「涼宮ハルヒの憂鬱・改」第8話を見た。
こんにちは、だんちです。MXテレビとTVKで連続して「『涼宮ハルヒの憂鬱』改めて放送(以下『・改』表記)第8話」を見ましたので、感想を書きたいと思います(相変わらず、長いっすよ)。
*放送内容のネタバレ、原作ネタバレを含みますので、未放送地域の方、原作未読の方はお気をつけ下さい。
そんなわけで。
もうすでに情報が飛び回ってますんで、ネタバレとか気にすることもないでしょうけども。
「笹の葉ラプソディ」
で、
ございます。
3年前の放送の時は、時系列をシャッフルしていて。それを時系列順に見直してもなお、「欠けているエピソード」があったことは、当時原作未読の僕にも気付くことができました。
その時点で二期があることは大前提で(もちろん、商売の世界なのでその限りではないでしょうけども、意思とか意図の部分ですね)、二期で放送されるエピソードでもって、ピースが埋まっていって、物語の完成した姿、あるいは本来の姿を見せてくれるんだな、と思いました。
そして今回の放送で、ピースを埋める形で「改めて放送」をして、しかも、それが完全時系列であるのならば、やはり、そういうことなのでしょう。
今までの放送では欠けていた七夕のエピソード。
それが今回放送された。
・行って、帰ってくるプロセスの体験。
まず、放送されたものに関する感想ですけども。
楽しかったですねぇ…。
やー…。ホント、久々に彼らを見ることができて…。
楽しかった…。
なんというか、ホッとするというか。
「おぅ!元気にしてたか!!」っていうような。
久々に友達とか後輩とかに会ったような、そんな感じ。
嬉しかったですねぇ。
なんていう、こっちの感慨とは別に、テレビの向こうの彼らは時間通りに過ごしてるわけですが。
でも、時間通りじゃないんだよね。
3年前に戻ってみたり、現在の時間に戻ってみたり。
それは、テレビの前で見ているこっちも一緒ってことですかね。
物語には体験の共有性があると僕は思っています。
物語上のことを体験することはできないけど、そこで起こる心情、心の動きを登場人物と共有することはできる。ということですね。
それは、日常から一時、現実逃避することでリフレッシュする機能をもたらし、同時に「体験」なので、心に蓄積され、日常生活に潤いをもたらす。
そういうものだと捉えています。
つまり、物語を楽しんだことは、日常生活を明るく生きることによって完成するわけですが。
「笹の葉」で、3年前に戻り、そして現在に戻るドラマには、そんな体験性もまたあるかもしれませんね。
でも、ただ戻るだけではなく、確実に変化がある。
そのキーワードになるのが「狂」ということなんだろうな、と思います。
まぁ、相変わらずのコジツケなんですけどもね。
・「狂」
「ラプソディ」って、なんだべさ。って思って。
WEB辞書とかWIKIとかで見てみて。すると、「19世紀にヨーロッパで数多く作曲された自由で幻想的な楽曲。叙事的、民族的な性格のものが多い。狂詩曲。」とかってことらしいですね。
じゃあ今度は「叙事的」ってなんだべさ。と。
すると、「叙事…事件や事実をありのままに述べ記すこと。」ということらしい。
あぁ。なるほど。
とか、思うわけです。
その辺の意味合いは、厳密に捉える必要はないんだろうけど、キーワードとして見てみると、いろいろ面白いな、と感じます。
実際、キョンは序盤で「入学以来狂いっぱなし」と自らの調子のことを述べ、「狂」というキーワードを使っているんですよね。
そして、初めて時間跳躍を経験し、中学生のハルヒに会い、待機モードの長門に会う。
それらは、自分が言ったこと以上にさらにいろんなことが狂っていく、分岐点だったと言えるのかもしれませんね。
じゃあ、何が狂うのかというと。
状況と共に、それぞれの「自己の内面」。
ということになるのでしょう。
ハルヒが言っていた、「恋愛は一時の気の迷い、精神病の一種」ということに、まさに対応する部分だろうと感じます。
中学一年当時の、求めるものに対して切実なハルヒ。「私は、ここにいる」と訴え、飢えている。
そこで出会ったジョン・スミス。
彼女の内面が狂うに充分な出会いでしょう。
待機モードの長門の前に突然姿を現したキョンとみくる。当時、まだ割りと生まれたばかりの長門にとっても、重要な出会いになったのかもしれない。
そして、もちろんキョンにとっても。
・アンフェア
僕は原作で「笹の葉ラプソディ」を読んだ時、「…え?は?お?」というような感じで、ちょっとびっくりしたんですね。
その時の印象がまずあって、その上でアニメの「笹の葉ラプソディ」を見て、「なるほど」と腑に落ちるところがありました。
原作で読んだ時の印象をまず書くと、「これは…アンフェアだな」というものでした。
中学時代のハルヒは、未来から来たキョンに出会い、それは彼女の心に大きな影響を与えた(と思える)。
それは、高校生になってキョンに会った彼女が「キョンを選んだ」ことと、無関係ではないでしょう。キョンも、その辺り、そこまでは言及せずとも、おそらくは自覚してるでしょう。
僕は、この物語を「恋愛青春物語」として見ています。
その見方でこのエピソードを見ると、ものすごくアンフェアなんですね。
過去に行って、その女の子がまだ中学一年生で、小学生にちょいと毛が生えた程度の頃に会って、影響を与えてしまう。
おそらくは、異性として意識させてしまう(不可抗力であったとしても)。
で、高校生になって再会して、「はい、恋に落ちました」なんてやったら、アンフェアもアンフェア。大反則だと、僕は思うわけです。
もちろん、「まさに本人そのもの」として再会することはできないでしょうけども。
でも、まかり間違うとそういった反則になりかねないエピソードだったから、読んでものすごくびっくりしたんですね。
そこで、「なるほど。これはいつか条件がフェアになるんだな」とも思うわけです。
それは、「現在のキョンが過去のジョン・スミスの幻影に打ち勝つ」とか、そういった精神面的な意味合いではなく。
もっと、実際的に。
なので、僕はそういう観点で「分裂」を読んでますし、「驚愕」の展開も楽しみにしているわけですが、それは置いておきます。
で。
アニメで「笹の葉」を映像で見てみて、演出、キャラクターの演技、声優さんの演技を目の当たりにしてみて、「なるほど。キョンもアンフェアを分かっているんだな」と感じました。
「憂鬱」で、閉鎖空間の中で、彼はハルヒにキスをした。
それはアンフェアを知らないでしたこと。
でも、現在はアンフェアな状況になってしまった。
それでハルヒにキスできるか?抱けるか?
そりゃ、できないでしょう。
アンフェアをできないことは、みくる(大)に「チュウくらいならしちゃってもいいよ」と言われた時のリアクションでも分かることです。
ま、心動いてたけどもー。でも、そういうことだよね。心は動く。でも、できない。
それが、アンフェアを前にした時の彼のリアクション。
ハルヒは、アンフェアを知らない。
だから、彼女は、とても素直に、「思い出がある」と漏らす。
そんなハルヒを前にして、キョンも狂ってしまった現在のことを感じたことでしょう。
過去、彼女の前にいたのは自分。
でも、それは彼女の中では現在の自分とは別の人間。
そして、彼女はその男に対して、3年間も、何がしかの想いを持ち続けている。
しかし、それは自分だとは、言えるはずもない。
複雑に狂ってしまった現在。
そして。
そんな狂ってしまった状況を生み出したのは、みくる。
「狂」というキーワードで見てみると、みくる(大)の行動はものすごくでかいんだな、と改めて感じました。意図的に狂わせている、というか。
状況や出会いによって、内面に狂いが生じてくることは、それはあるでしょう。
でも、意図してその狂いを生み出す「事件」を起こすということになると、それは「ちょっと待ってくれよ!」となるでしょうし、なし崩しにアンフェアな状況におかれて、「矛盾してないか?」とキョンが疑問に思うのも当然でしょう。
そもそも、未来人という存在自体が、宇宙人や超能力者よりも、もっともっとイレギュラーな存在ということなのかもしれません。
存在することにおいて、既に大きな狂いを生じさせているのかもしれない。その意味では、いよいよみくるの本領発揮でしょうか。
「何かがおかしい」
そういう「狂い」の発生と進行を様々に感じさせるラプソディ。
堪能いたしました。
・長い旅の始まり
キョンは、3年前に行き、帰ってくるわけですが。
でも、自己の内面には狂いを抱えてしまっている。
3年前に行く前は「ルールを知らない」からと断っていたチェスを、戻って来てから結局やっているところもまた、印象的でした。
原作でのその辺りの描写については置いておいて。アニメでパッと見た時に、キョンのその「行動の変化」というのが、やはり印象に残るんですね。
「やらない」と言っていたことを「やる」
で、しまいにゃ古泉に「無事平穏が一番だと思いますが」と突っ込まれたりもする。
行く前と行った後とでは、確実に変わっている。
思いがけないアンフェアを抱えてしまう。
そのアンフェアがあるからこそ、彼の彼女に対する想いの輪郭が、彼の中ではっきりするところが、あったのかもしれない(とっくの昔に彼の中では、はっきりしてるのかもしれないけどね!)。
そして、次にまた何かが起こることを、予期している。あるいは期待も。
キョンは涼宮ハルヒに出会ってしまった。
過去に遡って、また会ってしまった。
恋愛物語として見るなら、分岐点となる事件が起こってしまった。
いつか、フェアになるべき事件。
そのいつかが来た時、
きっと、二人はまた…。
そこまで、長い旅となることでしょう。
原作同様(あははは)。
でも、その長い旅をしてくれるのであれば。「笹の葉ラプソディ」がその出発点の一つでもあるのなら。
日常とテレビの向こうの非日常を行ったり来たりする視聴体験の長い旅を、これからも何度も何度も是非楽しませて欲しいものです。
そして、帰ってくる度に、
ちょっとだけでも、こっちの行動が変わっていたりしたら、
いいよね。
で。
「狂」というキーワードからあれこれ書いたわけですが。古泉はどうなのか。
彼はまぁ、完全蚊帳の外なわけですが。
でも、
「より重要性があるのは、あくまでクイーン」と言っている時。チェック(王手)されている状況で、敵の陣営深くに単騎乗り込んでいるナイトの姿がまた、印象的だったわけでございます。
チェスでナイトは二騎あるわけですが、そのうちの一騎は既にキョンに取られてたみたいですよね。キョンが話しながら手に持って弄んでいたのはナイトに見えたし。
残り一体のナイト。
勝ち目が無くても乗り込んで、キング、あるいはクイーンの喉下に、何かつきつけるのでしょうか。
あるいは、キョンの懐に既にあるナイトも、敵陣深くに入り込んでいるナイトも、共に彼の姿なのか。
そこにもまた、彼の抱える矛盾、狂い始めた内面なんかが象徴されているのかもしれませんね。
3年前、ハルヒがジョン・スミスと出会い、心に何がしかの狂いを抱えてしまったのならば。
きっと、閉鎖空間の発生もいろいろとあったのでしょうしね。そこで古泉にもいろいろあったんだろうし。
彼の辿る「長い旅」はどこへ向かうのか。そういったところもまた、興味は尽きないのであります。
・あと何点か思ったこと。
そういえば。
以前、みくるの一人称に関して書いた(リンク新窓・原作超ネタバレ記事)ことがありましたが、アニメで見てみても、「笹の葉」でのみくるの一人称は「わたし」でしたね。
やはり、そのあたりの描写は意図したものなのかもしれませんね。
それと、深夜なのでヘッドフォンして視聴していたのですが、歩く時の音、SEがとても印象的でした。体重を感じる音色なんですよね。
ハルヒの歩く音もそうだし、何より長門の歩く音が「長門の体重」を感じさせるものだったところが、なんともいえず嬉しい感じでした。
3年前の長門のマンションで話すシーンで、もし、3年後の長門と同期する前の長門が歩くシーンがあったら、きっとSEはだいぶ違っていたんでしょうね。
キャラクターデザインに関しては、あまり印象違う感じはしませんでした。
もちろん、ちょこちょこ変わっているわけですけども。
とにかく、ハルヒが可愛いので問題などないのですよ。
中学一年ハルヒは…たまんないですね…。
あれは…こう…首輪つけて(やっぱりそれか!)、いろいろしたくなる…。
前情報は皆無だったわけですが、見ていて「あ。これは武本さんのコンテだな」と分かる感じでした。非常に切れ味があって良かったです。
当然プレッシャーもあったろうけど、アンフェアのこと含めて、非常に練り込まれた演出がなされていたように思います。
新EDも、すっげ良かった!!ヘッドフォンで聴いてると、ベースがちょー気持ち良かった。ブリブリ鳴ってた。ちょー青春でたまんねー。
あと、感想の中で上手く絡められなかったけど、ラスト、クイーンを小突くキョンがすっげ可愛かった。
ちょっと複雑で、でも実際はとてもシンプルな想いが出てる感じで。
小突いてみても、倒すことまではできないわけだしね。結局、大事にしてるのね。っていう。
…そう!!うん、そうなんだよ!
だから、原作読んでてもアンフェアをアンフェアだ、って感じられるんだろうね。
3年前の放送で、あの1クールに「笹の葉」が入っていたら、すっげぇ微妙になったろうなって思うんだよ。
特に、「憂鬱」のキスとポニーテールを最終話に持ってくるあの構成のままで、時系列を崩してどっかしらで「笹の葉」が入っていたら。最後のキスシーンが相当アンフェアに映ってしまっていたんじゃないだろうか。
そうやって見ると、ハルヒを大事にしているキョンだからこそ、そしてそんなキョンを大事にするからこその、一期だったのかもしれませんね。
そしてやはり、「笹の葉」は長い旅の始まりなのでございましょう。
その視聴体験の旅で、様々な心の動きを獲得していける。
それは、とても幸せなことだと感じます。
「笹の葉」で生じた「狂い」を分岐点として、今後のエピソードがどう見えてくるのか。
新作でどのエピソードが描かれるのか。
楽しい旅の始まりに、心ときめくのでございます。
来週もまた、楽しみです!!
ではでは、長くなりましたが。
この辺で!!
またです!!
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ようやくYouTubeにも第8話がUpされたので見てきました。
九州ではハルヒの放送時間がけいおん!と被っていて片方しか録画できないので公式で本編をUpしてくれるのはとてもありがたいです。
>3年前の長門のマンションで話すシーンで、もし、3年後の長門と同期する前の長門が歩くシーンがあったら、きっとSEはだいぶ違っていたんでしょうね。
そういえばキョンが長門の部屋のインターホンを鳴らした後長門がドアを開ける直前にかすかにそれっぽい音が聞こえていたような…
歩く音についてはよく分からなかったけど同じキャラでの「3年前」と「現在」、あるいは「未来」での声優さんの演じ分けとかはすごいと思いました。
作中の台詞では3年前の長門が現在(3年後)の長門と同期した後の自分を「同一人物」と言っていたけど襖を閉める前の長門と開けた後の長門ではやっぱり何かが違うように描かれているような印象を受けました。
3年前の長門はこれからSOS団が結成されてハルヒがキョンと閉鎖空間に行ったり、みんなで野球大会に出たりするという事を知識として知っているわけですが襖を開けた後の長門はそれらを「実際に体験した長門」として描かれたり演じられたりしているように感じました。
ラストでのキョンが時間の連続性について話すシーンやEDでの「過去は自分の物」という歌詞、スナップ写真などのカットも含めて今回の話というかおそらくこの二期では様々な体験の中でのキョン達の変化を意識した作りになっているのではないかと思いました。
だからこそ2クールまるまる新しい話という選択肢もあったはずなのにあえてそれを選ばず一期の話も含めて「改めて」放送する形にしたのではないか……というのはちょっと考えすぎかもしれませんが。
投稿: Y | 2009年5月29日 (金) 02:45
Yさん、こんにちは。記事を読んで下さってコメントをありがとうございます^^
公式でああやってアップするというのは、いいですよね。
>そういえばキョンが長門の部屋のインターホンを鳴らした後長門がドアを開ける直前にかすかにそれっぽい音が聞こえていたような…
そうなんだよね。でも、床の上を目の前で歩くシーンではないので、他のシーンとの比較はちょっと難しいですね。
でも、音含めて、人間らしさ、存在感、を表現する丁寧な演出がなされていたように思います。
>ラストでのキョンが時間の連続性について話すシーンやEDでの「過去は自分の物」という歌詞、スナップ写真などのカットも含めて今回の話というかおそらくこの二期では様々な体験の中でのキョン達の変化を意識した作りになっているのではないかと思いました。
完全時系列で表現されることで、その辺りの見え方がより明確になるのでしょうね。
>だからこそ2クールまるまる新しい話という選択肢もあったはずなのにあえてそれを選ばず一期の話も含めて「改めて」放送する形にしたのではないか……というのはちょっと考えすぎかもしれませんが。
以前のように新作がばかすか作られる状況では難しかったでしょうけど。状況も味方しつつ、今回のような構成が可能になったのかもしれませんね。
今後の展開、見え方、そして新しく楽しむ方達が増えることなど、いろいろと楽しみですね^^
ではでは、またです!
投稿: だんち | 2009年6月 7日 (日) 14:40
てきとうな名前で失礼します。
そして一か月以上前の日記への書き込み、重ねて失礼します。
最近このサイトにたどりついたものでして。
私が「笹の葉」を原作で読んだりアニメで見た時はただニヤニヤしてただけなのですが・・・「アンフェア」という考え方は、なるほどと思いました。
(原作のほうで)一年たってもちゃんとした恋仲にならない二人をみて、「もうこいつら"先に告白したほうが負け"みたいな暗黙の了解ができてるんだな」とか勝手に考えて一人でテンションを上げてたんですが、
キョンが告白しない・できない理由として、「アンフェア」というキーワードはかなり説得力があります。
笹の葉の出来事なんて、キョンにしてみたらズルして気を引いたみたいですもんね。
「アンフェア」ということについて色々考えてみて、思いついたことが2点あります。
まず一つ目。「アンフェア」は憂鬱の時からあったんじゃないか?という疑問。
憂鬱の時点で既に、二人の間に情報の非対称性が産まれていたんですよね。キョンと、ハルヒ以外のSOS団員は"ハルヒは普通の人間ではない"という事実を知っているのに、ハルヒ自身だけが自覚していない。
神人なんかはもろに「ハルヒの心の中」なんてプライベートな部分なのに、キョンは古泉の手引きで簡単にその中に入ってしまっている。
憂鬱の時から、情報面ではキョンは常にアドバンテージを持っているわけです。
そのことの後ろめたさが、憂鬱のキスの後も二人の仲が劇的には進展しなかった理由なのかなぁ、と思います。
そして二つ目。ハルヒのほうの「アンフェア」はどうなのか?という疑問。
考えようによってはハルヒも「アンフェア」なところがあると言えそうです。それは"ハルヒが普通の人間ではない"事。
それはキョンの目には魅力的に映ってしまうかもしれませんけど、そんなことで気を引いても仕方がないですよね。
議論しても結論の出ないことですが、ハルヒが無意識下では自分が異常な存在であることを理解している、という考え方がありますよね。
もしハルヒがそのことに自覚的であるなら、「アンフェア」にも自覚的であるってことで、だとしたら自分から恋を推し進めることは…できないのかも知れませんね。
で、こんな風に考えて、二人とも相手のことを好きなんだけど「アンフェア」のことをうじうじと気にしてしまって、いつまでも告白できないのかなーと思うようになりました。
憂鬱での深夜の学校での出来事があるから、二人とも相手が自分を好きなんだろうなってことはなんとなくわかってる。でも告白できない。それは振られるのが嫌だからじゃなくて、OKされた時の理由が「アンフェア」な理由だったら嫌だから。それで「なんでこの人は自分のことが好きなんだろうか?」って答えを確かめたくて、お互いの出方をうかがっているうちに一年たってしまった。
なんかこう考えるとすごく萌えます。
なんか全然アニメの感想ですらない妄想になってしまってしまってすいません。だんちさんの記事が凄い刺激になったので、つい長々と書いてしまいました
投稿: 匿名B | 2009年7月13日 (月) 23:38
>匿名Bさん、こんばんは。初めまして。長文の感想を読んで下さってコメントをありがとうございます^^
最近うちのサイトを見ていただけるようになったとのこと、とても嬉しいです!
「笹の葉」での「アンフェア」について、「なるほど」と思ってもらえて、しかもそこからさらに「アンフェア」について考えて下さって、書いた甲斐があります^^
≫憂鬱の時点で既に、二人の間に情報の非対称性が産まれていたんですよね。
なるほど。確かにそうですね。キョンはハルヒの知らないところでハルヒのことをやたらと知るわけですもんね。
「憂鬱」のことで言うと、キョンのことはハルヒには知られていないけど、宇宙的未来的超能力的な方々にはいろいろ筒抜けで、キョンもキョンで自分のことを勝手に知られてしまっている、という部分はあるのかな、と思ったりもします。
その上で情報やヒントを与えられたりして、アドバンテージを意図的に作られて、「さぁ、くっついて下さい」とお膳立てをされている感じがあって、「後ろめたさ」を押し付けられて。でも、それは人と人とが好き合うことじゃないだろう、という、男の子らしい反発があるのかもなぁとか感じたりもします。
その意味では、「仲を進めない」というのも、「選択」されたものだ、と考えることができますね。
二つ目のハルヒの方の「アンフェア」というのもまた、非常に興味深いですね。
実際、存在自体が「アンフェア」な子なわけですもんね。
ただ、だからこそ、ハルヒの方には「アンフェアの自覚は無い」としてみると、よりキョンと対照的になるかもしれませんし、特別な存在であるはずなのに、人並みにヤキモチを妬いたりするのも分かる気がします。
でも、ジョンに対する想いを持ち続けているところで、キョンにジョンの面影を重ねているとしたら、そのことについては自覚的なのかな、と思ったりもします。
彼女にとってキョンはどこかで「ジョンの代わり」のところがあるのかもしれない。
だとしたら、それが彼女にとっての「アンフェア意識」と言えるかもしれませんね。
いずれにしても、「アンフェア」をキーワードにしてみることで、二人の気持ちを推し量っていくことは、いろいろとできるかもしれないですね。
≫それは振られるのが嫌だからじゃなくて、OKされた時の理由が「アンフェア」な理由だったら嫌だから。それで「なんでこの人は自分のことが好きなんだろうか?」って答えを確かめたくて、お互いの出方をうかがっているうちに一年たってしまった。
そういうところは、あるかもしれませんね^^
「本当のこと」というか、「本当の気持ち」というか。
お互いに、そういったものを探し続けているといいますか。お互いの、そして自分の気持ちも、不思議なことだらけ、って感じで、青春ですよね^^
≫なんか全然アニメの感想ですらない妄想になってしまってしまってすいません。だんちさんの記事が凄い刺激になったので、つい長々と書いてしまいました
いえいえ!!すごく嬉しいです!!
二次創作をされていらっしゃる方なのでしょうか?サイトとかあるのでしたら、今度よかったらこっそり教えて下さい^^
またいろいろと書き連ねていきますので、よかったらお時間のある時にでも是非また見てやって下さい!!
ではでは、またです^^
投稿: だんち | 2009年7月19日 (日) 00:14