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2007年5月 9日 (水)

「らき☆すた」第5話を見た。

 こんばんは、だんちです。TVKにて「らき☆すた」第5話を見ましたので感想を書きたいと思います。

 こなたとかがみの愛のメモリーに中てられつつ、とっても楽しく見ました。
 できてる。
 あいつらはぜってーできてる。ちゅーくらいはしてるね!
 いよいよ、この二人を軸に見て楽しんでいく作品なんだな、ということが僕の見方として練り上がってきたように思います。
 「できてる」というある種の腐った視点は同人誌用に取っておくとして、二人の仲の良さは本当に麗しくて素敵でございます。

・ラストカットの切なさ
 夏休みという、離れている時間が多い時期だからこそ、二人の友情が見えてくるところが非常に良かったですね。
 かがみが「毎日あんたの顔見なくてもすむ」なんて言うのは、かがみの性格を考えると寂しさの裏返しにしか聞こえません。
 家にこなたが遊びに来たら来たで、なんだかんだと面倒見たり小言を言ったり。すっかりこなたのお母さん状態で。分からないところは教えてあげるけど、宿題は自分でやりなさい、と厳しく接するところもずっと一貫した態度で、その辺りもかがみの優しさを感じます。
 みんなと一緒で、扇風機で声を震わせる遊びをするような子供っぽさを持っているわけだから、自分は一人で遊んでいたらつまんないだろうけど。「あんた考えてないだろ!?」とツッコムことが、逆に母親のいないこなたに対しては甘えを受け止めてあげている態度に思えます。
 金魚掬いのエピソードなんかにも見られるように、かがみは面倒見が良く、優しい子ですからね。

 で、こなたもこなたで。黒井先生にネット上であれこれ言われると「かがみに怒られてるみたいだ」と、かがみに日頃言われていることをちゃんと意識している様子を窺わせるし、かがみに注意されたようにちゃんと自分で宿題やろうと机に向かっていたり。
 ああいう、母親代わりのように厳しく言ってくれる人の言うことをちゃんと聞いているところに、こなたの素直さを感じます。

 でも。だからこそ。

 レア武器を見つけてからゲームに夢中になってしまって、宿題を落として足元に転げさせてしまうところが、ちょっと切ないんですよね。
 あの瞬間は、かがみのことを忘れてしまっているわけですから。
 だから僕は「あぁ…そりゃダメだよ、こなた。それは後でちゃんと反省しないと」と見ていて思いました。

 かがみとこなたの関係、距離感が示されてくる中で、「休憩中、ついうっかり遊びに夢中になる」ということは、ただ「あぁ、あるある」と思うだけのことではなく、「それによって、誰かの気持ちを裏切ることになる」ということも含めて、「あぁ…あるよね」と感じることなのだと思えます。
 それが、実際の親ではなく、とても仲の良い友人の気持ちであることから、それまでの近い距離が離れてしまうことにもなりかねない「うっかり」なのだと感じるんですね。

 「らっきー☆ちゃんねる」では、あきらが脚本に対して文句というよりは切れていて。そこにも「うっかり」に対してすごく嘆いている様子が感じられました。
 ネットゲームをしていた時は、顔の見えない距離のある人達には優しくしてもらった。だけど、今は、その場にいる自分を周囲の人達にちゃんと大切にして欲しい。
 ちゃんと自分の存在を認識して欲しい、という。
 業界が長くいろいろな方向で大人びているあきらだけど、やっぱり子供なところがあって。
 その辺り、本編とリンクしているなぁと感じますし、改めて本編のラストカットは、やはりそういう風に見ていいんだろうな、と感じました。

 僕はこの作品に「コミュニケーションドラマ」の部分も感じるようになっているのですが、その観点から言うと、「人の気持ちを裏切ると、それまで近かった距離もどうなるか分からない」という、生身感のある危うさが感じられるお話だったように思います。

 かがみがこなたの「彼女」という腐った視点をちょいと持ち出してみると、遊びに夢中になって「彼女」のことを忘れてしまった、ってなことですね。
 いかん。いかんよ。

 まぁでも、こなたもお母さんがいなくって寂しいんだよなぁ。きっと。
 やっぱり、ゲームに夢中になって教科書が無造作に落ちている画は、切ない。
 本当だったら、身近にいて叱ってくれる人がいないんだもんなぁ…。
 遊びに夢中になって楽しそうなこなたなんだけど、えらく寂しそうなラストカットでした。

 夏休みが終わる頃になっても、こなたの宿題ができていないようであれば、是非かがみにはきっちり叱って欲しいなぁと思ってしまいます。

・構成による人物描写
 でも、真面目っ子さんのかがみもかがみで、あれだけいろいろ真面目に勉強していたり、こなたの面倒見ていたりすると、どっかでぶちっと切れそうですよね。
 こなたにもどこかで彼氏らしさ、漢らしさを見せて欲しいものです。
 そう!かがみもこなたがいないとダメなんだよ!可愛がってあげなくちゃいかんぜよー。

 あー…でも。夏休みについふらっと悪い方向に行っちゃうかがみとか…いいなぁ…(いいのかよ!)。

 まぁでも。かがみはお父さんにちゃんと可愛がってもらっているようだから、大丈夫かな。

 あれ。そういえば。
 考えてみれば、あきらもこなたと一緒で片親なんですよね。あきらはお母さんとだけど。それに亡くしてはいないし、別居中ってことだから離婚まではいっていないんだろうけど、とはいえ実はシビアな環境で過ごしていて。
 ほぅほぅ…。
 これは…。
 なんだか、意外とあきらも視聴者にとって、とても近い存在になってきそうな気がしますね。
 というか、実際あきらと白石稔が一番視聴者に近い存在なんでしょうけれども。直接語りかけてくるわけだし。
 今回のあきらがなんだかすっげー可愛かったことと、子供のようにぎゃーぎゃーなっていたところと、片親状態であるという背景が彼女の人格形成に影響しているように思えるところなどから、すごく生身感や人間っぽさが見えてきて、僕には「らっきー☆ちゃんねる」が急激に身近に感じられるようになりました。
 その生身感を持って、一緒に本編を見ている感じなんでしょうね。
 だからこそ、本編のキャラクター達には、感情移入はしても距離感を保てるのでしょうし。

 なんていうことをいろいろ思ってしまうくらい、全体を通しての人物像がきちんとできていることを感じます。

 僕は先日原作の1巻を買ってきて読んだのですが、アニメーションにおいては、基本的にエピソードは変えていなくても、並び方、提示の仕方はいろいろ工夫がなされているように思います。

 その辺り、アートランド制作の「蟲師」なんかもそうですが、エピソードは変えなくっても、並べる順番によって様々な意図やドラマを込めることができるんですよね。

 「らき☆すた」本編においても、一つ一つのエピソードを脈絡を持って再構成していることを感じます。
 それが、各キャラクターの人物像の見せ方だったり、それぞれのキャラクターの関係だったりのところに表れていると思うんですね。
 エピソードは変えなくても、その順番によって表現できることがある。
 面白いですね。
 こういったところは原作ものの面白さというか。
 同じキャラクター、同じエピソードを使っていても、見せるところが違ってきて、そこに作り手のオリジナリティが出てくるんだな、と感じます。
 この連続性によるキャラクター描写は、シリーズ構成の待田堂子さんや、前監督の山本寛氏の手腕によるところなんでしょうね。
 基本、一回で一月というエピソードの見せ方で(次回は夏もう一回みたいですけど)、時間が流れていきつつエピソードが積み重ねられていくところも、連続性があって、表面的にはサザエさん的な変化のない作品のように見せながらも、実は一話完結ではないんですよね。

 こういう「四コマ漫画アニメ」でありながら、ちゃんとドラマを描こうとしている?

 だんだん、解きほぐされてきている気がしますね。
 いかにも漫画な漫画言語で表現して、楽屋が用意されている演者としてのキャラクターを明示して、なおかつ視聴者にきちんと近付いて、ちゃんと離れて。

 その上で。
 成長や距離を描く。
 なんてなものになっていく!?

 こりゃー。
 なかなかの野心作になるのかもしれませんね。
 シリーズを通して見た時に、大きなストーリーやメッセージが浮かび上がってくるものになっていったりして。

 こなたとかがみの関係を中心に見ていく視点を定めていくことで、アニメーション「らき☆すた」が、これまで以上にかなり面白く感じられてきました。
 前回は「演技」というところに着目したわけですが、今回は「シリーズ構成」ですね。
 解きほぐされて見えてくるものが、今後どう繋がっていくのか。
 垣間見えてくる「家族」というものが、どんな意味合いを持って感じられてくるのか。

 僕は、今後は「連続シリーズもの」としての見方も持って視聴していきたいなと思います。

 これは。
 思ってもいなかった面白さを味わっているような。
 そして。
 思ってもいなかった面白さを味わえるような。
 そんな感じがしてまいりました。

 次回以降もとても楽しみです!!

・プロフェッショナル
 あと、他にも思ったことを。

 小説家の賀東招二氏を脚本に起用してのこの第5話だったわけですが。
 なるほど。賀東氏は「ゲーム」ネタ担当なんですね。アニメシリーズ「涼宮ハルヒの憂鬱」の「射手座の日」もそうでしたが、「分かっている人に書いてもらう」ということなんでしょうね。

 それは、とてもいいことだと感じます。

 「プロなんだから、ゲームのこと分からなくっても調べてそれなりに書けよ」
 といって、あまりゲームのことに詳しくない脚本家に振っても、それなりに書くことはできるでしょう。でも、プロフェッショナルというのは、特化した技能を持つ存在だから。できることとできないこととがすごくはっきりしているんですよね。
 山本寛氏は「ロボットものは興味が無いしできない」ということをどこかでコメントしていた気がしますが、「フルメタル・パニック!TSR」でも、アクションを担当する人と恋愛部分を担当する人とがはっきり区別されていました。

 プロフェッショナルが持っている技能は万能ではなく、非常に偏ったもので。だからこそ、「適材適所」ということが求められます。
 京都アニメーションの人脈にとって、物語を構成しつつ、ゲームのことをネタとしてきちんと消化して書ける脚本家は、賀東氏をおいて他にいないということなのでしょうね。
 その、能力に対する客観視は、さすがだなと感じます。

 できる人にやらせる。

 逆に、プロフェッショナルにとって「できないことはやらない」ということも重要なのでしょうね。
 それは、すごく当たり前のことでありながら、実はとても難しいことだとも思います。
 その意味では、作品発表の序盤で、「その域に達していない」として山本寛氏が監督を降りた(又は起用する側が降ろす判断をした)ということは、何があったのかという憶測を全てすっ飛ばして客観的に見た時に、非常にプロフェッショナルなものがあるように感じます。

 できる人が、できることをやる。

 それが、プロフェッショナル、ということですね。

 漫画界では、営業を主に担当して、作品の方向性を決めて、あと目だけ描くという先生がいたりします。
 ネームや主な作画作業、仕上げはチームとして作業していくわけですね。
 こういった漫画家の存在は、プロで漫画を描く人間と読む人とでは評価が全く逆に分かれるように感じます。
 プロで漫画を描いている人間からすると、そのやり方はとても仕事を分かっていて、非常にプロフェッショナルに徹しているものに感じられるんですね。

 できる人ができることをする。

 それは現場においてはものすごく当たり前のことだし、作品としての計算が立つし、読者さんによりきちんとした作品を届けることができるものだということが、分かるわけです。

 今回の賀東氏の起用に、改めて作品作りのプロフェッショナリズムを感じたことから、おそらくは監督を降りた山本氏も、彼にとってできることをするのだろうな、と思います。
 そのプロフェッショナリズムの観点からすると、僕は改めて、山本寛監督降板を評価したいですね。
 勿論、この後もちゃんと作品を見ていかないと分からない部分でしょうけれども。
 でも、「フルメタルパニック!TSR」の時にも感じたプロフェッショナリズムからすれば、作品の今後に大いに期待を持っていいんだろうなと思います。

 作品を楽しむ一視聴者として。
 そして、一人の表現者として。
 この作品から得られるものは大きいように感じられ、期待感が更に膨らんでいきます。

 業種が違うから分からないことばかりですが。
 表現の世界で生きている人間の端くれとして、プロフェッショナリズムを感じるのであれば、これは刺激を受けて応援せずにはおれないわけです。

 それに。
 そもそもこなたとかがみの関係にうはうはしながら見ているわけですしね。

 今後もとても楽しみです!

 以上で「らき☆すた」第5話の感想を終わります。
 相変わらずの長文になってしまいましたが、ここまで読んで下さってありがとうございます。
 また、乱文乱筆失礼いたしました。

 ところで、最近TBの受付に関して若干問題があるようです。
 どうもココログとGOOブログとの相性が悪い様子…。
 そして、元からココログ同士のTBは失敗することが多かったり。
 TBを送ったのに反映されない、という方がいらっしゃいましたら、コメントかメールでURLをお申し出下さい。
 記事の最後にリンクを張らせていただきます。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 ではでは、またです!

 参照:「映像言語」と「漫画言語」の具体的な違いの例。
    : 「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

TB先:らき☆すた 第5話 「名射手」(たこーすけの、ちょろっと感想)

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コメント

毎度のことですが、何でそんなに読み取れるんだ!
と思いながら読んでおります……
そしてこのコメントを書きながら、「うわー、だんちさんと(そして4話に対する感想を書いた自分とも)全然違う見方だよー」
という思いになりました。(まあつまり、前回と全然違うこと書いてるかもしれないけど許して! という予防線です)

さて、五話なんですが、やはり自分は監督が変わったことで何が変わったのか、ということを重点的に見てしまっていたので、テーマ的な色々な要素に気づかないまま、演出面での不満だけを感じていました……まあつまり、俺の愛したかがみは死んだ! なぜだ! という感じに、です。

で、五話を見直してみて、やはり(演出面の不満はさておき)色々新しい発見をしたので報告です。
(まあ、自分のブログに書けよという話なのですが、だんちさんの感想を見て……という流れなので、まあここに書いてもいいかな、と。返事が面倒でしたら適当でもいいですよー)

まず一つ。タイトルの名射手の意味について。
登場シーンで、銃についての自慢を語りだすゆい姉さん。その話に、誰もついていけず、ぽかーんとする4人が、こなたのネトゲ話を聞くかがみ・つかさと被って見えました。
それに対し、ライフルを差し出すこなた。「3秒で5発撃ってピンヘッドよ」という台詞を考えれば、ゆい姉さんがライフルの話をしたわけではないことは明確です。にもかかわらず、「じゃあやってみてよ→わくわく、わくわく」と。
また、同じような状況で、「せめて日本語で……」と言ったかがみは、ゆい姉さんの自慢後の「わーっ」というカットで、一人だけ汗マークをつけていて、逆にこなたが一番楽しそうにしていました。

分からないことを、分からないながらも凄そうだと感じるこなたは、色々と面倒そうにしていながらも本当は好奇心の塊なのかも。逆にかがみは常識人で、こなたやその他に色々と突っ込みを入れるのもそのせいなんでしょう、多分。

で、二つ目。
(視聴者にとって、また、キャラにとって)理解できない言葉がふんだんに盛り込まれている、という点でしょうか。ネトゲ用語、劣化ウラン、ばるさみこすー(←声優さんのアドリブらしいのですが)、モンハンの次回予告、その他オタ話。それから宿題。最初の3つは視聴者に向けられたもので、後回しにしますが、オタ話と宿題のところがポイントかなぁ、と自分では思っています。
コンプ祭り、の話をこなたが口にしたとき、かがみが妙に食いついてくるんですね。もちろんつかさは蚊帳の外で、えへへと笑っているだけしか出来ない。わからないから、話に入れないわけです。

そして結局宿題は終わらずに、分からないところだらけになる。
そしてゆい姉さんが、「わかんなくても……」と言ったが最後、誰もこなたに数学を理解させてくれる人がいなくなって、結局こなたはネトゲをする。分からない数学は放置……ということですね。

「視聴者の意見も真っ二つに分かれる」というのは、分かるなら食いついてくれるし、分からないならスルーされるか、突っ込まれるか、叩かれるか。
↑ 以上、自分の思考履歴

さて、まとめると、前回「こなた=視聴者」ではないかと言っておいてなんですが、もしかすると「かがみ=視聴者」なのではないか、という可能性が新たに浮かんできた、ということです。
こなたの、理解できたり理解できなかったりな行動に対して、食いついたりつっこみを入れたりする、そんなかがみが、らき☆すたを見た視聴者の反応と被るんですよ。
つまり、らき☆すたという作品が、こなたというキャラを形作ろうとしているように思えるということです。
何をするか分からないけれど、一緒にいたら絶対に楽しませてくれる、でもたまに自分の世界に没頭したりもする、そんなこなたというキャラを、作品自体に反映したんじゃないかな、と。

この考え方でいくと、山本寛監督が下ろされたのは、こなたの意思=作品の意思によるものだ、とすることもできます。つまりハルヒ……?

いつものことながら、長文申し訳ありません。

P.S 自分もサッカー大好き人間なので、また機会があったら語り合いましょう!

投稿: すまいらー | 2007年5月 9日 (水) 03:19

 すまいらーさんこんばんは、初めまして。

 「原作:美水 かがみ 先生」ですので、「かがみ=視聴者」ではなく、「かがみ=原作者」ではないのでしょうか?
 作中にかがみの心の声がよく出てくるのは、そういったところの表れではないかと…


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2007年5月13日 (日) 01:52

>すまいらーさん、こんばんは!
お返事が遅くなってすいません…^^;
好き勝手に好きなように読み取って感想書いております^^
そして毎回、長い感想を読んで下さってありがとうございますー。今回の、すまいらーさんの感想も読ませていただきました!
4話のご自身の感想と違う見方になったとのことですが、そんなことないように思いましたよ。

演出面に関しては、僕は「解きほぐし期」に入ったからだと感じています。
もうしばらくしたら「積み重ね期」「畳み掛け期」が来るかもしれませんが、来ないかもしれませんね^^

≫まあつまり、俺の愛したかがみは死んだ! なぜだ!

「坊やだからさ」
というお約束はともかく。

≫だんちさんの感想を見て……という流れなので、まあここに書いてもいいかな、と。返事が面倒でしたら適当でもいいですよー)

僕の感想で触発されて思ったことを書いていただくというのは、嬉しいですよ!!
お返事を書くのは大好きなので、お気遣いなく!ちょっと、遅くなることも多いですけれども^^;

≫分からないことを、分からないながらも凄そうだと感じるこなたは、色々と面倒そうにしていながらも本当は好奇心の塊なのかも。

そういうところってありそうですよね。祭好きだし。上がる時はあの半目の表情では識別しにくいけど、相当テンション上がってるんでしょうね。
その、上がる時と上がらない時とが極端なところが、やはり子供っぽさに感じられますよね。
このゆい姉さんのエピソードでそこを感じてみると、こなたにとって「身内(しかも年上の大人の女性)が凄いところを見せてくれる」というのは、すごく嬉しいことなのかもしれないな、と思ったりもします。

それにしても、すまいらーさんが「分かる」「分からない」を今回のお話のテーマとして見たというのは、なるほど、と思いました。
極端な形で「知らない人には分からないネタ」を放り込んできていましたよね。
そういった演出によって、すまいらーさんが感じられたこなたとかがみの「オタクと一般人の差」というものを浮き彫りにするようなところも、あったのかもしれませんよね。
で、

≫前回「こなた=視聴者」ではないかと言っておいてなんですが、もしかすると「かがみ=視聴者」なのではないか

ということになるわけですが、この印象を、前回の感想に上書きするのではなく、並立されるといいんじゃないかな、と思うんですね。
「真っ二つに分かれる」ということは、一人の人間の印象の中で起こっても全然おかしくないことだと感じます。
つまり、視聴者はこなたにもなれるし、かがみにもなれる。
ということですね。
すまいらーさんの前回と今回の感想を並立させてみると、僕が「こなたとかがみの関係で見ていく話」と感じていることとも繋がってくると思うので、すまいらーさんの感想が僕の見方と全然違うということは無いように思ったりします。
感じ方はそれぞれ違っていても、けっこう同じところ見ているんですよ^^

オタク視点で笑いつつ、常識人視点も「そうだよね」受け止める。
そういう見方をすることで、視聴している側が客観性を得られるところもあるのかもしれませんね。
そこに「コミュニケーション」というものを僕は感じるので、自分がどういう視点を持っていようとも、人と受け入れ合っていかなければならないよな、と感じたりします。
そういう意味では普遍性ありますよね。「ET」みたいなもんですよ。宇宙人と地球の子。こなたがET?非常に現代日本的なアプローチなわけですが^^

≫何をするか分からないけれど、一緒にいたら絶対に楽しませてくれる、でもたまに自分の世界に没頭したりもする、そんなこなたというキャラを、作品自体に反映したんじゃないかな、と。

そういうところは、あるかもしれませんし、そういう「こなたっぽさ」を作品自体に感じますよね。
その作品を、こなたと一緒になって楽しんだり、かがみになってツッコミを入れたり、そんな風に楽しむことができるのかもしれませんね^^

>P.S 自分もサッカー大好き人間なので、また機会があったら語り合いましょう!

おお!!いろいろ語りたいですね^^
リーガ、大混戦になってきましたね。トルコではジーコのフェネルバフチェが優勝したり、ヨーロッパは本当に終盤ですねー。横浜市民としては横浜FCが久々に勝ててホっとしております。最近の僕は自国リーグに興味が湧いております。J2も見に行きたいなぁと思っていたり。Jを目指す地域リーグのドラマも面白いですよね。
特定の贔屓チームを持ってはいないのですが、湘南地方育ちなので、神奈川のチームをなんとなく応援している感じです。

ってな自己アピールをしたところで。
またですー^^

>Akihiro Inda.さん、こんばんは^^

≫「原作:美水 かがみ 先生」ですので、「かがみ=視聴者」ではなく、「かがみ=原作者」ではないのでしょうか?

おぉ、なるほど!原作者が作中に象徴化されて登場しているわけですね。で、視聴者と原作者が一緒になって、これまた視聴者や(おそらくは)原作者の分身のようなこなたと一緒に遊んでツッコミを入れたりする。
そういった部分でも、Akihiroさんが記事に書かれていた「クロスメディアエンタテインメント」を感じることができるのかもしれませんね!
なんてな感じで勝手に納得してみました^^
ではでは、またです!

投稿: だんち | 2007年5月15日 (火) 02:39

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