こんばんは、だんちです。
コンフェデレーションズカップが開催されていて、僕もサッカーを楽しんでいます。
で、久しぶりにサッカーについて。
ブラジル戦は惨敗。イタリア戦は惜敗。
その結果や内容にいろいろな見方や意見もあることでしょうし、興味を持ってネット上をウロウロすれば、いろんな人のいろんな言葉がどんどん目に入って来ます。
そんな中、僕も思ってることを少々述べてみたいと思います。
感じるのは、「悔しいけど善戦素晴らしい!1年後に向けてここから成長して欲しい!」という見方と「なんだよ敗退じゃねぇか。ザッケローニ監督の采配気に入らねぇ。批判しようぜ!」という見方が大まかにあるかな、と思います。
僕は前者です。
というのも、コンフェデ杯に関して「何が目的なのか」がそもそも不明確で、グループリーグ突破のノルマも無かったからです。
もし、優勝を目指していたのなら、そういう強化スケジュールを組むべきですが、むしろ「W杯である程度以上の結果を残すための強化スケジュール」としてコンフェデ杯は位置づけられていると感じます。
その強化の第一歩の段階でブラジルやイタリアに負けたからといって「ザッケローニ監督は限界だ!」「無策だ!」とは思いません。
最初から「グループリーグ突破は最低限のミッション」と公式に課題が出されていたわけではなく、メディアやファンからそういうプレッシャーがあったのでもない。
だけど、敗退になったら格好つけた言葉を並べて批判する。
それって、「サッカーの本場って善戦を誉めたりしないんでしょ?結果で厳しく批判するものなんでしょ?」っていう、フワフワした「真似事」にしか思えない。
采配に関してですが。
オーストラリア戦で栗原選手を投入したことは守備固めとは思わないし、それで長友選手を中盤に上げるやり方は過去にもやっていました。
「交代後失点した」と、そこだけ取り上げて言う論調には同意できなくて、あれはサイドを突破されたサイドの守備の問題です。
突破されたのは右サイド。このサイドは誰も交代してません。
オーストラリア戦に限らず、「あそこは○○選手を入れるべきだ!」とか、そういうのは気持ちとしては分かるけど、テレビゲームじゃなくって人間がやっていることだから。
監督やスタッフが間近で見ていてコンディションやメンタルなど、いろいろ含めて判断していることでしょう。
選手の小さな怪我や、練習態度などは分からないですからね。
メンバーの固定化による戦力不足が交代選手の顔ぶれを変化の乏しいものにしているのは事実でしょう。
でも、これまでのスケジュールを見ると、震災で南米選手権を辞退して、すぐW杯予選が始まってしまって、充分な強化ができなかった。
経験値で勝る海外組を中心にメンバーを固定して予選を最優先で乗り切る、というのは合理的判断でしょう。
充分な強化の機会と期間が与えられていて、その上での交代カードであるならば、確かに「もうちょっとあるだろう」とは思いますけど。
「震災は二年も前じゃん」と思うかもしれませんが、代表チームが集まって練習する機会は年間で数える程。
その大事な機会、しかも数少ないアウェーでの真剣勝負の場がなくなってしまったことは、相当大きな出来事だと僕は思います。
W杯予選を最優先で戦い、特に明確なノルマの無いコンフェデ杯を戦う。
その流れでコンフェデ杯敗退を批判する「真似事」臭には、正直辟易させられます。
でも、これもチャンスなんだろうな、と感じます。
たまに海外のコーチだったりサッカー識者の言葉として紹介される「日本は独自のサッカースタイルを築くべき」という意見。
僕もそう思いますし、そのことは観戦者や見方、論調にも言えることだと思います。
フランスW杯の時、日本サポーターがスタジアムの掃除をして帰ったことが驚愕されてニュースになったことがありましたよね。それを見て野球ファンも真似してみたり。
そういう「日本スタイル」を、どんどん作っていけたらいいんじゃないか、と思います。
「サッカーの本場はスタジアムで発炎筒焚いて暴力振るうんだろう?」などと勘違いする必要は無いんです。
「負けたら批判しなくっちゃ!」とか変に格好つけなくっていい。
「善戦を称えるなんてしてるから世界に追いつけない」とかいうコンプレックスもいらない。
「善戦をあっぱれと称える」
日本スタイル。いいじゃない。
格闘技の試合でのことですが。日本の観戦者について、日本で試合をした海外の選手が「負けた選手にも拍手を送ってリスペクトしてくれる。素晴らしいお客さん達だ」と感激のコメントを述べることが昔から多くありました。
日本スタイルはちゃんとあるんですよ。
格闘技の観戦もしていて、敗者にも拍手を送る、リスペクトを持つ「日本スタイル」を当り前だと思っている立場からすると、「負けたら批判だ!善戦を誉めちゃいけない!」という余裕の無さは「大丈夫?」と心配にもなります。
心の動き、感動、感受性。それらを、周りをキョロキョロ見て「世界はこうだし」みたいに余裕なく誤魔化したり抑え付けたりしているのであれば、せっかくのスポーツ観戦が勿体無い。
W杯までの1年。
サッカーをどう楽しむのか。
「世界コンプレックス」を観戦者もサッカーメディアも克服していく、チャンスの1年になるといいな、と思います。
ではでは、またです!
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