落書きキョンハル一枚漫画。昨日の続き。
こんばんは、だんちです。今日日中出かける用事があったのですが、出先でなんとなく思いついたネタを帰ってから描いてみました。
昨日の「言い間違い」の続きって感じで。
あと、勉強になったことをメモ書き。
今回も、下書きからペン入れまで全部コミスタでタブレット使って描いてみました。
ハルヒがキョンを「パパ」と呼ぶプレイまでの道程は、まだまだ遠いのでございます。
親子プレイネタも、また思いついたら描いていこうかと思っておりまする。
昨日、ちょっと練習したから、今日は少しスムーズに描けた気がします。そういう時って、ちょっとホッとするものですね。また練習していろいろ描きますので、良かったらまた見てやって下さい。
・メモ
またまたサッカーからの話なんですけれども。
昨日のJリーグ第12節、川崎対浦和。
レッズが勝利を収めたこの試合の後(判定についてはここでは言及しません)、スポーツライターの増島みどりさんがゲルト・エンゲルス監督にインタビューされているのですが、そこで出てきた答えが僕には印象的でした。(参照スポーツを読み、語り、楽しむサイト|THE STADiUM「J1第12節 川崎F×浦和」)
「前任者のチーム、しかもかなり状態が悪くなって引き継ぐ。10試合負けなしという『成果』を手にするための秘訣は?」という質問に対し、エンゲルス監督は「ないよ」と笑って、その後、
「一番大事なのは雰囲気。負けるとどうしても雰囲気が悪くなる。まずはコミュニケーション(communication)でそれを取り戻していく。~」
と答えています。
で、記事を書かれている増島さんは、そこで出てきたキーワード、「コミュニケーション」に注目し、その後に出てくる「自信」(confidence)、コントロール(control)というキーワードと合わせて「エンゲルス監督、3つのC」というテーマにまとめています。
それはそれで、重要な道理だと思うのですが、僕が「ふむっ」と思ったのは「一番大事なのは雰囲気」というくだりでした。
エンゲルス監督は就任当初から、「雰囲気を良くしたい」ということを言っていたと思うんですよ。確か。雰囲気を変えたい、とか。そういう感じで。
それは、自信を無くしたりギクシャクしたりしているチームの雰囲気を前向きなものにする、明るくする、ポジティブにする、というような、そんな印象で僕なんかは受け取っていて。
ある意味、「対処療法」というか。「とりあえず雰囲気を良くして」という、どこか根本的解決には繋がらないんじゃないか、という表面的な印象を持っていたんですね。
でも、「10試合負けなし」という結果を受けてなお、「一番大事なのは雰囲気」というのは、ここまでくると非常に意味のある言葉として、深みや重みが感じられます。
「雰囲気」って、目には見えないし触れるものでもないけど、確実にあるもので。
それは、人の心の出方、姿の集合とも言えるものなのでしょうね。
その心の姿が、さらに人の心に影響を与え、雰囲気はますます形作られていく。
技術や戦術、体力など。そういったものは大前提としてありつつ、それを生かすのは「雰囲気」。つまり「人の心の形、姿」ということなのでしょうね。
で。そのことが、どこかピンと来る感じがあるんですね。
漫画を描いていて、やはり、その部分大事だろう。って。
描く側の雰囲気の持ち方というのもあるし、作品自体の雰囲気ということもあるし。
上手い下手ではなく、「雰囲気のある作品」って、やっぱりあって。色気であったり、盛り上がりであったり、切なさだったり。いろいろ。
技術的には、その時できることしかできないわけだけど、「雰囲気」を込めていくこと、作っていくことは、意識的にもっとできるのではないだろうか、ということを感じます。
物語を理解してもらうことも大事だけども、雰囲気が伝わっていって、それを楽しんでもらうことができたら、提供できる「満足」としてそれは、「届いた」こととして成り立つのかもしれません。
であるならば、その雰囲気はその人の心の姿であるわけだから、その作品はその人にしか作れないものである、という存在意義の発見にもなっていくのかもしれませんね。
「一番大事なのは雰囲気」
とても、面白い発見のある言葉です。
とか言いながら。今回描いたのは落書き一枚漫画なわけですが。まぁ、それでも、なんかしら雰囲気が伝わって楽しんでいただけたら、嬉しいっすね。
作品に雰囲気を込める、っていうことだけでなく。
どういう雰囲気で作品を作ることに取り組むか、というところも考えさせられるところで(むしろ、エンゲルス監督が言っていることはこっちのことになるわけですが)。
その辺、ずっと課題として持っている「アトリエ」作りのことも含まれてくるのでしょうね。
気分の持ち方として、BGMなんかも大事になるし。イメージソースとしての写真集だったり映画だったり小説だったり。その時必要な「雰囲気」のインプットが大事になるのでしょう。
その辺のこと、無意識的だったり意識的だったり、状況によって違いはありつつもある程度はやっているわけですが。でも、もっと意識的に「雰囲気」をコントロールして作って取り組んでいくことはできることでしょう。
雰囲気を作って、雰囲気を込めていくことで、持っている技術が生かされていくということが、エンゲルス監督の言うように、やはりあるのだと思いますし。
そこに関しても、いろいろと試行錯誤をしてきたいものです。
そしてやっぱり。
雰囲気のある作品。作りたいっすね。
そんなわけで、メモ書きでした。
ではでは、またです!
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コメント
小学生の頃クラスで大人気だった「ハリー・ポッターと賢者の石」(原作)を借りてきて途中で「クィディッチ」というスポーツが出てきたときのことを思い出しました。「『クィ』ってどう読むんだ?」ってとても疑問に思っていました。それと未だに食事のシーンで出てくる料理がイメージできません。イギリスでは定番の「おふくろの味」とかお祝いの料理とかも結構あるのでしょうが。七月にいよいよ完結編である「ハリー・ポッターと死の秘宝」の日本語版が出版されるようですが「謎のプリンス」までに広げすぎてしまった風呂敷をどう収拾付けるのかいまからとても楽しみにしています。
今回の「パパ」の話でふと思ったのですが、古泉が「憂鬱」で閉鎖空間での背後の話において比喩に使ったイブもアダムの肋骨から創造されたそうですね。僕はキリスト教徒というわけではなく、ハリー・ポッターにはまっていた頃にちょいと調べた程度なのであまりよく知らないのですがアダムにはイブが創り出される以前、アダムが創り出されたときに同時に創られた女性リリスがいてアダムが男性側の優位を主張し、リリスの「私は下に横たわりたくない」という主張をはね除けたために逃げられた(?)らしいですね。そういえばキョンは佐々木の男言葉を恋愛対象として見るなという主張だと解釈していましたっけ。
まあこういう方向に関する深い考察はもっとこの手の知識に聡い人がやればいいとしても、以前もコメントに書きましたがハルヒがキョンに対して父親的、あるいは兄的な庇護を求めている部分は確かにあると思います。「憂鬱」でみくるといちゃついている(ように見える行動をとっている)キョンを見たハルヒは「父親の痴漢現場を目撃したような顔」をしていたようですし。
投稿: Y | 2008年5月12日 (月) 02:33
Yさん、こんばんは。漫画を見て下さってコメントをありがとうございます^^
「ハリー・ポッター」シリーズは僕は大人になってからですが、ずっと楽しく読んでます。海外の言語が日本語に訳される時って読み方が難しいですよね。そこから元のスペルを調べてみたり、他国の言語に興味を持つきっかけになっていくこともあるでしょうね。
イギリスでの「おふくろの味」というのも、確かに興味湧きますね。小説や映画などで食べ物に興味を持つことはやっぱりあります。
池波正太郎先生の作品などを読むと作中の食べ物にかなり惹かれますし、実際に作品に出てくる食事のレシピ本が出たりもしていて。我が家でもいくつか作ってみたりしたこともあったり。
作品をきっかけにいろいろと興味を広げていくのは楽しいですね^^
佐々木をリリスに例える話は面白いですね。
彼女の場合は再びアダムキョンの前に現れて。むしろ喜んでキョンの下に横たわりそうな勢いですけれども^^
その辺り、ハルヒと佐々木の関係性、αルートに出てくる謎の少女などと合わせていろいろと楽しみですね。
>「父親の痴漢現場を目撃したような顔」
なるほど。確かにそういう表現ありましたね。ファザコンは、鉄板ですね^^
ではでは、またです。
投稿: だんち | 2008年5月15日 (木) 01:26