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2008年1月23日 (水)

「褒める」こと。

 こんにちは、だんちです。
 20日に行われた同人誌即売会「長門祭『大好き』2」の後に行われた参加サークルさん達の飲み会にmaepyさんに誘われて参加してきました。
 イベントには行かず飲み会のみの参加だったのですが、とても楽しかったです!同席された皆様、お話をさせていただいた皆様、本を下さった皆様、そして誘って下さったmaepyさん、本当にありがとうございました!

 さて。
 それはそれとして、最近ちょっと思っていることをつらつらと書いてみたいと思います。

 いろいろ創作活動をされて作品を発表されている方に、作品を楽しませていただいた感想をあれこれお伝えしたりすると、「こうやって褒められるようなことは少ない」「褒められ慣れていない」と仰られることがあるんですね。
 僕は、メールや拍手コメント、直接お会いした時などに、「ここ、いい!」と思ったところをすぐお伝えしてしまう方なのですが(しかも口数多く…)、そういった時に上記のような反応が度々あったりして。
 で。なんとなく、それは「事実なんだろうな」と感じるんですね。

 僕は、このブログでいろいろ漫画などをアップしたり同人誌を出したりしていて、とてもありがたいことに、メールやコメント、ウェブ拍手コメントなどで、感想をいただいたり、お褒めいただいたりすることがあります。
 それが、相対的に多いかどうかなどは分かることではなく、僕にとっては、その一つ一つが絶対的なもので、誇張ではなく、本当に明日も何かを描こうと思える糧となっております。

 でも、それは、実はすごくラッキーなことで。読んで下さったり、コメントを下さる皆様に、ものすごく支えていただいて、助けられていることなんだな、とも思い、改めて本当にありがたいことと感じます。

 普段、僕も、楽しい作品をウェブやオフラインで楽しませてもらっていて、作品のことやその作品を作られる姿勢のことや、その作品から伝わってくる作られた方のお人柄のことなど、様々なことについて感想を伝えさせていただいてます。
 ありがたいことに、大抵の場合は喜んでいただけていると感じるのですが、同時に「褒められることがないので」という言葉もいただくことがあるわけです。
 その時は、意外に思うんですね。「えー?なんでだよ。なんで他の人は褒めないんだよ!!」って。
 だけど、すぐに「でも、そうかもしれない」とも思うんですね。

 
 「褒める」。という行為が、日常の様々な場面で行われていないことから、習慣的に「褒める」ということから遠ざかってしまい、多くの人にとって、気がつくと「褒める」ことは、どうしたらできるのかが分からなくなってしまっているのかもしれない。

 
 そういう風に感じます。

 学生さんは、普段学校の先生の授業や級友を褒めるだろうか。
 社会人なら、上司や同僚の仕事を褒めるだろうか。
 家庭にあっては、お母さんや奥さんの料理や家事を褒めるだろうか。お父さんや旦那さんが仕事で頑張っていることを褒めるだろうか。

 そういうことは、実は少ないのかもしれませんね。
 僕も、自分のことを思い返しても、学生の時分は授業を受けていて、批判はしても褒めるようなことはかなり少なかったように思います(好き嫌いの判断はして「あの先生の授業は好き」ということは言ったりはしていましたが、それとは別のことですね)。
 級友達に対しても、様々な努力を目にしていても、それを労ったり評価したりすることは、やはり少なかったかもしれません。

 仕事をしていても、若い頃は余裕がなく、「なんでこういうこと言われるんだ」「なんでこうなんだ」と仕事相手に対して不満を持ち愚痴の気持ちを持つことが多く、仕事相手の仕事内容のいいところを発見して褒めるようなことは、していませんでした。

 子供の頃は、母の料理を「美味しい」と口に出して伝えたことはほとんどなく、当たり前のように食いまくるだけでした。

 それが変わったのは、割と最近のことで。
 結婚生活も10年になり、配偶者から多くのことを教わって、少しずつ人のことを見る余裕が出てきたのかもしれません。
 そして「これはいい!」と思ったら、自分の中の感情や感覚にアクセスして、なんとか言葉をひねり出して感想を伝えることができるようになってきたのだと思います。

 同時に、アニメ感想をずっと書いてきたことも大きいのかな、とも思います。
 ある時点から「ネガティブなことは書かないぞ」と決めて、作品の感想を書いてきて。それが「見たものを評価する」訓練になってきていたのかもしれません。

 つまり、少なくとも僕にとっては、何かを評価することや褒めることは、人から教わったり、訓練したりしなければできないことだったのだと思います。

 そして、それが何も僕だけのことではないだろう、ということも感じるんですね。
 日常生活の中で、「褒める」という行為があまりに少ない、ということは、一人の生活者としてどうしたって感じることです。
 そうなってくると、「褒められることが無い」「褒められ慣れていない」ということに対して、「いやいや、ご謙遜を!」とは思わず、「あぁ、事実そうなんだろうな」と感じざるを得ないんですね。

 それは、やっぱり「勿体無い」ことだと思ってしまいます。

 褒められないからといって、創作をする人のモチベーションが簡単に落ちるかというと、そうではないとは思います。でも、上がるかっていったら、それもないですよね。
 そのことによって、創作物を受け取る側が、より多くの作品を楽しむ機会を失うことがあるのかもしれない。

 それは、日常生活でも一緒で。美味しいご飯を出してもらったら「美味しい」と伝える。仕事で頑張ってもらったら「いい仕事をしてくれた」と評価して労う。
 そうすることは、評価する側の生活自体を様々な形でスムーズにするものになるのかもしれない。
 逆に、そういうちょっとした一言を「サボる」と、いろんなところでギクシャクしていく原因を積み重ねていくことになっていくのかもしれない。

 では、どうしたらいいのか、と言ったら。学んでいくことと、訓練すること、になるのでしょうね。

 人の反応を見て、「こういう反応はスマートでいいものだ。見習おう」と学んでいったり、「こういうことは、言うべきではないんだな。または時と場所を考えなくてはいけないんだな」と観察していったり。
 人や物をしっかり見て、自分の心の動きなどを掴んでいったり、それを意識的に言葉にしていったり。

 僕も、冒頭で書いたサークルさん達の飲み会で一つ勉強になったことがありました。
 あまり数を用意できなかったのですが、初めてお会いする方が多いので、名刺代わりに以前画像をアップしたしおり(これこれ)をプリントアウトして持って行きました。
 で、同席した方々にお渡ししようと取り出してお見せしたその瞬間に、その場にいた女性二人がすぐさま「かわいー!!」と反応してくれたんですね。そういう反応を想定していたわけではなかったので、驚いて「ビクッ!」としてしまったのですが、同時に「なるほど、女性はこういう反応をするものなんだな」とも思いました。
 反応の初速がとにかく速い。
 で、シンプルな言葉で即評価する。
 その反応の良さは、「なるほど『困ったら女性向け商品を作れ』と商売の世界で言われるわけだ」、と改めて感じ入りました。

 僕のような男の場合、何かを見て「可愛い!」と口にするのは微妙なものがあるかもしれません。
 でも、今回の場合だと、学ぶべき点は、「反応の初速」と「シンプルな言葉」ということですね。
 何かを見た時、受け取った時、「これとてもいいですね!」という単純な言葉でもいいし「綺麗ですね」とか「素敵ですね」とか、すぐ口にできる言葉を持っておくことは、大事なことだな、と思いました。
 それを、無意識にでもできればいいのでしょうけど、最初は意識して訓練していかなければ難しいかもしれません。ただ、ボキャブラリーを持つことと、その瞬間にその言葉を口にしたり伝えたりすることにケチくさくならなければ、できることだろうな、とも思います。

 それは、初速の部分のことなわけですが。じっくり評価する時には、自分自身の感性や感覚、対象となる作品や人物に対する観察というものが、重要になるのだと思います。その上で、自分の中から「言葉を掘り起こしてくる」。
 その作業は、僕はアニメ感想などでここ最近やってきていたわけですが、なかなかに楽しいものだと感じます。
 作品などを鏡にして、自分を知る、自分を発見する、という作業でもありますから。
 でも、だからこそ、難しさもあるのかもしれません。

 自分自身を知り発見する、ということは、結局は自分と向き合うことだから、シビアなことでもあるのかもしれませんね。
 そうなると、「人を評価して褒めることは、自分に自信がないと難しい」ということにもなってくるのかもしれません。
 しかし、だからこその「訓練」なんだろうな、とも思うわけです。

 「自分に自信を持って何事かを評価する」。
 なんていうことは、やっぱり簡単なことではないと思います。だからこそ、それをできるようになるために、日々意識して訓練していく。僕もその訓練の途上も途上で、日々失敗だらけだと思っています。
 だけど、その失敗からまた学んでいくことで、少しでも何かを褒めたり、評価したりできる人間に近づいていけるのではないか、と感じます。

 何でもかんでも褒めりゃいい、ということではないでしょうけども。
 でも、「褒める」ことが少ないであろう現状を考えた時に、「褒めることの訓練、学習」は、今多くの人にとって必要なのではないだろうか、と感じます。

 皆さんも、日常生活の中で、様々な人や物事に触れていっていると思いますが、意識を持って「褒める訓練」を一緒にしてみませんか?
 「創作物に対する評価」が話のスタートだったわけですが、それに限ったことではなく。身近な人のちょっとした功績、努力を労い褒め称えること。それは、ちょっとだけ、自分自身の生活を潤すものになっていくかもしれません。

 僕も頑張っていきますので、皆様も、是非。ということで。

 ではでは、長くなってしまいましたが、この辺で今回の記事、「『褒める』こと。」を終わります。
 長文、読んで下さってありがとうございました!

**********

 そんなわけで、最近思っていたことを、なんとか言葉にしてみました。
 それにしても、今年は「漫画を描きまくる!」とか年頭に書いていたような気がするのですが、どうも久々に文章を書きたい熱が上がっているのかな、とも思います。
 他にもちょこちょこ書きたいものもあるし。
 そういう自分の欲求には、ちょいと素直になってみて、またいろいろと長文を書いていこうかなぁと思ったりしております。
 アニメ感想に関しては、とりあえず「ARIA」第三期を、書ける時に書く感じで。

 でも、「古泉対キョンバトル漫画」も、ネームが7ページまでできまして。
 これは、下書き状態でアップしていくつもりなので、近日中に7ページまでは公開できるかと思います。
 ニュータイトルは「虹~Because there is a rainbow~」というものに決めました。「ELLEGARDEN」というバンドの「虹」という曲がイメージソースです。「RIOT ON THE GRILL」というアルバムに入っているので、興味のある方は是非聴いてみて下さい。
 「BabyDog」は、ネーム的に難しいところに突入しているので、もちょっと先になっちゃいそうです。でも、頑張ります。

 まずは仕事がいい感じで切羽詰ってきていますので、更新頻度は上がることはないはずなのですが、逆にそういう時ほど上がったりもするので、自分でもどうなるか分からない感じですが、そういう状態が自分でも楽しかったりします。
 そんなわけで、楽しくいろいろ頑張ります!

 ではでは、またです!

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コメント

お久しぶりです。
女性の良く使用する「かわいい」という褒め言葉については
在学中に、レポートとして纏めたことがあるので
なんだか、懐かしい気分で読ませていただきました。

>反応の初速がとにかく速い。
>で、シンプルな言葉で即評価する。

とありましたが、女性にとって「かわいい」という言葉は
単なる「好ましい評価」を意味するだけではなく
人間関係を円滑にするための
コミュニケーションツールとして使われているんですね。
「このセンス分かるよ」「いいね」と相手を承認する言葉が
「かわいい」という単語みたいです。

ですから、女性の間では日常的に実に頻繁に
「かわいい」という言葉がやり取りされていますし
語義上の「可愛い」とは掛け離れていたものであっても
何か、自分の感情を動かされるものに対しては
ほとんど脊椎反射的に「かわいい」という言葉で
評価を下します。

ですから、何でもかんでも「カワイー!」と言う
女性方をボキャ貧だとか批判する声もありますけど
もとがコミュニケーションツールですから
言葉の意味は問題ないんですね。
そういう文化の下で生活してきているのですから
その反応の初速には頷けるものがあります。

一般に、男性よりも女性のほうが
コミュニケーションは優れているという風に
言われたりもしますが
単に、日本の男性には、褒め言葉を
本来の言葉の意味を抜きにして
褒め言葉を、クッションとか潤滑油として使う
という文化が無いだけなのですよね、多分。
実際、海外の男性の方、特にラテン系の方は
実に褒め言葉というのを流暢に使いこなしますし
それが、人間関係を円滑に進めるための
ツールであることを、経験的に良く把握してるのだと思います。


面白いのは、女子中高生を対象として実際の
「かわいい」の使われ方を軽く調査していたときに
強調表現が非常に多かったんですね。
「めっちゃカワイイ」とか「ちょぉぉぉカワイイ」
っていう感じで、強意語が頭に付くことが多かったんですが
ツールとして使われすぎていて
もはや「かわいい」だけでは、社交辞令になってしまっていて
強調表現で補強しないと、感動が伝わらない
というような印象を受けたりもしました。
女性の褒め言葉の文化、実に面白かったです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが
「人を評価して褒めることは、自分に自信がないと難しい」
という発言には、強く同意します。

ちょっと斜に構えて、作品を批判するほうが簡単なんですね
「違いの分かる自分」を演出したいという
心理もたぶんに働いているのだとは思います。
どうして「違いの分かる自分」になりたいか、と言えば
「褒める」「高評価を持つ」と「誤魔化されてないか?」
とか「大勢に迎合してないか?」と思ってしまって
そもそも自分の「好き」という感情を
信頼できていないんですね。

それだから、逆に「良い」「好きだ」と思っていても
自分の評価に自信が無いから
「自分なんかが"好き"なんて言っていいんだろうか?
 軽い気持ちで"好き"なんて言ったら
 本当に好きだと思っている人に申し訳ない」
なんて思って、結局評価できなくなったりもします。
・・・自分がそうだったんですが(汗)

ですから、自分が好きなものは好きと言える勇気を持つことと
もっと「褒める」ということを、一種のツールとして
肩の力を抜いて使ってもいいんじゃないかなぁ
なんて、そう思ったりもしました。


ものすごく長い文章になってすみませんm(_ _)m
失礼致しました^^;

投稿: 桜姫 | 2008年1月24日 (木) 11:41

こんばんは。ここのところ全然ブログの更新ができていないmementoです。

>そうなると、「人を評価して褒めることは、自分に自信がないと難しい」ということにもなってくるのかもしれません。

おっしゃる通りだと思います。
実際、僕自身、ブログのアニメ感想記事を書く際に、本音をいうなら嫌いな作品をとり上げて、ずらーっと悪口を書き連ねるほうがよほど楽なんですけど、それはしたくない…作品のよい部分に注目し、それに対しポジティヴな言葉を用いて評価したい、と思っていても、自信や気力が萎えている状態では難しかったりもしますし。
上で桜姫さんもおっしゃってますが、女性は「褒める」という行為を、瞬間的に、シンプルな言葉でできるんですよね。それは、女性的な文化のコンテクストがあるからでしょうが、(日本の)男にはそれがない…特に日本では、“以心伝心”とか“目は口ほどにものをいい”とかいって、気持ちを言葉で表現する必要性の薄い文化を形成しているところがあるから、そこの辺りも関係してくるのかもしれませんが。

後、30年以上男をやってて感じるのは、どうも男というやつは、対人関係において、やたら優位に立ちたがる心理的傾向が強いようだ、ということでしょうか。あくまで一般論としてですけど。
かくいう僕も、天邪鬼な性格も加わり「褒める」場合でさえ、
「なんかしら人とは違った、穿った表現で褒めてやろう」
みたいなスケベ心を起こしてしまいますし。
で、そのうちその“穿った表現”をすることに、目的の重点が移って、他人や他人の成果に対し、ストレートに「褒める」言葉を発するのが難しくなる、という本末転倒に陥ってしまうわけで。なんだってそう、ことあるごとに、自分の優位を確認しないと気がすまないんだ? と我ながら思ってしまいますけど、それだけ自分に自信がないってことなんでしょう。

どうも最後は愚痴みたいになってしまって申しわけありません。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたしますね。
それでは。

投稿: memento | 2008年1月25日 (金) 00:59

桜姫、こんにちは^^
長文を読んでくれて、しかも久しぶりにコメントをありがとう!
ご自身がレポートとしてまとめたことと関連のある記事だったことで、調査、考察を経た上での書き込み、とても参考になります!
また、ご自身の体験についても書いてもらえて、資料データの一つとして論を補強するものにしていただけたと思います。ありがとうございました^^

コミュニケーションツールとしての「かわいい」を、初対面の女性相手に体験したのは、なかなかに久しぶりで。あの初速には本当に驚かされました。

「そういう文化」ということでいうと、その発現と実効性を目の当たりにした瞬間で、いい経験でした。
ボキャブラリーが貧困であるとかっていう批判は、まぁ、受け取り方もあることでしょうね。
「かわいー」に含まれたニュアンスをどう受け止めるか、という部分。
言葉に出てきたものとして「かわいー」という同じ言葉であったとしても、その中身にはいろいろな違いがあるだろうな、ということは感じます。
発言者がそれを意識的にしているか無意識的にしているか、のところでは、意識して使い分けていくと「かわいー」という言葉そのもののボキャブラリーの幅が広がっていくことになるのでしょうね。

サッカー日本代表前監督、イビツァ・オシム氏は、選手を褒める時の「ブラボー!」という言葉を、ニュアンスによって何種類も使い分けていたそうです。
それは、当然、選手の心理に働きかける影響を計算した上でのことなわけですが。

「かわいー」という言葉が、コミュニケーション相手に対するポジティブな心理的影響をもたらすツールとして使われている文化的歴史を感じる時に、「かわいー」には強調語の付加も含めて、様々なニュアンスがあるだろうな、ということを感じます。
つまり、一つの褒め言葉であっても、使い方、ニュアンスのこめ方によって、より上手く印象を伝えていくことはできるだろうな、と思うんですね。

素早く反応できるシンプルな言葉をまずは何か一つでも持つことで、実は、伝えていくことの幅は広がっていくのだろうな、ということを思うわけです。
やはり、非常に学ぶべき点と考察すべき点の多い体験だったと改めて思います。

日本男性の褒め言葉文化の欠如は、おそらくは歴史背景が影響しているのだろうな、とは思います。
戦後の結果主義教育とバブルは、でかかったんじゃないかなぁ、って。
損得が基準になってくると、「自分が得しないと褒めない」ということになっていきますから。褒められる方も「利用しようとしてんじゃないのか?」ってなって、経験と賢さのある人は「褒めない人を信用する」という現象もあったと思います。
日本語は、美しい表現、含蓄のある表現が沢山ある言語ですから、褒め言葉の再発掘、再発見は是非していきたいものですよね。

そこで重要になるのは、例として上げてくれたラテン系の男性のような振る舞いはどこから生まれてくるのか、のところで。心根のところですね。
今回の記事では、批判性を弱めるために言葉としては散らす程度にとどめたのですが、「サボる」ことや「ケチくさくなる」ことに対する自己批判がまずは必要だと感じます。
要は、「ちょいと褒めることを、いちいちケチるなよ。そこをサボんなよ」ってことですね。
そこをサボっておきながら得したいっつったって、そんなもんへそで茶を沸かしちゃうぜって話でさ。

損得ではなく、人間性、人格を高めていく方向に意識を向けていく時。そこに自身の未熟を認めて学んでいくことが大切だよな、と思います。

>「人を評価して褒めることは、自分に自信がないと難しい」

ということに関して、同意していただけて、すごく嬉しいです^^
これはつまり、「人を評価して褒めることができないのは、お前自身がちっぽけで自信が無いからだ」ということにもなりますから、まっすぐ受け止めることは難しいことだと思います。僕も、言葉にして書くことにためらうところがありました。
でも、そこの言葉の意味を真正面から受け止めてもらえて、書いた甲斐があります。

>「違いの分かる自分」を演出したいという心理

というのは、非常に分かります。
つまり、「相対」なんですよね。自分の中の絶対評価ではなく、他者の中での自分の立ち位置が前提になっていることなんですよね。これは、ほとんどの人が経験することだと思いますし、僕もそうでした。

考えてみると、このことにおける「自分」というものの在り方そのものが相対になっていて、「自分」になっていないんですよね。
「自分とはいかなる人物なのか」があってこそ、他者との相対が生まれてくるのに、相対を前提として自分を形作ろうとする。
だから、結局のところ、その立ち位置からあれこれ批判したところで「どこかで聞いた言葉」でしかなかったりするんですよね。

>それだから、逆に「良い」「好きだ」と思っていても
自分の評価に自信が無いから

そう。それ、すごく分かることです。
僕も、人に「『ハルヒ』や『シャナ』が好きでさ」、という話をして、「でもさ」みたいに言われたりすることがあった時に、「いや、こういうところがね」とか「自分にとってはこういうもので」とか、あれこれ言葉を重ねていたことがあったんですね。
だけど、後になってから「なんで自分が好きなものを好きということに言い訳しなくちゃいけないんだ?」と思って。
それは、「でもさ」と返してきた人が悪いわけではなく、自信を持って「何?俺は『これが好き』っていうことに、いちいち言い訳しなくちゃいけないわけ?」と言い切れなかった自分に問題があるんですよね。

逆に、最近大好きでよく聴いているバンドのELLEGARDEN。インディーズでこつこつやっていた彼らのアルバムが突然大ヒットしちゃって、彼らを取り巻く環境が一気に変わってしまったんですね。僕はその大ヒット以降のファンなわけですが、それまでのファンの方で、「最近の彼らを取り巻く状況が気持ち悪い」と嫌悪感を抱く人も、やはりいるわけです。
だけど、思うんですね。「悪いけど、気持ちは分かるけど、だからってあなたに遠慮して聴かないとか絶対にないから」って。

俺は、俺の好きなもんに言い訳しないし、遠慮なんかしないよ。

っていう、そういう自信の持ち方は、僕にとっても簡単なことではないわけですが、やはりそれは自身の心との対話を続けていくうちに身に着けていくことで、訓練して積み重ねていくことなんだろうな、と実感しています。

そして、その訓練にとって大きな要素となるものとして、桜姫が言ってくれている「勇気」と「肩の力抜く」ということは、キーワードとしてとても重要だろうな、と感じます。
とても勉強になる有意義な書き込みをありがとうございました^^

>ものすごく長い文章になってすみませんm(_ _)m

いえいえ。全然長くないっすよ^^
もっと、どんと来い!!
僕の方こそ刺激を受けてたっぷり長々と語らせていただきました。
是非また書き込んで下さいね^^

ではでは、またです!

投稿: だんち | 2008年1月26日 (土) 06:12

mementoさん、こんにちは。今回も長い記事を読んでくださって、コメントをありがとうございます!

ブログの更新が滞っていらっしゃるのは見ておりましたが、お元気そうで何よりです。お忙しいのでしょうか?体調を崩したりされてないとよいのですが。

>「人を評価して褒めることは、自分に自信がないと難しい」

に対する同意をありがとうございます!
桜姫へのお返事にも書きましたが、このことを受け止めて同意されるということは、なかなかにシビアなものがあるように思います。
書いたことを真正面から読んで受け取っていただけて、すごく嬉しいです^^

>自信や気力が萎えている状態では難しかったりもしますし。

すごく分かります。心身のコンディションによって、出てくる言葉が違ったりしてしまうんですよね。
その辺は対人関係でも一緒ですよね。

日本の男が、褒めることや気持ちを表現するテクニックを必要としない文化を形成してきてしまっていた、ということに関しては、やはり歴史的な振り返りは必要なんだろうな、と感じます。
いつも言っていることと一緒になってしまうのですが、日本人の情緒が淡白になってしまったのは、戦後教育、損得教育の影響が強いと思うんですね。
歴史的、文化的なことを振り返ってみた時に、「礼節」という部分に、気持ちの表現をすることの大事なヒントがあるんではなかろうか、ということを感じます。

ちょっと前に言われていたような、「物質主義」的な価値観。それが、「無礼者」を大量生産してしまうところがあったのかもしれません。教育もあって、多少能力のある者は増えたのかもしれませんが、人間としては洗練されていないことによって、様々な問題も出てくるのでしょう。
それは、簡単な話で「そういう教育を受けていない」ということだと思うんですね。
女性が「かわいー」とすぐ口にすることが、人間関係を築いていく上でのテクニックでもあるのならば、それは、後天的な部分もある、ということだと思います。
それで、「なるほど。訓練しなくてはいかん」と、思うんですね。
訓練を積み重ねて、気持ちを表現することを覚えていくことで、心身のコンディションに左右されない、評価者たりえるのかもしれません。
お互い30越えておりますが、まだまだ共々にいろいろ学んでいきたいですね^^

>後、30年以上男をやってて感じるのは、どうも男というやつは、対人関係において、やたら優位に立ちたがる心理的傾向が強いようだ、ということでしょうか。

このこともまた非常によく分かりますし、この傾向に関して考えていくことも、有意義だと感じます。
昔のことでいうと、プラトンやアリストテレスというような哲学者はレスリングをしていたそうです。
いわゆるグレコローマンスタイルで、テクニックよりも腕力がものをいうスタイルの。
それはつまり、「ものを言う資格があるのは、強くて美しい(筋肉美ですね)者」ということだったそうです。
乱暴な話だけども、非常によく分かるというか。
ある意味、「それが男」だよな、と思います。

現代にあっても、この単純さは学ぶべき点があるように感じます。
「発言によって優位性を確保する」のではなく、「自らの立場を力によって築き上げてから発言する」という部分。つまり「バックボーン」ということですね。
「俺は、こういう人間で、こういう力を持っている。だから、これを言う」
という、立ち位置のところですね。

僕の場合だと「漫画家」ということがそうですし、たこーすけさんだと「化学者」であることや「ドラマー」であることなんかがそうですよね。
てりぃさんの記事だと「一家の主としてお子さんを立派に育てていらっしゃる方」の記事として読ませていただいていますし、mementoさんの記事を読ませていただく時には「読書家」として非常に多くの本を読まれている方の記事という捉え方が僕にはあったりします。

人がどこをリスペクトするのか、のところは、自分ではどうにもできないところなわけですが、先の「礼節」のことと並んで「男としての力」の部分もまた鍛えていかなければいけない部分なのでしょうね。
そこはもう、男の宿命ってことで。
やはり、これに関しても共々に頑張りましょうね!^^

桜姫が女性からの書き込みをしてくれて、その上でこうしてmementoさんに男性の立場からコメントをいただけて、僕にとってはとても勉強になる有意義なエントリーになりました。ありがとうございました^^

お返事の内容を考えている時間が非常に楽しく、そして、ついついまたこうしてたっぷりと長々とお返事してしまいましたが、今年もまた、どうぞよろしくお願いいたしますね!!

ではでは、またです^^

投稿: だんち | 2008年1月27日 (日) 17:03

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