みくると長門の一人称についてメモ。
こんにちは、だんちです。今昼ですがこれから寝るだんちです。
「涼宮ハルヒ」シリーズの二次創作をやっていて、キャラクターの一人称などに気を遣うことがあるわけですが、それについて、原作を基に(つまりある程度の原作ネタバレ前提)メモ書きを。08・1・16・23:50若干追加
私信。
>おちゃつさん。
ARIA三期楽しく見ておりますよ!感想どうしようかなぁと思っていたのですが、楽しみにしてくれているなんて聞いたら黙ってらんねーっすよ!起きたら一話と二話の分まとめてざっくり書きますねー。
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一人称。
ハルヒは「あたし」なわけですが。
描いていると、たまに台詞で「私」と打ってしまうことがあります。「SweetHome」の序盤でもあったわけですが、「涼宮ハルヒさんの危険な愛体験」でも一ヵ所ありました。今後のプリントアウト分に関しては訂正しまする。
みくる嬢は「あたし」。
のはずだと思っていたんだけど、「わたし」と言うこともしばしば。
原作を全部読み返したわけではないんだけども、どうも「自分が受けた任務を自分が遂行する時」は「わたし」になる傾向がある気がする。
「笹の葉」では最初っから「わたし」だったけど、それが意図して使われていたのであれば、「みくるが何かしら任務を遂行しようとしている」サインであったのかもしれないですね。
「あたし」の時は、任務を何も受けていないか、巻き込まれている状況(「陰謀」の時とか)か。
その仮説に則ると「朝比奈みくるの憂鬱」時に、任務を受けながら一人称が「あたし」だったことは、「未来人としての自分(あるいはその役割)」を見失っていたから、ということの内面描写として受け取れるのかもかも。
なんてな前提で一人称を使い分けると、二次創作でも深みが増すやもしれない。
長門嬢。
基本「わたし」。
のみ、だと思っていたけど、「あたし」と言ったりもするんですね。
一人称のことを意識してパラパラと「憂鬱」を見直していたら、キョンの「また襲われたりするのかな」という問いかけに対して、
「あたしがさせない」
と答えている。
マジっすか。これだけ重要なところで間違えるとも思えないから、これは意識して使い分けているんだろうなぁと思って、アニメ版のこのシーンをDVDで確認。
バックの「冒険でしょでしょ?」のヴォリュームがそれなりなので、若干聞き取りにくい。「わ」と「あ」の中間のように聞こえなくもない感じ。
でも、何度も聴いてみると、「あたし」と言っているように思える。台本も「あたし」なのかも。
「消失長門」も「わたし」だし、人間っぽさをどんどん獲得していっても「わたし」だから、「あたし」と言うっていうのは、かなりのイレギュラーってことでしょうかね。
時間的に全部読み返していないけども、他にも「あたし」と言ってるのだろうか。今度探してみよう。
長門がハルヒをモデルに作られたという自説(原作未読時点に書いたこれっすね)に則ってみると、長門に潜在している「ハルヒ気質」が表面化した時、「あたし」と言う、なんて仮説もありかもしれない。
「憂鬱」での台詞に関しては、「長門個人の自己主張」として際立たせるため、ということがメインなんだろうけども。
二次創作で使う機会は今のところは思い浮かばないけれども、気に留めておこう。
また、何か気がついたらメモしよう>自分
とりあえず、佐々木嬢は「僕」。
キョンのことは「キョン」あるいは「キミ」と呼ぶ。
バリエーションやシチュエーションによる違いは、要確認。
鶴屋さん、喜緑さんも要確認。
ってなところで。
ではでは、またですー。
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