「AIR」テレビシリーズをDVDで一気に見た。
こんばんは、だんちです。
新しいPCを買いまして。それが昨日届きました。
いい音響といい感じのディスプレイが備わってるので、「これは、今こそ昨年末たこーすけさんから借りた『AIR』のDVDを見るべき時だ!!」と判断。
で、第一話から最終話までと、特別編までを一気に鑑賞しました。
ちょこっとその感想など書いてみたいと思います。
いやいやいや。大変面白かったです!
第一話からキャラクターの魅力、作品の空気感に惹き込まれ。
主人公、ヒロインに対する好感を中心に感情移入しながら、楽しく視聴しました。
仕事の合間に見ようと思っていたんだけど、2話まで見た時点で、「これは、部屋を暗くして浸り切って一気に全部見た方がいい」と直感して。
仕事をまずは一気に集中して進めて。
深夜から朝にかけて視聴したのですが、それは正解だったように思います。
自分の周囲の情報を遮断して、集中して見て。
テレビ番組ではあったわけですが、地上波ではやってなかったりだとか、最初レンタルは無かったりだとか、元々はPCゲームだったりだとか、そういうことが非常に納得です。
とても、インディヴィジュアルな作品といいますか。
僕にとっては、視聴しているその瞬間は、作品世界を誰かと共有するものではなく、個人的に、「その時自分だけが感じる時間」となる、そんな作品でした。
だから、部屋を真っ暗にして。
ヘッドフォンをして。
何も気にせず、ぼろぼろと泣くことができる。
それにしても、非常にアツさを感じる作品でした。
シナリオ。レイアウト。背景美術。カメラワーク。作画演技。声優さんの演技。
どれもが、野心とやる気と主張に満ちていて。
すごく漲るものを感じるフィルムでした。
これは、見るわ。
一話見たら全部見たくなるわ。
なるほど。たこーすけさんが一気にDVDを買い集めたのも分かるし、「見れ!」と深夜に車を飛ばして貸しに来てくれたのも、納得です。
「見たら絶対聴きたくなるから」とBGM集まで貸して下さったのですが、それも「なるほど」です。
この作品から感じるエネルギーは、相当ハンパないものがあります。
そのエネルギーから影響を受けないではいられない、見たら何かをしないではいられない、そんな力強さに満ちたフィルムですよね。
それにしても、背景美術。本当にすばらしいですね。あの空気感は本当にすごいと感じます。
そもそものレイアウトがまた非常にいいし。
すっごくレイアウト丁寧ですよね。
画って、意図から始まり、構図があって、そして描写があるわけですが。
構図(レイアウト)の丁寧さは、意図から生まれているところで、つまり、そこにアツさとか漲るもの、「やる気」というか、そういったものを感じるのでしょうね。
画というのは、やはり、そういうものだな、って改めて感じました。
そこの部分、漲って発散されてくるやる気、意図の部分があるからこそ、声優さんの演技もあれだけの名演熱演が生まれてくるのでしょうね。
やっぱり、小手先じゃなく、元にあるハートの部分っていうか。そこがアツいと、すげぇもんにしていけるっていうのは、これはもう真理なんでしょうね。
いや、素晴らしい!
それにしても。
テレビアニメーション作品として考えると、インディヴィジュアルな印象があったりとかして、むしろ「単館上映ムービー」のような感じがあって、そういった点も面白いな、と思えるところでした。
テレビメディアが大衆性よりも個人性(情報に対して個人が主体的にアクセスしていくニュアンス)にシフトしている部分は、かなりあるのでしょうね。
作品の世界観に関しても、思うところがあって。
「AIR」を見ていて、「これは、21世紀の作品というよりは、20世紀末の作品だよな。その意味では10年前に見たかったかもしれない」と感じていました。
というか。地上波放送でやっている「CLANNAD」を見ていても、そう思ったりしているんですけども。
作り手の発想に「あの頃」の「世紀末的叙情」とでもいいましょうか、そういったものが非常に根強くあるように感じるんですね。
なんてなことを思っていたら、「AIR」のゲームは2000年発売で、ギリギリ世紀末だったんですね。作っていたのはギリギリ90年代っていうことだし。
原作ゲームの発売時期や製作時期のことを知って、非常に納得しました。
僕個人の感覚としては、今、世紀末的な叙情を感じるものを見ると、心のどこかでシラケてしまって、苦笑いしてしまうところがあります。
「AIR」は、僕にとってはそういうところのある作品でもあって、その点で、感情移入に限界が出てきてしまいます。
ゲームが発売された2000年に、この作品を見ることができたのならば、もっと感情移入度は上がったんだろうな、とも思います。
このテレビアニメが放送されたのが、2005年ですか。
あくまで僕個人の感覚ですが、それはタイミングとしては遅い。
そのタイミングの遅さは、意図したものではなく、たまたまそうなってしまったのかもしれないけど。でも、そこにも面白さを感じるんですね。
世紀末的叙情を持った作品を、2005年を過ぎて楽しむ。
その感じ。
それは、どこか「あることかもしれない」とも思ったんです。
作品の持つノスタルジックな雰囲気。
テレビメディアの個人性へのシフト。
若い視聴者さんのことは分かりませんけれども。
もしかすると、僕くらいの30代の視聴者にとっては、「AIR」のような作品はダイレクトに「青春期を思い出させてくれるもの」なのかもしれませんね。
それは、作品のテーマとも絡んでくるところで、「やり直し」を、視聴によって体験することだとも言えるのかもしれません。
この作品が、視聴者を泣かせることを志向していることも、そういった部分があるかな、とも思えます。
「泣く」ということの機能について詳しくは知らないのですが、確か、何かリセット機能のような、「泣くことで、何かを終わらせて、そこからまたやり直す」というような、そういった心理的な働きがあったような…。どうでしたかね。
まぁ、そこは漠然としたこと(あるいは体験的なこと)なわけですが。
それでも、この作品の視聴体験が僕のような30代の視聴者にとって、「心理的輪廻(造語が多くてすんません)」を与えてくれるというのは、あることのように思えます。
そうなると。2005年放送というデータに対して「タイミングが遅い」という個人的な印象を持ったわけですが、実は、この後もっと年数が経って、それこそ僕らの年代が40代とかになって改めて見てみると、この作品から得られる「心理的輪廻」が更に強く、そしてよりポジティブに感じられるものになるのかもしれない。ということを思ったりもします。
つまりは、「俺もDVD買うか!」ってなことなわけですね。
こうやって感想書いたりはしつつも、このフィルムを自分が持つということは、誰かと何かを共有するためではなく。
いつでも。
そしていつまでも。
個人的視聴体験として、持ち続けるため。
なのかもしれません。
といった感じで。
「AIR」テレビシリーズDVD一気鑑賞の感想を終わります。
DVDを貸して下さったたこーすけさん、素晴らしい楽しい視聴体験の機会を与えて下さって、改めてありがとうございました!!
ではでは、またです!
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