息抜きと漫画の技術話。
こんにちは、だんちです。最近割りと「虹」の更新を頑張っていたので、ちょっと息抜き。
ココログのアルバム機能にまとめる際に扉にしようと思っているキョンイラストのラフと、漫画の技術の一つについてメモ書き。
シャーペンの線がけっこういい感じだなぁと思えたので、ペン入れする前にスキャンしてキャプションとか適当に入れてみました。
アルバムの扉にする時は、ペン入れして色もつけるつもりでいます。
喉の辺りをがっつり描いたのはセックスアピール。
基本、少年漫画スタンスで描いているので、男性読者を想定しています。なので、読む人に「俺かっこいい!俺セクシー!」っていう感情移入を持ってもらえたらいいなぁと。
まぁ、今んとこキョンはやられっぱなしですけども。
これは「前編」の扉のつもりでいて、「後編」は古泉バージョンを描きたいなぁと思っております。
月末仕事の〆切なので、「虹」の更新ペースはまた落ちるかもしれませんが、時間みつけて描いていきたいと思います。よかったらまた見てやって下さい。
・漫画の技術メモ
「魔界都市日記」さん経由で「●わつき屋●」さんの「意外とマニアック?な長門さん(えー」を拝見して。とても楽しく堪能させていただいたのですが、同時に、「上手いなぁ。改めて勉強になるなぁ」と思ったところがありました。
それは、一コマ目。
長門が動揺して混乱している描写。
ここの絵、天地をひっくり返しているんですね。それは、演出意図として、「頭の中がひっくり返って、体も天地を逆に感じてしまうくらい混乱してしまっている」表現になるのだと思います。
絵の天地をひっくり返すというのは、描くのがちょっと面倒なんですよね。原稿をひっくり返して描かなければいけないし、それが演出意図から出ている以上、通常の天地で見た時に「天地が逆になっている絵」として成り立っている必要があるからパースの取り方なんかがちょっと難しくなるし。
そういった観点で見た時に、この一コマ目の天地逆の絵は、本当に見事だと感じます。
さて、「天地をひっくり返すことによる演出意図」ですが。
これ。実は、男の描き手にとってはちょっと苦手なものだと感じます。
「男」という生き物には、天地がひっくり返るような性質が備わっていないというか。人間の男(中でも日本の男性)は特に組織的なバランスを好むからか、天地を安定させる視座を持つ傾向があるのかもしれません。
だから男が絵を描く時にも、まず「安定した画面」を構築して、それをどう崩すか、という視点の持ち方があるように思います。
僕は元々青年誌や男性向けエロ雑誌で描いていたのですが、最近はレディースコミックの仕事をしています。
女性キャラの視点で物語を描くこと自体は、自分なりに問題なくできていたと思うのですが、やはり画面の構図が安定してしまう傾向がありました。
で、女性の描き手の方に、「女は感じる時に上下がひっくり返るような感覚があったりするから、そういうシーンは構図もひっくり返すといいよ」とアドバイスされたことがあったんですね。
それを聞いた時、「そうか!なるほどそういう見せ方があるか!」と新鮮で驚きました。
このことは、もしかしたら女性には「え?そういう見せ方普通でしょ?」と思われるかもしれませんね。
でも、少なくとも僕にとっては「まったく自分の中に持っていない視点」で驚きだったし、すごく勉強になったことでした。
セックスに対する男女の感覚の違いというのが大きいのでしょうね。
男にとってはセックスの時、視覚も快感を得るために重要になるので、セックスの最中の視点というのはより固定的になるのかもしれません。主体的に動いていくため、そもそも体勢自体を安定させなければいけない、ということも視点に影響を与えているかもしれませんね。
でも、女性は自分ではない他者を中から感じていくわけだし、体勢も横になっていることが多いでしょうから、視点が不安定になったり天地がひっくり返ったりすることがあるというのは、言われてみればそれはそうか、と感じるところです。
そういったところから、特にセックスをテーマに扱った作品になると、そういった男女の視点の違いというのはより明確に出てくるところなのかもしれません。
で。僕はレディースコミックの仕事をしていく時に、意図的に天地逆の絵を使うようになったのですが。自分でやってみると、これが非常に難しい。
「ただの上下逆の絵」になっちゃうんですよね。天地が逆で成り立つ絵にするには、そういう構図の取り方だったりパースの取り方だったりがあるんだな、ということが描いていて分かってきました。
「うわ…天地逆の絵って、難しいな」
と思うにつけ、つくづく自分は男なんだな、と感じます。
でも、これを「演出技術」として身につけると、作品の演出意図を表現する時の幅が広がるだろうなとも思うんですね。
「天地逆」の演出意図の具体例として、映像作品ですが、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の「~Ⅳ」での朝倉とキョンが対峙するシーンがあります。
朝倉が「あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」と言うところ。突然カメラをひっくり返しているんですね。
ここは、それまでのキョンの常識、日常が一気にひっくり返る分岐点のところで。
朝倉は淡々と語っているんだけれども、キョンにとっては受け入れ難い程意味不明の事態が起こったことを的確に表現していると思います。
天地がひっくり返る程の内面の動き。
天地がひっくり返る程の感覚の動き。
天地がひっくり返る程の状況の動き。
そういったことを、画面の天地をひっくり返すことで、流れの中に唐突な違和感や急激な動きを作り、意図を持って効果的に表現する。
セックスをテーマに扱う作品では勿論のこと、いろんなものを描いていく時にも、技術として持っていたいものです。
という。
漫画の技術メモでした。
ではでは、またです!
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コメント
こんばんは。mementoです。Web拍手コメントありがとうございました。「君主論」、今つづき書いてますよ。
>「男」という生き物には、天地がひっくり返るような性質が備わっていないというか。人間の男(中でも日本の男性)は特に組織的なバランスを好むからか、天地を安定させる視座を持つ傾向があるのかもしれません。
ああ、ああ、ああ、これ、ものすっごくよくわかります。
僕はジェットコースターが大の苦手なんですけど、それってまさに、“天地がひっくり返るような性質”が自分に備わっていないからですね。女の子はあれに、キャーキャー大喜びで乗ったりしますが、彼女らには天地がひっくり返ることの恐怖や不安が、僕よりはるかに少ないんだろうなあ。
少女漫画のコマ割りなんか見ても、女性のつくり手の“天地がひっくり返る”視座というものが、わかるように思います。あんまりそれがいきすぎると、どういう順序でコマを見ていけばいいんだかわからなくなる、ということもありますが。
男が固定した視座を持ちがちなのは、生まれたときから社会的な役割を持つことを期待されて、そういうふうに教育されるってことも大きいのかもしれませんね。男にとっての社会化とは、公共に対して義務を負い責任を果たす存在になる、ということで、それを刷り込まれた以上はそうそう簡単には、義務や責任といったものを放棄できない、固定的で不自由な生き物になっちゃうわけで。
女は…こういういい方するとちょっとまずいかもしれませんが…必ずしも社会での義務や責任を求められていない分、男よりは社会化の縛りが緩やかであり、より個人として、生物としての女でいられる自由さがあるんじゃないかな、と。
だいたい、性染色体のうち女性となるXX型が、同じ染色体が揃ってて安定しているのに対して、男性がXY型で不揃いなところからして、男というのは本来的に不安定な生き物であり、そうであるがゆえに社会化によって安定を求める性向を、生まれながらにして持たされてるのかも…いや、まあこじつけなんですが。
そういやセックスに関しても、男は行為を主導していく立場上、
「イカせなくてはいけない」
みたいな責任が生じてしまう辺り、男にとってのセックスとは実は、半分くらい社会的な行為なのかなあ、とか考えたりもします…嫌だなあ、それって。
女性のオーガズムが男性のそれの10倍だとかって話を聞くと、僕も可能ならそれを体験してみたいもんだ、とか思うんですけど、実際に体験してみたらむしろ、恐怖や不安を覚えるものだったりして。
このことに絡めて「ハルヒ」での朝倉とキョンの対峙場面では、女の朝倉が性的に興奮し、男のキョンは恐怖に駆られている、という文脈で、なにか書こうかなとも思ったんですが、残念ながら今のところ頭がぼけてて、たいしたこと思いつかないです。うーん…もう一度あの場面見直そうかな。
それにしても、セックスの話となると無条件で食いつくなあ、俺…。
投稿: memento | 2008年5月26日 (月) 19:34
いつの間にそんなに鍛えたんだ、キョン(笑)!
「男なら闘え」ですか。確かに「虹」のテーマ、というかバトル物のテーマを一点に集約するならそこでしょうね。やっぱりキャッチコピーは文字数が少ない分分かりやすくないと。
>人間の男(中でも日本の男性)は特に組織的なバランスを好むからか、天地を安定させる視座を持つ傾向があるのかもしれません。
そういわれてみればハルヒシリーズも常に非日常的な変化を求めるハルヒとやっかいな事件の起こらない穏やかな日常を望むキョンという構図が物語の中心にあると言えるかもしれませんね。
バトル物とかでも最近ではただ単純に「ヒーローが悪を討ち滅ぼす」という構図ではなく「戦いを通して最終的にはより平和的な解決を目指す」という構図が多くなってきている気がします。
そうでなくてもかつて主人公を苦しめたライバルがより強大な敵との戦いの中で主人公と協力する、といったパターンは少年漫画ではお約束ですし。
投稿: Y | 2008年5月27日 (火) 01:09
か、かっこいいなキョン……単純な構図と短いキャプションは少年誌の王道かもしれないですね。
いや、今回の記事は参考になりました。つい少女漫画の原作やるなんて言っちゃったもので。
そうですね、たしかに男性は安定を求めるものかもしれませんね。
ただ、穿った見方をすると女性というのは大地などに例えられるように安定している、自己の肯定が出来ている前提だからこそ天地がひっくり返っても平気なのかもしれないかもと。
どうせ自分は安定しているから、変化も受け止めきれるというか。
そう考えたら男は安定を求めながらフラフラ漂う(精子的表現)で、女はどのような状況でも受け止めきれる(子宮内表現)ものなのかもしれないなあ。
結局、男は女に勝てないというオチで(笑)
投稿: 蔵人 | 2008年5月27日 (火) 01:41
>mementoさん、こんばんは。記事を読んで下さってコメントをありがとうございます^^
≫ああ、ああ、ああ、これ、ものすっごくよくわかります。
おぉ。分かっていただけて嬉しいです!ジェットコースターの例すごく分かりやすいです。
少女漫画のコマ割りも、かなり感覚的で面白いですよね。萩尾先生は「読者の視線の動きを意識してコマ割りや見せ方を考えている」ということを仰っているようです。その辺りもジェットコースターに「乗せる」感覚はあるかもしれませんね。
≫男が固定した視座を持ちがちなのは、生まれたときから社会的な役割を持つことを期待されて、そういうふうに教育されるってことも大きいのかもしれませんね。
なるほど。後天的に身につく部分ですね。確かにそういうところはあるように思います。
社会性というものは、客観性の部分である意味保守的なところなんだと思います。
漫画でもアニメでも、「作画がどうの」「クオリティがどうの」という話が出てくることがあるわけですが、平均点を設定してそれより上か下かを判断したがるところに、「男っぽい」受け取り方だなぁと思うことがあります。
富野作品に対する批判でよく出てくる「これ、理解されるの?」というのなんかも、「自分が楽しむ」「自分が理解する」ということよりも「周囲が評価すること」が作品を評価する重要な要素になっている点で、とても「男っぽい」受け止め方に感じられます。
作品批評に性質を見るこの観点をこのまま続けると、女性は自分の主観が優先されて「○○はこんな子じゃない!」となることがあって、そうなるとそれはいきなり0点になってしまう、そういうところがあるように思います。
だから、女性向けの仕事をする時には「嫌われたら終わりだ」というところがあったりするんですね。その意味では、そういった傾向も「自分の主観を守る」という意味で保守的であるとも言えるかもしれませんね。
そうそう。その「守る」という働きは出方によっては良くも悪くも出てくる部分だと思うのですが、女性の「ひっくり返る感覚」は痛みなどに対して自分を守る働きでもあるんだろうな、と感じます。
つまり、出産に対して備えている感覚の一つなんではないか、と思うんですね。
女性のこれは先天的なもので、視点がとっちらかってしまうのですが、男にとっての社会化は「守る働き」なんだろうな、と感じたところから発展させてみました。やはり「守る」というのは本能的なもので、それは先天的なものなんでしょうけど、それを効率良く効果的に成し遂げるために「公共性」を持つようになったのであれば、先天的なものを補完するための後天的な教育なのかもしれないと思うんですね。
仰られている染色体のことは、まさに先天的なもので「こじつけ」と仰られていますが、とても興味深いです。
≫そうであるがゆえに社会化によって安定を求める性向を、生まれながらにして持たされてるのかも
ということでいうと。ふと、「蟲師」のギンコのありように思いを馳せてしまいました。男からしたら、彼のあの生き様の悲劇性はものすごく過酷なものがあるわけですが、漆原先生が女性であるからこそ、悲壮感を持たない絶妙の主人公になり得ているのかもしれませんね。
≫男にとってのセックスとは実は、半分くらい社会的な行為なのかなあ、とか考えたりもします…嫌だなあ、それって。
あははは(笑)そういう部分は実際あるんでしょうね。そういったところもあって、男性向けのエロものは反社会的になるのかもしれませんね。
実際のセックスが反社会的になるのは問題外なわけですが、それが社会的な行為になる部分があって、男にストレスを与えるのであれば、そこはちょっと女性にも助けて欲しい部分でもありますよね。
写真家の荒木経惟氏は「日本の女はもっと男に対して反応しなくちゃいけない」ということを言っていたそうです。「口説いたらちゃんと応えるそういう部分を持て」というような、そんな感じだったかと思います。
それはそれで後天的な部分で、教育によって身につけていける部分なのかもしれませんね。
女性の絶頂は、「ある種の仮死状態」だと聞いたことがあります。男がそれを体験したら、死に至る恐怖や不安を感じるのかもしれませんね。
やー。なんというか、想像つかないっすよね。そりゃ、天地がひっくり返る視点が出てこないわけです^^;
≫このことに絡めて「ハルヒ」での朝倉とキョンの対峙場面では、女の朝倉が性的に興奮し、男のキョンは恐怖に駆られている、という文脈で、なにか書こうかなとも思ったんですが、
おぉ!それは面白いですね。
あそこで朝倉は何も言わずに殺すことができたのに、じわじわと弄るように追い詰めていって。インターフェースという作られた立場でありながらパーソナリティを感じるところなわけですが、性的な快楽を求めての行為であったとすると、とても納得いくところでもありますね。
見直してみて何か感じるところがあったら是非文章化を!!^^
≫それにしても、セックスの話となると無条件で食いつくなあ、俺…。
やー、こういう話楽しいですよね^^まぁそこは30代トークということで!お互いオジサンのテクでこれからもセックス話、いっぱい語っていきましょうぜ!!
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2008年6月 3日 (火) 21:49
>Yさんこんにちは。絵と記事を見て下さってコメントをありがとうございます^^
≫「男なら闘え」ですか。確かに「虹」のテーマ、というかバトル物のテーマを一点に集約するならそこでしょうね。
そう。小理屈いらないところですね。暑苦しく汗臭い。そんな漫画にしていきたいものです^^
≫そういわれてみればハルヒシリーズも常に非日常的な変化を求めるハルヒとやっかいな事件の起こらない穏やかな日常を望むキョンという構図が物語の中心にあると言えるかもしれませんね。
なるほど。仰られる通りで、そこに男女の性質の違いを見ることはできますね。
だからこそ、彼らの近い将来にセックスの影が見えてくるところが、リアリティを感じるところでもあって、ドキドキわくわくさせられるところなのでしょうね。
ではでは、またです。
投稿: だんち | 2008年6月 4日 (水) 17:43
>蔵人さんこんにちは。いつもお世話になっております。絵と記事を見て下さってコメントをありがとうございます^^
≫か、かっこいいなキョン……単純な構図と短いキャプションは少年誌の王道かもしれないですね。
かっこいいっすか?わーい^^
男なら、こういう「気分」って持ちますよね。そういうところが伝わってすごく嬉しいです。漫画も、シンプルに真正面からぶつかっていく、そういう作品にしていけるようにしていきたいと思っております!
≫いや、今回の記事は参考になりました。つい少女漫画の原作やるなんて言っちゃったもので。
おぉ。それは良かったです^^
かなり実践的な話なので、漫画を描く人にとっては役立つんではないか、と思って書いてみました。
≫ただ、穿った見方をすると女性というのは大地などに例えられるように安定している、自己の肯定が出来ている前提だからこそ天地がひっくり返っても平気なのかもしれないかもと。
仰る通りで女性には独特の強さがありますよね。年を取って連れ合いと死別した時に、男性の方は割りと早く亡くなってしまうのに対し、女性はそのままけっこう長生きするという統計もあるそうですが、そういったところも「変化も受け止めきれる」タフさの部分なのかもしれませんね。
≫そう考えたら男は安定を求めながらフラフラ漂う(精子的表現)で、女はどのような状況でも受け止めきれる(子宮内表現)ものなのかもしれないなあ。
あぁ。その表現は面白いですね。あれですね。「港の女」(違う)。
そもそもが安定して受け止める立場であるからこそ、mementoさんが仰っているようなジェットコースターのようにひっくり返るものを求めて、ストレスから逃れる部分があるのかもしれませんね。
≫結局、男は女に勝てないというオチで(笑)
うん。絶対女の方がセックス好きだよね(笑)
まぁ、男は「負けるが勝ち」ってことで。いい感じで受け止めてもらいましょう^^
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2008年6月 4日 (水) 18:05