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2008年4月12日 (土)

落書きと学習機会メモ。

 こんばんは、だんちです。仕事やら同人作業やらの合間の一服タイム。ちょっと落書きと、創作テーマに関してここ最近のアニメ視聴を通して思ったことを学習機会として乱雑にメモ書き。
 落書きは、7月10日発売予定のPS2用ゲーム「ペルソナ4」の里中千枝ちゃんを。
Satonakachie

 
 
 
 
 
 
 
 千枝かわいー。でも、副島さんのキャラはホントに難しい…。
 ゲームで千枝がどんな感じに描かれるのかはまだ分からないのですが、とにかく千枝かわいー。
 「ペルソナ3」でのヒロイン、岳羽ゆかり嬢は外見は無茶苦茶好みだったんだけど、とにかく性格が可愛くなくて、それが逆に愛らしいという子だったので、弄ってひーひーゆわせることしか考えられなかったんだけど。
 千枝は。
 チンコ握ってもらうくらいでいいです。
 それだけで満足できます。

 ファミ通見ながら描いたけど、どうしたらあの可愛さを再現できるのだろうか…くそぅ。また挑戦してみます。

**********

 学習機会メモ。

 4月新番のアニメをちょこちょこ見てて、自分の中ではっきりしてきたことがあって。
 それは、「いい男」「いい女」が描かれていないと、今の自分は興味持てないんだな、ということです。

 見た目も勿論だけど、性格、行動、言動などで、「うぉ!こいついい男だな!」と思えたり、「この子はいい子だ!いい子だね!」と思えたり。
 そういうのがないと、興味が持続しないし、自分の中で見る意義を見出せないんだな、と感じます。

 その傾向は、昔っからあった部分だとは思うんだけど、4月新番の視聴体験によっていよいよ明確になってきたように思います。

 「ブラスレイター」見てて、絵も声もちょーいい男がばんばん出てきて、「うお!たまんねぇな!」と思ったことが、一つきっかけになってるところもあるかもしれません。
 「マクロスFrontier」を見ていても、「いい男」「いい女」のドラマになっていきそうでワクワクするし。
 「SOUL EATER」も(原作未読)、「クールになりたい」という願望を持っている主人公(で、いいのかな?)は、つまり「いい男」を目指しているわけだから、その欲求とドラマに共感を覚えるし。
 「S・A」を見ても「光、いい女だな!」と思うし。
 そういや、「xxxHOLiC◆継」でも、連続エピソードになったことで登場人物達が「いい男」「いい女」像を前面に押し出してドラマを見せてくれそうだという、そういう期待感を持って視聴しているように思います。

 実際、そのことは自分の作品傾向にも表れているんだろうな、とも感じます。
 ハルヒの二次創作で「SweetHome」を描き終えて、「やっぱり次は『虹』しかない」というのが自分の中にあって。あれ、別に「格闘もの」を描きたいだけでやってるわけじゃなくって、感覚的なところで直感みたいなもんなんだけど、「『かっこいいキョンや古泉』を描きたいし見てもらいたい、それが今は正しい」、と思えたんですね。

 それは、「萌え」から離れるというニュアンスではなく、「萌えるもの」の中身が変化してきた、という感じかもしれない。

 僕にとっての「萌え」は、ドーパミンを刺激するもの、という認識があって。その対象に触れることによって脳内麻薬が出て気持ち良くなったり活性化したりする、ということですね。

 ちょっと前までは、日常ドラマ的なものだったり、人間的な情の麗しさだったり、ポジティブな姿を見せてくれるものだったりが、特に好きだったように思います。
 その段階を踏まえて、今は「いい男」「いい女」のドラマを見たいし、描きたいんだな、ということなのでしょう。

 考えてみれば、今自分が竹書房でシリーズとして原作(ネーム)を描いている「忘れさせ屋」も、結局は「いい男」の話なわけだし。
 それは、意識しないでやっていた部分ではあるんだけど、今後はもっと意識してその部分によって読後満足感を演出できたらいいな、と思います。その指針を持つことで、より明確にドラマを作っていくことができそうな気がするんですね。

 こうやって、新番組を見ていると、「あぁそうか。今、みんな『いい男』『いい女』を描きたいんだな」という共感を覚えます。

 漫画だと、「うだつのあがらない主人公」が、ストレスを抱えている状態から物語がスタートして、何かに出会ってポジティブな変化を遂げていく、というドラマが定型の一つとしてあったりします。
 あと、「平凡」とか「普通」とか「何の変哲も無い」とか。そういう主人公像は、漫画に限らず多くあるものでしょう。

 それが求められる必然というものも、絶対にあるんだと思います。

 でも、なんとなく(やっぱり感覚部分で)今はそういう時じゃない気がするんですね。

 「マクロスFrontier」の主人公なんか、「美形であることにコンプレックスを持っている」わけですよ。そういう主人公がどういうドラマを見せてくれるのかといったら、やっぱり「人間としての中身」ということが、カウンター的に出てくるのだと思います。
 「いい男」「いい女」の外見は入り口で、そこをとっかかりにして惹き付けられて、その人物達の「中身の格好良さ」を感じるドラマに「感情移入して」見る、そういうエンターテインメントの必要性。
 そういう時代性というか、空気というか、そういうものがあるのかもしれない。

 ちょっと前まで、物語の持つ「日常」と「非日常」の行き来の機能のこと(ポジティブな意味も含む現実逃避機能)とかが、学習機会としての考察テーマにもなっていて、その辺り書ききった感があったからアニメ感想を書くことからは離れていましたが、どうやら新しいテーマを見つけたようです。

 「物語」が持つ、人を育成していく機能(人の心に影響を与えていく機能ですね)のことを思うと、「物語」の世界だからこそ、「いい男」や「いい女」が必要な、そういう時なのかもしれません。

 「なりたい自分」像、あこがれ…それを、作る側も見る側も作品を通してぶつけていくことで出てくる「中身の格好良さ」…。
 あぁ!
 ちょっと今思ったけど、それはつまり「教育」だ。

 「教育」が必要な時なんだ。きっと。

 アニメや漫画はまだまだ若いメディアだけど、携わっている人達の年齢は確実に上がってきていることで、そのことが可能になってくるというのもあるんだろうけど。
 必然性も、そして順序も、やはりあることでしょう。

 ちょっと前まで、「そこからもう一歩前へ出てみよう」「ポジティブになってみよう」というような、ある意味「心のあり方」に関わってくる物語が必要だったようにも思うんだけど、「その先」ということになってくるのかもしれません。

 「じゃあ、そこからどう生きていくのか」
 という部分。

 そして、それが求められる必然性。
 「物語」が必然性を持って生まれてくるのであれば、そういう状況が、何かしらあるのでしょう。

 なんとなく。それはポジティブな変化な気もする。

 やはり、「物語」は人がより良く生きていくことをサポートするもの。今、その役割を果たしていくものは、どういったものなのか。
 今後も、見る者として、作る者として、様々な作品に触れていきながら学んでいきたいものです。

 ちょっとメモ書き、くらいのつもりだったのに、またも長文になってしまった…。
 でも、楽しい。
 新しいテーマを見つけられたことは、胸躍る体験でございます。
 楽しく仕事ができそう。
 そんなわけで、仕事に戻ります。

 ではでは、またです!

 *どうもココログのトラックバック送受信が不調のようなので、記事末にリンクを貼らせていただきます。記事を紹介して下さってありがとうございました!

 「名で充ちた空」様「マクロスフロンティア第2話鑑賞時点感想」

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コメント

こんばんわ。
いや、今回色々考えさせてもらいました。
自分も漫画の原作をやってて出来ればプロになりたいなどと思っているのですが、どうも自分の世界観というものにぐらつきなど感じることもあるんですね。
エンターテイメント性ってやつがどうも分からない人でして。
だからこそブログとかでSSやってみたりもしてるんです。
まだまだ自分も学習あるのみですね、反省の毎日です。
こういう機会があるのも良いですね、ありがとうございました。

投稿: 蔵人 | 2008年4月13日 (日) 02:41

押忍! “ヒーロー物語には教育効果がある(確か「いろはにほへと」の記事で以前にもいったことありましたっけ)”説を信奉するmementoっす!
「マクロスF」は見たら意外と漢アニメで、おかげでなんか口調が普段と違ってるっすが、気にしないでください!!

>チンコ握ってもらうくらいでいいです。
>それだけで満足できます。

まったく…だんちさんらしくもない志の低いお言葉ですな! 握ってもらった以上は、ついでにそのチンコを、口に持ってってもらわないでどうする!
…と思ったんですが、こういう子が、恥じらい戸惑いながらういういしくぎこちない手つきで握るのを想像したら、手をつかわずに昇天できそうな気がしてきて、無駄に想像力があるのも考えものだな、と思いました。

>「なりたい自分」像、あこがれ…それを、作る側も見る側も作品を通してぶつけていくことで出てくる「中身の格好良さ」…。
>「教育」が必要な時なんだ。きっと。

教育的効果のことを考えたら、“格好いい”ヒーローないしヒロインは、絶対に必要だろうと思います。あんまりモラルに適ったいい方じゃない上に、乱暴な決めつけでいってしまうんですけど、
「格好悪いやつのいうことには説得力がない」
というのは、真実だろうと思いますので。もちろん、格好よさというものをどう定義するかは人それぞれでしょうし、僕のいう“格好よさ”も、だんちさんのそれと同じく、外見的なことはあんまり関係ないんですが。

「いい男」「いい女」が出てくる作品が、求められて多く登場しているのだとすれば、確かにポジティヴな変化じゃないかな、と僕も思います。作品の受け手としては、フィクションを現実からの避難場所、休息所として活用する受けとり方も、当然あるわけで、それはそれでとても重要なフィクションの役割でしょうし、「うだつのあがらない主人公」系の作品の多くはその役割を担っていて、それは今でも有効だろうと。
ただ、いつまでも休息所で休んでるわけにもいかないので、そろそろそこから出て歩き出そうか、となったときに、歩き出すのを促してくれるメッセンジャー役には、やはり“萌えキャラ”よりは“格好いいキャラ”のほうが、ふさわしいのではないかなと思います。
たぶんですけど、“格好いいキャラ”というのは、自分がそういう人間になりたいと憧れるがゆえに目標であると同時に、今現在の自分が到達できないポジションにいるという意味で、“敵”でもあるんじゃないかな、と。敵といって悪ければライバルでもいいんですけど、とにかく、自分を駆り立ててくれる存在ですよね。ああいう人間に近づきたいし、できれば超えたいと思える存在に対しては、愛情と敬意と、ある種の敵愾心の混じった感情を抱くのが、普通なんじゃないでしょうか。
対して、萌えキャラというのは、自分を保護し、支え、慰めてくれる存在であって、そういう相手には敵愾心の入り込む余地はない…からこそ、目標にはできないでしょう。まあ、端的に“格好いいキャラ”は父親で、“萌えキャラ”は母親だ、といってしまってもいいかもしれませんが。

僕の文章では、格好いいと萌えとを切り分けてますけど、だんちさんが、「虹」で格好いい古泉やキョンを描きたいと思われた衝動のことを、「萌え」から離れるのではなく、「萌え」の中身が変わった、とおっしゃっているのは、その後の、どちらにしても刺激を与えてくれる存在だ、という言葉同様に、なるほどと思いました。
確かに“格好いい”も“萌え”もセクシュアルな魅力である点で同じだし、それに父親と母親、どっちも必要なものですしね。
男が男に萌えることも、女が女に萌えることも全然可能で、実際、萌えてる人たちは少なくないんだと思いますが、女性的な男キャラの女性的部分に萌えたり、その反対だったり、というのではなく、男キャラの男性的な部分に萌える感情、女キャラの女たるゆえんに萌える感情というのが、“格好いい”ではないかな、と思ったりします。

久々の長文でございました。「マクF」は僕のブログのほうでも追いかけていく予定なんですけど、後二本はどうしようかなあ…今期は「RD 潜脳調査室」も結構いいな、と思ってるんですけどね。あれも格好いいお爺ちゃんが主人公のお話ですし。
ま、とにかく失礼いたしました。
それでは。

投稿: memento | 2008年4月13日 (日) 22:22

>蔵人さん、こんばんは。長文を読んで下さってコメントをありがとうございます^^

≫自分も漫画の原作をやってて出来ればプロになりたいなどと思っているのですが、

お!じゃあ将来は同業者ですね!是非頑張って下さい!
エンターテインメント性っていうのは、人の心に対する向き合い方になってくるんだと思います。
数値化する人もいるだろうし、徹底して取材をする人もいるだろうし、心理学的に分析をする人もいるだろうし。アプローチの仕方はいろいろあるのでしょうね。
僕は、「一人の人を喜ばせることが、多くの人を喜ばせることに繋がる」というのが基本だと思っています。
その意味では、蔵人さんもやっていらっしゃるように、ブログでSSを書いたりすることは、ミュージシャンがストリートで演奏するように、とても意義のあるものに思えます。

僕も、こうしてブログをやることで、様々な学習機会を得ています。そのうえで思ったことを忘れないように、しょっちゅうこんなことを書いているのですが、それが少しでも何かお役に立ててればとても嬉しいです。
共々に頑張っていきましょうね!

ではでは、またです^^

投稿: だんち | 2008年4月16日 (水) 18:27

>mementoさん押忍!!こんばんは!長文を読んで下さって久々の長文コメントありがとうございます。楽しく読ませていただきました^^
そして、こちらも長文レスです!

≫“ヒーロー物語には教育効果がある

確かに仰っておりましたね!僕もやっとその説にたどり着いたようです^^
そしてまさに、その教育効果が必要な時が来たように思っております。
同時に、その教育のあり方として、僕は「物語は体験」だと思っているわけですが、「格好いい主人公に自分がなって物語を体験していくことによって学んでいく」ということになってくるのだと思います。

格好いい主人公や登場人物は、視聴者との距離があって感情移入できないのではないか、という観点もあると思うんですよ。でも、実際は意外なくらいそうではないと思うんですね。そのことも実証されていけば、物語を作る者としては非常にありがたいことでもあります。
増えてきたように思う「いい男」「いい女」像の物語がもたらす効果について、様々な観点から注目していきたいと思っております。

「マクロスF」、シンプルな漢アニメで、とても面白いですよね。
非常に楽しく視聴しております。

≫…と思ったんですが、こういう子が、恥じらい戸惑いながらういういしくぎこちない手つきで握るのを想像したら、手をつかわずに昇天できそうな気がしてきて、無駄に想像力があるのも考えものだな、と思いました。

そう!それが重要なんですよ!
想像力。
萌えていくっていうのは、対象に対して想像力を働かせていくことで、それは自身の心の活発な活動なんですよね。
その意味では、僕はランカにも握ってもらうだけでOKです^^
だから、萌えは定型化されるものではなく(大衆化されることで必然的にアイコン的になってしまうのは仕方ないわけですが)、もっと個人個人にとって瑞々しいものだと思うわけです。
だからこそ、「萌える対象が変わる」ということがあるんだと思うんですね。

そして、その想像力こそ、物語を体験たらしてめて、物語の教育効果を高めるものだと感じます。
結局のところ、想像力は人と接する時にも非常に重要になるものなわけじゃないですか。相手の表情、声の様子、雰囲気。そういったものを感じ取っていって想像力でもって相手の心を推し量っていく。
そしてまた、「手をつかわずに昇天できそう」というように自身の心に対しても想像力を向けていくことによって、自身のことも捉えていくことができる。

その想像力があるからこそ、mementoさんは「ヒーロー物語には教育効果がある」ということを実感として感じていらっしゃるのかもしれませんね。

物語やキャラクターは、人の想像力を活性化する効果があるのだと思います。
ただ。
そうなってくると、人の想像力を減退させるものは、何なのか?ということもまた考察対象になってきますね。
逆に。教育によって人の想像力が減退する、という現象もあるのかもしれません。それは、僕らが80年代に受けてきた教育による弊害などもそうなのでしょうね。勿論、90年代、現在の教育においてもまたそういったことはあるでしょうから、つまりは「想像力の余地をつぶす」教育というものが様々な形であるのでしょう。
…あぁ。なんか、ニュータイプ論、オールドタイプ論みたいになってきますね。
何はともあれ、物語の教育効果のヒントとして想像力の活性化というものがあるとするならば、想像力を減退させるもの、というものを見つけていくことも重要であるように感じます。

≫「格好悪いやつのいうことには説得力がない」

というのは、確かにありますよね。同じことを言っていたといても、発言者によって聞く側の印象は確実に違うし。
だからこそ、何かを伝えていく時に、「格好良さ」というものは重要になってくるんですよね。
そして、教育効果を考えた時の「格好良さ」は、努力も苦悩もなく手に入れたものではないだろう、ということも思います。
その意味では、「マクロスF」でアルトが拳で殴られるという肉体的シーンはとても重要だったように思います。
殴るべき時に、殴るべき男が、殴る。
そしてそれが殴られるようなことであることを知る。
まさに漢の世界で、物語を通してそのことを知り、学んでいけることは視聴体験としてとても有意義なものがありますよね。

休息所から歩き出す時のメッセンジャー役が「格好いいキャラ」というのは、仰る通りだと思います。
その存在が憧れと同時にライバルである、という観点に、mementoさんらしさを感じて、なるほどなぁと思うところです。
僕にはそういった見方が無かったので、非常に勉強になりますし、大いに刺激を受けてまたあれこれと考えてしまいました。

僕は物語を「体験」として捉えているので、見ているキャラクターに同化して感情移入していく見方として考えると、そのキャラクターが対象化されてライバル視されるということは考えていませんでした。
つまり、「格好いい俺」になるっていうことですね。
対して、美少女キャラのように、アイコン化された萌えキャラということになってくると、対象化され、感情移入からははずれていくか、というと、実はこれもそうではないのでは、と思ったりもしています。
男視聴者の場合、女性としてだったり少女としてだったりの人生というものはありえないものなわけです。だからこそ逆に「女装する」かのように、積極的に美少女キャラに感情移入する、ということがあると思うんですね(そこで「美少女に感情移入する」というのがまた図々しいわけですが)。
それは、ある意味強烈な「自己肯定」プロセスであるようにも思います。
ただし、過剰な感情移入、完全な同化意識までは持てないところで、対象化されるところは絶対的にあるところで、癒し効果が望めるのだろうと思えます。
自己肯定と他者肯定が同時に存在するというか。仰られるような母親的な部分で考えると、母親を肯定することと、母親に向き合う自己を肯定する、そういう部分もあるのかもしれません。

≫自分を保護し、支え、慰めてくれる

ことを、感情移入をベースに自分自身で成し得る、ということにもなるのかもしれません。
そのプロセスがあって、次に「格好いい俺」になれるんじゃないだろうか、という感じ方を僕はしています。
それは、僕自身が、主観の塊であるからかもしれませんし、だからこそ一つの物語で何人かのキャラクターを同時に動かしていくという、人の心の内面としては支離滅裂なことをしているのかもしれませんね。

何はともあれ、つまりそれが「萌え」から離れるのではなく、「萌えの中身が変わった」という部分なんだと思います。
女性的な自己肯定、他者肯定を経たのであれば、男性的な自己肯定と他者肯定が必然になってくる、ということなのかもしれません。

というように、僕が著しく客観性を欠いている人間であることで、出発点はだいぶ違ってはおりますが、
それでも、

≫確かに“格好いい”も“萌え”もセクシュアルな魅力である点で同じだし、それに父親と母親、どっちも必要なものですしね。

というのは、本当にそう思います。セクシャルな魅力があるからこそ、想像力を掻き立てられるところがあって、様々な刺激を受けるのかもしれませんね。
そういや、富野監督が「逆シャア」の時にキャラデザの北爪氏に向かって「こんなクエスのマンコ舐めたいと思うか!」と吼えられたとかいうことですが、そういうの、やっぱり重要ですよね。

≫男キャラの男性的な部分に萌える感情、女キャラの女たるゆえんに萌える感情というのが、“格好いい”ではないかな、と思ったりします。

そうなんだと僕も思います。
少女漫画原作の「S・A」では、ヒロインの女の子がどんなに努力しても敵わない男の子、というのが出てくるのですが、それを見ていて、「ああ、そうか。女性からも、男はそうであって欲しい、というのはより鮮明に出てきているところはあるんだろうな」と感じたりもします。
しかも、その男の子はヒロインの子が非常に努力しているところをちゃんと評価しているんですね。そういったところが示唆するものもいろいろと感じるところで。
そして、それは物語だからこそ、示していけるものなのかもしれないな、ということも思います。

今期の視聴体験は、なかなか貴重なものになりそうで、とても楽しいです!
久々の長文コメントを受けて、たっぷり語らせていただきました。やー。楽しかったです^^
ありがとうございました!

mementoさんの「マクロスF」の感想、そして後二本の感想、楽しみにさせていただきますね!
そうそう。「蟲師」の紹介感想記事も楽しく読ませていただきました。確かにまだまだ語り足りてない感じが記事からも伝わってきて、作品に対する深い愛情を感じました。「君主論」の次は「蟲師」の連載記事だったり!?

でも、体調のことがあるわけですから、くれぐれも無理はなさらないで下さいね。
無理はせず、規則正しく、清く正しく(?)、これからもいっぱい語り合いましょうね!

ではでは、またです^^

投稿: だんち | 2008年4月16日 (水) 22:29

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受信: 2008年4月13日 (日) 03:36

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