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2007年7月 1日 (日)

「らき☆すた」第12話を見た。

 こんばんは、元コミケスタッフにして元混雑対応のだんちです。TVKにて「らき☆すた」第12話を見ましたので、感想を書きたいと思います。

 今回も楽しく視聴しました。爆笑しまくりましたぜ!!
 いや、遊んでますね。いいですね!
 これだけ遊んでくれると、見ていてとても気持ちいいです。
 その、遊びまくりのAパートと、一転して普通のお正月の光景のBパートとが、「ハレとケの日常性」を演出していたように思いますし、爆笑した後にすんなり日常に戻ることができる、そんな楽しさ、30分を一緒になって遊ぶ気分をたっぷりと味わいました。

 今回、またもや賀東招二氏脚本でしたね。
 ネットゲームのエピソードを担当したように、情報としての専門性が要求されるため、非常に的確な担当配置ですね。
 さすがは元コミケスタッフ。さすが元ブロック担当、という脚本でしたね。
 確か、そうでしたよね?
 同時期にスタッフやってたかもしれないし、どこかで会ってたかもしれないなぁ。

 僕がスタッフやってたのは晴海の時期で。有明でも一回やったかな。こなたが語っていた新館2Fも担当したことありましたよ。あと東館とか。言うこと聞かない困ったヤツだった、と当時世話になったスタッフの友人からいまだに言われるくらい有能とは無縁のスタッフでしたねー。
 晴海。いろいろ、思い出あるなぁ。
 4時終了のイベントなのに、一般入場の列が3時過ぎまで切れなかった時とか印象深いですね。
 一般参加した時期は、TRCでやってた時ですね。幕張の時も一般だったかな。ギャグ本買って学校に持っていったらすげぇ流行ったりしたなぁ。里透みどりさんの「北斗の拳」の本とか。パロディだって分からないクラスメート達は原哲夫氏が描いたもんだと思ってましたね。

 まぁ、そんな思い出話はともかく。
 大晦日に三日目っていうのは、昨年の冬コミですね。泉家では28日に大掃除していたから、29日から全日参加したのかもしれませんね。ちょっと遠いし、さすがに前日設営までは参加しなかったみたいですな。

 こなたが買うサークルは大手サークルに成長するっていうジンクスだけど。
 実際、有名な買い専の人っていたりするようですよね。やる気のあるサークルをじっくり探してどんどん本を買っていって、「その人に認められて本を買ってもらうことは、光栄なこと」と思わせる、そういう方が。
 こなたも元ネタで選り好みするのではなく、描き手の情熱やら将来性やらも含めて、総合的に見て買っているのかもしれませんね。すごく広い買い方をする、というか。だからこその全日参加なんでしょうし(と勝手に決めてるけど)。

 それにしても、「一人で行ってもつまんないもん」となってるこなたは可愛かったですね。自分が楽しんでいる世界にああやって友達を連れて行って、一緒に楽しもうとするオープンなところが彼女の魅力の一つですね。それに付き合うかがみやつかさも、いい子達だし。
 泉家お泊りに続いて、また少し、かがみ達がこなたのことを知ったわけですね。
 逆に、Bパートではかがみ達の神社にこなたが行って、かがみの名前の由来や二人が家の手伝いをしている様子を知ったり見たりするんですね。
 お互いの世界を知り合っていく。
 いい友達関係ですね。
 まぁ、おかげでかがみはちょっと新しい世界に目覚めてしまったかもしれないわけですが。
 あれは絶対しばらくずっと悶々としてるよね。ふふふ。可愛いヤツ。いつか通販とかでこっそり買うに違いあるまい。

 そういや。
 宗介受けのことは知りませんが、「古×キョン」は、今なんだか盛り上がっているらしいですね。
 アニメ放送から1年経って、なぜか今盛り上がる「古×キョン」。謎だ。しかし、その盛り上がりを裏付けるようなキョンテレカでしたね。なんだあの絵は。うっかり萌えたらどうしてくれる。はだけてるし。ベッドだし。誰の目線だ?やはり古泉なのか?
 なぜ今「古×キョン」が来ているのか。知っている人がいたら教えて下さい。

 話がどうしても同人寄りになっちまいますが。それはそれとして。
 年末のコミケの大盛り上がりから、静かなまったりとした正月へと時間が経過するところが、見ていてやはり特徴的だよなぁと感じます。
 体育祭の時もそうでしたが、大騒ぎを描いた後、日常を描くんですよね。
 ただ、まったりしていることが日常なのではなく、盛り上がったりクールダウンしたり、いろいろあるのが日常ってことですね。
 「まったり」→「大騒ぎ」という描き方ではなく。そういう描き方にすると、また印象は全然違うでしょうから、騒いで楽しんだ後は、普通の日がちゃんとある、というのは見ていてホっとします。こちらも作品を見ながらクールダウンできるといいますか。
 海水浴の回もそうでしたね。わーっと楽しんで帰って来て、宿題やって、歯医者に行かされるところで終わる。やはりそこは意識的なんでしょうね。

 その辺りが、前回の感想でも書いた「日常の中で遊ぶ」という部分に思えます。
 日常の中で遊ぶからこそ、遊びになる、という。

 で、その遊びが「双方向」になっているところが、楽しいんだろうな、と感じます。
 今回のコミケの描写なんかでいうと、コミケは同人誌をやっている人達が遊ぶ巨大な祭りなわけですが、そこに、作品の方からも飛び込んできて一緒に遊ぼうとするところが、面白いですよね。
 二次創作という「遊び」が、アニメ、漫画、ゲームなどのメディアにとっては、もう当たり前の日常になっていて、その上でコミックマーケットであったり、同人誌であったりも、一つの「メディア」である、という認識があるんでしょうね。
 「メディアミックスで遊ぶ」ということの「メディア」の中に、含まれている、ということなのでしょう。

 例によって、左利き右脳タイピングで頭の中を整理せず、思うままに書き綴りますが。

 この同人誌やコミケという「メディア」は、基本的に「受け手側」のメディアなんだろうな、と思います。
 基本はごっこ遊びみたいなものと言えるのかもしれません。
 だけど、それが巨大化してくる中で普通に「送り手側」が混ざってくるし、「ごっこ」を超えて凄まじい作品が宝の山の如く転がっていたりもするわけですが。
 でも、それは基本的には一般市場の流通に乗るものではないから、やはり、限りなく「受けて側」のメディア、つまりはアニメ制作者からすれば「視聴者のメディア」ということになるのだと思います。

 そこには曖昧ながらも確実に線引きがあって、商業ブースがあったりしても、それは「視聴者のメディアに出張してきている」というニュアンスがあるように感じます。

 その辺の前提は、僕の印象でしかないわけですが、そのまま話を進めると、アニメーション作品「らき☆すた」はその線引きを越えて、「視聴者のメディア」に「一緒に遊ぼうぜ」と飛び込んで来ているように思うんですね。
 「出張」的なニュアンスではなく。

 遊びというものは、基本的に自由で、そこに参加する者達で発展させ、ルールを決めて楽しんでいくという点で、非常に創造性があり、同時に社会性があるものです。
 人間だけでなく、犬なんかも小さい頃に遊びを通してやっていいことといけないことの違いを学んだりするわけですね。
 だから、「遊び」はただ単に情操的に必要だとか、休息として機能的だとか、そういうことにとどまるものじゃないと思うんです。
 もっと大きく、「遊び」は生きていく上で必要な、重大な学習機会を含んだものだ、と言えるのかもしれません。

 で。双方向性の遊びが面白く、楽しいものだと感じる「らき☆すた」ですが、その「遊び」はまだ完成されたものではないんだろうな、とも思います。

 メディアミックスで「遊ぶ」ということで、視聴者とも一緒になって遊ぶ、ということになると、ルールをどうしていくのか、というところが必要になってくると思うんですね。
 だけど、そこのコンセンサスって、特にまだ、ないでしょ?
 それこそ「一緒に遊ぼうぜ!」と言われても「え?…どうやって?」っていう段階な気がします。
 つまり、「あなた作る人。私見る人」っていう、そういう固定した立ち位置を動くことは、まだまだ難しいんではないかな、と思うんですね。
 それを壊して、もっと自由に、作り手と受け手とが絡み合う、生きたメディアとして発展させたい。そういう意図や展望があるのかもしれませんし、もしくはもっと感覚的な「そうしないとヤバイんじゃねぇか?」というものかもしれません。
 でも、明確に、「線引き」を越えようとしてくるからには、当然ぶつかってくるところも出てくるんだろうな、とも思います。
 それが、ルール作りということですね。
 「いや、悪いけど、ここからはこっちに入らないで」っていう、そういう部分。それは、受け手の方だけでなく、こちらから何かを発信し返していった時に「一緒に遊ぶとはいっても、そこから先はこっちのものだよ」という作り手の根っ子ところにぶつかるかもしれない。
 それはそれで、お互いが嫌な気分になることもあるかもしれないけれども、でも、「遊ぶ」以上、それは避けては通れないところでしょうね。

 こういう遊び方が、今まであまりなされていないものだとしたら、ルールの整備はこれからになるんだと思います。

 ということは。
 「らき☆すた」と一緒に遊ぶということは、一緒になって楽しい思いもするけれども、同時に嫌な思いをすることもあるかもしれない、ということになると思うんですよね。
 友達と喧嘩したり仲直りしたりしながら遊ぶようなもんで。
 そうなると、「遊ぶ」というのはけっこう綺麗事ではなくって。自由度と創造性と社会性とが混在するからこそ、シビアなもんでもあるでしょう。
 「あなた作る人。私見る人」という見方の方が圧倒的に楽ですね。
 でも、そのままだと、アニメを見るということが、遊びではなくなって、もっとルーチンな、つまんないもんになっちまうのかもしれないですよね。というか、もしかすると、今現在アニメーションメディアって、作る側も見る側も、そういう雰囲気にもなりつつあるのかもしれないですね。

 一緒に遊ぶ以上、作り手側も嫌な思いやシンドイ思いをすることでしょう。
 でも、それを織り込み済みで遊ぼうっていうのなら、その先にはちゃんとルールのできた楽しい遊びを作り上げることができるかもしれませんね。
 ある程度。長い時間や試行錯誤は必要だろうけれども。

 戦後日本が発展してくる中で、どこか遊びを否定するような感覚っていうのが、根付いているように感じます。
 今回ではありませんが、作中でこなたが「30分だけ…」と言い訳して遊ぼうとするわけですが、「遊びはいけないこと」という前提があるんですよね。
 試験勉強の最中に遊ぶことに言い訳をするこなたに違和感を感じた人って、少ないんじゃないでしょうか。僕も普通に受け止めていました。

 でも、勉強だけしてる学生なんて、正直気味が悪いし、遊ばないと心を病むぜ、いいんだよ遊んで。と言ってあげたくなります。もしくは大人になって何か勘違いしてくだらねぇ犯罪やって逮捕されたりとか、そんな風になったらアホらしいぜ、とかね。

 逆に、真面目に頑張っているかがみが幸せかつ人格的にも優れた立派な人物に成長する、と信じて疑わない、という人も少ないんじゃないでしょうか。
 「いや、かがみ。真面目にやりすぎてると、どっかで壊れるぞ。もっと遊べ」と思うんじゃないかな。
 僕は、あの四人の女の子の中ではかがみが一番心配です。まぁ、彼女も彼女でゲームやったりラノベ読んだりしておりますけれども。でも、もっと肩の力抜いて遊んでいいんだよ、と言ってあげたくなるといいますか。

 ただの好みってこともあるんですが、アニメや漫画でも真面目に頑張ってしっかり作っている作品って、ちょっと苦手だったりします。あんまり面白く感じないんですよね。もっと遊んで多少いい加減なところがあるくらいで丁度いい感じがします。
 そうそう。
 その意味で、僕は「フルメタル・パニックTSR」で武本監督がちょっとスランプになったんじゃないかなぁって感じたんです。
 真面目に作りすぎたように思うんですね。その影響がもろに出ているように感じたのがTSRのOVAで。ギャグの一本なのに、かっちり真面目に作っちゃってて、全然遊べてないように見えて、「あぁ…。ちょっと心配だなぁ…」って勝手に思っちゃったんです。
 だからこそ、「らき☆すた」の監督に交代就任するってなった時に「復活ロードになるといいなぁ」と期待したわけですが、今回なんか見てるともうすっかり復活したように感じます。
 やはり、遊び重要ですよ。

 話がだいぶとっちらかってきましたね。

 とにかく、「一緒に遊ぼうぜ」となることには、僕は必然性や必要性を感じます。
 もっともっと遊ぶことに対してオープンになっていいのかもしれない。
 作品が視聴者のメディアに飛び込んでくるように、こちらから、作品に何かアプローチをしていくことも、できるのかもしれないですね。それは、視聴者参加型企画に乗っていくことだけでなく。
 何か。
 いろいろ。
 だって、遊びは自由なんだし。一緒に遊ばないとつまんないですもんね。

 そして、それは「らき☆すた」だけに限った話でなくって。
 コミケの一般参加者が「お客さん」ではなく、一緒になってその場を作る参加者であるように。
 アニメーションや漫画、ゲームなどの娯楽もまた、一緒になって遊んで作り上げていくところがあるのでしょう。

 それが、「あなた作る人。私見る人」という安全地帯から離れることになるのだとしたら。
 まぁちょっとシンドイかもしれないですけどね。

 こうやって「評論ごっこ」をしながら、「もっと遊ぶべきだよなぁ」と思いつつ、じゃあ何するか、のところをこれといって思いつかない眠い頭なわけですが。
 何はともあれ、「遊ぼうぜ」という意思を作品から感じるところに、沢山の共感と期待感とを抱くのであります。

 是非これからも多くの人と、この楽しく発展性のある視聴体験を共有していけたらなぁと思いつつ、感想を終わります。

 だいぶ…混沌とした感想になってる気がしますが。
 いやすいません。
 今眠いので、読み直しは後にします。
 とりあえずアップして。後で読み直してなんじゃこりゃと思うところを発見したら直していこうと思います。まぁ…このまんまにするかもしれませんが。

 そんなわけで、乱文乱筆失礼いたしました。

 ではでは、またです!

 参照:「映像言語」と「漫画言語」の具体的な違いの例。
    : 「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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コメント

※少し、だんちさんとの違いを強調して書いてみました。本題は後ろのほうにありますが、前置きも読んでもらえると幸いです。

 お久しぶりですー。
 今回もまた長文感想ですねー。
 早くも1クール終了してしまったわけですが、2クール目があるのでまだまだ盛り上がれそうで楽しみです。

 ところで、1クールが終わったところで自分の考えが結構固まってきたので、いつも通りこちらのほうに、さっと書かせていただきたいと思います。(いや、なんか自分の家のように使って申し訳ないとは思っていたりするのですが……)

 さて。友達関係……特に、あるグループに入る場合って、その交友関係の中に、既に何らかの「場」があることがほとんどなんですよね。1対1では線だけど、3人4人になってくると平面になったり立体になったりという感じでしょうか。
 そして、後からそのグループに入る人間は、その中に入ることが求められる……とは言いませんが、もし仮にその「場」の外に位置するときは、グループの皆が「場」というものを広げないと上手くいかないと思うんですよね。
 らきすたの場合、<こなた-つかさ>という線があり、<つかさ-かがみ>という線があり、<かがみ-みゆき>という線があった。そこから、少しずつ「場」というものが形成されて、成熟していった。そして、そのために12話を使った。そんな印象を受けました。

 簡単に言ってみれば、4人が仲良くなって、そこに相互の理解や、暗黙の了解が生まれ始めてきた、ということです。(だんちさんが言う、ルールに近い……のかな?)

 で、現段階で自分が感じたことは、その「場」の中に自分が入れるということはないし、入れてくれることも無いだろう、という、ちょっと寂しい(?)感覚でした。
 初めのうちは、4人の「場」というものが結構流動的で、来るもの拒まずといったものでした。が、途中から「場」が固まり始めてくると、自分の自分の場所が無いことに気づいた、という(笑)
 特に顕著なのはヤマカンの回でしょうね。線を強調し「場」を強調してくる。そんなアニメを毎回作ってきます。だから、自分の場所を考えたときに、その中には入れないことに毎回毎回気づかされるわけです。

 ……でも、これって決して悪いことじゃないと思うんですよね。
 自分が触れられない代わりに、他の誰も触れない。アンタッチャブルな空間が出来上がるわけですから。
 別の言葉で言うと、本物のアイドルを作り出そうとしているな、と。(但し、その特別性は「場」に限ったことであって、個人のレベルではあんまり……という欠陥を含んでいる気もするのですが、まあらき☆すたは個人単位で行動するアニメではないので、それでいいんでしょう)
 逆に、武本氏場合は(唯一ヤマカンの回を除いて)、それとは反対に「場」を崩すようなイベントを沢山出してくる。
 (確かに、こちらのほうが親近感はわきますし、実際に6話と12話は最高に面白かったです。)

で、このアニメを考えていったときに行き着く先を分けてみました。

1.「いや違うよ、みんな普通の女の子として描かれているんだよ」派
2.「ヤマカンも強調しているように、こなた達はアイドルなんだよ」派
3.「そんなのはどうでもいいよ」派

 1については多分、一番多いかなと。(だんちさんもこの考えかな、と自分は考えているのですが、いかがでしょうか?)

 2については、ちょっと探したのですが、自分しか見つかりませんでした。ていうか、いるのかどうかすら分からない。どちらにしろ、非常に少数派ですね(笑)

 3は……よくわかりません。

 多分、これのどこに目をつけるかで、捉え方・メッセージが全然違ってくると思うんですよね。(もちろん混ざる部分も沢山あると思うのですが。)
 例えば、メディアミックスについてですが、自分はあれを、コンサート等の、客席に座るためのチケット……ではなく、それを優先的に手に入れるためのファンクラブのような受け取り方をしていたり。

     -------ここから本題---------


 ……長くなりましたが、本気で考えれば考えるほど、人によっての作品の捉え方って全然違ってくるものだなぁということが言いたかったわけです。
 思い返すと、3ヶ月前このブログを発見し、「この人すげえっ!」と思って書き込んでみてから、これまで10回くらい感想の受け渡しをした中で気づいたのですが、「似ている」ことと、「違う」ということは重要ですね。
 超至近距離でキャッチボールはできないし、その逆もまたしかり。
 互いの距離を認識して、初めてしっかりとしたキャッチボールができる。
 
 ……さて、後輩たちが出始める中、こなた達の「場」は不変なのか、それとも形を変えてゆくのか。その辺りに重点を置きながら、今後も感想を書いていきたいと思います。
 そしてだんちさんの感想、楽しみにしてますよー。

P.S
 何が書きたいのか最後のほうは自分でもこんがらがってしまいましたが、らき☆すたの表現方法が、現実世界のものとかなり深く結びついているなぁ、と思い、そのつながりを表現してみようと思ったのですが……文章力が足りなかったかもです。
 長文乱文、コメント欄にも関わらず失礼しました……。ではまた!

投稿: すまいらー | 2007年7月 2日 (月) 00:35

すまいらーさん、こんばんは^^
長い記事を読んで下さって、コメントをありがとうございます。
自分の家のようにくつろいで書いて下さってええですよ^^

>人によっての作品の捉え方って全然違ってくるものだなぁ

というのは、本当にその通りですね。
作品というものは一つでも、それを受け取る一人一人の心は全く別のものですから、様々な受け取り方がそこに生まれてくるのだと思います。
逆に、作品の受け取り方から、その人のパーソナリティが浮かび上がってくると思うんですね。
だから、僕は自分のパーソナル、自分の立場で自分の心がどう受け取ったのかをなるべく言葉にするようにしているつもりなんですね。だからこそ、何のために、どういったスタンスでアニメ感想を書くのか、も明確にしています。

そのパーソナルな受け取り方があってこそ、人と感想を語り合うことができる。
作品の受け取り方を通して、お互いのことをより知っていく、ということができるんだと思うんですね。

僕も、これまですまいらーさんと感想のやりとりをしてくる中で、すまいらーさんに自分と似たところを感じたり、違ったところを感じたりしてきていました。そして、それを感じられることが楽しいんですね。

>互いの距離を認識して、初めてしっかりとしたキャッチボールができる。 

とても重要なことですよね。そして、そういうことを仰っていただけて、なんだか嬉しくなります。
「だんち」というパーソナリティを認めてもらえて、キャッチボールをしようと思っていただけているように感じられますので^^

で。その僕のパーソナリティで「らき☆すた」をどう受け取っているのかのことでいいますと。

>1.「いや違うよ、みんな普通の女の子として描かれているんだよ」派
>2.「ヤマカンも強調しているように、こなた達はアイドルなんだよ」派
>3.「そんなのはどうでもいいよ」派

という分け方の中に、僕自身はどこにも入らない、と思っています。人から見たら「だんちの見方はこうだな」というのはあるかもしれませんが、人の見方に異を唱えるつもりが全くありませんので(同意するしないは別として)、「派」というものは僕には何の関係も無いものになる、ということですね。
その上で言うと。僕の印象は、「こなた達は風俗嬢」というもののままですね。

それはそれとして。すまいらーさんが、作品を見ていて「寂しさ」を感じられた、というのは興味深いことですよね。
それだけ、彼女達の世界というのが存在感を持って描かれている、ということでしょうし、その存在感や距離感を感じて、自分の場所が無い、という感じ方、見方をする、というのはすまいらーさんならではなのでしょうね。

そういった捉え方から来るすまいらーさんのメッセージの受け取り方がどういったものになっていくのか。そこにすまいらーさんのパーソナリティが表れてくるのでしょうね^^

僕も僕で、自分の捉え方、受け取り方をしていく中で、自分自身のパーソナリティを今後も晒していこうと思っております。お互いの感じ方を晒しあいつつ、語り合っていくところで、より「線」を太くしていけるのならば、

>らき☆すたの表現方法が、現実世界のものとかなり深く結びついている

ということそのものになっていきますよね^^
そんなわけで、これからも作品を楽しんで、こうやって感想を語り合うことも楽しんでいきましょうね!

ではでは、またです!

投稿: だんち | 2007年7月 4日 (水) 23:08

お久しぶりです。
あまりコメントはつけてませんでしたが、いつも拝見させて頂いてます。らき☆すたやロケットガール等の感想は毎週楽しみにしてました(笑 今日のように眠れない時やぼけっとしてる時など読ませて頂くとといつもに増してまったりと楽しい時間をすごせます。

ということで楽しいついでに少々感想を・・

らき☆すたを思い返してみてぼやっと思い浮かぶの印象は「日常」「パロディー」「百合」ですが、エンターテイメントなのに日常?というひっかかりははだんちさんの11話感想で解決しました(脱帽です)。そしていろんな作品をパロることで現実世界へメタに展開してくる。
「百合」については「女性は物語世界に主体を置かなくても楽しめるのでBLが流行る。男性は物語世界に感情移入できる主体を探しがちなので百合物を見ると居場所がなく感じる(退屈や疎外感)。ゆえに百合はBLほど流行らない?」という精神科医である香山リカ氏や齋藤環氏の説に共感を覚えています。

すまいらーさんの

1.「いや違うよ、みんな普通の女の子として描かれているんだよ」派
2.「ヤマカンも強調しているように、こなた達はアイドルなんだよ」派
3.「そんなのはどうでもいいよ」派

ですが僕は「現実の女の子が虚構を演じるドラマの反対、虚構(アニメ)のアイドルの女の子が現実を演じているらき☆すた」と受け取っているので1,2の両方ということになってしまいます。すまいらーさんがらき☆すたに対して「場に入れない」とお思いになるのは感情移入するべき男性キャラがいない(注:セバスチャンを除くw)百合物なのでしかたないのかもしれません。上記の説では「百合は流行らない」とのことでしたが最近はそうでもないようです。一体百合がどう欲望されどう消費されているのか・・個人的には覗き?趣味というか・・笑
自分の思春期を思い返してみると、女の子達だけの会話というのは絶対領域だった気がします。修学旅行の夜、男子だけでエロ話や恋話をしてる時、ふと話題が「女子も今こういう話をしてるのだろうか・・」となり妙にドキドキしたことを思い出します。かがみのナンパされたかった暴露話や、かがみとつかさの風呂場での「あれ」の話、つかさのセバスチャン臭い発言などは感情移入できないとというよりも入れない絶対領域を楽しむというスタンスもあります。

その点を踏まえて・・

エンターテイメントなのに日常?というひっかかりははだんちさんの11話感想で解決した、と書きましたが実はなんとだんちさんは3話観想にして早くも「らき☆すたはハルヒにハマりすぎて現実を失った人の夢を覚ますためにつくられたのではないか」と仰られています・・スゴイw
そして11話感想ではさらに進化し<彼女達と「遊ぶ」時、こちらは自分以外の何者かになるのではなく、普段通りの「視聴者のまま」でいいし、そうでなくてはならないのでしょう。>。
3話感想の「夢を見せながら夢から覚ます方法論」が「現実逃避から現実に戻すことを志向しているようにも感じますし、同時に、「遊ぶ」ということそのものを、作品を作る側と受け取る側とで一緒になって取り戻そうとすることでもあるようにも思います」と進化されている。
虚構のアニメを見てるはずなのに、日常が描かれている、虚構のアニメキャラであるこなた達に現実に送り戻され、その現実と場所で「遊ぶ」。なぜ京アニが「物語に入り込めない百合物を選んだのか、何をしようとしたのか」がやっと理解できました。このブログを読んでなかったら「あーあ、京アニがガイナックス化した・・調子に乗りやがって」という印象で終わっていたかもしれない。
本当にだんちさんには感謝してます><ノ

<作品を創り出すことだけが「創作」ということなのではなく日常生活もまた、作品である>という大名言を残されただんちさんにしか書けないらき☆すた感想シリーズだと思います。
今後も楽しみにさせて頂きます。

P.S. ハルヒ二次創作をたくさんアップされてますが、今なぞのブーム    中の古キョンは創られないのですか?ノシ

投稿: ミント | 2007年7月 6日 (金) 04:44

>虚構(アニメ)のアイドルの女の子が現実を演じている
 ……ドラマの反対ですか、なるほど。
 

投稿: すまいらー | 2007年7月 7日 (土) 19:39

 途中で送ってしまい申し訳ありません。

 で、もう簡潔にまとめてしまうと、13話を見てちょっと考え方が変わったかも……ということです。それだけを報告しようかなと思いコメントを……途中送信してしまいましたがorz

P.S 今期はスカイガールズが気になっていたりします、中々面白そうだなと。
 

投稿: すまいらー | 2007年7月 7日 (土) 19:45

>ミントさん、こんにちは。いつも見て下さって、コメントありがとうございます^^
ロケットガールは時間を作れず、結局最後まで感想を書けませんでした。最終回が中瀬脚本でなかったこともありましたし…振り返ってみても、中瀬脚本の回はやはり盛り上がったし良かったなぁという印象を持っております。
最後、ゆかりが「社会的な立ち位置」を手に入れたところなど、やはり家族との関係を得たからこそだろうなぁ、と振り返って改めて思うところです。

僕の長文は、眠れない時には眠りを誘う機能を果たしそうですね^^

楽しんでいただけて、そしてこうやって感想も書いていただいて、一緒に楽しむ。それは、すまいらーさんが仰っている「線」から「場」へという発展が感じられて、とても嬉しいです^^

なるほどしかし。「らき☆すた」を「百合」的世界観の作品として見ると、男性視聴者からの感情移入を阻み、客観的な視座を持たせることができるのかもしれませんね。
そういう風には思っていませんでした!

≫僕は「現実の女の子が虚構を演じるドラマの反対、虚構(アニメ)のアイドルの女の子が現実を演じているらき☆すた」と受け取っているので 1,2の両方ということになってしまいます。

あぁ、それすごく分かります!その「虚構のアイドル」に虚構の楽屋が用意されているところがまた、複雑な味わいを醸し出してくれていますよね。
虚構の人物には、その人にとっての現実があり、こちらの人間にはこちらの現実があり、その上で、接点としてのステージがテレビ放映だったり雑誌やラジオなのかもしれませんね。
だからこそ、これは「遊び」にしかなりえないし、必ずお別れがある帰り道のある遊びなんだな、と感じます。…これで「帰れない」場合は…どうしたらいいのでしょうね^^;

≫上記の説では「百合は流行らない」とのことでしたが最近はそうでもないようです。一体百合がどう欲望されどう消費されているのか・・個人的には覗き?趣味というか・・笑

僕なりに思うのは、同化願望なんだろうな、ということです。
と、勝手な印象を書き連ねますが。
男がエロ漫画を読む時に、必ずしもやっている男の方にだけ感情移入しているわけではない、ということはあると思います。
詳細に書くと生々しい話になるので省きますが。
男は女になりたい気持ちを大なり小なり持っていて、しかも男として愛したいし、女として愛されたいという気持ちも共存しているように思います。極端に言ってしまえば、自己愛ということになるのかな、と。
その意味では、実はハーレムものは「女友達をいっぱい作りたい」という女の子的な願望が根底にあることから楽しめるものなのかもしれませんね。たいてい、女装ネタが出てきますし。
と、またもや書きながら変な方向へと進んでおりますが^^;

ただ、そういう感覚があると仮定してみると、ミントさんが仰っている「絶対領域」に対するドキドキは、同化願望が発動することによる高揚感という風にも受け取れるのかなぁとも思ったりします。
と、刺激を受けてまたもや語ってしまいました^^

それにしても、いろいろとお褒めいただきありがとうございます!
自分で書いた感想は、割と忘れていることが多いので、こうやって引用していただくと思い出すきっかけになってありがたいです^^

ハルヒの二期も決定しましたが、「らき☆すた」を見て、「これはハルヒ二期を前提にしている」というのは、僕にとっては確信に近いものがありました。
なので、「おお。やっぱり」という感じで、ちょっと松本育夫のサッカー解説風(いや、若い方は知らないかな…)に「ほら、わたしの言った通りになったでしょ!」とかこっそり言ってみたりして^^
ともかく、ハルヒ二期がいよいよ決定する中で、11話の感想で書かせていただいた「現実にいながら非現実と遊ぶ」ということのゴールというものが、具体的に見えてきた気がしますね。
ハルヒ二期で、過剰な感情移入、入り込みを防ぎ、あるいはきちんと現実に帰す作品を作ることができてこそ、「らき☆すた」の意義はいよいよ深まるのかもしれませんね。

≫このブログを読んでなかったら「あーあ、京アニがガイナックス化した・・調子に乗りやがって」という印象で終わっていたかもしれない。
≫本当にだんちさんには感謝してます><ノ

わーい!どういたしまして^^
毎回長文でほんと申し訳なく思っておりますが、そう言っていただけると、頑張って書いてきた甲斐があります!

≫という大名言を残されただんちさん

そしてその言葉を最後に老兵は去る。
ってな感じですね^^
これからはミントさんにバトンタッチしちゃおうかなー。

なんつって。
これからも楽しんでいただけるとのこと、励みにして頑張りますね!^^

≫P.S. ハルヒ二次創作をたくさんアップされてますが、今なぞのブーム
≫中の古キョンは創られないのですか?ノシ

実は…もうネームはあるのです!いや、ネタ漫画なんですが。二期決定記念のタイミングでそれはどうだろう、いやそれでこそなのか、と今悩み中です。
いずれアップしましたら、是非見てやって下さいね^^

ではでは、またです!


>すまいらーさん、こんにちは^^
今後は、ミントさんも含めて、皆でこれまで以上にあれこれと感想を交換し合えるといいですね^^

≫13話を見てちょっと考え方が変わったかも……ということです。

すまいらーさんは、今までも「前回と見方が変わった」ということを何度か仰っておりましたが、それは本当に素晴らしいことだと僕は感じます。
一旦自分で「この作品はこうだ」と思うと、自分のその印象に縛られてしまってなかなか崩せなかったりすることがあるじゃないですか。
そのご自分の印象を、作品を見た次の瞬間に自分で崩せる。その柔軟性は分けて欲しいくらいです。
これからも、その時感じたこと思ったことを是非また書き込んで下さいね^^

≫P.S 今期はスカイガールズが気になっていたりします、中々面白そうだなと。

「スカイガールズ」は、シリーズ構成が吉岡たかをさんで僕の好きな脚本家の一人です。きっと面白いだろうな、と思いつつ、時間がなく見れていません。いずれDVDをレンタルするなりして見ようかなぁと思っております。
掲示板にも書き込みありがとうございました^^
ココログにされたんですね!早速ブックマークしました。アニメ感想やサッカー感想、楽しみにしておりますね!

ではでは、またです^^

投稿: だんち | 2007年7月10日 (火) 15:00

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受信: 2007年7月 1日 (日) 22:02

» (アニメ感想) らき☆すた 第12話 「お祭りへいこう」 [ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人]
らき☆すた 1 限定版 コミケ・・・それは、オタク達の聖地。コミケ・・・それは、オタク達のロマン。コミケ・・・それはオタク達の戦場。そして今、新たな伝説が始まる・・・。 [続きを読む]

受信: 2007年7月 1日 (日) 23:04

» らき☆すた 第12話「お祭りへいこう」 [バラックあにめ日記]
#63893; 羽目を外した回なのに、いつもよりも断然纏まり良く感じられます。 アニメ店長も前のような置いてけぼり感は無く、コミケ会場から少女Aの伝説、そして企業ブースでのドタバタ、と気持ちを誘導してくれており、良い感じ。 やはり話の筋を追う、というのは..... [続きを読む]

受信: 2007年7月 2日 (月) 01:10

» らき☆すた 第12話 「お祭りへいこう」 [たこーすけの、ちょろっと感想]
こんばんは、たこーすけです。 第12話感想、やっと終了。 項目ひとつにした意味NEEEEEE! 相変わらず長いので、要注意です!お時間のある時にどうぞ! Last modified: 2007-07-29 21:55 ... [続きを読む]

受信: 2007年7月29日 (日) 22:05

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