」という捉え方
に共感していただけて、嬉しいです^^
驚かれたということですが、すまいらーさんの感覚と僕の感覚とは、そもそも近いものがあるのかもしれませんね。
だから、漠然とすまいらーさんが感じていることを、たまたま僕が言葉にしていた、ということかも、と思ったりもします。
なので、「感じていることは一緒だよ」と仰っていただけているようで、とても嬉しいです^^
>来週は、作品についての考えをまとめてから、答え合わせをするような感覚でこのブログを覗かさせていただきたいと思います。
うおぉ…。答え合わせなんて滅相もございません…^^;
それぞれの違った環境、違った人生経験や価値観の上から、感じたこと思ったことを語り合うように、また思ったことをコメントしていただけたら、と思います。
僕のところは長文コメント歓迎ですので、思ったこと感じたことがありましたら、どんどん書き込んで下さいね!^^
僕もまた感想書くと思いますので、よろしかったらまた見てやって下さい。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします^^
それでは!
投稿: だんち | 2007年4月18日 (水) 12:45
>太陽が沈んでいる時間に下世話なエンターテインメント
まさに目からウロコでした。
すべてのエンターテインメントの本質はこれですね。
今まで、「エンターテインメントはくだらない現実を超克する何か」だという、どこかしら理想主義的なことを思ってましたよ・・・
アニメではなくゲームの話ですが、欧米で相手をひたすら撃ち殺すゲームに人気があることとか、RPGで自分の使う種族にオークなどの野蛮なものを選ぶ傾向とか、やっと理解できました。
あれは西欧人の陰と陽の姿で、ゲームというエンタテイメントは陰の部分の衝動を解消する風俗に徹しているだけなんだと。だから、「一時の楽しい時間を過ごす善き風俗店」として「誠実」なんだなと。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20070417/ghm.htm
の中で、
>水口氏は「ゲームがやってきたことは新しい視点の獲得だと思っている。
とあったのですが、こういう側面もあるんだろうけど、しょせん「風俗」だということをわきまえておけば、肩肘張らずに誠実に作れるのかもしれんなあ、と思いました。
投稿: vente | 2007年4月18日 (水) 15:22
追記です。
水口氏はそのあとで
>気持ちイイの量子化。気持ちイイというのは僕の中のテーマだと思う。
と風俗てんちょーに徹しているコメントもしてます(笑)。
さすがですな。
投稿: vente | 2007年4月18日 (水) 15:30
こんばんは。mementoです。第1話感想での漫画言語で表現されたアニメというだんちさんの洞察に、非常に納得させられました。
雰囲気が似ていて、同じ四コマ原作である「あずまんが大王」が、各四コマをつなげて一本のストーリー、ワンエピソードとしたのに対し、「らき☆すた」は基本的に各四コマ間のつなぎというものがないんですよね。それなりの脈絡というものはちゃんとあるんですけど。
「ああ、これは確かに漫画をそのまま”漫画”として見せてるアニメだ」
と、僕も感じました。
で、そのおかげか、「あずまんが」は女の子たちの日常を視聴者が観察している印象だけど、「らき☆すた」は女の子たちが、
「この前こんなことがあって…」
と、話をいくつか選んで視聴者に語っている、と、そんな印象があって。これってそれこそキャバ嬢に相手されてる感じですよね。
アニメが視聴者にとっての現実逃避…日常を一時忘れてすっきりするための手段であるなら、まさに風俗店と同じ役割を果たしているんだろうと思います。
重要なのは、だんちさんも記事中でおっしゃってますが、風俗を風俗として、つくり手、受け手がちゃんと認識しているかどうかで…そういったことは、つくってる側はもちろん、視聴者の側だって当然わかっているだろうと、僕は以前には楽観してました。お店(アニメ)の中での日常と、外での日常とは分けて考えるんだくらいのことは、みんなわきまえてるだろうと。
が、ここ最近はそうでもなくなってきてて、だからこれのように、
「このアニメは風俗店。それをわかった上でご入店ください」
といってるアニメが健康的だという意見には、深く同意いたします。
快楽を提供するのが風俗やエンターテイメントの務めですが、プロフェッショナルな風俗、エンターテイメントなら、節度や配慮はあって然るべきだろうと。僕のいうプロってのはお金を稼ぐとかだけじゃなく、仕事に対して一定の責任を負うって意味合いもあるんですが、これは記事を読むに、だんちさんのプロとしてのスタンスとおおよそ同じではないかと思います。
で、その意味で「らき☆すた」は、プロがちゃんとつくった作品だな、と僕は感じております。
まあでも、僕にはこのアニメは感想がものすごく書きにくいです。なんかそれこそ、
「考えるな。感じろ!」
って感じの作品なので。
そんなわけで、風俗レポートのほうはだんちさんにお任せし、僕は無責任なただのお客として楽しませていただきます。図々しいですが。
次回感想も期待しております。それでは。
投稿: memento | 2007年4月18日 (水) 21:27
>venteさん、初めまして、こんにちは^^
長い文章を読んで下さって、コメントもありがとうございます!
「目からウロコ」とまで言っていただけて、書いた甲斐がありました^^
風俗店として「誠実」である、というのは仰る通りでとても大切なことですよね。
書いて下さった欧米でのゲームの話など、なるほどと非常に納得できます。
その上で重要なのは「お店からどう帰ってもらうか」のところになるんだと思います。
もしエンターテインメントが現実を超克したとして、でも、お客さんを現実に戻してあげないといけない。
そこは、本当に難しい技術が求められるように感じます。
ひたすら撃ち殺すゲームに没頭したり、野蛮なキャラクターを使って殺戮を楽しんだりをしてもらったその後に、どうやって現実に送り出すのか。
もちろん、ユーザーの方にもちゃんと「帰り道」とか「終電の時間」なんかを把握しておく姿勢も求められるでしょうし。
エンターテインメントを提示する側と受け取る側、双方に「風俗店で楽しむ誠実さ」というものが必要なのでしょうね。
ゲームイベントのレポート記事をご紹介下さってありがとうございます^^
僕はあまりゲームをしない人間なので、水口哲也さんのことは知りませんでした。
読ませていただいた記事では、それぞれの出演者の言葉など簡単に抜き出されているだけなので、あれこれ言うことはできないのですが。
「新しい視点の獲得」というのは「ゲームが」という主語であることから、業界全体を見た上でのことを仰っていて、「気持ちイイの量子化」というのは、水口さんのゲーム制作のスタンスということに思えます。
自分達の業界、ご自分のやっていることなどを、冷静かつ客観的に捉えていらっしゃるように思えます。
その上で「気持ちイイ」をパッケージ化するということは、やはり「風俗てんちょー」としての意識があってのことなのでしょうね。
機会がありましたら、水口さんが作られたゲームもプレイしてみたいと思います^^
お互い、「風俗」としてのアニメやゲームを楽しんでいきたいですね!
>mementoさん、こんにちは^^
相変わらずの長文記事を読んで下さって、その上コメントをありがとうございます!
確かに仰る通りで「あずまんが大王」と雰囲気似ていますよね。
音響監督が一緒だから、ということもあるんでしょうけど、漫画的効果音の使い方がかなり近いように思います。
でも、「あずまんが」の時はバックで「教室の外のすずめの鳴き声」まで音響で作りこまれていたりして、「女の子たちの日常」を再現することを明確に志向していたように記憶しています。
それに対して「らき☆すた」はリアルな音作りは全然していなくって、もっと静かなんですよね。
音の上からでも意識的に「漫画」にしようという意図を感じます。
そういったところからも、「女の子が話をいくつか選んで視聴者に語っている」という「お店で会話している」という、トータルでの作為的な印象に繋がっていくのかもしれませんね。
この作品が「風俗店」であることを自覚して作られているよう思える、という観点に同意していただけて嬉しいです^^
仰る通りで、「風俗を風俗として認識する」ということは本当に重要ですよね。
そこを「わきまえる」ことが曖昧になっている、というのはエンターテインメントにとって、作る側見る側双方にとって直面している重要な問題なのかもしれない、とも思います。
デジタル技術の発展がもたらしている部分も大きいと思いますし、今後ますます技術的に進展していくのであれば、「どうやってお店からお帰りいただくのか」「どうやってお店から帰るのか」のところを、作り方や視聴の仕方として獲得していく必要があるのかもしれませんね。
映像や漫画だけに限らず、最近はイタリアサッカーでの暴動死傷事件なんかもあったりしましたが、熱中するのはいいことだけど「行き過ぎ」に対しては絶対に歯止めをかけなければいけないですよね。
熱中させつつ、行き過ぎさせない。
これは、本当に難しいことなんだろうな、と感じます。
その意味では、「らき☆すた」は、「帰し方」に関してチャレンジしている作品であるようにも思えます。
そのヒントになる部分としての「漫画言語」なのかなぁと、思っていたりもします。
≫仕事に対して一定の責任を負う
というのは、本当に大事なことですよね。
エンターテインメントは、商品としては生活必需的なものではなく、形があるような無いようなものですが、その分、人の心に影響を与えるものですし。
人の心というものもまた、形があるようで目に見えないし。常に想像していないと見失ってしまいますよね。
僕もプロの端くれとして、仰っていただいたような「節度や配慮」というものを忘れず頑張っていきたいものでございます!
≫そんなわけで、風俗レポートのほうはだんちさんにお任せし、僕は無責任なただのお客として楽しませていただきます。
あははは(笑)
じゃあ、あれですよ。風俗店からの帰りのタクシーの中でだべるみたいに、また是非コメントを下さい!^^
感想を書きにくい、ということを仰っている方は多いようですね。
それは、もしかするとちゃんと「帰宅できている」ということなのかな、と思ったりしています。
だとしたら、この作品の「帰し方」は成功しているっていうことなんだろうなぁと感じます。
次の感想では、ここまで見て思っていることをまた語ろうかな、と思っていますので、例によって長文になりそうです。ホント、風俗大好きで困りものです^^
また風俗帰りに、たっぷりと語りましょうね!
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2007年4月21日 (土) 11:56
だんちさん、こんばんは!
たこーすけです。
本文中で紹介して下さって、ありがとうございます!
感想記事を書き上げるのが遅かったために、お礼が遅れてしまい、大変失礼致しました。
第1話のトラックバックも、措置して下さって、ありがとうございました。
さて、今回も…トラックバックが通らないーーー(泣)なんでよーーー!以前は普通に通ってたのに…
結局だんちさんに先に送って頂いちゃいました。ありがとうございました。
すみません。
らき☆すた 第2話 「努力と結果」(たこーすけの、ちょろっと感想)
http://blog.goo.ne.jp/takosukena/e/67bf51a068024e70c33871cdaed5e162
になります。よろしくお願い致します。
第2話。
「深夜アニメは風俗店」ですか!
これは「なるほど」です!
そうかー。そうきたか!
あー。どんどん、最後のカラオケは、お店がひけた後の彼女たちの打ち上げ的なモノに思えてきた。
そして、この最後のカラオケ描写は、「お客さんに、どう『現実』に帰ってもらうか」という点でも、とても大きな意味を持っているように思えてきます。
最後のカラオケで、彼女たちの姿を映さないこと。
本編から「らっきー☆ちゃんねる」、そして最後のカラオケへと、だんだん画面への登場人数が減っていき、幕引きがなされているのかなと。
第2話では、最後に「白石みのる」さんとおぼしき店員が登場しましたが、それも、お店を出た時に客引きの店員さんを目にするようなものだったりして?
「姿を見せない」という点において、このエンディングカラオケと「らっきー☆ちゃんねる」の最後は似ていますね。
このカラオケの方も、そのうち「お店がひけた後」の「素」の彼女たちを聞けるのかもしれませんね。あきらさんのような。
それは…ないかな。やっぱ。
さて、ぼくも第3話視聴済みですが、感想記事を書き上げるのはまた遅れそうです…
だんちさんは、どのように書かれるのかなー。楽しみです!
それでは、また。
あ!えーー。mementoさん、感想記事書かないのーーー?
では。
投稿: たこーすけ | 2007年4月24日 (火) 02:12
たこーすけさん、こんばんは^^
コメントとTBをありがとうございます!
またもやTB通りませんでしたか…。相性なんでしょうね。むー。
せっかくの記事ですから、ちゃんtのTBし合えると良いのですが。
今後も上手くTBできない場合は記事中にリンクを張らせていただきますね。
コメントのお返事をあれこれ書きたいのですが、ちょっと今自分の都合で時間が取れませんで…^^;
申し訳ありませんが、後日また改めてお返事を書かせていただきますね。
長文野郎の俺がこんなことに…。
たこーすけさんもお忙しいようですが、今後もいっぱい語っていきましょうね!
ではでは、今回はこれにて失礼いたします!
投稿: だんち | 2007年4月27日 (金) 22:49
はじめまして。自分は、最近らき☆すたを見て、はまりました。
自分は、つっこみ役の柊かがみさんみたいな女性にあこがれますね。天然ボケキャラの柊つかさもいいですが、しっかりタイプ姉御肌みたいな女性がいいっすね
投稿: 大輔 | 2007年5月 1日 (火) 00:59
>たこーすけさん、改めましてこんにちは^^
TBの件、早く問題解消して欲しいですよね…。
「らき☆すた」放送中にはなんとか!!
この作品、たこーすけさんに教えていただかなければ、うっかり見過ごしていたかもしれません。事前情報チェックを本当にろくにしないので。教えて下さって本当にありがとうございました!
≫「深夜アニメは風俗店」
というところ、納得していただけて嬉しいです^^
風俗店である、という自覚の元に作られ、その上でのお店からの帰し方を考えて提示してきているように感じられるわけですが。その点、仰られているように、「だんだん画面への登場人数が減っていき、幕引きがなされている」ところで表現されているのでしょうね。
「らっきー☆ちゃんねる」が終わって、そこで番組が完全に終わった、という形になってからの彼女達のカラオケは、やっぱり「お店がひけた後の打ち上げ」的に感じられますよね。
そうなると、そこが実は「彼女達の素」として表現されている部分なのかな、とも思います。
あきらさんは表面と素が全く違うけど、彼女達は出演した後もカラオケに行って本編と同じように仲良くしている。という、そういう風に見れるように感じます。
「夢と現実は違うけど。でも、似たようなところはあるよ」という、突き放すだけではない優しさのようなものがあるように思えます。そういうところが、非常に考えられていて、丁寧だな、と感じるところなのかもしれませんね。
そうそう。店員の白石さんは、きっとあれですよ。駆け出しで役者では食っていけないからバイトしてるんですよ。
だけど、本編のメインキャストには実は共演者だとは全然気付いてもらえない。
僕らからしたら、「あれ?あの店で客引きしてたのに、こっちでもバイトしてんだ。…頑張れよ!」って感じかもしれませんね^^
今、イベント疲れもあって記事を書くのが遅くなっていますが、第4話の感想もそろそろ書きますよー。
第3話の感想では、記事中に取り上げて下さってありがとうございました^^
こうやって思ったことをブログ同士で交換し合うのは、楽しいですね。
ますます盛り上がっていきましょうね!!
ではでは、またです!
>大輔さん、こんにちは初めまして^^
かがみはいいですよねー。非常に女の子らしくって、可愛くて。でも僕はこなたもかなり好きです。ちっちゃい女の子が好きなんですよね。あ、サイズとして、という意味で。
これからも可愛い彼女達を楽しく見ていきたいですね^^
投稿: だんち | 2007年5月 2日 (水) 16:16