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2009年9月 5日 (土)

「涼宮ハルヒの憂鬱・改」第22話を見た。

 こんにちは、だんちです。一週間遅れのアニメ感想。先週金曜深夜、MXTVとTVKで見た「ハルヒ・改」22話の感想を書きたいと思います。

 
 
 
 
 や。
 なんだかもう、みんなえらく可愛かった!!!!!!
 石原さんのコンテもホント素晴らしいし、堪能しまくりであります。タイミングの妙、ロケハンを活かした構図、キャラクターの演技のつけ方。たまんねー。

 さてさて。

 前回の感想から書いていることですが、僕はこの「溜息」を、「谷口」を鍵として捉える見方をしています。
 キョンを挟んで、ハルヒと谷口が対照的であることから、エピソードの中身が見えてくる。という見方ですね。

 狂言回しとしているはずの(その位置に留まり、動きをコントロールする意図も持っている)古泉は、物語の中心人物の一人となり、実際は狂言回しでは無くなっている。
 として、見てみると。
 彼がちょくちょくとする解説は、一面について語っているにすぎない。と感じます。

 物語にとって重要な部分を、実は谷口こそが説明をしている。もしくは、ヒントを出している、として見ると、彼がなんだかんだと出番を得て出てくることに意味を感じるんですね。

 今回彼は、タクシーの「空車」が「愛車」に見えて、「俺に今不足しているのは愛」とか言うわけです。
 このシーンでの谷口と国木田の会話は、本当にバカみたいな会話で、取るに足らないものなわけですが、でも、「谷口を鍵」として見て、谷口がキョンを挟んでハルヒと対照的であることから、根底のところで、ハルヒも谷口と似た状況を持っていると仮定するならば、ハルヒにも「愛が不足している」という捉え方を導き出すことができるのだと思います。

 その「愛」を、恋愛的なものに限定する必要はなく、もっと漠然とした「愛情」として考えると、ハルヒが求めているもの、望んでいるものが見えてくるのかもしれない。

 それは、やはり、時系列で見ていることで、「笹の葉」がエピソードとして重要になってくることだと思うんですね。
 時期的に、ちょうどDVDで見たから印象が強いというのもあるんでしょうけど、僕には、ハルヒが三年前の七夕でジョンに手を貸してもらったことを、この映画作りでキョンにして欲しがっているように見えるんです。

 「笹の葉」の時の感想で、僕は「アンフェアだ」と書きました。
 それは、キョンがハルヒに対してアンフェアな状況になった、ということだったわけですが、「ハルヒの方にもアンフェアがあるのでは?」というコメントをいただいて、僕は、「ハルヒがジョンの面影をキョンに見ていて、キョンをジョンの代わりにしている」ことを、「ハルヒの持つアンフェア」ではないかな、と改めて感じました。

 七夕があって。ホームページ作りやらコンピ研部長失踪事件やら、夏休みがあって。
 一緒に過ごす時間を重ねていって。
 だけど、まだ、キョンをキョンとして見れていないのかもしれない。
 三年前に与えられた、「誰かが分かってくれて。誰かが味方してくれる」という、その「愛情」の形を、ただただ無意識に、キョンに求めているのかもしれない。

 つまり、ハルヒがこの映画作りでキョンに求めていることは、「ジョン的立ち位置」で、そこに見えるのは、「愛」を欲しがる姿に思えるわけです。

 ハルヒが、キョンを「ジョン的立ち位置」に置いているならば。

 この映画作りは、宇宙人(魔法使いになっちゃったけど)、未来人、超能力者が出てきて、その彼らを映画に撮ることで、ハルヒとジョンが一緒に遊ぶ。という構図になるのかもしれない。

 ………

 わ…

 やべ。

 
 今、自分でこうやって文章にしたら、すっげぇ切なくなった…。

 あー…。そう考えると、三年前から、ずっと望んでいた姿なんでしょうね。

 ジョンが自分の横にいて。
 目の前に、宇宙人、未来人、超能力者がいる。

 という、その構図が。

 なるほど。そりゃ、キョンは出演者じゃなくってカメラマンなわけだ。

 自分の横にいて、自分と同じものを見て欲しい。

 そう願っているのかもしれない。
 求めているものはやはり、「愛」。なのかもしれない。

 その「愛」は、年上の男の人から与えられるようなもので、兄的存在に求めるようなものだったり、擬似的、代替的でありつつも、親に求めるようなものだったりするのかもしれない。

 だからこそ、言うことやることがあまりにも子供っぽい。

 休日の公園で、家族連れ達の中に混ざって遊んでいる(映画撮影している)姿も、象徴的に思えます。

 古泉も言うように、本来は常識人であるハルヒが望んだことで、ミクルビームが発動する。
 映画の中にそうあって欲しいという願望から出てきた「潜在的な力」の顕現なわけですが。それが、休日の公園で起こったことも、その子供っぽい願望から、どこか納得できる現象に思えます。

 そういえば。映画撮影の時のハルヒの服装は、土曜日は青いパーカーワンピースだけど、その中のシャツは黄色メイン。日曜日は、かなり黄色中心に構成されていて、どうも黄色が多めな感じ。
 黄色は、子供っぽさを象徴する色なわけですが、映画撮影をしている時のハルヒの状態を的確に表していると言えるのかもしれませんね。
 もっと言うと、土曜日は青のワンピが目立っていましたが、青は理性的な色だから、土曜日のハルヒは子供っぽさの上に理性をかぶせることがまだできていた。でも、日曜日は子供っぽさがいよいよ全開に…。なんて見方もできるのかもしれない。

 谷口が漏らした「愛が不足している」という戯言を、わざと「鍵」として捉えてみて、そこに、休日の公園、家族連れ達に混ざっているシチュエーション、ハルヒの子供っぽさを混ぜ合わせることで、見えてくるもの。

 それが、僕には「ジョンに対する願望」に思えるし、それをそのままキョンに求め、キョンをジョンの身代わりにすることはアンフェアで、叶うことのない、無理な願望に思えます。

 でも、なんでその願望がこうやって形になって出てきたのか。
 のところが、興味深いっていうか。面白さを感じるところでもあります。

 それは、キョンをジョンの身代わりとして見ることから、キョンをキョンとして見ることに、シフトチェンジしようとしているようにも感じるんですね。
 その変化は、夏休みの最後の日に、彼の部屋を訪れることで表れた変化なのかもしれない。
 三年前の想い出より、現在のキョンとの時間がより重要になりつつあるのかもしれない。

 そういえば谷口は、文化祭の準備で仲良くしてる男女とか見てるとムカつく、的なことも言ってたんですよね。
 前回かな?
 このことも、鍵として見てみると面白いですよね。

 キョンを挟んで、谷口とハルヒが同じようなことを感じ、その上で対照的な行動を取っている、として見る見方からするならば。
 ハルヒが思う「面白くあって欲しい高校の文化祭」に、そもそもそういった部分が含まれていると見ることもできるのかも。
 なるほど。そうやって見ると、それは確かに「ハルヒは常識的」と見れる部分だろうし、これを機会に、キョンにジョンの代わりをしてもらおうとすることもありうることかもしれない。

 どうしても子供っぽさがあるから、そういった男女云々に関しては、グラデーションというか、そっちに行ききれない感じはあるけども。

 
 さらに。

 休日の公園、家族連れ達に混ざって過ごすことを意味のあることとして捉えると。そこにいるのがキョンだけでなく、SOS団のみんなが一緒、というところにも感じるものがあったりします。

 古泉が、もう狂言回しではいられなくなり、物語の当事者の一人になってしまっていると思うのも、そういうところで。監視やら観測やらをするはずの彼らが、他人事ではない状況がそこに見てとれる。

 「つまらない」と感じることから、映画を撮る、というアクションを起こしたハルヒ。
 そこに、「傍観者」としているはずの彼らを巻き込み、あまつさえ出演者にしてしまうところにも、面白さ、立ち位置の入れ替えによる意味性を見ることができるのかもしれませんね。
 さらに、「鍵」としての脇役谷口までもそこに姿を見せてくる。

 そういったところにも、彼女の感じる「面白さ」。「つまらない」に対するカウンターを見ることができて、見ているこちらに投げかけてくる何かを感じることができるのかもしれません。

  
 だいぶ、長くなってきたのでそろそろ終わりますが、このエピソードはまだ続くので、投げっぱなしで終わろうと思います。

 ただ。「溜息」における狂言回しは、古泉ではなく、谷口であり、彼の脇役然とした台詞や行動は、実はハルヒの内面を読み解く「鍵」になるとして見てみると、様々なことが見えてくるのだな、とますます思うようになってきました。
 その見方をこのまま続けてみて、さらに何が見えてくるのか。何を感じるのか。
 今後もとても楽しみです。

 そして、こういった脇役の使い方を、漫画描きとしても学んでいきたいものであります。

 ではでは、またです!

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コメント

うぬー
相変わらず熱い考察を・・・

個人的な話ですが・・・
小説で人気が出てアニメにもなっている(ってことでしたよね)ハルヒですが自分はアニメから入った人間で、それも途中(1期)から見たんですが一発で物凄く気に入ってしまい、それから他の話も動画サイトやらで見たんですが、あまりに気に入ってしまったが故に逆に小説は絶対に読まないって決めてしまったんです
ってのも映画なんかで先に小説読むと映画は時間制約がきついために原作小説の話の厚みがかなり端折られるってことがよくあるわけでして、それでがっかりしてしまったことが1度や2度ではなかったのもありハルヒでは絶対にその轍は踏まぬ!と本に手を伸ばしたいのをこらえてひたすら鼻息を荒くしたままじーっとこらえ続けてきたわけですw
なんせ1期終了のころには、ほんの気まぐれで途中の1話を見てから夢中になったためにそのころハルヒが世間的にどの程度の評価を得ていたのかほとんど知らなかったにも拘らず、この話で続編が作られないはずがないと信じ込むほど気に入ってましたからw

ってことで今、毎週物凄く楽しみにしながら見ています
そしてこのサイトのハルヒ考察もセットで楽しみにしていますw
早く次の話が見たい・・・

投稿: | 2009年9月 5日 (土) 23:13

2009年9月 5日 (土) 23:13にコメントを下さった方、こんばんは^^

長文の感想を読んでいただけて、「熱い」と仰っていただけて、とても嬉しいです!

>あまりに気に入ってしまったが故に逆に小説は絶対に読まないって決めてしまったんです

なるほど。メディアが変わると表現の根本的な方法論が違いますから、違いがどうしたって出てくるし、端折られることも、やはりありますよね。

僕は、タイトルが同じだったとしても、基本「別作品」として見るようにしています。

感覚としては。
演劇なんかで、一つの脚本を違った劇団で演じたりすると、まったく違った作品になることがあって、「ここの劇団の演出家はこの作品をどう料理するのかな?」「おぉ。ここでこれを見ると、こういう作品になるんだ!」とか、そういった楽しみ方をすることがあります。
そういった見方、捉え方なのかもしれません。

ただ、楽しみ方は人それぞれだと思うので、アニメ版「ハルヒ」をそれだけ楽しく見ていらっしゃるのでしたら、その方法で見ていかれるのが、やはりよいのでしょうね。

僕の感想もセットになっているとのことですが、とても光栄です^^

今後も、一緒になって楽しく見ていきたいですね!!

投稿: だんち | 2009年9月13日 (日) 19:51

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