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2007年11月 2日 (金)

「面白い」の在り処。

 こんばんは、だんちです。
 最近、絵や漫画を描いたり、アニメや漫画やイラストなんかを見たりして感じていることをつらつらと書いてみたいと思います。
 久々の長文で、文章のみでございます。

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 自分でイラストやら漫画やらを描いていても、絵が技術的に上手くない自覚はあります。
 勿論、日々練習を重ねたりして、少しでも向上していこうと努めてはおりますが、それは何も「完璧」を目指していることではないのだとも思っています。

 絵や漫画を描く時に、表現していきたいものは僕の場合「技術」ではなく、「意図」です。

 その「意図」をよりスムーズに伝えていくために技術が必要だから、練習を重ねていくわけですね。

 絵に限ったことではなく、あらゆる作品にとって「意図」はものすごく重要なものだと思います。
 広げていくならば、「作品」というようなものに限らず、日々の暮らし、仕事、コミュニケーション、全てにおいて「意図」というものは重要だとも感じます。

 そして、その「意図」を表現すること、伝えていくこと、伝わっていくこと。
 または、「意図」を受け取っていくこと、感じていくこと、理解すること、共感すること。
 それが、すごく面白いことだ、と感じるんですね。

 つまり、何事かの「意図」にこそ、「面白さ」が在る。

 それは、「メッセージ」とか「主張」というような言葉で表現することもできるでしょうけど、大袈裟なものだけではなく、個人ブログなんかで表現される、「こういうことがあってさ、ちょっと聞いてよ」ということも「意図」だし、「これ、可愛いと思うんだけど、どうかな?」ということも「意図」だと思うんですね。

 
 その「意図」について、まずは受け取り手視点で少し述べてみます。

 日々、アニメや漫画、小説やイラスト、音楽やラジオなんかを受け取っているわけですが、プロアマ問わず、そういった「意図」の部分を感じることで、表現者(あるいはそのグループ)の個性や状態が凝縮された塊としてのコンテンツを楽しむことができます。
 その「意図」をどう感じて、どう共感できるか、あるいはどう反発した気持ちを持つかのところを、受け取るこちらの「個性」として、自分自身で認識することができるため、そこがまた、面白いところだと思うわけです。

 作品を受け取ることを表現者と受け取り手との「コミュニケーション」と表現することがありますが、僕にとっては、「意図」を受け取り、それにより自分の「意識」を発見することが、そのコンテンツとの「コミュニケーション」ということになるのでしょうね。

 だから、逆に「意図」を感じ取ることができなかったり、その「意図」にとって自分が対象外だったりすると、楽しめない、ということにもなります。
 あと、そもそも「楽しめない意図」を楽しむことはできない、ということもありますね。
 愚痴の羅列だったり、人を見下していたりという、ある種「呪い」の類というか。そういったもの。
 ただ、その人にとってその時その言葉を吐きたくなる状況があるのだろうな、ということもあるわけで。そこに思いを馳せて、「その意図はどこから発生しているのだろうか」と考えることは、無意味なことではないかな、とも思えます。
 とはいえ、受け取った時はどうしたって気持ち悪くなったりする意図もありますけれども。
 特に、悪意あるパクリ、盗作とか。
 そこにある意図は、非常に気持ち悪い。

 そうなってくると、「心地良い意図」と「気持ち悪い意図」というものの区別というものも、出てくるわけですね。
 その区別から考えを進めていくと、「意図」が人に与える影響は、発信者がその意図の区別や影響レベルに対して意識を持つことで、コントロールすることができるということがいえるのかもしれません。
 勿論、意図の持ち方、その伝え方をトライしていって失敗したり成功したりの経験を積み重ねていって、少しずつコントロールできるようになっていくことなのでしょうけど。

 僕は、様々な作品を見ていて、その「意図の持ち方」に、個性だったりキャリアだったり、その人の人生だったり人生観だったり、好みだったり視点だったりを感じることがとても好きです。
 アマチュア作品であれば、剥き出しの意図を感じたりすることがすごく面白いし、プロ作品であれば、練り上げられた経験と技術からくる意図の伝達に痺れるし。

 
 具体的な僕の「意図」の受け取り方の例を挙げてみます。
 最近楽しく視聴しているアニメーション作品「スケッチブック ~full color's~」。
 アニメを見ても原作を読んでも、この作品は20年程前を舞台にしているように思えます。
 それは、mementoさんも仰っているように、制服のスカートの丈が長いとか携帯電話が出てこない、ということからも思うことですし、造成中らしき空き地があって、土管なんかが積まれている「開発中」的な光景からも、作中で出てくるゲーム機がスーパーファミコンらしきことからも思うことです。

 だけど、アニメ第1話のアバンで、デジカメを持った少女が出てくるんですね。

 現代的な雰囲気を持った子で、作中の登場人物達と比べると、ちょっと異質。

 この女の子は、じゃあ何なのか?ということになるわけですが、作品が20年程前を舞台にしているのであれば(もしくはそういった雰囲気を演出しているのであれば)、あの女の子は現代の我々を代理する立場、ということになるのでしょう。

 ただ単に昔の雰囲気を描写して「懐かしいでしょ」「あの頃は良かったよね」ということを表現しても、それはアニメーション作品の「意図」としてあまり意味をなさないのだと思います。
 そこに、今現在を生きる僕ら視聴者を代理する立場の子を冒頭に登場させて、主人公に話しかけさせる。
 そのことで、作品と見ている僕らとが繋がって、作品を見る者にとって意味のあるものへとしていくことができる。 つまり、そこに「意図」がある。
 と見ることができるのだと思います。
 その「意図」の中身に関しては、おそらくは最後まで見ていくことで明確になっていくのでしょうね。

 見ている視聴者と作品とを繋げようとすることは、「ARIA」のアニメーションシリーズでも「アイちゃん」という視聴者の代理的立場のキャラクターを登場させることでありましたね。
 「スケッチブック」におけるこういった「意図」の持ち方は監修の佐藤順一氏によるものなのか、監督の平池氏によるものなのか、それは分かりませんが、キャリアを感じる意図の持ち方、見せ方だと感じます。

 別の例を挙げると。
 追崎史敏初監督作品の「ロミオ×ジュリエット」。
 僕は、この作品の企画を聞いた時、「え?」と疑問に思いました。今、なぜ「ロミオ×ジュリエット」なんだ?と。
 一鑑賞者でありつつも、一応は表現者の端くれでもある僕は「創作者ならば、今それをやることに意図なんて持てないはずだ。なぜそんな作品をやるんだ?わけがわからん」と、思いました。直感的、皮膚感覚的なところで。
 でも、池田プロデューサーが「まんとら」に出演して語った内容を聞いて、「元々は会社の企画」「それを『お前がやれ』と振られた」「前から一緒に何か作ろうと言っていた追崎さんに声をかけた」ということだったと知り、納得しました。
 そこにある元々の意図は、クリエイトする発想から出てくるものよりも、もっと商業的営業的な視点からのものだったのでしょうね。
 ヨーロッパ市場に対するコンテンツモデル作りとか。
 勿論、それは悪いことでもなんでもないわけですが。

 それはそれとしても、プロデューサーや監督は、作り手としてその発想に乗っかったわけだから、そこにどんな意図を乗せてくるのだろうか?という興味がありました。表現者の一人として「相当難しいぞこれは」と思いつつ。
 1話から最終回まで見て、僕が思ったことは「ああ、本当に頑張ったな」というものでした。
 僕の捉え方としては「企画の意図に破綻がある(今、感情移入できる素材ではない)。それを作品として完結させたことは、仕事師として非常に頑張った結果だ」というものになります。
 同時に、正直に作ったな、とも思いました。作り手が「どう意図を乗せていったらいいんだろう?」と迷いながら作った気配がフィルムに随分出ていたように感じたんですね。

 つまり、作品として純粋に楽しんだかといえば、最初からそれは期待していなくって(作った方々には大変申し訳ないのですが)、企画の意図と作り手の意図とが、どう結実していくか、という興味で楽しんだことになります。
 それはそれで、ちょっと意地悪な楽しみ方かもしれませんが、「意図」を楽しむということには、そういうやり方もあるかな、とは思ったりします。

 あと、よくイラスト系のHPを見て回ったりしているのですが、そこで描かれている絵や漫画を見て、描いた方の個性、パーソナリティを感じることはとても楽しいです。
 二次創作であれば、「このキャラクターをこう見て、こう表現するんだ」と感じたり、オリジナルであれば「こういうキャラクターでこういうものを描くんだ」と感じたりして、そこにある意図から、描いている方の感性に触れられて、その人自身を知ることができるようで、その感触を得ることから、「人を知る」という楽しさを感じることができるように思います。
 まぁ、ぶっちゃけ可愛い女の子が描いてあると見に行って「むっはーっ!」と萌えて癒されまくっているってことなんですけどね。
 それはその人の心にある「可愛さを表現したい」というポジティブな「意図」を受け取って心の栄養をいただいている、ということなのでしょうね。
 もっといろいろ回って楽しませていただきたいと思っております。
 
 
 次に、作り手としての僕の「意図」の持ち方ですが。
 昔は、正直「意図」なんてほとんど持っていませんでしたね…。ただ描きたいだけだったり、漫画家になりたい、とか、原稿料が欲しいとか、そういう「見る人に向き合ってない」動機ばっかりで。
 でも、振り返って思い出してみても、どこか「自分の感覚を分かって欲しい」という他者に対して訴えたい欲求をえらく強く持っていたことはあったと思います。
 元々が寂しがりなので。
 その部分が、人に対しての意図を徐々に育てていったのかな、と感じます。

 総じて、持つ意図としては「楽しんで欲しい」以外には無いわけですが、どういった人にどう楽しんでもらうのか、のところは考えます。
 それが伝わるかどうか、は別の話になっていくわけですが。
 でも、今、何かを描いていく時に、暗いものは描きたくないよな、という気持ちはありますね。
 アホなものだったり、切ないものだったり、下品なものだったりしても、基本、ポジティブなもの…。で、少しでも生身感があって、情動のあるもの。そして、人としての関係性のあるもの。
 と、なってくるから、僕の描くものは地味なんでしょうね。

 僕は、エロを描いていてもレイプものや乱交ものは、描けないんですね。
 全然、描きたいと思えなくって。
 セックスをテーマにしても、基本一対一ですね。
 同人誌で描いている「7days fuzz」なんかはSMもので、暴力描写もいっぱい出てきますが、一方的なものではなく、関係性の上からの暴力として描いています。だから、双方にとっていろんな痛みをもたらすものになります。
 「暗いものは描きたくない」という話と矛盾しているかもしれませんが、そういった表現を使いつつ込めていく「意図」があるわけで、それは決してネガティブなものではない、と思っています。
 そして、その意図が伝わっていく時に、作品を楽しんでいただけることなっていくんだろうな、と思います。

 それは、作品が伝わっていくことなわけですが、間接的に、僕自身のことを知ってもらうことにもなるのだと感じます。

 そのことで、心のどこかが、埋まるような、そんな感じがするのでしょうね。きっと。
 そして、そこに「面白さ」があるから、なんだかんだで描き続けるのでしょう。

 
 最後にもう一つ。
 「意図」の持ち方の元になる部分。自分の心のありようについて。
 仕事が漫画家でサービス業なわけですが、自分の経験として思うことをちょこっと述べます。

 仕事でも同人誌でも、こうやってブログでも、「意図」を持って表現をしていく者として、その大前提に「人のことを絶対に悪く言わない」というものがある、と感じます。
 それは、人前では勿論、人のいないところでも。

 これは、個人的な経験則で、なんとなくの実感なのですが、人のことを悪く言ってしまっている時って、仕事が上手くいかないんですよね。で、言わなくなると、なんとなく上手く回りだす感じがあって。
 多分、同人誌でもなんでも一緒なんだろうな、と思うのですが、ネガティブな気分を持って、人のことをあれこれガタガタ言ってしまっている時って、作品が伝わっていかないし、伝わっていかないものになってしまっているのでしょうね。
 そういう時の人間性が、人を楽しませる状態になっていない、ということでもあるのでしょう。

 僕は…元々、すごく口が悪い人間でしたから…。
 なんでもかんでも人のせいにしていました。最悪の人間性ですよ。それで作品を伝えようったって伝わるわけがない。
 自分がそうだった過去というものは、ものすごく情けないのですが、でも、それは「過去のこと」であったと言えるようになりたいものだと思っております。
 まぁ、それは僕のしょぼい人間性からくることだったわけですが、でも、上手く作品が伝わっていかないことに悩んだり苦しんだりしている方がもしこの記事を見ていましたら、試してみるのもいいかもしれません。
 「絶対に人のことを悪く言わない」
 ということを。
 実際それは、作品を発信する人に限らず、日々「意図」を持って生活するあらゆる人にとって、大事なことなのかもしれませんが。
 つまりは、「人間性から意図が生まれてくる」ということなのでしょうね。
 だからこそ、面白い、ということなのかもしれません。

 自身の人間性を常に反省しつつ(本当に、常に反省していないとダメなので…)、日々の練習に励みながら、これからもあれこれ描いていきたいと思います。


 そんなわけで、久々の長文、長々と失礼いたしました。
 またです!

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コメント

ふと感じた事がありました。
だんちさんは「意図」って概念で「脚本」を描いてるんじゃないかなと。

本当に一言ですみませんです。
寒くなってきました。お体に気をつけてくださいませ。

投稿: ふらふら | 2007年11月 7日 (水) 02:27

ふらふらさん、こんにちは^^
長い記事を読んで下さって、コメントをありがとうございます。

>だんちさんは「意図」って概念で「脚本」を描いてるんじゃないかなと。

漫画の場合だと、ネームと呼ばれるものですね。仰る通りで、まさに「意図」そのものの集合体ですね。
「脚本」の段階だけでなく、絵そのものも意図を具現化したものですね。コマ割りも、背景も、仕上げも。
何を描こうか、と考える時は「意図」を発見する作業だとも言えます。

そういう作業を経て描いたものを、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです^^

こちらの体のこと、お気遣いありがとうございます。
お互い体調に気をつけていきましょうね!

ではでは、またです^^

投稿: だんち | 2007年11月10日 (土) 05:52

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