「ななついろ★ドロップス」第1話を見た。
こんにちは、だんちです。TVKにて「ななついろ★ドロップス」第1話を見ましたので、遅くなりましたが感想を書きたいと思います。
この作品は、僕にとってはネットで知り合い仲良くさせていただいているシナリオライターの市川環さんが関わったゲーム作品のアニメ化ということで、勝手ながらたっぷりと親近感を持って楽しみにしておりました。
肝心のゲームの方がまだ未プレイでなんなんですが、市川さんが書かれた「テック・ジャイアン」の付録についていた小説や、ファミ通文庫の小説「ななついろ★ドロップス」などは読ませていただきました。その感想はこちらです。
さてさて、そんな感じで視聴したアニメの第1話ですが。
ちょー可愛い!!!!!
なるほど、王道魔法少女ものをやろうというだけあって、その気合いがほとばしる作品になっておりますね。
可愛く、綺麗で。たまんないものがあります!
また、視聴対象者がある程度大人になっている男性だろうというところで、夢の見せ方がとても面白いな、とも感じました。
主人公は、男の子で、視聴しているこちらは石蕗君に感情移入して見るわけですが、それは子供の頃に女の子向けに放送されていた魔女っ子ものとは明確に違う点だよな、と思うんですね。
構図として「子供の頃、女の子向けに放送されていた魔女っ子ものをこっそり見て、萌えていた少年達が大人になった今、そのかつての夢を具体的に見せてくれる作品」だと感じました。
自分がマスコットに変身して、魔法を使う女の子と行動を共にして、魔法を使う場面で一緒に活躍したり、夜を一緒に過ごしたり。
でも昼間は人間の姿で魔女っ子ヒロインと同じクラス同じクラブでラブコメ展開の当事者になってみたり。
…美味しすぎる。なんだこの立ち位置!夢すぎるだろ!!
お菓子の家かといわんばかりの甘い夢世界。
これを見せるために、島田満さんをシリーズ構成に起用したというのも非常によく分かります。
僕ら視聴者には(と勝手ながら括らせていただきますが)、彼女の仕事で萌えてきた少年時代の過去があるわけですから。
で。
そこまで、美味しい夢の立ち位置に感情移入することをエンターテインメントとして与えてもらえるわけですが。
それが、昔から思い描いていた一つのゴールであるとするならば、そのゴールからどういうスタートがあるのか、というところが、この作品の見所にもなるのかな、と思っています。
美味しく甘い夢を見せてくれている主人公とヒロインはどういう人物なのか。
主人公は、クラスに馴染めず無愛想で口下手。心配してくれている友人はいるようだけど、心を開けていない様子。
ヒロインは、家では明るくても、学校ではおどおどしていて引っ込み思案。幼馴染とは仲が良くても、交流の範囲は狭いのか友達はあまりいない様子。
絵としては、メガネ男子でかっちょよく描かれている石蕗君と、可愛くキラキラと輝く少女として描かれているすももちゃんなわけですが。
彼らは、はっきりいってとても野暮ったい、イケてない男の子と女の子なわけですね。
見ているこちらが、「子供の頃からの夢そのものの世界だ!」と思って見るような世界の、感情移入すべき登場人物が、「人に心を開くことに悩みを抱える少年少女」であるということ。
そのことが、魔女っ子もののゴールの先にあるスタートなのかな、と感じます。
実は魔法というギミックは、物語の根幹にとって大して意味なんかないものなのかもしれない。
むしろ、その夢がキラキラと輝くからこそ、その先にある、人間本来の悩みというものが、クローズアップできるのかもしれません。
夢の入り口にうっはーっと萌えて飛びついたら。
その先にある、もじもじうじうじした登場人物の、その心の変化、魔法ではどうにもならない人間関係の築き方というところに、目を向けていく、そういう物語なのかもしれませんね。
なるほど。
そうやって見ると。
「魔法」といものを、現実の僕らに置き換えてみれば、様々な便利なツールとして見ることができて、でも、いくら便利なツールを使っても、人間関係、人と人の心のありようは、そういったものではどうにもならない。というそういう構図の物語として見れるのかもしれませんね。
魔法というゴールの先にあるスタート。
そんな視点を持って、これからの石蕗君、すももちゃんの心の成長、関係の発展を見守っていきたいと思います。
ではでは、またです!
参照:「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
:「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
:「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」
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