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2010年3月 1日 (月)

「漫画言語」の話。

 こんばんは、だんちです。久しぶりに漫画コラムを。Twitterでつぶやいたことを加筆してまとめました。

**********

 「漫画言語の話」

 以前、「漫画言語」「映像言語」ということをブログの記事で書いたりしたことがあったけど、やはり漫画は言語のようなところがあると、ネーム作業をしながら改めて実感することがあった。
 その時の作業は、作品のテイストやイメージ、キャラクターがはっきりしていたから、とてもスピーディかつ的確に進めることができた。
 感覚的には「言葉をしゃべるように」ネームを描くことができた感じがあって、「あ。これは漫画言語ということなのかもしれない」と思ったんだよね。

 「漫画言語」というのは「漫画というのはこう描いてこう読む」というもの。描く側と読む側に共通理解があって伝わるものになっていく。そこにある法則性のことをそう呼べるんだろうし、法則性から得られる共通理解が成り立つ現象が前提にもなるのかもしれない。もちろん、共通理解が成り立たない独善的なものであっても、それは「言語」になりうるかもしれない。
 法則性には基本的な骨組みの部分があって、それを土台に日々変化していく。骨組みが文法みたいなもので、変化していく部分が「語尾」みたいなものだろうか。
 とはいえ、比喩なので。多分に感覚的な捉え方になると思うし、明確な定義付けをするより、曖昧でいいんだと思う。

 曖昧なまま、続けてみると。
 コマ割りの法則だったり対象読者、作品の方向性なんかは「文法」で、キャラクターやシチュエーション、ドラマの要素などは「単語」だと言えるかもしれない。
 そういったものが明確だと「しゃべれる」。つまり、漫画を描くことができる。今回の自分の経験だと、「しゃべるようにネームを描く」ことができる。
 逆に「しゃべれない(ネームが描けない)」時は、文法だったり単語だったりのどこかが欠けている、ということになるのかもしれない。
 「漫画をしゃべる」ための要素が揃っていれば、しゃべることができる。上手くしゃべれない時は、欠けているものを揃えればいい。
 この感覚を得られたというか、体験できたことは自分にとってとても大きいと感じる。

 漫画を言語的感覚で捉えることは、「映像言語」という言葉に出会ったことが大きいし、知り合いの老婦人が「漫画は難しくて読めない」と発言していたことが印象的で覚えていたことも大きい。
 積み重なったものが結実して「感覚」を形成したということになるのだろう。

 「漫画言語」という感覚は、積み重ねと経験によって掴んだもので、自分の中にあるものを明確に認識できた(曖昧さは含みつつ)ということになるのだと思う。では自分はその「漫画言語」をそもそもどうやって身につけてきたのか。
 そこを掘り下げることは、何かしら他の「言語(「漫画言語」的な意味で)」を身につけたいと思った場合に有効なヒントになりうるように思える。

 自分をモデルケースにして思うのは、漫画に関してはいわゆる「お勉強」はほとんどしてなかった。ひたすら、「実地」。
 雑誌社に持ち込んで、商業誌で仕事をさせていただくようになって、打ち合わせをさんざん重ねて、何度も何度もネームを描いては直しを繰り返して。ネームの部分を担当する仕事をして、得意なテーマだろうと苦手なテーマだろうと、どんなテーマであっても必ず〆切までに形にする、作品として成り立たせるということをし続けて。

 それは振り返ってみれば、「伝える」ということについての取り組みだったのだと思う。
 何を伝えるのか、どうやって伝えるのか、いつ伝えるのか、伝わるのか。
 それをさんざん繰り返すことは、「言語」を身につけようとすることそのものだったといえるのかもしれない。

 伝わらなくても、失敗しても、諦めないで伝えようとする。上手くいかなければ、別の伝え方を模索してでも伝える。
 その繰り返しを経て、漫画言語を身につけてきたのだと思う。
 具体的な方法論としては、基本、根性ありきの話にはなってしまうけれども。根性の「根」という字が示す通りで、それがあってこそのロジックにもなるんだろうね。
 諦めないで、「伝える」ということにしがみつき続けることで、その目的に対するアプローチを具体的に模索することもできるんだろうし。その先に「言語」を掴み、「しゃべるように」漫画を描けるようにもなるのだと思う。
 僕はその感覚を体験できたけど、毎回毎回「しゃべるように」というわけにはいかない。でもヒントは掴んだ。「単語」「文法」、そして理屈抜きの「根性」。
 今後も、「漫画言語」を身につけるべく努力を重ねていきたい。

 というところで、結論は出たわけだけども。
 余談を一つ。
 この観点を持って漫画を見た時に、いわゆる「手抜き」というものはどういったことなのか、について。

 「手抜き」と聞くと、「線が少ない」とか「画面が白い」とか「背景が描かれていない」とか「トーンが貼られていない」とか、そういったことを思い浮かべる人もいると思う。
 僕はそう思わない。

 「伝える」ことを諦めて、分かりにくい画、構図、構成などでコマを埋めることを、僕は「手抜き」と捉える。

 いっぱい線が引かれていて、力を入れて描いているように見えるコマであっても、「あ。逃げたな」と見ていて感じることは、ある。
 勿論、作品全体通して伝わるものになっていればOKだし、描く時の状況なんて本当にいろいろだから、それを責めることは単純にはできないんだけども。
 技術的に描けない画を避けることは仕方ないよ。誰だって実力以上のものは出せないんだから。描ける画で伝えればいい。

 でも、「伝える」ことから逃げるのは、違う。

 僕は、そう思う。

 以上。

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 ということを書いて、そしてこれからネームのお仕事なのです。
 いいものを描きたいね。

 最近は、「レイアウト」についてもTwitterつぶやいたりしたので、それもどっかでまとめたい。

 ではでは、またですー。

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コメント

普段漫画を読んでいるにもかかわらず、そんな漫画と真剣に向き合ったわけでもない自分にはなかなか難しい話だったんですが・・・
ただ、読んでるうちにふと富樫義博さんのことを思い出しました
具体的には
>「手抜き」と聞くと、「線が少ない」とか「画面が白い」とか「背景が描かれていない」とか「トーンが貼られていない」とか、そういったことを思い浮かべる人もいると思う。
>僕はそう思わない。
という部分でですw
だんちさんが富樫さんやその作品をどう評しているのか、それ以前に読んだことがあるのかも分かりませんがw
あの人の最近の作品って画面が―――、とか背景が―――とか言っちゃったらアウトじゃないですか
まぁ最近と言わず、昔からその傾向はあったような気がしますが
でも見ると何故か自分はひき込まれてしまうんですよね

だから何となく、そういう手間では無くて伝わってくるのかどうかだってのは自分でもわかります(・・・解釈あってるんだろか
そして自分が抱ける感想としてはこれくらいでいっぱいいっぱいですw

投稿: | 2010年3月 3日 (水) 18:41

 なるほど.
 漫画家はこういういう事を考えているのですか.
 分かりやすい会話の基本を教えていただいたような気がします.

>手抜き
 だんち様は漫画家の手抜きとして絵を中心に書かれていますが,僕は話の展開もあると思います.
 例えば主人公を優秀に見せるために科学者などその道の権威を無能に見せる方法です.
 これを中途半端な知識でやられると,僕はどんな主人公でも首絞めたくなります.
 僕は農業関係の職業についているのですが,農薬や化学肥料などの知識が何もないにもかかわらず,さもそれらが体に害を与えるように書かれるのが一番腹が立ちます.
 「こいつ(作者)の農薬のイメージ,ベトナム戦争の枯葉剤のイメージしか無いだろ!」と叫んだ後に,それまで好きだったキャラクターを見て「こいつとは絶対友達に成れないんだな」と思うとさみしくなります.
 

投稿: リューガ | 2010年3月 3日 (水) 22:34

>僕は話の展開もあると思います.
>例えば主人公を優秀に見せるために科学者などその道の権威を無能に見せる方法です.

あ、それ凄くわかります!
とりあえず権威とか専門家とか引っぱり出しといて、それをあっさり圧倒するからどうだ凄いだろうって展開・・・
生半可な知識でやっつけてるって印象受けると大体白けちゃうんですよね
何でもかんでも知っとけなんてもちろん言わないし言えないけど、でも何とかして欲しい
そう考えたら、漫画を描くのって知識とかバランス感覚とか求められて、やっぱ大変なんだなぁとも思いますが

横槍失礼しました

投稿: | 2010年3月 5日 (金) 04:44

>2010年3月 3日 (水) 18:41にコメント下さった方、こんばんは。長文を読んで下さってコメントありがとうございます^^

≫普段漫画を読んでいるにもかかわらず、そんな漫画と真剣に向き合ったわけでもない自分にはなかなか難しい話だったんですが・・・

いえいえ。「描く人間」の話なので^^
でも、描く側がそれなりに真剣に描いていることに触れていただけたのでしたら、嬉しいです!

富樫先生は、ネームの天才ですね。あのネーム力はハンパなくすごいです。
ご本人も、「真剣に漫画を面白くしようとしていたら、絵を描く時間なんてない」という内容のことを仰っていたらしいですが、そのことはとてもよく分かります。
なので、

≫だから何となく、そういう手間では無くて伝わってくるのかどうかだってのは自分でもわかります(・・・解釈あってるんだろか

というのは、とても的確なんだと思います^^
真剣に読んで下さってとても嬉しいです!

≫漫画を描くのって知識とかバランス感覚とか求められて、やっぱ大変なんだなぁとも思いますが

というのは、本当にそうですね。
あと、結局のところ「予算」というのが実はとても大きいです。知識がなければ取材しなければいけないし、場合によってはブレーンが必要になる。
その部分も含めて「責めることは単純にはできない」と表現したところはあります。

 
>リューガさん、こんばんは。長文を読んで下さってコメントありがとうございます^^

≫ 分かりやすい会話の基本を教えていただいたような気がします.

そう仰っていただけて、嬉しいです^^

お話の部分で、「安直な展開」「安直な見せ方」に陥ることは確かにありますね。
そこも確かに「手抜き」に該当すると思います。

ただ、知識を知らないことそのものがイコール「手抜き」にすぐさま直結することではないでしょうね。
予算の問題。作家本人の人生観や経験の問題。
そういったことがあるわけですから。
その意味では、

≫「こいつとは絶対友達に成れないんだな」

という感想が、とてもストレートである意味全てなのだと思います。

それにしても、

≫ 僕は農業関係の職業についているのですが,

ということですが、僕がもし農業関係の作品を描くことがあったら、是非取材させて下さい^^

投稿: だんち | 2010年3月 7日 (日) 02:10

>だんち様
>僕がもし農業関係の作品を描くことがあったら、是非取材させて下さい^^

 それはうれしいです!
 でも、僕の職場では確実に地理的な問題があります。
 ↓こちらで探すのが良いですよ。
農林漁業体験学習ネット
http://www.nou-taiken.net/

投稿: リューガ | 2010年3月 8日 (月) 00:43

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