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2009年8月24日 (月)

「涼宮ハルヒの憂鬱・改」第20話を見た。

 こんばんは、だんちです。コミケ準備の最中に見た「ハルヒ・改」20話の感想を、手短に書きたいと思います。
*放送内容のネタバレ、場合によって原作ネタバレを含みますので、未放送地域の方、原作未読の方はお気をつけ下さい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんなわけで。
 
 
 
 
 「溜息」で、ございます。
 
 文化祭準備のエピソード。

 前作のアニメの時。
 時系列で見直してみて、文化祭準備のエピソードがまるっと抜かれていることに気づいてから、とても気になっていたエピソードで。
 原作で読んでみて、「ハルヒ」シリーズを方向づける、非常に意味のあるストーリーに感じて、とても好きなエピソードです。

 そこで感じたことは、原作小説を読んでアップした感想に書きましたが、アニメで見ても、やはりその感じる部分に変わりはなく、このエピソードを見れることに喜びと興奮を感じます。
 「溜息」全体の感想は、アニメでこのエピソードが全部放送されてから、改めて書きたいと思っておりますので、ひとまず、今回感じたことを、さっくり書いてみようと思います。

 
 それは、「画」の部分。

 
 映像で見ていて、非常に切れ味があって、カッティングがとても素晴らしいと感じました。
 とても好きなテンポ感で、すごく気持ち良かった。

 印象的に感じたのは、「レイアウト」がとても、いいな、ということでした。
 コンテ&演出の山田尚子さんがされたレイアウトワークなのでしょうか。
 正面や横という構図が多くて、カメラ的にはフィックス(固定)中心。実在感(実写的画面構成)を志向するこの作品にあって、ポップに可愛くキャラクターやフレームを配置して、とても見やすく整理して画面を作っていたように感じます。

 なんだか、とても好きなフレームの雰囲気というか…。好みに合う感じだったので、そこを気にして改めて見てみたのですが、特に変わったことはしてないんですよね。
 とにかく、配置…やはり、レイアウトが素晴らしい、としか言葉が出てきません。

 ここはもう、富野監督的に「気分」という言葉を使いますが、今回のフィルムから伝わってくる「気分」の部分に自信を感じます。

 以前、フルメタTSRシリーズで、武本監督がスランプになったのかな?と感じたのも、その「気分」の部分だと言えます。
 武本氏は、好んで「正面」「横」のフィックス画を使う傾向があると思うんですね(ある意味、水島務監督的?)。
 それは、ストロングスタイルな画面構成になると思うのですが、TSRのOVAを見た時に、やはりそういう画面構成を使いながら、だけど、とても迷いのあるレイアウトになっているというか。そういう印象があったんですね。
 「あ。自信なく画を置いてる」っていうような。

 フィルムに「気分」の乗りが出てしまい、、レイアウトに「自信」が表れてしまうのだとしたら。
 今回のハルヒ20話は、とても気分が乗っていて、自信を持って画面が作られていたように感じます。

 逆算すると、何を見せるのか、がとても明確だったということなのでしょうね。
 「ハルヒを見せる」「可愛く見せる」というのが基本にありつつ、「キョンと一緒にいるハルヒを可愛く映す」というか。
 あ。うん。「キョンとハルヒの関係性」で画面を作っている感じでしょうか。
 それぞれの「関係性」の部分も映し出すところもありましたね。序盤のキョン、谷口、国木田とか。
 関係性…。
 それは、それぞれのキャラクターの内面も含めた距離感かもしれない。
 その部分は、画面に映し出せるということなのでしょうね。

 逆算を進めると、脚本が谷川さんだったことも、ぶれの無さ、明確さを生み出しているのかもしれませんね。

 僕は、中学生くらいの頃から、一旦気に入ったフィルムは、数え切れないほど何度も繰り返し見てきましたが、この20話も、何度も見たくなるような気持ち良さがあります。
 何なんでしょうね。ちょっとした部分なんだろうけど。
 画面とか映像とかって、不思議ですね。

 僕は、「けいおん!」をまだ録画したまま見れてないんですね。
 だけど、今回の山田さんのコンテワークを見て、俄然興味が沸きました。時間作って見なくっちゃ。

 漫画も、「画面」でできていて、レイアウトがとても重要なのですが、こうしてアニメを見ていると、とても勉強になります。
 シーンごとの画の見せ方なんて、何通りもあるわけだけど、でも、「これだ!」っていうものに決めなくちゃいけない。
 絵とか画っていうのは、それそのものの技術的な部分だったり表現力の部分だったりがまず見られると思うんだけど、「これ!」と決める作業が、実際一番大事だと感じます。
 つまり、レイアウトですね。
 それが無いと、画面なんて作れないし描けないし。
 ここの部分は、猛烈に頭使うし、気を抜けないし、むちゃくちゃ消耗するし、大変なんだけど。
 でも、やりがいもあるし、楽しい。

 今回の20話を見て、画を作ること、どういうレイアウトをするか、ということについて、またとてもモチベーションを持つことができましたし、勉強になりました。

 今回に限らず、「溜息」がどういう画面で何を見せてくれるのか、そしてその視聴体験を、どれだけ自分の血肉にできるのか、今後もとても楽しみです!!

 ではでは、またです!

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