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2007年6月 9日 (土)

「らき☆すた」第9話を見た。

 こんにちは、だんちです。TVKにて「らき☆すた」第9話を見ましたので、感想を書きたいと思います。

 女の子達の可愛らしい様子を30分、今回もたっぷりと楽しませていただきました。
 特に今回は、いつもと変わらない彼女達の様子と、すごい勢いで進んでいく時間の対比がとても面白く感じられました。
 その辺り、このシリーズを見ていて感じていた「いきなり始まる(1、2、3話辺り)」「解きほぐしがある(4、5、6話辺り)」「積み重ねをする(7話以降)」という展開の流れから、やはり今「積み重ね期」に入っているんだな、と思えます。

 ここまで、ほぼ一話一ヶ月というテンポでお話が進んできましたが、登場人物は最初っからいつものように振る舞って、そう振る舞い続けてきています。
 だけど、時間は夏休みの時以外は決まった進み方をする。
 同時に、エピソードも積み重なっていって、彼女達の時間が確実に積み重なっている様子が描写されてきています。
 その積み重ねがあることから、今回時間の経過の早さと彼女達の様子の変わらないありようが印象的だったのだと感じます。

 いつも通り。
 だけど、確実に時間が進んでいく。

 そして、そのこと自体意味を感じることができるものだと思いますが、重要なのは「それを見せている」ということだと思うんですね。

 見せたいものは何なのか。
 そこにあるメッセージは何なのか。

 それを、言葉にすることもできるでしょうけど、「これを見せている」ということそのものが、やはり答えなんだろうな、と感じます。

 以前の感想で「ゴドーを待ちながら」を引き合いに出したりしましたけど、「不条理」という言葉で「ゴドー~」を括れるのならば、「らき☆すた」のように、アニメーションテレビ番組で物語中の時間が進みながらここまで表立った変化やドラマがない作品も「不条理」といえるのかもしれません。
 でも、その不条理がエンターテインメントとして必要、ということなのでしょう。

 物語やエンターテインメントは、必要があって生まれるもの、と僕は認識しています。
 その作品と時代背景は切り離すことが絶対にできない。
 昨今の様々なネガティブな「変化」の中で、こういった作品を作ろうとする気持ちは分かりますし、視聴者として求める気持ちも持っています。

 「変化」の中で「変わらないもの」「ドラマチックでないもの」が描写され、それを見る。
 そして、それがエンターテインメントになりうるのが、今現在ということになるのでしょう。

 それは「変化」と「不変」をゆるやかに受け止め、受け入れて楽しんでいくことで、心に何かを得ていく、そんな視聴体験なのかもしれません。

 
 その、視聴体験を与えてくれる彼女達ですが。
 今回、血液型性格判断や寿司占いをしました。
 漫画を描く人間として、思うことですが、実はこれはすげぇことだと思います。
 だって。
 漫画のキャラだぜ。
 アニメだぜ。
 それで、血液型で当たっているのそういうところがあるの、寿司占いでこれになったあれになった、って。
 普通に生きて生活している僕らがそういう会話をするのは分かりますが、キャラクターがそれをするっていうのは、すげぇことですよ。
 それだけ、キャラクターのプロフィールがしっかりと作りこまれているわけですね。
 血液型、生年月日、家族構成、性格、長所、短所、諸々。
 その作りこまれたキャラクターが、お互いの性格やら血液型やらの話をしていて、見ているこちらはそれをすんなり受け取れる。

 そのためのプロセスとして、普段の人間観察、設定の練り込み、実際のキャラクター描写、と経ていく過程が、漫画を描く人間として想像できますので、「これは、すげぇ」と思えるんですね。

 まぁ、女性の作家さんはキャラクターのプロフィール作りが好きな人は多かったりしますし、女性はそういうの得意だったりしますよね。
 「おおきく振りかぶって」のひぐちアサさんとか、あれだけ多くのキャラクターに詳細なプロフィールを与えていて、「ここまでやるか…」と絶句させられたものです。選手のお母さんのプロフィールまであるんだもんよ。
 塀内夏子先生の「オフサイド」なんかもすごかったですよね(ひぐちアサさんは「オフサイド」からも影響を受けている気がします)。

 「らき☆すた」の原作も遅まきながら先日4巻まで購入して読みまして、要所要所にキャラクターの詳細なプロフィールが載っていて、キャラクター作りを相当意識的に練り込んでいることを知ったのですが。
 やはり、アニメーションでああやってキャラクター同士がお互いの血液型や性格のことを語っているところを見ると、その「人間」を作り出そうとすることのこだわりを改めて感じて、つくづく感心させられてしまいました。

 なるほど。
 シリーズ構成やキャラクターデザインが女性なわけだ。

 自分のことで言うと、僕は主に読み切り作品を作っているからっていうこともあるけど、基本的なプロフィール以上に、詳細なプロフィールを練り込むことはあまりやったことがありません。
 連載の企画を打ち合わせていた時に、主人公の家族構成を提案したら「今はそこまで決めないでいいよ」と担当編集者に言われたこともありました。
 思い返しても、今まで接してきた編集さんからキャラクターのプロフィールに言及があったことは少なかったですね。
 ネームがとにかく通らなかった時期に、僕の漫画の描き方を一回壊すためにプロフィールを作ってキャラクターを作って、そこから物語を描く、というアプローチをさせられたことはありましたけど。それは、物語作りのアプローチを変えて突破口を開くためだったので、キャラクターを血肉の通ったものにするということとは、ちょっと違っていたように思います(そして、その試みは大失敗に終わり、どえらいスランプになりました)。
 ともかく、キャラクターに魅力があり、ネームがちゃんとしたものになっていれば、漫画としてはそれで成り立っていくんですね。
 そういった自分の経験だけから判断できることでもないでしょうけど、詳細なプロフィールを作ってキャラクターを練り込むことは、漫画作りの定型というわけではなく、作家個人の強いこだわりだと感じます。

 後になって、美水かがみ先生が男性であることを知りましたが、先生は非常に女性的なところがあり、その女性的なところが、キャラクターを生み出すことにつながっているのでしょうね。
 そこに、ある種「作家性」というものの、一つの正体を見ることができるのかもしれません。

 そうやって、「人間」としてのキャラクターを作り出すことにこだわった原作だからこそ、そこを膨らませて見せてくれるところで、それぞれのキャラクターを見ていて、様々なことを感じることができるのでしょうし、彼女達の「不変」というものに連続性を感じるのだと思えます。

 例えば。
 かがみがつかさに勉強を教えて、つかさの成績は上がったんだけど、かがみの成績は下がったというところ。
 これまでの流れもあってエピソードが積み重なってきているから感じることなんでしょうけど、入試の時も二人はこんな感じだったんじゃないのかなぁと想像が膨らみました。

 かがみは寂しがりやで、つかさは勉強がイマイチできない。

 二人が中学生の時、つかさがかがみと同じ高校に行きたがったとしたら、かがみはそりゃぁ喜んだことでしょう(表面には出さなくとも)。で、必死になってつかさに勉強を教えたんじゃないでしょうか。
 本来ならかがみはもうちょっと学力の高い学校に進めたのかもしれない。でも、つかさに勉強を教えていてそこまでの準備ができなかったのかも。
 で、今回の試験みたいな感じで、かがみは少し余裕を持って、つかさは頑張って入れる高校に一緒に進むことになったのかも。

 なんてな感じで。

 そんな彼女達の「過去」があったのかもしれないなぁ、と想像が膨らむところにも、彼女達の「不変」を感じるんですね。
 で、あるならば、やはり彼女達の「未来」もまたそうで。
 彼女達が、この先も変わっていかないんだろうな、ということが想像できるんですね。
 そこに、生きた人間像を見ることができるんだろうな、と感じます。

 漫画のキャラクターで、萌え要素的な記号を投入してあるんだけど。
 発想が逆なのかもしれないですね。
 人間としてキャラクターを生み出してから、萌え的要素を特化して漫画として表現するっていう。

 なんていうか。
 女の人(あるいは女性的性質)って、やっぱすげぇや。

 人間を生む。

 そんな人種(そして性質)なんですね。

 なんだかもう。そのことを漫画を読んで、アニメを見て感じると。
 監督交代とかあったけど、そんなの、すっげぇちっせぇことに思えますよ。
 あぁ、なるほどそうか。
 原作者の先生の女性的な部分がキャラクターを生み出し、シリーズ構成の女性がある意味生みなおして。監督は男性なんですね。
 男は一緒になって育てたり守ったりする立場なんだ。
 お父さんが変わったってわけですね。

 こりゃ、ちょっとすごい勉強をした気がします。
 そうかぁ…。
 自分で漫画を描いていく時にも、女性にキャラクターのプロフィールを練り込んで「生んで」もらう(あるいは「生み直してもらう)、そういう作業工程を持つというのは、すごく有効な気がしてきた。

 何も考えず、思いつくままにタイプしていたら、こんなところに感想が落ち着いてきました。
 思わぬ形で創作意欲が沸いてしまったかも。
 視聴体験によって仕事意欲が向上するというのは、なんともありがたいことでございます。

 そして。
 女性スタッフが中心にいることで、作品そのものに、どこか母性を感じているのかもしれませんね。
 優しさだったり、安心感だったり。

 また、監督してアニメーションとして提示してくるのが男性であることから、父性も感じるのかもしれない。
 力強さだったり、(作品に溺れることを許さない)厳しさだったり。

 そこもまた、「不変」あるいは「普遍」というものなのかもしれませんね。
 そして、それが、今、必要なのかもしれません。

 女性と男性が一緒になって作り出し、育てる作品に、そういうものを求めるのも、一つのあり方なのかもしれない。
 そんなことを、思いつつ。
 今回の感想を終わりたいと思います。

 ではでは、またです!

 参照:「映像言語」と「漫画言語」の具体的な違いの例。
    : 「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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