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2007年4月 4日 (水)

「ロケットガール」第6話を見た。

 こんばんは、だんちです。WOWOWノンスクランブル放送にて「ロケットガール」第6話を見ましたので、感想を書きたいと思います。
 またもや一週間経ってしまいましたので、要点を手短にという感じで。
 原作は未読。アニメーション作品として楽しみつつ、中瀬理香さんのシリーズ構成作品として、物語構成の技術について学んでいく視点で視聴しています。

 やっほぅ!中瀬理香さん脚本の回だ!!
 やー。
 やはり、切れ味の鋭さとテンションの高さはさすがでございます。
 今回、シリーズ序盤からの一つの区切りとなるため、非常にドラマチックで感動させられました。

 問題を解決しないまま、宇宙で事実として孤立したゆかり。
 それは、ゆかりそのものの問題を象徴する形として、フィルム上示される誇張表現なわけですね。

 ゆかりは、親との関係が正常でなく、大人の前で子供らしくいられない。
 そのため、同年代とも表面的には付き合えても、心からの友情を育めない。
 それは、心理的な孤立、孤独というもので、多くの少年少女達が抱える問題なのかもしれませんね。
 その意味では、ゆかりを「普通の女子高生」という立ち位置にすることで、親が離婚状態であり家族の温もりを知らないという、彼女のような状況が「普通になってしまっている」ということを、意図を持って描き出しているように感じます。

 ゆかりが宇宙空間で孤立してしまうという危機に直面した時。
 立ち上がったのはマツリ。

 僕は、この作品の見方として、「象徴的な意味での父親を求める少女の物語」という観点で観ていたところがあって。それは、「子供が本来の子供らしく、大人に育てられることを求める」という、そういう精神的な旅の物語ということにもなるのだと感じていました。
 その過程で、「同年代」という存在との絆を深めていく、そういう描かれ方がするのかな、と思っていたのですが。

 今回のお話を見て、「もっとストレートな物語だったんだな!!」と思わされました。
 ゆかりが求めていたのは、「象徴的な意味での父親」などではなく、「事実としての父親」であり、それはつまり、本人が生まれてから一度も感じたことがない「家族との温もり」ということなんですね。

 父親の寛氏が、ああやって勝手に別のところで家庭を築いてしまったりして、知らないうちに妹ができてしまったりしていて。
 その状況から、ゆかりが「家族の温もり」を手に入れられるはずがない、と僕は勝手に思っていました。だから、SSAの面々達との関係が象徴的な家族的なものへと昇華されていくのではないか、と。そこに期待をしていました。
 なぜ「期待」なのか、というと。そうでないと、家族の温もりをずっと奪われ続けてきたゆかりがあまりにも哀れだからです。
 せめて、那須田だったり木下だったりがゆかりを慰めてくれる存在になってくれれば…。そんな思いで見ていたんですね。

 だけど、ゆかりが必死の思いで求めてきた「家族の温もり」は、宇宙で孤立するというその切迫した状況の中、家族のこと、父親のこと、母親のことを思い、子供らしい甘えた、自分の正直な気持ちを口にした時、得られました。

 マツリは、ただの「同年代」などではなく、血を分けた妹、家族として。
 寛氏やゆかりの母親の想いを引き受ける形で、ゆかりの家族を代表して。
 そこがどんなに遠いところであろうとも。
 ゆかりを助けに行って、手を伸ばすわけですね。

 ゆかりは最初から家族の温もりをずっと求めていて。あの父親に会っても、妹が突然できて戸惑っても、その求めているものを諦めていなかったんですね。

 その想いが、あのストラップに関わるエピソードに集約されて表現される。
 そして、ストラップに絡んだ寛、母親、マツリのそれぞれの言動が、家族の絆として描かれるわけですね。
 同時に、一話からずっとあのストラップを持ち続けてきていたゆかりの本心というものも、見えてくる。

 非常に心温まる感動的なエピソードでした。
 家族の温もりなんか得られそうにない、そんな子に見えていたゆかり。
 だけど、彼女はちゃんと愛されていたわけですね。
 父親も母親も不器用だったり、愛情の注ぎ方が下手だったりするし、妹は自分が得られなかったものを得ていてどこか妬ましかったりもするけれど。
 そして、彼女もずっと、家族のことを不器用ながら、愛していた。

 だから、本当に。
 孤立し、孤独に陥った時。
 手を伸ばし助けるべき存在は、やはり「家族」なんですね。

 そこまで、真正面からまっすぐに見せてメッセージを投げかけてくるとは、正直思っていませんでした。

 ゆかりの孤独を救ったのが「家族」であったことは、とても心に突き刺さってくる、社会性の高い真剣なメッセージを伴ったものだと思えます。
 「これを描くんだ!」
 と、僕は一人のものを創る人間として驚きました。
 一人の少女を、本当に救うつもりで描かれている作品なんだ、本当に真剣なんだ、ということを今回叩きつけられたように思います。

 物語作りの手法を学ぶ観点としてまとめるならば。
 登場人物を、主人公を、どうやって救っていくか、生身の人間として扱ってどこまでも心を砕いていく、そういう姿勢を持って臨んでいくことが、作品を本当に血肉の通ったものにしていく最も重要な「技術」なのかもしれませんね。
 そこには、当然「観察眼」というものが前提となってくるわけですね。
 ゆかりが本当に心の底から求めているものが「家族の温もり」なんだ、ということが、様々な観察から導き出されていなければ、今回の名シーンの数々は生まれなかったことでしょう。

 「登場人物に心を砕いていく」ということは、精神論ではなく、技術。
 前提となるのは「観察」という非常に冷静でロジカルな準備。
 それは、大きく括ってしまうと「手を抜かない」ということに集約されるわけですね。
 また、ただ単に「手を抜かない」だけだと、画面が強くなりすぎて物語を読み取ることを邪魔してしまう。
 「抜くべきところを抜く」ということもまた非常に重要。その辺りは、コミカルな演出に集約されているところかもしれませんね。
 やはり、非常にバランスの良い作品だと感じます。

 ラスト。
 地球に帰還する時、家族の象徴であるストラップを持って帰ったゆかりは、家族の温もりや絆を得て、本心からマツリを心配できる、そんな素直に家族を愛せる自分を手に入れました。
 そんな彼女が落ちた先は学校。
 これまた、「あぁ、なるほど!」と思わされる展開です。
 ゆかりの問題が「家族」から「社会」へと発展していく、ということなのでしょうね。
 それは、いよいよ「大人」というものや「同年代」というものに向かっていくことかもしれません。

 ゆかりが得ようとしてもがき、そして得ていくもの。

 それが、後半においてもどのように表現されていくのか、本当に楽しみです。
 今後も楽しく視聴し、そして勉強させていただきたいと思います。

 以上で「ロケットガール」第6話の感想を終わります。
 またです!

 参照:「ロケットガール」第1話を見た。 「ロケットガール」第2話を見た。 「ロケットガール」第3話を見た。 「ロケットガール」第4話を見た。  「ロケットガール」第5話を見た。
    :「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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