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2007年8月 2日 (木)

「らき☆すた」第17話を見た。

 こんにちは、だんちです。TVKにて「らき☆すた」第17話を見ましたので、感想を書きたいと思います。

 前回の感想で「アニメ店長は制作者の代理的立場」ということと、その立場を使って、シリーズ終盤に至ってくる中で「コミュニケーションズギャップ」を際立たせているように見える、ということを書きました。
 登場人物達が麗しく楽しく会話を繰り広げている本編に挟まれる、アニメメディア商品を売る者と買う者との意思の断絶。
 さらに、アニメーションなのに実写を使ったエンディングで作り出される見る側とのギャップ。
 それらによって、何を見せたいのか、何を訴えたいのか、のところは明確にされないまま、メッセージを忍び込ませたままで終わりまでいくのかな、とも思っていたのですが、意外なくらい早く、さくっと答えを見せてくれましたね。

 思えば、それはシリーズ序盤から言葉として明確に語られていたものでもあるんですね。

 テーマは。
 「愛」。

 それが、双方向できちんと求め合う形になっていれば、コミュニケートは成立していく。
 でも、独りよがりで一方的なものになれば、断絶が生じる。

 友情も、アニメや漫画、ゲームに対する傾倒も、それぞれ「愛情」というものの姿として描いてきているのでしょう。

 その「愛」というものを軸に、今回の第17話を見ていくと、いくつかのポイントが見えてくるのだと思います。その観点で、今回はまとめてみようと思います。

 コミュニケーションズギャップを埋めるのは、双方向の愛情。
 ということは、かがみとまつりが見せてくれました。
 ポイントとしては、家族として、愛情を持ち合っている者同士のはずなのに、コミュニケーションズギャップが生まれることがある、というところでしょう。
 その原因も、ものすごく分かりやすく示されていました。
 意思の疎通がすれ違うこと。
 ですね。
 「言ったのに」「聞いてない」というような、ちょっとしたことが原因でギャップが生まれてしまい、気まずくなる。
 そこで、ちょっとした悪感情も出てきてしまい、いよいよ相手の言うことを聞かなくなるし反発するようになる。

 それを解決するのが、つまり「双方向の愛情」ということなわけですね。
 双方向、というのは、相手の愛情を感じ取り、自分の愛情も惜しまない。

 意思の疎通がずれたとして。
 そこにある愛情が一方的なものであったならば、ただ押し付けることになり、それが通じないと、愛情はそのまま翻って憎しみに変わっていってしまうのでしょう。
 だけど、双方向であれば、少し意思のずれがあったとしても、相手の心を感じ取って、それを汲み取ることで、コミュニケートを修正していくことはできるわけですね。

 かがみは、まつりの愛情を感じ取ることができて、自分の気持ちを修正することができた。それによって、まつりに笑顔を向けることができたのでしょう。
 まつりも、かがみが遠くまで行って材料を全て揃えた行動の裏にあるかがみの本音の部分、自分のミスで夕飯の材料を買えなかったことに対する、「ごめんなさい」という意思を感じ取ったことでしょう。
 だけど、姉妹だからこそ、言葉に出して直接謝ったり労ったりがしにくいこともある。
 そこで、父母に対して姉のまつりが、かがみの功績を誇るわけですね。そしてかがみに向けられた笑顔には「ありがとう」という、言葉にするのは照れくさい、そんな気持ちが込められているのでしょう。

 双方向のコミュニケーションの基本は、相手の話を聞くこと。
 それは、相手の心を感じ取っていくこと。そして、自分の気持ちも伝えていくこと。

 そこに、具体的な言葉が無くとも、行動には思いが伴うもので。相手の気持ちを慮る心持ちがあるならば、それぞれがそれぞれの愛情を伴った心を感じあうことが、できるわけですね。

 ギャップの発生とその解決を、家族の愛情という姿を持って見せてくれたまつりとかがみ。
 それを軸にこの回を見ていくと、本編ラストのこなたの言うことに、本来受けるべき愛情を充分には受け取ってこなかった少女の姿を見ることもできるのだと思います。

 母親がいないこなた。
 父子家庭で、お父さんとはとても仲が良いけれども、本来受けるべき愛情、しかも母親から受けるべき愛情が欠落しているわけです。
 そんな彼女のために、サプライズバースデーパーティーを開催しようと目論んでくれる愛情溢れる親族はいるわけですが。でも、間が悪いことに、すれ違ってしまう。
 すれ違う原因はこなたにもあって、バイト先の人達が誕生日を祝ってくれるということを、父親に言い忘れていた、というまさに「コミュニケーションズギャップ」がそこにあるわけですね。

 うっかりでもあるんでしょうけど、でも、産んでくれた人がいなくなっているからこそ、家で誕生日を祝う、という習慣がいつもの泉家には無いのかもしれませんね。
 重大な存在の欠落、重大な愛情の欠落が日常化してしまっていることが、祝おうとした人達の愛情の行き場を失う、そんなすれ違いを生んでしまったのかもしれません。

 誕生日、父親、親戚からの愛情をもらい損ねたこなたは、枕元に漫画を積み上げています。

 エピソードの順番が、まつりとかがみの「愛情コミュニケート」の直後だったからこそなのでしょう。こなたの誕生会が不発に終わったから、ということもあるのでしょう。
 こなたのベッドに漫画が積み上げられている図は、とても哀しい、切ないものに僕には見えました。
 しかも、その漫画の多くを彼女は読んでいない、という。
 それでもどんどん買ってしまうことを、彼女は「安心する」と言う。

 つまり。
 無いと、「不安だ」ということになるのだと思います。

 漫画は、様々なキャラクター達がそれぞれの世界で生きている物語が詰まったもので。
 小説とは違い、ページを開けば、そこに「誰か」がいるように、絵が描かれています。
 想像力を駆使しなくとも、「誰か」にいつでも会える。そんなメディアです。
 実際に、ページを開いて「会う」ことをしなくとも、「いつでも誰かに会える」状態であること。それこそが、こなたにとっては重要なのでしょう。

 ずっと。
 「誰か」がいなかったんだから。
 そして、これからもずっと、いないんだから。

 何も無いベッドで寝ることに、言いようの無い寂しさや不安を感じたとしても、不思議はありません。
 むしろ、当然のことだとも思えます。

 読者に向けて描かれた漫画の世界を、「作り手から読み手への愛情」が込められたもの、と見ることはできるでしょう。
 でも、読み手としてのこなたは、それらの漫画を開きもしないわけだから、そこに込められた愛情を受け取ることは無いわけですね。
 コミュニケーションズギャップ。
 ここにあり、ですよ。

 別の場面では、読者としてのこなたの偏りについて、かがみに揶揄されるわけです。「あんたの愛とやらもそんなものか」と。
 でも、こなたは、そもそも双方向の愛情に関して足りないまま育ってきてしまっているわけですから、自分の好きな世界に、偏った、一方的なギャップのあるままの愛情を向けてしまうことも、仕方ないのでしょう。

 そんな、こなたのあり方を、誇張された一つのモデルとして見た時に。
 じゃあ、自分はどうなんだ?という問いかけは、決して無効なものではないでしょう。

 自分は。
 母親の愛情をどれだけ受けてきたのか。
 母親の愛情にどれだけ応えてきたのか。

 「オタク」というあり方が、親の愛情をどこか受け損なってきた者のたどり着く先であるのならば。
 親がまだ健在であるのなら、親孝行しようぜ。みんなでさ。

 まぁ。
 それはそれとして。
 漫画を積み上げることで、こなたが安心できるというのであれば。
 漫画は、人の心にとって、母なる存在にもなれるのだろうか。それが、寂しさを埋める代替的なものであったとしても、人の心の寂しさを埋めることはできるのだろうか。

 そうであれば。
 こなたは、オタクであることで、いつか寂しさを乗り越えていくことが、できるのかもしれない。
 そして、そのためには、物語世界は、「愛情」を持って作られていないといけないわけですね。

 アニメ店長が言うように。
 愛情や情熱が込められたものでなければ、こなたのような心に穴を持った人達の寂しさを癒すことはできないでしょう。
 アニメ店長を制作者の代理的立場、と僕は見るようになったわけですが。
 その観点からすると、今回、ものすごく露骨に「代理」してくれていましたね。
 「愛情込めて一生懸命作ってますっ!!」っていう。
 そして、その言いっぷり、伝え方が独りよがりで一方的なのがまた、非常にシニカルにも見えるわけですが。やはりそれは、むしろ「魂の叫び」として見ることができるのでしょうね。

 アニメ店長のような、一方的で独りよがりな愛情の押し付けでは、コミュニケーションズギャップが生まれていくだけ。
 また、逆にこなたのようにせっかくの漫画作品を開きもしないで積むだけでも、やはりコミュニケーションにならない。

 まつりとかがみのように。
 すれ違いがあったとしても、お互いのことを感じ取って、愛情を向け合って分かり合っていく。
 そんなコミュニケーションを、作品に対する「愛情」をベースに成し遂げることができれば。
 受け取り手の寂しさも、作り手の虚しさも、少しずつ解消していけるのかもしれませんね。

 そう。コミュニケーションズギャップは、双方が傷つく。
 なぜ、作り手の方から「愛情」とか「情熱」とかって言葉が出てくるのか。言わんでいいような楽屋ネタをわざわざ見せてくるのか。
 それは簡単な話で、つまり作り手だって「傷ついている」ということなんだと思うんですね。
 例えば。
 こなたが枕元に積んで読みもしていない漫画を描いた作者が、そのことを知ったら、「頼むよ。一生懸命描いたんだよ。読んでくれよ」と泣き濡れることでしょう。
 「私見る人あなた作る人」という安全地帯にいれば、作品に込められた愛情なんて無視できてしまうかもしれません。
 でも。
 そこに愛情を込めているのに、それを無視されたら。
 やっぱり、傷つくんですね。
 自分の仕事に、虚しさを感じてしまう。

 寂しさを持った受け取り手。
 傷ついている作り手。

 その両者に必要なのは、双方向の愛情を持つこと。ということなのでしょう。
 コミュニケーションドラマで見せてくれた麗しい愛情のあり方、重大な愛情が足りていない者の姿、一方的な愛情に燃える者の滑稽さ。
 それらを、ここまで明確に主張を持って見せてくることはとても意外でした。
 でも、「遊ぼう」と呼びかけてくるその根底にあるのは、「愛を持って」である、ということは、示さなければならないことだったのでしょう。
 前回からの流れで、僕にはとても納得のいくものでした。
 そして、次回予告で、アニメ店長の出番は終わったという宣言がなされましたね。今回で終わり、ということなのか、次回で終わりということなのか。多分、今回で出番終了、ということなのでしょうね。
 つまり、彼の役割、「作り手の代理的立場」というもの、その立場でものを言う必要は、もう無い、ということなのでしょう。
 はっきりと示された「愛」というテーマ。
 それが、次回以降、どういった描かれ方をしていくのか。

 おそらくは、愛情をたっぷり込めて作って見せてくれることでしょう。

 ならばこそ。
 こちらも愛情を持って、楽しく視聴したいと思います。
 前回の感想で「最終回まで耳を傾ける」ということを表明したわけですが。今回、それに「愛情を持って」という更なる姿勢が加わったわけですね。

 「畳み掛け」から、いよいよ「結実」へ。
 ちょっと早いようにも思うけど、ラストスパートが始まりつつある感じでしょうか。
 愛情と情熱が込められた作品を愛することで、自分の心に生まれてくるものは何なのか。

 作品が語りかけてくるものに、そこに込められた愛情に、目と耳と心を傾けて。
 こちらも、愛情と真心を込めて。
 じっくりと、コミュニケートを続けていきたいと思います。

 というところで、今回の感想を終わります。
 いつものように長文になりましたが、読んで下さってありがとうございます。
 今ちょっと〆切中で、頭の回転数がなんだか変な感じです。ちゃんと読める文章になっているといいのですが。誤字脱字、意味の通らない文章は後で読み直してみて、発見次第修正していきます。

 しかし。あれですね。
 普段、僕の感想を読んで下さっている方には、今回僕がどんなことを書くのか、想像ついたんじゃないでしょうか。
 印象がすごくはっきりした回で、見てすぐに感じたことがぱぱっと頭の中ではまとまったんだけど、逆にそれを文章化するのが、今回はすごく難しかったです。
 でも、楽しんでいただけたら嬉しいです。

 梅雨が明けて、いよいよ夏本番。
 皆様、体調にはお気をつけ下さい。
 あと、行楽の事故なども多い季節なので、遊ぶ時も充分気をつけて楽しんで下さいね。

 そして。

 寝苦しい時には。
 宿題の合間には。
 食後の一服には。
 夏コミの準備の合間には。
 「妄想界の住人は生きている。」をよろしくです!

 なんつってね。
 ぼちぼち、仕事に戻ります。
 ではでは、またです!

 参照:「映像言語」と「漫画言語」の具体的な違いの例。
    : 「なぜアニメの感想を書くのか。どういったスタンスで書くのか。」
    :「物語り人(ものがたりびと)」であること。…学習機会レポート2
    :「物語作りの基礎。普遍的土台と誇張表現の調和により生まれる適度な感情移入…学習機会レポート」

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